第118話 リンデさんとの手合わせの会場に来た。良く分からない事になっていた。
侯爵様の客である、王女様の給仕を行っていた翌日。
王女様の護衛の一人であるリンデさんの暴走により、何故かメリアさんとリンデさんが戦う事になってしまい、侯爵様に翌日にまた来るように言われた俺達は、言われた通り屋敷に向かった。
その場で待つよう言われたので待機していると、門の向こう側からやたら豪華な一台の馬車がこちらに向かって来るのが見えた。誰か外出するらしい。侯爵様は俺達と一緒に行くだろうから、奥様かな?
道を空ける為に横にずれた所で門が開き、予想通り馬車が出てくる。
馬車は門から出た所で停止し、窓らしき開口部から顔を見せたのは、まさかの侯爵様だった。
「待たせたな。先行するので付いてきてくれたまえ」
「あ、はい」
良く分からないまま勢いで返事してしまったが、侯爵様は俺の返事に満足げに一つ頷いて、窓から顔を離す。それに合わせて馬車が動き始め、俺達の前から離れていく…………と思ったら十メートルくらい先で止まった。
続いて門からもう一台、侯爵様が乗っている物より数段劣る、でも俺から見れば十分豪華な馬車が出てきて、俺達の前で止まり、中からハンスさんが降りてきた。
「メリア様、レン様。お待たせ致しました。会場までお送りしますのでお乗りください」
「あ、はい…………え? 乗るんですか? これに?」
さっきは侯爵様がさも当然のように言ってきたので勢いで頷いてしまったが、乗るの? これに? 目の前の馬車は、先ほど侯爵様が乗っていた馬車よりは装飾等が控え目ではある。でもパンピーである俺からすれば十分豪華だ。攫われた時に帰りに乗った馬車とは、比べるのも烏滸がましいほどに。
正直に言おう。めっちゃ気後れする。
「仰りたい事は分かります。ですが貴族の方々は基本的に、徒歩で移動する、という事をしません。道中に襲われる危険性もあります故。そして今回の件は、始まりはどうあれ、最終的に王女殿下のお願い、という形になっております。相手が庶民とは言え、無理を言った側が馬車を使い、無理を聞いていただいた側が徒歩、というのは外聞が余り宜しくありません。そういう事情がありますので、お手間だとは思いますが、お乗りいただいても宜しいでしょうか」
俺の内心を雰囲気で察したのか、そう言って頭を下げるハンスさん。
なるほど。言いたい事は分かった。そういう事情があるなら、残念ながら乗らないという選択肢は取れないなあ…………はあ。
……
外見に相応しく、内装も滅茶苦茶凝っていたせいで、下手に触って壊してはいけないとガッチガチに固まりながら馬車に揺られ、なんとか訓練場に着いた。
ハンスさんのエスコートで。フラフラになりながらもなんとか馬車から降りた俺達は、眼前に広がる光景に固まった。
着いた場所は、以前ガキと決闘を行った訓練場らしい。もちろん『らしい』と付くには理由がある。俺の記憶の中の訓練場はただ広いだけの空き地だった。訓練場なんだから当たり前だ。
でも今はどうだ。
入口とは逆側にでかい天幕が張られ、そこには高級そうなテーブルセットが一式。
テーブルには王女様と侯爵様が座り、それぞれの前にはこれまた高級そうなティーカップが。
二人から少し離れた場所にはメイドらしき人が数人。さらに離れた場所には全身鎧を身に着けた騎士っぽい人が数人。そして王女様の後ろには護衛の二人が立っている。一人はソワソワしているが。
…………あそこだけ完璧違う空間だな。屋敷から切り取ってきたかのようだ。……あ、良く見たら絨毯まで敷かれてる。かなり高そうな絨毯なんだけど、地べたに敷いていいのそれ。
そんな別空間に浸食され、訓練場は通常より二割ほど狭くなってしまっている。
さすが貴族、やる事が……あ、いや、ガキとやりあった時、侯爵様もその場に居たけど、天幕も無しに普通に立ってたな。って事は王族か。
さすが王族。庶民の俺に出来ない事を平然とやってのける。だがシビれないし憧れない。
「今日は無茶に付き合わせてしまい、すまなかったな」
呆然と突っ立っていると、侯爵様が席を立ち、こちらに向かって歩いてきた。そして開口一番謝罪を口にする。
「ああ、いえ、それはまあ、断るなんて出来ないですし、いいのですが……」
「……ああ、あれは気にしないでくれ。王族の方に、立ったまま観戦させる訳にはいかないのでな…………まさかあそこまでするとは思わなかったが」
俺の視線の先に何があるか察したようで、侯爵様は薄く苦笑いを浮かべながら説明してくれた。
あれをしでかしたのは、王女様が連れてきた人員らしい。
昨日、メリアさんとリンデさんの手合わせが決まった瞬間から準備を始めたそうだ。テーブルセットやティーセットは、侯爵様の屋敷から昨日の内に運び込んできたらしい。さすがに無断ではないようだ。
「な、なるほど……。と、とりあえずそれは置いておいて。一点、確認したい事があります。…………今日の手合わせですが、もし勝てそうだったとしても、負けた方がいいのでしょうか?」
俺の言葉に、侯爵様は目を見開いて固まった。よほど驚きだったらしい。
「……リンデ殿は、あれでも王族をお守りする為の精鋭部隊である近衛騎士団。その中でも上位に位置する強者だ。そんな相手に勝つ気でいるのかね?」
数秒のフリーズの後、なんとか復帰した侯爵様はそう尋ねてきた。……うん。リンデさんがそこまで強いなんて予想外ではあるけれど。侯爵様、『あれでも』って言っちゃってるよ。気持ちは分かるけどさ…………。
まあそれは置いておいて、俺の答えは決まっている。
「勝負に絶対はありません。それが例え、訓練の延長であっても。……まあ、念のための確認です。それで、いかがでしょうか」
「……わざと負ける必要はない。勝てるなら勝ってもらって構わんよ。むしろ勝ってくれると有難い」
そう言った侯爵様の表情は、なかなかに悪どかった。ただのイケオジから悪の組織の幹部にクラスチェンジだ。困った事になかなか似合っている。
「あの者には王女殿下も手を焼いているようだし、私としてもあの態度に思う所はある。殿下には私から言っておくから、是非叩きのめしてやって欲しい……ああ、殿下の護衛に支障のない程度でな。さすがに再起不能にされると言い訳も難しいのでな」
おおぅ。怒りが滲み出ている。表には出していなかったが、侯爵様も結構ムカついていたらしい。
ともあれ、侯爵様からお墨付きは得た。八百長は必要ないとの事なので、存分に、昨日メリアさんと考えた作戦を実行しようじゃないか。
とは言うものの実際の所、作戦と言えるような大した物じゃない。
まずはメリアさんが勝利する。出来る限り圧倒的に。
で、『あなたよりレンの方が強い』と煽る。
俺の事を大して知らないリンデさんは、見た目は幼女の俺より弱いと言われた事に激昂し、俺に勝負を挑んでくる。
で、俺も出来る限り圧倒的に見えるように勝つ。
盛大に凹むリンデさんに、『人に勝負を挑む前に、しっかりと訓練を積め』みたいな事を言ってさらに煽る。
その言葉に奮起して、リンデさんは誰彼構わず勝負を挑むのを控え、腕を磨く為に訓練に明け暮れる。
…………うん。我ながら微妙な作戦だ。上手く行くビジョンが全く見えない。
しっかりとした作戦を考える時間がなかったというのもあるが、というかまずリンデさんの実力が不明瞭なので立てようがなかったというのが正直な所だ。ぶっつけ本番でなんとかするしかないな。
今回の手合わせはメリアさんが行うので、メリアさんは一人で訓練場の中央に、俺は侯爵様と連れ立って天幕に向かう。侯爵様が王女様の前に向かうのを尻目に、俺はテーブルから少し離れた位置、天幕の端っこに移動した。さすがに貴族と王族の中に混じる勇気はない。
侯爵様が王女様に何か話しているのが視界の端に映る。声量が小さいので何を言っているかは分からないが、おそらくさっきの話を伝えているんだろう。
王女様は驚いた顔こそしていたが、否定の素振りを見せなかったので、無事話はまとまったんだろう。侯爵様は、どんな話の持っていき方をしたのやら。
王女様が後ろを向いて声を掛けると、リンデさんが喜々とした様子で王女様の側を離れ、メリアさんの待つ訓練場の中央に歩いて行った。
今日のリンデさんの服装は昨日と違い、完全武装だった。
とは言っても重そうな全身鎧ではなく、胸の部分には銀色に輝くのお高そうな見た目の鎧を着けているが、腹部は鎧っぽさがない、鈍い銀色の何かを身に着けているようだった。身体の動きに合わせて変形しているのでそれなりに柔らかそうだ。色合い的に鎖帷子のような物だろうか。
足も爪先から脛辺りまでは胸鎧と同じ色合いだが、膝より上は茶色っぽいズボンのような物を履いている。革製かな。
腰に差している剣は、ごく普通のロングソード。ぶっとんだ振る舞いの割に武器は普通だ。
ここからでは判別できないが、刃を潰した模擬戦用の物だろう。じゃないと困る。
対するメリアさんは、いつもの冒険者スタイル。
裏地に〈ゴード鉱〉を貼り付けて補強した革製の胸当て以外は、普段の服装とあまり変わらない。一応強度は普段着より高い物だけど。
ここまでは冒険者として依頼を受ける時と同じだが、一つ違う所がある。武器だ。
今回メリアさんは、今まで使っていたナイフの代わりに、白銀色の手甲を両手に装備している。
何を隠そうあの手甲、メリアさんの為に俺が作った物だ。
数か月前に、メリアさんの本来の戦闘スタイルが徒手空拳である事を聞いた時から、コツコツと作っていたのだ。
素材は、強度と重量のバランスを考えて〈ゴード鉱〉と鉄の合金。
造形は全体的に丸みを持たせ、受け流しをしやすいように。
拳部分は鉄の比率を上げて重量を増加。パンチ力が上がるようにしてある。
時間がかかっただけあって、なかなかの自信作だ。本当はギミックとか入れたかったけど間に合わなかった。変形する武器とか浪漫なんだけど、まあそれは次の機会だな。
「…………」
「…………」
先ほどまでの様子から、てっきりハイテンションで喋りまくるかと思っていたのだが、予想に反してリンデさんは一言も喋らず、真剣な表情でメリアさんを見つめている。こういう時の切り替えはしっかり出来るらしい。普段からああであってくれれば、王女様も頭を抱える事はないだろうに。
リンデさんから十メートルほどの距離を開けて相対しているメリアさんは、ごく自然体でリンデさんの視線を受け止めている。
その様子に準備が完了していると判断した侯爵様が天幕の下から二人に声を掛けた。
「それでは、メリア殿対リンデ殿の模擬戦を開始する。審判は私、ジルベルト・オー・イースが担当する。審判が戦闘続行が不可能と判断した場合、または本人が降参を宣言した場合敗北となる。その他、私の一存で勝敗を決定する事があるが、審判に関して公平に執り行う事をここに誓う。質問はあるかね?」
「いえ、ありません」
「同じく、ありません」
侯爵様の問いに、二人はお互いから視線を外さずに応える。
「宜しい。それでは――」
それを確認した侯爵様は大きく頷き、右手を高く揚げ――――
「――始め!」
――――振り下ろした。
こうして(一人を除き誰も望んでいない)戦いの火蓋が、切られた。




