第116話 王女様達への給仕を無事に終わらせた。…………と思ってた。
侯爵様より配膳の合図を受けたので、カートを押して王女様と侯爵様一家、どちらからも等距離で、かつ全員の視界に入る位置に移動した。
一応『変な事はしませんよ』、というアピールも込めての事だ。
片や侯爵、片や王族だからね。ちょっと怪しまれただけで物理的に首が飛ぶかもしれないのだ。可能な限り安全に事を進めていきたい。
特に何か言われる事もなく、無事に移動が完了したので、続いて盛り付けを開始する。
接着されている圧力鍋の蓋を【金属操作】で取り外し、カートに一緒に積み込まれていた食器に盛り付ける。
全ての食材が公平に、バランス良く入るように。かつ食器の端にシチューが飛び散って汚い見た目にならないように慎重にっと……。よし、こんなもんだろ。
「よし。おねーちゃ、んにょあぁ!?」
我ながら綺麗に盛り付けが出来たと自画自賛しながら、配膳してもらう為にメリアさんを呼ぼうと顔を上げたら、目の前に王女様の後ろにいた二人の内、背の高い方の女性が目の前にいた。
驚きの余り体がビクーンッ! となり、変な声まで出てしまったが、なんとか手に持った食器は無事だった。良かった…………。
「あの…………いかがしましたでしょうか……?」
「毒見だ。侯爵閣下の紹介とはいえ、王女殿下に万一の事があってはいけないのでな」
もう何かやらかした!? とビクビクしている俺に、その女性は通りの良い低めのイケボでそう答えた。
あー、なるほど。毒見かー。言われてみれば確かに必要だよなあ。食事に毒を盛っての毒殺とか、暗殺手段の上位三位以内には入りそうなくらいテンプレだし。
…………あれ? 侯爵様、〈鉄の幼子亭〉で飯食う時、毒見とかしてたっけか。記憶に…………い、いや、俺が見てない所で誰かやってるんだろう。そうに違いない。そういう事にしておく。
とりあえず今は王女様にお出しする料理の毒見だな。えーっと、この人に渡せばいいのかな。
「なるほど。そういう事でしたら……。はい、どうぞ?」
「うむ」
おっかなびっくりで女性にスプーンと一緒にシチューの入った食器を渡すと、女性は鷹揚に頷いてスプーンを受け取ってくれた。間違ってはいなかったらしい。
女性はスプーンに半分程シチューを掬って口に運び――――目を見開いた。
「美味っ……あっ」
小さな声だったが、確かに聞こえた。『美味っ』って言った。
その無意識に出てしまったらしい言葉が嬉しくて、俺は笑顔でお礼を言った。
「ありがとうございます」
「ん、んんっ! …………うむ。妙な味もしないし、舌の痺れもない。体におかしな所もないし、毒の類は入っていないようだな。ではこちらは私が王女殿下の元へ持っていく」
女性はちょっと顔を赤くしながら、少し早口で問題ない旨を口に出し、自分が使ったスプーンを俺に手渡した後、新しいスプーンとシチューの入った食器を持って王女様の元へ歩いて行った。
見た目ははちょっと怖めだけど、悪い人じゃなさそうだ。『くっ殺』とか言いそう、とか思ってごめんなさい。
「…………さて。さっさと配膳しないと、王女様に渡した分が冷めちゃうな。おねーちゃん、盛り付けていくから、配膳して――――大丈夫?」
予想外の所でほんわかした気持ちを切り替えて、配膳を再開しようとメリアさんに声をかけようとして、途中からその言葉を心配する言葉に変えた。変えざるを得なかった。
カートを移動していた時に後ろから付いてくる気配がしたので、ある程度緊張がほぐれたと思っていたのだが、改めてその表情を見ると、その認識が誤っていた事が判明した。
メリアさんは、俺の隣で直立不動で、顔にぎこちない笑顔を張り付けたまま固まっていた。笑顔が固すぎて怖い。
「だだだだだいじょうぶぶぶぶ」
「いや、誰がどう見ても大丈夫じゃないから」
油の切れた機械のようにぎこちなく頷くメリアさんを見て、俺は小さくため息を吐いた。メリアさんの腕を引っ張ってしゃがませて耳元へ唇を寄せ、他の面々には聞こえないよう小声で耳打ちした。
「落ち着いて。王女様への配膳は終わってるから、残るは侯爵様一家だけだよ。奥様とガ――じゃなかった。お子さんはともかく、侯爵様への給仕は〈鉄の幼子亭〉で慣れてるでしょ? あれをちょっと丁寧にするくらいで大丈夫だから。いつも通りいつも通り。ね?」
「う、うん。そっか、確かに侯爵様に給仕するのは慣れてる。その調子でやれば…………」
メリアさんの緊張が多少ほぐれたのが表情で確認できたので、改めて食器にシチューを盛り付け、スプーンと一緒にメリアさんに手渡す。
「はいこれ。お願いね。順番は、まずは侯爵様。続いて……奥様、お子さんの順がいいかな」
作法はよく分からないけど、偉さ的に多分この順番でいいはず。
ガキは嫡男とか言ってたような気がするから、もしかしたら奥様より先が正しいのかもしれないけれど、まあいいや。だってガキだし。
「まずは侯爵様だね。分かった」
先ほどまでと違い、人間らしい動きで料理一式を運ぶメリアさんの後ろ姿を見て、俺はほっと息を吐いた。
メリアさんが料理を侯爵様の元に無事届けたのを確認してから、新しい食器にシチューを盛り付ける。あんまり早くやると冷めちゃうからね。メリアさんが戻ってきた時に盛り付けが終わるくらいに時間を調整する。
そんなこんなで、無事奥様とガキにもシチューの盛り付けられた食器を配り終えた俺達は、一礼した後カートを押して部屋の隅に移動する。
今回の俺達は給仕が仕事。仕事を終えたら歓談の邪魔にならないように存在感を消すのだ。
…………いやメリアさん。狩りじゃないんだから、隣にいるのが分からなくなるレベルまで気配を消さなくてもいいよ?
「料理は行き渡りましたかな? それでは、いただきましょう」
侯爵様はそう言って、一番最初にシチューに手を付けた。
へー。こういうのって、目上の人が最初に手を付ける物だと思ってたけど、違うんだな。あれかな。主催者が最初に食べて、『この料理は安全ですよ』ってアピールする、みたいな? うーん、分からん。
「うむ。これは美味いな」
侯爵様がそう言いながら頷くのを見てから、他の人達もシチューに手を付けた。皆動きが揃っていたので、これも作法の一つなのかもしれない。
「これは美味しいですね。このような料理は初めて食べました」
王女様はそう言ってニッコリと笑顔を浮かべた。口に合ったみたいで良かった。
「私も初めて食べる料理のはずだが、食べた事がある気がするな。…………もしや、これはデミグラスソースを使った物かね?」
何かを確かめるように、じっくりとシチューを味わっていた侯爵様が、そう言いながら俺の方へ視線を向けてきた。
「はい。その通りです。デミグラスソースを水と酒で伸ばした物を使っています」
「このお肉もすごく柔らかいわね。口の中で解れるわ。ここまでするのに、随分時間がかかるのではなくて?」
侯爵様の質問に答えると、続いて奥様からも質問が投げかけられる。初めて聞いたが、優しそうな声だ。
「はい。奥様の仰る通り、そこまでの柔らかさにするのには、数日は煮込まないといけませんね」
「まあ! そんなに! 大変なのね!」
数日に渡って煮込まなくてはいけないという言葉に、驚きの声をあげる奥様。
それに対して俺は、言葉の代わりに微笑みで返した。
…………確かに、普通の鍋でこのレベルの柔らかさにするには数日は煮込まなきゃいけないだろう。でも今回は圧力鍋で調理してるから、煮込み時間合わせても数時間くらいしかかかってないんだよね。まあそこは言わぬが華ってね。手抜きとか思われたら嫌だし。
「本当に美味しいです。私、実はお野菜があまり得意ではないのですが、この料理なら大丈夫です」
「ありがとうございます」
王女様の言葉に、俺は慇懃に頭を下げながら心の中でガッツポーズした。
子供が野菜を苦手な理由は、おおまかに二種類に分けられる。
匂いと味だ。
野菜特有の青臭い匂いと独特の苦味が、子供の敏感な感覚を強く刺激してしまう為だと言われている。
トマトとかだと、そこに『種付近のドロドロが気持ち悪い』という食感も含まれてくるらしい。
そして、原因が分かっているなら対処は昔から決まっている。
分からないくらい小さく刻んで入れるか、子どもが嫌う要素を、別の要素で覆い隠してやればいい。今回は後者を採用した。
デミグラスソースの濃厚な匂いと味は、その役目にピッタリだからね。
俺が今回のメニューにビーフシチューを選んだのは、俺が食べたかった、というのももちろんあるのだが、王女様の野菜嫌いの克服の一助になればいい、という思いもあった。
もちろん、そんな事は依頼に含まれてない。俺の独断だ。
いやだって、嫌いな食べ物があるって事は、その分食べ物のレパートリーが減るって事だよ? もったいないじゃん。肉ばっか食ってると体に良くないし。
とりあえず、俺の目論見は見事成功したので、どこかのタイミングでお付きの人に教えておこう。そこから王城の料理人に話が通れば、あとはあちらで色々工夫するだろう。頑張ってね、顔も知らない料理人さん。
そうこうしている内に食事は進み、気づけば全員が空の食器を前に、満足げな表情を浮かべながら歓談を始めていた。
お代わりの気配もなかったので、メリアさんと二人で歓談の邪魔をしないように注意しつつ、食器の回収を開始する。
さすがにここまでくるとメリアさんの緊張も完全に抜けたようで、軽やかに動き回って食器を回収している。
いやー終わった終わった。あー疲れた。メリアさんが緊張でガチガチになったのは予想外だったけど、何かやらかした訳じゃないし、何事もなく終わって良かった良かった。
ミスらしいミスもなく食器の回収を終え、さあ退出だとカートに手を置いた所で、王女様が声を掛けてきた。
「申し訳ありません。私の護衛の者が、そちらの女性に用があるようなのですが、よろしいでしょうか」
その言葉に王女様の方へ眼を向けると、王女様の背後に控えていた二人の内、小柄な方の女性が王女様の隣に移動していた。
「は、はい。どういったご用件でしょうか」
あれ!? なんかやらかした!? と内心戦々恐々としながら要件を伺うと、女性はビシッとした礼を一つした後、視線をまっすぐこちらに向けながら言った。
「ありがとうございます。私、王女殿下の護衛を務めさせていただいております、〈リンデ〉と申します。このような場で、しかも不躾なお話で大変恐縮ですが………………私と手合わせをお願いできますでしょうか?」
…………いきなり何言ってるのこの人?




