閑話 わたしを救ってくれたあの方は……①
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わたし、リーアって言います。
十八歳のリスの獣人です。
イースというおっきな街にある、〈鉄の幼子亭〉という料理を出すお店で働いています。
〈鉄の幼子亭〉はとても人気のあるお店で、毎日とっても沢山の人が来るので、すっごく忙しいですが、お客様も、一緒に働いている他の店員さんも優しくて、毎日楽しいです。
そんな感じで今でこそ毎日楽しく暮らしていますが、ここに来るまでは大変なことが沢山ありました。
元々わたしは、リスの獣人の集落でお父さん、お母さんと一緒に暮らしていました。
小さな頃は何もありませんでした。わたしも至って普通の子供で、お父さんもお母さんも優しくて、裕福ではありませんでしたが、毎日それなりに幸せに暮らしていました。
でも六歳のある日、前触れも何もなく、いきなり全てが変わってしまいました。
わたしが触った物が冷たくなるようになってしまったのです。わたしの手を握った人達はガタガタ震えだし、暖かい食事も、手で器を触った途端に冷たくなってしまいます。
意味がわかりませんでした。なんでわたしだけがこんな手になってしまったのか。一体わたしの体に何が起こったのか。それが分かる人は、集落の中にはいませんでした。
それでもまだその時は、なんとか折り合いを付けて暮らしていました。冷たくなるのはあくまで手で触った時だけなので、なるべく手では物に触らないように、触るとしても出来るだけ短い時間だけにするようにしました。正直かなり不便でしたが、この時はまだ集落の皆も優しかったです。子供達は我慢比べの材料としてわたしの手を使う事がありましたが、それくらいでした。
ところが十二歳の頃から、さらなる問題がわたしの体に起こり始めました。
体のあちこちにお肉が付いてきたのです。身長はさっぱり伸びないのに、胸、お尻、太ももあたりは特にブクブクとお肉が付き、数年で見るも無残な見た目になってしまいました。腰周りや顔は大丈夫でしたが、それが余計に胸やお尻のお肉を際立たせてしまいます。
集落の人達に、こんな姿をした人は誰一人いませんでした。
走ると胸が揺れて痛くて、速く走る事も出来なくなってしまいましたし、なにより困ったのは、全身についたお肉が邪魔で、木に登れなくなってしまった事です。
わたし達リスの獣人は、より高い所に登り、暮らす事のできる人が偉い、という風潮があり、集落に住む人達は全員が、高さこそ違えど皆木の上の家を作り、そこに暮らしています。
わたし達一家も、それなりに高い木の上に小屋を作り、そこで暮らしていました。
ですがわたしは木に登れなくなってしまったので、どう頑張っても今まで住んでいた小屋まで行く事が出来ません。
仕方がないので、集落の端の木の根本に粗末な小屋を建て、そこに住むようになりました。その時家族とは別れました。わたしと一緒にいると、両親に迷惑が掛かってしまうからです。その事を話した時の両親の、悲しそうにしながらも、どこかホッとしたような表情を、今でも覚えています。
両親から離れた事で、木に登る事が出来ないわたしは、集落の中で孤立しました。
集落の人達全員から、〈いないもの〉として扱われるようになりました。
あくまで〈いないもの〉として扱われるだけで、虐められるような事はなかったので、なんとか耐えていましたが、人は一人では生きていけない、というのが痛いくらい身に沁みました。
木に登る事ができないわたしは、木に成っている果物や木の実を取る事ができず、手の届く範囲は他の集落の人達がさっさと採集してしまう為、十分な量を取る事が出来ず、日々食べる物すら事欠きました。手に入るのは熟しすぎて落ちた果物や虫に食われてしまっている物、他の人達が採集した時に誤って落としてしまった物くらいでした。
〈いないもの〉である私に食べ物を恵んでくれる人はおらず、毎日お腹を空かせていました。それでも体のあちこちに付いたお肉は減りませんでした。
そんな状態でも、生まれ育った集落から出る勇気はなかったので、どうにかこうにか少ない食べ物をやりくりし、ギリギリの状態で六年生活していきました。
でも、そこが限界でした。
その年は何故か成っている果物や木の実の量がいつもより少なく、それを補うために、集落の人達は普段取らないような、熟しすぎた物や、少し虫に食われているような物まで根こそぎ、落とさないように慎重に取っていくようになりました。
それはつまり、私が手に入れる事が出来る食べ物がなくなる事を意味します。
このままだと死んでしまう、と本気で危機感を覚えたわたしは、着の身着のままで集落を出ました。
このまま集落に居ても飢え死にするのは目に見えていますし、集落から一番近くにある街にたどり着く事ができれば、なんとかなるかもしれない、と思ったのです。
生まれて初めて集落の外に出たわたしは、空腹でフラフラしながら街道に出て、ひたすら歩きました。
途中でふらついて馬車の前に飛び出してしまい、あやうく轢かれそうになって以降は、街道から少し外れた場所を歩く事にしました。
道中は、道端に生えた雑草を食べて飢えをしのぎ、所々にある水たまりで泥水を啜って喉の渇きを誤魔化し、夜は草が生い茂った場所を探し、その中で小さくなって過ごしました。空腹と恐怖でほとんど寝る事はできませんでした。
今にして思えば、途中で死ななかったのが奇跡だと思います。
そうしてひたすらにイースの街へ向かって歩いていた所、一台の馬車が街道を走っていくのが見えました。
空腹に霞む視界で、なんとはなしにその馬車を眺めていると、突然その馬車が止まりました。
それを見た私は、フラフラとその馬車に向かって近づいていきました。
必死にお願いすれば、もしかしたら何か食べ物を恵んでもらえるかもしれない。親切な人が乗っていて、馬車に乗せてもらえて、街まで送ってもらえるかもしれない、と思ったのです。
ですがそんな都合の良い話なんてある訳はありませんでした。
その人達はいわゆる人攫いで、私はあっという間に捕まってしまい、手枷と足枷を嵌められ、馬車に放り込まれてしまいました。
その馬車は四方全てが頑丈そうな木の板で覆われていて、外の様子が一切分かりません。窓もないので、中は真っ暗でした。
そんな場所に閉じ込められてしまったわたしは、ほどなく恐怖と疲れが限界を超え、気を失ってしまいました。
……
…………
目が覚めた時、わたしがいたのは馬車の中ではありませんでした。
ぼんやりとした頭で辺りを見回しますが、そこは初めて見る場所でした。
壁は一か所を除いて石造りで、残る一方にはわずかな隙間を空けて太い木の柱が並び、その一部には柱の代わりに頑丈そうな木の扉が取り付けてあります。
空気はジメッとしていて、少し肌寒いです。
自分の体に視線を落とすと、気を失っている間に脱がされたのか、何も着ていませんでした。ですが、手足に嵌められていた枷はそのままです。
牢屋に閉じ込められている。そう理解したわたしは、その場で蹲って泣きました。
いきなり、手で触った物が冷たくなるなんていう、よく分からない体になって。
こんなあちこちにブクブクお肉が付いた、気持ち悪い体になって。
集落での居場所がなくなって、家族とも離れなくちゃいけなくなって。
生きていく為に街に行こうとしたら人攫いに捕まって。牢屋に閉じ込められて。
これからどうなるのかは分からないけれど、まともな生活は望めない事は目に見えています。
なんでわたしばっかりこんな目に会わなくてはいけないのでしょうか? わたしが悪いのでしょうか? わたしが何かしたのでしょうか?
そんな考えが頭の中でグルグルグルグルと周り――――わたしは全てを諦めました。
どうせ何をしても変わらない。いくら頑張っても酷い目に遭うだけ。
それなら何もしない。頑張らない。自ら命を断つのは怖いし面倒なので、ただ流されるままに。『生きている』のではなく、『まだ死んでいない』という一生を送る。
そう決めたら、少し楽になりました。
……
…………
………………
それからが何日か経ちました。
とはいっても、ほとんどの時間を何も考える事なく過ごしていたので、どれくらい時間が経ったのかは曖昧です。数日かもしれませんし、もっと長い期間が経っていたかもしれません。
いつものように、人攫いの人が持ってくるカチカチのパンと水を、とりあえず死なない為に口に運び、食べ終わったら石壁の背中を預けて手足を投げ出し、全身の力を抜いて目を閉じます。起きていても意味がないので、最近はもっぱら寝て過ごす事が多くなりました。寝ていれば空腹で辛い思いもしなくて済みますし、勝手に時間が過ぎていくので。
やがていつものように眠気がやってきて、でも完全に眠ってしまった訳ではない、フワフワした心地でいると、いつもとは違う感覚――――肩が優しく揺すられる感覚がありました。
これまでも何回か人攫いの人達がわたしの様子を見に来る事はありましたが、わたしが生きている事を確認する為か、牢屋の外から大声を上げるくらいで、今回のようにわざわざ牢屋の中まで入ってきて、ましてや優しく肩を揺すられるなんて事はありませんでした。
「ねえ、起きて。ねえ」
続いて、聞いた事のない声が聞こえてきました。その声は高く、でもとても耳心地のいい、優しい声でした。
ゆっくりと意識が浮上し、それと共に顔を上げると、目の前にいたのは――――悲し気に眉を潜めた、とても、とても綺麗な女の子でした。




