第120話 泣く程怒られたけど、なんとか終わった。と思った。
「もう! レンちゃんもうちょっと考えてよ! 間に合ったからよかったけど、一歩間違ったらこの人下手したら死んじゃってたかもしれないんだよ!? 私の為に怒ってくれるのは嬉しいけどね、もうちょっと後先を考えてね!?」
「はい……はい……すみませんでした……」
はい、私レンは現在、メリアさんから説教を受けております。
メリアさんの事を〈化け物〉呼ばわりしたリンデにぶち切れ、【熱量操作】で起こした竜巻で上空に打ち上げたはいいが、着地の事を考えておらず、割とギリギリのタイミングでメリアさんに丸投げした為だ。
「次から何かやる時は、ちゃんと私に話してからする事! 分かった!?」
「はい。肝に銘じます……グスッ」
「なら良し! ほら! 王女様に返してあげて! このままじゃ可哀そうだから!」
「はい……グス」
メリアさんの余りの剣幕に割とガチで涙目になりながら近づき、メリアさんが抱き抱えているリンデを受け取る。メリアさんがナチュラルにリンデの事を物扱いしている事に突っ込んではいけない。今はただ粛々と言われた事を言われた通りにやるだけだ。これ以上なんか言われるとガチ泣きしちゃいそう。
間近でみたリンデは、白目を剥いて泡を吹いた酷い顔だった。なまじ元の造作が良いので余計酷く見えるし、何やら近づいたらアンモニア臭がする。
グッタリとしたリンデの下半身に目を向けると、ズボンの裾から液体がポタポタと垂れてきている。
うわぁ。失禁してるぅ…………。
ばっちいので、腕を掴んで引っ張っていく事にしたのだが、いざ引っ張ろうとした所で、メリアさんの怒声が響き渡った。
「コラ! 荷物じゃないんだから、そんな雑な運び方しちゃダメでしょ! 背負っていきなさい!」
「グス……。え…………嫌だよ……おしっこ漏らしてるし」
「誰の所為だと思ってるの! ほらグダグダ言わずに背負う!」
「ひぅっ!? わ、わかりました……」
言われた事を粛々とこなすと誓ったばかりなのに、つい反論してしまった所為で、さらなる怒声を受けてしまった。おかげで瞳のダムが決壊寸前だ。これ以上はまじで色々やばいので、嫌々ながらリンデを背負うが――――お、重い……。いくら小柄とは言っても、大人の女性を子供の俺が背負うのはさすがにきつい……。これじゃ動けない…………。
仕方がないので【身体強化】を発動し、王女様の元へ歩を進める。まさかこんな事の為に【身体強化】を使う事になるとは……。
リンデのズボンは防水性が高い素材が使われていたようで、俺の背中が濡れる事はなかった。ほんと良かった……。
俺がリンデを落としてもフォローできるようにだろうか、メリアさんは俺の後ろを付いて歩いているようだ。……そこまでやるなら、手伝って欲しいんだけど。とはとても言えない、だって怖いもん。
「ひぃ……はぁ……。こ、これ……お返しします……グスッ」
「あ、は、はい。ありがとうございます。誰か、リンデを受け取ってあげてください。…………その、大丈夫ですか?」
「お気になさらず……グスッ」
「そ、そうですか……」
あまり近づきすぎるのも良くないと思ったので、王女様の手前五メートルくらいの位置で立ち止まって声を掛けると、王女様はなんとも微妙な表情で頷きつつ、背後にいる人たちに声を掛けた。心配そうに掛けてくれた言葉が身に染みる。
すると、その声で我に返ったらしい騎士達が俺の元にソロソロと近づいてきて、リンデを受け取ったと思ったらあっという間に離れていった。なんか怖がられてるっぽいが、後ろに立っているメリアさんが怖すぎて気にする余裕がない。
騎士たちに担がれ、リンデが天幕の奥に消えていくのを目で追って確認した王女様は、視線を俺に向け直し、意を決したように口を開いた。
「先ほどのメリアさんに対する暴言、リンデに代わり謝罪させていただきます。本来であれば本人に謝罪させるべき所ではありますが、本人があの状態ですので、上司たる私の謝罪でどうか収めていただけませんでしょうか……?」
そう言って、前の時とは違い、しっかりと頭を下げる王女様の姿を見て、あちこちからどよめきが上がった。
方々から『頭をお上げください!』『王族である殿下が頭を下げるなど!』といった声が聞こえるが、王女様は頭を上げなかった。
「愛する家族が〈化け物〉呼ばわりされたのですよ? レンさんの怒りも当然です。こちらが一方的に悪い状況で謝罪もできないような者に、私はなりたくありません。悪い事を悪いと思う心に、王族も庶民も関係ありません。悪い事をしたのなら、頭を下げて謝罪するのが道理でしょう? なればこそ私はこうして頭を下げるのです」
頭を下げたまま語る王女様のその言葉によって、どよめきが小さくなる事はなかったが、その内容は『部下の失態にも関わらず、しかも庶民に対してあそこまで誠意を以て謝罪をするなんて……』『なんと心優しい御方なんだ……』という物に変わっていた。
「い、いえ! 私は別に――――」
俺の背後から隣に移動したメリアさんが、目を丸くして王女様の謝罪を断ろうとしたので、俺はそれを手で遮った。
未だ涙の膜が張っていた目をグシグシと擦り、メリアさんの代わりに一つの質問を投げかける。偉い人の前で、いつまでも泣いている訳にはいかない。
「……あの人にはどういった処分を下すおつもりでしょうか?」
俺が王女様の謝罪に対し、質問で返した事に周囲から『あの娘、王女殿下の謝罪を受け入れないつもりか!?』『子どもとはいえ不敬にも程があろう!』『殿下! あのような下賤の者に頭を下げる必要などありませぬ!』等という、怒りの声が上がる。
だがそれも、俺が声のする方へ視線を向けると、『ヒィッ』という叫びと共に、まるで穴の開いた風船のように萎んでいった。そこまで怖がる事なくない? (見た目は)かわいい幼女だよ?
俺が謝罪を即受け入れなかった事に王女様は一瞬口ごもったが、すぐに表情を引き締め、俺の質問へ答えてくれた。
「……はい。今までの問題行動も鑑みまして、一定期間の減俸、さらに近衛騎士団からの除名、後はお二人への賠償金を、と考えています」
まじか。想像以上に処分内容が重い。精々、王女様の護衛に任から外されるくらいだと思ってた。
近衛騎士団からの除名ってかなりの経歴に傷が着きそうだ。
…………先ほどまでは、正直ぶっ殺したいくらい腹が立っていたが、先ほどのリンデの酷い有様を見てそこそこ溜飲が下がったので、そこまでガッツリした処分はいらないかな。
ただ一点。絶対に譲れない物を除いて。
「そこまでしていただかなくて結構です。王女様からの謝罪も受け取りません。この問題に関しては、王女様が謝る物ではないと思いますので。…………代わりに、あの人が目覚めて、動けるようになったら、おねーちゃんに対して本人の口から一言、心の籠った謝罪とあの言葉の撤回をしていただきたい。それだけで十分です」
俺が欲しいのは上司からの謝罪でも、リンデの処分でも、ましてやお金でもない。リンデ本人の口からメリアさんへ、しっかりと謝罪をしてもらえればそれで十分だ。というかそれ以外いらない。
そしてまだそれをしてもらっていない。だからそれだけを要求する。
「…………分かりました。リンデが目覚め、動けるようになり次第、謝罪に向かわせます。どちらにお伺いすればよろしいでしょうか?」
俺の要求に、王女様はずっと下げていた頭を上げ、僅かに眉を顰めて悩む素振りを見せたが、一瞬で表情を引き締め、しっかりと頷いた。
「ご存じかもしれませんが、私達は〈鉄の幼子亭〉という食堂を営んでいます。普段はそこにいますので、そちらに来ていただければ。場所は――――」
〈鉄の幼子亭〉の場所を一通り説明した所で、王女様が小さく頷いた。
「ありがとうございます。近いうちに必ずリンデを向かわせます。……それでは、この場はこれで終了と致しましょう」
「畏まりました。…………貴殿ら。依頼の件含め、いくつか話す事があるので、帰りも馬車に乗ってくれたまえ」
そう言い置いて、侯爵様と王女様が出口に向かって歩き出す――――と思ったら、いつの間にかすぐ近くまで移動してきていた馬車に乗り込んだ。さすがは貴族様。馬車の方が勝手に来てくれるようだ。運動不足になりそう。
王女様が乗った馬車が訓練場を出ていき、その姿が見えなくなった瞬間、残されたお付きの人たちが一斉に動き出し、天幕の撤収作業を開始した。こういった作業に慣れているようで、めっちゃ早い。
「それでは我々も戻りましょう。あちらに馬車を用意してございます」
ハンスさんの差した方を見ると、ここに来る時に利用した物と同じ馬車が留まっているのが見えたので、メリアさんに声を掛け、ハンスさんの先導で乗車。
行きと同じく、大して時間もかからずに侯爵様の屋敷へと到着した。
「来たか。まあ座ってくれ」
引き続きハンスさんの先導で屋敷の中を進み、応接室に通されると、そこにはすでに侯爵様がソファに座って待機していた。
侯爵様を待たせていた事に内心ちょっとワタワタしながら、机を挟んだ向かいのソファに座ると、それを見計らって侯爵様が口を開いた。
「今回の依頼、ご苦労だったな。……まあ、うむ。予想外の事は色々とあったが、大きな問題に発展する事もなく無事に終わったと考えよう。そう考える事にする。それで、依頼料についてだが……」
「はい。当初の依頼内容に合わせ、全く関係ない事もさせられました。そちらも考慮に入れていただけると助かります」
まあ実際の所、そこまでお金が欲しい訳ではないが、契約外の仕事をさせられたんだ。ここはキッチリしておかないと後々面倒な事になりかねないので、しっかりと上乗せを要求する。
それは侯爵様も理解してくれているようで、しっかりと頷いてくれた。
「無論だ。あれについては私も完全に予想外であったからな……。まずは最低料金として大金貨三枚。料理、給仕共に王女殿下は大変満足したそうなので……大金貨三枚を追加しよう。組合にはこれから入金と連絡をするので、明日以降に受け取ってくれ」
金額が倍になった。頑張った甲斐があったってもんだ。受け取れるのは明日以降だけど、まあそんな切羽詰まった生活を送っている訳でもないので問題ない。
「続いて、リンデ殿との手合わせの件だな…………。こちらについては、依頼外の物なので、この場で支払う事とする。受け取りたまえ」
そう言って侯爵様が机の上にお金を…………え!?
「ちょ、多くないですか!?」
机の上に置かれたのは大金貨が四枚。小金貨じゃない。大金貨だ。いくらなんでも高すぎない!?
「これは、私と王女殿下、二人からの報酬だ。殿下は迷惑料として、もっと大金を渡したかったようだが、貴殿らの態度から判断して、私の方で止めておいた。問題なかったかな?」
侯爵様のナイス判断に、二人してコクコクと頷く。
下手に大金なんてもらっちゃったら、後味が悪いからね。さっきもらった報酬だけで十分です。
「ちなみに止めなかった場合は、あまり現金は持っていないとの事で、手持ちの宝飾品を渡す気だったようだぞ?」
「ほんっとーに! ありがとうございます!」
テーブルに頭をぶつけんばかりの勢いで頭を下げた。
王族が持つアクセサリーとか、最高級品に決まってるじゃん! そんなもん受け取っても使い道がないわ!
「うむ。……と、いう訳で、これにて今回の依頼は全て完了だ。ご苦労だったな」
「「ありがとうございました」」
侯爵様の完了宣言に二人揃って頭を下げた。
いやー、終わった終わった! 色々あったけど、やっぱお偉いさんの接待は精神的に疲れるわ。今日はそれらしい事してないけど、まあそこは昨日からの続き物って事で。
ま、王族の人と関わる事なんてもう二度とないだろうし、いい経験だったと思う事にしよう。謝罪に来るまでリンデは許さんが。
なんて、ちょっと感慨にふけっていると、頭上から侯爵様の声が降りかかってきた。
「うむ。これからもちょくちょく依頼を出すと思うので、その時はよろしく頼むぞ?」
「「………………は?」」
なんか、変な台詞が聞こえた気が……。いや気のせいだ。疲れてるから幻聴が聞こえたんだな。そうに決まってる。むしろそうだと言って。
「殿下はしばらくこの屋敷に滞在するからな。殿下は貴殿らの料理をかなり気に入ったようだし、そう遠くない内に依頼する事になるだろう」
「「…………」」
まじかー…………。




