第132話 調査を始めた。
「はい。これはなんと書いてあるでしょう? アイラちゃん、読めますか?」
「えーっと、うーんと…………あれは〈あ〉で……あっちは〈い〉だったよね…………あっ! わかったっ! 〈あいら〉! ウチのなまえ!」
「はい。正解です。良くできました。ではこっちはどうでしょう? イゾルデちゃん? どうですか?」
「えっ!? アタイ!? えっと……えっと…………」
「焦らないでいいですよ。ゆっくり考えてみましょうね」
子供達が家族の一員に加わって数日が経った屋敷の一室。
使う者がおらず半ば物置になっていたそこは、今では大きな横長の机に小さな椅子が五つ並び、その前面には大きな黒板が備え付けられた、立派な教室になっていた。
小さな椅子に座り、手元の小さな黒板に書き物をしているのは五人の子供達。前面の大きな黒板の前にはルナ、そして部屋の後ろには俺が立っている。
「レンさま。これであってる?」
「んー? あー、これだと〈ら〉だね。〈る〉は……こう」
「んー…………? あ! ここがくねってなってるのが〈ら〉で、こっちがくるんってなってるのが〈る〉! どう? あってる!?」
「そうそう。良く出来ました。偉い偉い」
「ふにゃ……えへへー……」
ウルスラちゃんから呼ばれ、手元の黒板に書かれた文字を確認し、間違いを指摘すると、少し考えた末、ウルスラちゃんは自分なりの覚え方を見つけたようだ。
ご褒美に頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めるウルスラちゃん。あー、可愛いなあ。見た目年齢は俺と大して変わらないけど、やっぱ中身が重要だよね中身が。
というかウルスラちゃん。こんなに人懐っこい子だったんだな。初めて会った時は、顔を向けただけで、すげえ勢いで目を逸らされてたのに。ほんの数日でえらい懐かれたもんだ。
「レンさまレンさま! オレ! オレのもみて!」
「……ボクのも」
「あーっ! ズルイ! ウチもみてー!」
「アタイもー!」
「いやいやいや。目の前にルナがいるでしょ。ルナに見てもらいなよ……」
「「「「レンさまがいいっ!」」」」」
「お、おう…………」
ウルスラちゃんの頭を撫でたのを見た子供達が、自分も自分もと黒板を持って俺の元に集まってくる。いや、俺は今日教師役じゃないからね? 教師役は黒板の前にいるルナだよ?
困惑顔で視線を向けると、ルナは苦笑いを浮かべながら子供達の様子を眺めている。いや止めろよ。俺は今日は教師役じゃなくて監視役なんだよ。
そう。監視役。誰を監視するか? もちろんルナだ。
子供達への教育は、一日交代で俺、メリアさん、オーキさん、ルナ、睦月、如月、弥生、卯月で回す事になった。
狐燐は計算は問題ないが、読み書きが出来ない……というか、書く文字が俺達と違った。狐燐曰く、恐らく自分が生きていた時代の文字だろう、との事。どれくらい前なのかわからんが、そんな古代文字の可能性すらありそうな文字を教えても意味がないので、狐燐は除外。本人は教える気満々だったようで、それを聞いた途端ガックリ項垂れていた。
リーアは狐燐と違って一応両方出来るのだが、本人曰く『人に教えられるような物じゃないのです』との事で辞退された。同様の理由でマリアさんも辞退。
最初はメリアさんとオーキさんも、リーアとマリアさんと同じ理由で辞退しようとしていたのだが、『マリアさんに教えたんじゃないの?』と言うと、ハッとした顔をした後、承諾してくれた。忘れんなよ。娘の事だぞ。
ルナ達以外のホムンクルス達も両方問題ないのだが、あの無表情&平坦な声が子供達には怖いだろうという事で除外。
マリとオネットは、教師役をすると警備に支障が出る恐れがあるとの事で辞退。
という具合に、消去法で先の八人の持ち回りとなったのだ。
…………のだが、ルナ達五人には、理由はどうあれ、子供達を洗脳したという前歴がある。本人達は反省しているが、ひょんな事から再洗脳を行う可能性も否定しきれない。
なので、ルナ達五人が教師役の時は、俺、メリアさん、マリアさん、オーキさん、狐燐、マリ、オネットが持ち回りで監視をする事になったのだ。それを聞いたルナ達がとても悲しそうな顔をしていたが、こればっかりはどうしようもない。失った信用を取り戻すのはゼロから作るより大変なのだ。なんせマイナスからのスタートだからね。是非頑張ってもらいたい。
「お、やってるねえ。どう? 調子は」
「しっかり学んでおるかの?」
五人から揉みくちゃにされていると、メリアさんと狐燐が部屋に入ってきた。あ、もうそんな時間か。
「ごめんみんな。俺とおねーちゃんはちょっと用事があるから出るね。困った事があったらルナか狐燐に言えばなんとかしてくれるから」
「「「「「えぇーっ!? レンさまいっちゃうのーっ!?」」」」」
「…………何故レン殿がここまで慕われておるのじゃ…………。明らかに妾より上ではないか……。妾、この子らをここに連れてくる為に結構頑張ったと思うんじゃが……。しかもレン殿、最初断ろうとしてたんじゃぞ? それを説得したのは妾とご主人なんじゃが…………」
子供達の態度にショックを受け、恨めしそうに俺を見る狐燐。そんな目で見られても俺も分からん。むしろ俺が聞きたいくらいなのだが、今は置いておこう。
「うん。ごめんね。夜には帰ってくるから、皆、大人しく待っててね」
「「「「「はーい…………」」」」」
ションボリしながらもしっかりと返事を返す子供達に、笑顔で頷いてからメリアさんと一緒に部屋から出る。ほんと、我儘言わない良い子達だよ。
……
…………
狐燐から聞いた、子供達が物乞いをしていたと言う通りをさらに奥に進んでいく。
通りを進むにつれ、だんだんと周囲の建物がボロくなっていき、獣臭のような匂いと安酒の匂い、それと排泄物の匂いが混じり合ったような悪臭が鼻をつくようになってくる。
通りの端には襤褸を纏った人々が座り込んだり、寝っ転がったりしている。
皆揃って襤褸布のような衣服を纏っている為、小奇麗な服装の俺達はとても目立っている。
そんな人達からの視線を一身に受けながら、俺達は通りを奥に進んでいき、ある小路に入ろうとした所、行く手を阻むように強面の男が一人、俺達の前に立った。
「ねえちゃん。ここはねえちゃんみたいなのが来る場所じゃねえぜ? おいおい、しかも子供連れかよ……。悪い事ぁ言わねえ。危ねえ目に遭う前にさっさとおうちに帰んな」
通りから見える他の人達と同じくやせ細った身体に襤褸を纏い、全身から悪臭を放ちながらメリアさんに顔を近づけて凄む男。
顔を巡らせると、いつの間にやらそこらで座り込んでいた人達が俺達の周囲を囲むように立っていた。向かおうとした小路の奥からも数人がこちらに向かってきているのが見える。
そんなパッと見ピンチっぽい状況で、メリアさんは暫し目の前の男の顔を見つめ……微笑んだ。
「………………そうですか。ではそうさせていただきますね。ああそうだ。孤児院はどちらにあるか知ってますか?」
「お、おお……。孤児院はここを出た後、あっちの通りを真っすぐ行った先にあるが……」
「なるほど。ありがとうございます。では失礼します」
メリアさんは男に頭を下げ、俺の手を握って元来た道をUターンした。チラッと後ろを振り返ると、話しかけてきた男を含め五、六人程が、呆気にとられた表情で突っ立っているのが見えた。
「悪い人達じゃなさそうだねえ」
「だね。というかむしろ良い人達かも?」
教えてもらった道を進みながらメリアさんと二人、先ほどのやり取りを回想する。
うん。凄むだけで手は出してこなかったし、奥に行くのは危ないと警告もしてくれた。俺達を囲んだ時も、元来た道を戻る事が出来るように後ろは開いていたし、戻る時に無防備に背中を見せたにも関わらず、襲い掛かってくる事もなかった。しまいには道まで教えてくれる始末。超いい人達だ。
警告されたという事は一定数は素行の悪い奴らがいるという事なんだろうが、そんなものここに限らずどこにだっている。大して気にする事はない。
後は、教えてくれた孤児院の場所が正しいか、という所だが……。
「あれ、かな?」
「多分そうだねえ。でもこれはまた、なんというか…………」
「うん…………」
男の教えてくれた道は正しいようだった。言われた道を進むと、周りの物より一回り程大きな建物が見えたのだ。にも関わらず俺達の歯切れが悪いのにはもちろん理由がある。
それは――――
「「ボロい」」
めっちゃボロかった。
平屋の建物の壁にはあちこちに板切れが打ち付けてある。恐らく壁に開いた穴を補修した物なんだろうが、板切れのサイズが合っていない為、完全に穴を塞ぐ事は出来ておらず、所々中が見える。柱が腐っているのか、心無し建物自体も少し傾いでいる気がする。
今この瞬間に倒壊しても『ああ、やっぱり』と納得してしまいそうなくらいボロい。むしろ良くこの状態で建っているなと逆に感心するくらいだ。
「い、いや。もしかしたら空き家かもしれない。だとしたら痛んでも放置してもおかしくは――――」
「中から人の気配がするよ。結構多いね。というか多すぎ……二十人くらいいるんじゃないかな? 建物の大きさに合ってないよ」
俺の希望的観測という名の現実逃避は、メリアさんの言葉で呆気なく潰された。いや、俺も分かってはいたんだけどね……。人がいるっぽい気配は俺も感じてたから。こんな建物に人が住んでいるという事実を信じたくなかったんだよ。
というかメリアさん、人数まで分かるの? 俺にはそこまで分からなかったよ?




