閑話 わたしを救ってくれたあの方は……②
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わたしの前に立っていた女の子は、本当に綺麗でした。
鈍い輝きを放つ銀色の髪。金色の瞳。透き通るような白い肌。小さく、整った顔。華奢な体。
翼こそ見えませんでしたが、そのあまりの美しさに、わたしは『ああ、天使様が迎えにきた。わたし、死ぬんだ』と思いました。
ろくでもない人生だったけど、最期に美しい天使様を見る事ができて嬉しいです。
「天使なんて大それた者じゃないよ。ねえ、なんでこんな所にいるの?」
無意識に声が出ていたようで、天使様は私の言葉を否定すると共に、そんな質問を投げかけてきました。
天使様からの質問にだんまりを決め込むなんてとても出来ませんので、わたしは一生懸命答えました。声を出すのが久しぶりで、途切れ途切れにしか話せなかったし、小さなガラガラ声しか出ませんでしたが、集落を出て、街に向かおうとしていた事、その途中で人攫いに捕まり、ここに閉じ込められた事を、どうにかこうにか伝えました。
とても聞き取りにくいであろう私の言葉を、天使様は最後までキッチリと聞いた後に、おもむろに口を開きました。
「なるほど。……ねえ、ここから出たい?」
そんなもの、出たいに決まっています。何をそんな当たり前の事を…………………………まさか、出してくれるのですか? ここから? 天使様が? 本当に?
天使様の言葉の意味を理解した途端、涙が溢れてきました。ここから出してもらえるかもしれない。助けてもらえるかもしれない。今まで深い所に沈めていた心が浮き上がってきます。
「で、でたい、です。わたし、なにもわるいこと、してないです……。あぁ……てんしさま、わたしを、おすくいくださ、い。…………もう、うごけない、のも、おなかが、すく、のも……いや、です」
わたしの必死のお願いに、天使様は一瞬、ほんの一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべましたが、すぐに先ほどまでと同じ、柔らかい微笑で頷きました。
「わかった。これから安全な場所に連れていってあげる」
そんな言葉と共に天使様が手枷に触れると、まるでそうなるのが当然かのように手枷が外れました。足枷も同様に、あっという間に取り外されました。
余りにあっけなく外された枷にわたしが驚いていると、天使様は今度は何もない場所から簡素な服を取り出し、わたしに着せてくれました。
天使様すごいです。
「報告します。キクヅキ到着しました」
「ん。じゃあこの子を屋敷に連れていってあげて。空いてる部屋を使っていいから、しっかり療養させてあげてね。あと、おなか空いてるみたいだから、食べ物もよろしく」
「畏まりました」
久しぶりに感じた手足の軽さに少し戸惑っていると、いつの間にか、天使様の後ろに変わった話し方をする女の人が一人立っていました。
ああ、この人も多分天使様です。だって、とても綺麗ですから。最初に降臨した天使様への態度を見るに、たぶん部下なのだと思います。
新たに降臨した天使様は、わたしの体をヒョイッと横抱きに持ち上げました。あまり食べれていなくて軽くなったとはいえ、それでもなお太っちょのわたしを軽々と持ち上げるなんて、この天使様もすごいです。背もおっきいですし、ちょっと羨ましいです。胸はわたしと同じく太っちょですけど。
「てんしさまは、いっしょにきてくれない、のですか?」
最初に降臨した小さな天使様の言葉に、わたしはつい、付いてきてくれないのか聞いてしまいました。
いえ、私を抱えているおっきな天使様に不満なんて、これっぽっちもないのです。助けていただけるだけでも十分すぎるくらい嬉しいです。
ただ……新しく降臨したおっきな天使様なのですが、無表情でちょっぴり怖いのです。声も綺麗なんですが平坦な感じですし、目にも光がないような気がします。
わたしを抱き上げる腕はとても優しいので、怖い方じゃない事は分かるのですが。
「ちょっと用事があってね。大丈夫。終わったらすぐ行くから」
そう言って小さな天使様は笑いました。こんな場所にどんな用事があるのかは分かりませんが、邪魔をする訳にはいきません。
「…………え?」
小さな天使様に頷きを返そうとした次の瞬間には風景が変わり、わたしとおっきな天使様は見たこともないような立派な部屋にいました。瞬きもしていないのに、本当に一瞬で風景が変わったのです。
フワフワしていた頭が一気に覚めました。
「え? え? どういう事なのです? ここ、どこなのですか?」
「回答します。ここは、イースの街の近くにある、主とレン様が所有する屋敷です」
おっきな天使様は淡々とそう答え、わたしを抱えたまま部屋の奥にある、とても清潔そうな、真っ白い布が使われた寝台に近づいていきました。
大きい天使様が何をしようとしているのか、その行動で察してしまったわたしは、体を揺すって必死に抵抗します。相変わらず空腹で力が出ないですし、掠れ声しか出ないですが、そんな事言っている場合ではありません。
「ちょ、ちょっと待ってほしいのです! 駄目なのです! わ、わたし、何日も体を洗ってないのです! 汚いのです! わたしを寝かせたりなんてしたら、汚れちゃうのです! あんな真っ白な布なのに!」
あの牢屋に入れられてから何日経ったのか分からないですが、自分が汚い事は分かります。あそこにいる間、一度も体を拭いてないですし、それ以前に、捕まる前から汚かったですから……!
こんな体であんな真っ白な寝台に寝かせられたら……。考えただけで体が震えます。
そして、そこでわたしは気づきました。わたしは今、おっきな天使様に抱えられています。何日も体を洗っていない、汚い体で……。
恐る恐る天使様の服に視線を移します。寝台に掛けられた布と同じくらい真っ白な前掛けに、黒とも茶色ともつかない汚れが付いているのが見えました。見えてしまいました。
あ、あばばばばばば…………て、天使様のお召し物を、汚してしまいました……!?
絶望で目の前が真っ暗になりそうでしたが、これではっきりしました。
わたしをあの寝台に寝かせたら、とんでもない事になるという事が…………っ!
それを理解したわたしは、寝かされてなるものかと抵抗を強めました。
やっぱり力は出ませんが、ここは残った力をふり絞るべき所です! あの寝台に寝かされる事だけは断固拒否しなくてはいけません!
「同意します。確かに、このまま寝かせると、寝台が汚れる可能性がありますね」
わたしの全身全霊を賭けた抗議に、おっきな天使様の足が止まりました。やりました! わたしの思いが通じました!
ですが、このままいつまでも天使様の腕の中にいる訳にはいきません。寝台が駄目となると――
「です! です! なのでそこらへんの床にでも……っ! や、やっぱり床も駄目なのです!」
床にもすっごい高そうな、フッカフカのピッカピカな敷物が敷いてありました! 集落に暮らしていた時に使っていた布団よりフカフカです! 敷物なのに! こ、ここも駄目です! 今のわたしは、天使様の靴底より汚いのです!
これは……やはり外しか…………!
「報告します。清拭用の布を持ってきました」
さ、さらに天使様が増えましたーっ!?
気づいたら扉の前に、追加の天使様が布を片手に立っていました。良く見ると、後ろにさらにもう一人、水を湛えた小さな桶を抱えた天使様もいらっしゃいました。
新たにいらっしゃった天使様がたも、大きい天使様と似た雰囲気をしています。話し方も似てますし、最初の小さい天使様が特別なのでしょうか?
というか、この場に天使様が三人もいらっしゃるのですが……。牢屋でわたしを救ってくださった天使様も合わせると、今日一日で四人も天使様と会ってしまいました……。
実はわたし、もう死んでいて、ここは死後にたどり着く場所なのでは? と割と本気で考え始めます。
「感謝します。それでは、三人がかりで清拭を開始しましょう」
「承諾します。レン様は『しっかり療養させてあげてね』と仰られました。手早く、かつ丁寧に済ませて、お休みいただきましょう」
どんどん増える天使様に軽く現実逃避していると、割と聞き捨てならない、恐ろしい言葉が聞こえてきました。
セイシキという言葉は初めて聞きましたが、わたしとわたしを抱えているおっきい天使様との今までの会話、そして新たにいらっしゃった天使様がたがお持ちの布と水の入った桶……。
これはもう、一つしか考えられません。
「い、いや! 大丈夫なのです! 天使様がたのお手を煩わせる訳にはいかないのです! やります! 自分でやりますから…………!」
「拒否します。我々は天使ではありません。よってその要求に応える事は出来ません。何より、レン様から指示を受けております。問題ありません。すぐに済みますので」
気づいたらわたしは寝台の端に座らされていて、三方向を天使様に囲まれていました。
背後は真っ白な布の使われた寝台。前方は天使様がた。逃げ場がありません。
「え、あ、脱がさないで……ま、待ってくださいなのです。せめて心の準備を…………アーッ!」
うぅ……わたし、汚され……じゃない、綺麗にされてしまいました……。
……
…………
天使様に三人がかりで、全身くまなくキレイキレイされてしまった後、真新しい、とても肌触りの良い服を着させられました。腰のあたりが少しブカブカで、胸が少し苦しいですが、そんな事が気にならないくらい着心地がいいです。集落を出た時に着ていた、ぼろ布を継ぎ接ぎした物とは比べるのも畏れ多いくらい違います。
こ、こんな綺麗な服、わたしが着ていいんでしょうか?
「報告します。清拭、着替え、終了しました」
「肯定します。では続いて休息をとっていただきましょう」
天使様の一人はそう言うや否や、わたしを横抱きに抱き上げました。あまりに自然で抵抗する暇もありませんでした。
その直後、別の天使様が寝台に掛けられていた布団を捲り、わたしはあっという間に寝台に横たえられ、捲られていたいた布団がそっと掛けられました。
わ、わ、わ! 沈む! 沈みます!
横たえられた布団はとてつもなく柔らかく、わたしの体をふんわりと受け止めました。柔らかすぎて、このままどこまでも沈んでいってしまうのではないかと不安になってしまう程です。
「報告します。何か必要になりましたら、近くにいる個体にお声がけください。では、失礼します」
そう言って、天使様がたは全く同じ動きで部屋から出ていきました。
それを寝台の中から呆然と見送ったわたしは、扉が閉まり、部屋にわたし一人になった瞬間気が抜けてしまったようで、体を拭かれてスッキリしたのも手伝って、すうっと視界が暗くなり、そのまま眠りに落ちてしまいました。




