第18話 魔物を殺した。
大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
年度末、年度始まりで執筆する時間がなかなか取れませんでした。
「あのさ、聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「あ? なんだ? ちゃっちゃと済ませろよ?」
「うん。……まずは、ここが目的地?」
「ああ、そうみてえだな」
「……魔物がいるね?」
「ああ。ゴブリンな。ここはゴブリンの巣みてえだからな」
「…………今回の依頼って、何?」
「ゴブリンの討伐と巣の破壊だ」
「……教えてくれてないよね?」
「ああ。聞かれなかったからな」
ハハハ。聞かれなかったからか。そうかあ。そっかあ…………。
「って! そういう問題じゃ!」
「でかい声出すな! 見つかるだろうが!」
「モガ! モガー!」
俺達は今、草むらの陰に屈んでいる。
草むらを超えた先には洞窟の入り口。そして入り口を守るように魔物……ゴブリンらしい。が立っている。
ゴブリンは子供くらいの身長に緑の肌、そして長い耳と鼻を持っていた。ゲームで見るゴブリンそのものだ。
腰にぼろ布を巻いているだけでほぼ裸だが、手には棒に石をくくりつけただけの、石斧らしきもの、を持っている。
「よし、レーメス、レミイ。一匹ずつやれ。同時だ。声を上げさせるなよ」
「りょーかい」
「分かった」
ジャンは、大声を出しそうになった俺の口を手で塞ぎながらレーメスとレミイさんに指示を出した。
レーメスとレミイは俺達から離れて、物影に隠れながら音を立てることなくゴブリンに近づいて行く。
完璧にゴブリンの死角に位置取りしながら背後に回り込み、
「ギ!……ァ」
「ギャ…………」
次の瞬間にはゴブリンが二匹とも、その場に崩れ落ちた。背中には刺し傷が一つ。一撃で仕留めたらしい。
ジャンは声で気取られる心配がなくなった事を確認したところで、俺の口から手を離した。
「プハッ!」
「よし、中に入るぞ」
「聞きたい事はまだあるんだが…………まあいい、あとで聞く」
入口前でレーメス、レミイさんと合流し、洞窟の中へ歩を進める。
洞窟にはレミイさんが先行して入り、その後をジャン、メリアさん、俺、セーヌさん、キース、レーメスの順番で入っていく。
洞窟に入る直前、見張りをしていたゴブリンの死体が目に入った。
大きく目を見開き、顔をこちらに向けている。すでに息はないはずなのに、目が合った気がした。
「…………っ!」
その目が憎しみを持って俺を見ているような気がして、慌てて目を逸らして洞窟の中に入った。
「うぶ!?」
「これはまた……」
巣の中に入った途端、すさまじい臭気に俺とメリアさんは顔を顰めた。
中に充満するのは饐えたような臭い、糞尿の匂い。そして腐臭。そういった臭いが混じりあい、形容しがたい悪臭となって漂っていた。
「まだ入り口に入ったばかりだぞ。奥はこんなもんじゃない」
「まじで……?」
ジャンの言葉に愕然とした。今の時点でもかなり臭いのに、奥はこれ以上?呼吸できなくなりそうだな。
悪臭に辟易しながら洞窟を進む。十メートルほど進んだだろうか。レミイさんが片手を横に伸ばして足を止めた。
「止まって。…………一匹近づいてくるね」
レミイさんの立っている場所からさらに五メートルほど先に曲がり角がある。そこから現れるようだ。
「丁度いい。メリアさん。やってみてくれ」
「はーい」
ジャンからご指名がかかったメリアさんが返事をしながらナイフを抜いて走りだした。
速い。しかも低い。四つん這いで走っているかのような低さだ。しかもほとんど足音がしない。
メリアさんが曲がり角に到達するのと、ゴブリンが姿を見せるのはほぼ同時だった。
「ギ!?」
ゴブリンが俺達に気付いた。
だが、地面すれすれを走るメリアさんにはまだ気付けていないようだ。
「ふっ!」
ゴブリンに気付かれる前にメリアさんがナイフを振るう。
その刃は違うことなくゴブリンの首へ吸い込まれ、首が飛んだ。
「……!」
そこでやっとメリアさんの存在に気付いたらしく、宙を舞う生首は仲間を呼ぼうと口をパクパクさせている。しかし声を出す事は叶わず、ゴッ、という音と共に地面に落ちた。その後、思い出したかのように体の方も倒れる。
「へえ~。やるねえ~」
「一撃ですか。さすが、長い間狩りをして生活していただけの事はありますね」
メリアさんの鮮やかな手並みに、レーメスとキースが感嘆の声を上げた。
「まあ、獲物は一撃で仕留めないと逃げられちゃうからねえ」
ナイフを振って血を飛ばし、鞘に納めつつ答えるメリアさん。
「よし、次ゴブリンが出たら、お嬢ちゃんがやれ」
「うぇ!?」
え!? 俺もやんの!?
「何間抜けな声出してやがる。ここに連れてきたのは二人の戦闘能力の確認も兼ねてんだ。メリアさんだけやったって意味ねえだろ」
「戦闘能力の確認!? 聞いてない!」
「ああ、言ってねえ。聞かれてねえからな」
またそれかよ……ちくしょう。
「依頼を受ける時は、依頼人が知り合いであろうとも、内容をしっかりと確認しろ。分からない事があったら聞け。じゃねえとろくな事にならねえぞ。肝に銘じておけ」
「うぐぐ…………はぁい」
騙されたのは腹立たしいけど、ジャンの言う通りだ。
今回はジャン達だったからこんなもんで済んだけど、悪意を持って騙してくる奴だっている。
そういうのに引っかからないためには、常日頃から気を付けてないといけないんだ。
でも腹立つもんは腹立つ。
「くそう……」
「ほら、帰ったら飯奢ってやっから機嫌直せよ…………お、来たぞ」
「まじで!?」
もう来たの!? 心の準備が……!
ジャンに言われて視線を向けると、確かに一匹こちらに向かってくるのが見えた。
あちらもすでに俺たちを認識しているらしく、石斧を振り上げながらドタドタと走ってきている。
「ほら、さっさと準備しろ」
「あ、ああ……」
〈拡張保管庫〉から棒を取り出した。両手でしっかりと握り、先端をゴブリンに向ける。
そこで俺以外の全員が数歩後ろに下がり、必然的に俺が先頭に立つ形になった。
「なんで下がってんの!?」
「お前一人でやらせる為だよ……。あ? なんだその棒? 槌じゃねえのか?」
俺の武器を見て、ジャンが訝し気な声を上げた。そういえばこれを見せるのは初めてだったか。
「あー。あれ、振ってみたら思ったより使いにくかったから、変えた」
「変えたってお前…………。おら、前見ろ!」
ジャンの問いに答えるする為に後ろを向いていたが、慌てて前を向きなおすと、いつの間にかすぐ近くまでゴブリンが近づいてきており、手に持った石斧を振り上げていた。
「ギイイイイイイィィ!」
「ひぃ!」
ギイン!
ゴブリンは奇声を上げながら石斧をそのまま振り下ろしてきたが、恐怖で反射的に両手を前に出したおかげで、持っていた棒で石斧を受け止める事ができた。受け止めた時にそれなりの衝撃を受けたが、なんとか耐える事が出来た。体が小さいだけあって、力はそこまで強くないようだ。
偶然とは言え初撃を受け止める事が出来てほっとしたが、その安堵も新たな恐怖で塗り潰された。
ゴブリンの持つ石斧は短い。間合いはせいぜい腕の長さプラス三十センチ程度。
そんな武器が届く距離というのは、とても近い。俺と身長そう変わらないせいでより近く感じる。
すぐ目の前にゴブリンの顔があり、荒い呼吸を感じる。俺に攻撃を当てることができなかった為か、怒りの形相だ。
「うあああぁ……。あああああ!」
至近距離での睨み合いに耐えきれず、石斧ごとおもいっきり押した。
ゴブリンはたたらを踏んで少し離れたが、すぐさま距離を詰め、喚きながら襲い掛かってきた。
「うわああ! 来るなぁぁ!」
近づいて欲しくない一心で目を瞑りながら棒の先端をゴブリンに向け、思い切り突き出した。
棒の先端を相手に押し付けた状態で逆の端を持っていれば近づけないと思ったのだ。
棒を突き出した瞬間、ドスッという音と共に、想像より軽い感触を両手に感じた。
「…………あ?」
さっきまでうるさく喚いていたゴブリンの声が聞こえなくなっている。
誰かが、俺の余りに情けない状態を見かねて倒してくれたんだろうか?
声が聞こえなくなったという事は安全になったんだろうか?
……俺が棒を突き出した途端に声が聞こえなくなったよな?
…………いやいやまさか。
俺が持ってるのはただの棒だよ?槍じゃないんだよ?
きっとメリアさんあたりが倒してくれたんだ。きっとそうだ。
必死に自分に言い聞かせながら、恐る恐る目を開いてみると、
俺が突き出した棒がゴブリンの胸を貫通していた。
すでにゴブリンは息絶えているらしく、全身から力が抜けており、突き刺さった棒を支えに立っている状態のようだ。
しかし目は大きく見開かれており、真っすぐ俺を睨みつけているように見えた。
傷口から溢れた血が、棒を伝って手元に流れてくる。
「ひっ!?」
慌てて棒から手を離して後ずさるが、二歩目で地面の凹凸に足を取られ、尻餅をついた。
俺が手を離した事で支えを失ったゴブリンはその場に崩れ落ちる。
「あ、ああ……、あああぁぁぁぁあ……」
俺が持っていたのはただの棒だ先端も尖ってないし生き物の体を貫くなんてできっこないそんな事達人じゃなきゃできっこない俺は素人だ出来るわけがないそうだできる訳ないんだあれだ俺が突き出す前にレーメスとかレミイさんとかメリアさんがナイフで刺しててその時にはすでにこいつは死んでいてその刺し傷に偶然棒が入っただけなんだ振り向いたらすぐ後ろに誰かいてナイフを構えてるんだそうに決まってる
ガチガチと歯を鳴らしながらゆっくりと後ろを振り向く。
すぐ後ろにいるはずの誰かは居らず、全員が俺の数歩後ろ、元の位置から動いていなかった。
皆、憐れむような顔で俺を見つめる中、一人ジャンだけが腕を組んで真面目な顔をしている。
そしておもむろに口を開き、
「びびってた割にはいい突きだったじゃねえか。槍でもないただの棒でゴブリンを貫くなんてよ。これでお嬢ちゃんも魔物を殺す事ができたわけだ」
と言った。
俺が殺した。
ジャンに言われて否が応でも理解した。して、しまった。
途端に一気に吐き気が込み上げてきた。抑える暇もなかった。
「う……げえええええぇぇ!」
四つん這いになって思いっきり吐いた。
初めて生物を殺した。その事実に耐え切れず、途切れる事のない吐き気となって俺を苛む。
「げ、げほっ! げほっ! ぅぇぇぇえええ……」
すでに胃の中は空っぽで、胃液すら出てこないが、一向に吐き気は治まらない。
いつの間にかメリアさんが隣にいて、背中をさすってくれていた。
いつからさすってくれていたかはわからないけど、背中に感じる手の温かさを認識したら、吐き気が少しだけ治まった。
「はあ、はあ……げほっ…………ありがと、おねーちゃん」
「はい、お水。口をゆすいでから、飲めるなら少し飲んで」
渡された水袋から少しだけ水を口に含み、ゆすいでから吐き出す。
口の中が少しすっきりしたところで、改めて少しだけ水を飲んだ。
水分を補給した事で、少し体調が良くなった気がする。
「……ごめん。もう、大丈夫だから」
俺の所為で進行が止まってしまった事を謝りながら、ゆっくりと体を起こす。
本当は全然大丈夫じゃない。吐き気は多少治まったけどまだ気持ち悪いし、吐き続けたせいで体力を消耗したらしく、体が重い。
だが、これ以上迷惑を掛ける訳にもいかないので、気合で立ち上がった。
「……そっか、分かった。でもまた気持ち悪くなったらすぐお姉ちゃんに言うんだよ?」
「うん。ありがと」
メリアさんが布を差し出しながら心配そうに顔を覗き込んできたので、がんばって笑顔を返してから布を受け取り、顔を拭いた。
「動けるか? ……じゃあ先に進むぞ。……ほら、武器忘れんなよ?」
顔を拭き終わるのを確認すると、ジャンは俺に棒を手渡してきた。
ゴブリンを貫いて血塗れになっていたはずのそれは、俺が吐いている間に綺麗に拭き取られたようで痕跡も残っていなかった。同時にゴブリンの死体も移動させたらしく、壁際に寄せられていた。
棒を受け取りながら、恐々とそちらに視線を向けたが、死体を視界に入れた途端、胃から込み上げてくる物を感じて、慌てて目を逸らした。
俺が棒を受け取るのを確認してから、全員で移動を再開する。
並び順は最初と同じだ。
「俺達冒険者は、魔物と出会ったら可能な限り殺す。生かしておくと人間に害を為すからだ」
歩を進めながら、顔を前に向けたままジャンが話し始めた。
「今回お前達を連れてきたのは、俺達人間と魔物の関係をしっかり理解してもらうのと、魔物を殺す、という事を経験させる為だ。こういうのは早いに越した事はねえ」
人間と魔物の関係か。まあ、お互い相容れない存在ではあるんだろう。
でも、お互いの領域を侵さないようにしていれば、共栄は無理でも共存はできると思うんだが。
殺しあわなくても、もしかしたら話し合いで解決できる事もあるかもしれない。
魔物と人間が手を取り合う事ができれば、女神様が懸念していた『この世界の生命の数が減ってきている』という問題も解決できそうだよな。
そんな事を考えながら歩いていると、レミイさんが足を止め、それに合わせて他のメンバーも歩みを止めた。
今歩いている道は緩やかにカーブしており、俺の位置からでは先が見えないがレミイさんの位置からだと違うようだ。
「少し先が大きな空洞になってるみたい。さすがに中は見えないけど」
「……そうか。ってことはそれなりの数のゴブリンがいるな。ここは俺達でやるから、お嬢ちゃんたちは自分の身を守っておけ。……今更ではあるが、セーヌ、レミイ、覚悟を決めろよ」
「ええ…………」
「やっぱこの先があの部屋だよね……。うん、大丈夫」
「ちょ、あの部屋って何?」
「…………見りゃわかるさ」
俺の疑問にジャンは答えず、背負っていた大剣にてを伸ばした。
「よし…………行くぞ!」
ジャンの号令と同時に全員が一斉に駆け出し、一気に空洞に突撃した。
『あの部屋』とは一体なんなんだろうか?
そんな事を考えながら俺は空洞内に足を踏み入れ、
わざわざセーヌさんとレミイさんに『覚悟を決めろ』と言った意味を理解した。




