第110話 依頼用の料理を試作した。超展開が起こった。
侯爵様のお屋敷で依頼についての話を聞いてから、あっという間に九日が経過した。
ビーフシチューを作ろうと決めてから俺が最初に着手したのは、調理器具を作る事だった。
短時間で何日もじっくり煮込んだかのような出来になる魔法の調理器具――――圧力鍋だ。
いやまあ、なくてもビーフシチューは作れるんですけどね?
前の世界で一度だけビーフシチューを作った事があるのだが、どこをどう間違えてしまったのか、肉がカチカチになってしまったのだ。カッチカチでボッソボソの肉の塊を飲み込む辛さ。シチューを食べてるはずなのに、肉を一口食べるたびに口の中の水分が持ってかれてしまうのだ。しかも肉の旨味が全てシチューに出きってしまっているようで、肉そのものは全く旨味がない。なんとか気合で作った分は食べきったが、ほんと辛かった。
だが圧力鍋があれば、そんな悲しい出来事は起こらない! はず!
とは言っても、そう簡単な話ではなかった。
まずゴムがないのでパッキンが作れない。いや、【魔力固定】でゴムの生成自体はできるのだが、【魔力固定】で作った物体は強度が低い。そんな物を圧力鍋に使うのは気が引けた。
色々考えた末、鍋と蓋を【金属操作】で溶接する事にした。もうこの時点で俺にしか使えない事が確定してしまった。汎用性皆無である。
……ま、いっか。売ろうと思ってる訳じゃないし。
圧力を調整する機構にも苦労した。
圧力調整用の重しをどれくらいの重さにすればいいのかわからず、適当に作った結果、大惨事が起こったのだ。
うん。爆発した。
危ない事は分かってたので、念のため結界を張っており、かつ作業中は厨房を立ち入り禁止にしていたので人的被害がなかったのだが、内容物や金属片が飛び散り、厨房内が酷い事になってしまった。
色んな人にすっごい怒られました。
半泣きで厨房を片付け、それ以降の作業は屋敷の外に【金属操作】で鉄製の豆腐ハウスを作り、そこで行う事にした。というかそうするように言われた。
その時は『みんなビビりすぎじゃない? そんな何回も爆発なんて起こらないよ』なんて思っていたのだが、結果的に正解でした。
何回爆発したか分からないくらい爆発したからね。最初に圧力鍋を作った人は本当にすごいと思う。たぶんその人も結界とか使えたんだろうな。それか鋼鉄の皮膚持ち。
そんなこんなで試行錯誤を繰り返し、なんとか使い物になる物ができたのが依頼を受けてから九日目、つまり今日だ。しかも夕方。まじギリギリだった。良かった、間に合って……。
ここまで引っ張っておいて駄目だったら、徹夜で料理を作る羽目になる所だった。
…………本当は七日目あたりで諦めるはずだったんだけどね? ついムキになっちゃって……テヘペロ♪
そして、そんな俺の汗と涙の結晶である圧力鍋を使ってビーフシチューを作り、試食会を開く事にした。
…………のだが。
「これが新作料理…………本当に爆発しないんだよね?」
「だからしないよっ!」
目の前に置かれたシチュー皿に、恐々とした視線を向けるメリアさん。
ビーフシチューそのものが爆弾だと思われてしまった模様。誠に遺憾である。
ちなみに今回の試食会。参加者は俺を除けばメリアさん一人だ。
なんでかって? みんなビビったんだよ。爆発に。何回も説明したのに信じてもらえなかったよ。
全員が尻込みする中たった一人、メリアさんだけが試食会参加に手を上げてくれた。その瞬間の皆の顔。『まじかよ!?』『命知らず!』『ありえない!』っていう気持ちがヒシヒシと伝わってきた。メリアさん自身も死地に赴く兵士みたいな顔してたし。皆酷いよね。
試食会をいつもの食堂ではなく、圧力鍋作成の為に作った豆腐ハウスで行うように懇願された所からも、皆のビビり具合が分かるという物だ。
「全くもう……何回も説明したでしょ? あの爆発はあくまで調理器具を作る時に失敗したのが原因であって、料理そのものが爆発したんじゃないんだって」
「いや、普通は調理器具を作ろうとして、爆発なんてしないからね?」
まあ確かに、包丁やフライパンを作ろうとして爆発はしないね。でも圧力鍋だからね。仕方ないね。
「今回はそういう器具が必要だったの。ほら、早く食べてみて? 冷めちゃうよ」
「う、うん。分かった」
俺に促され、メリアさんはゴクリ、と生唾を飲み込んだ後、手に持ったスプーンをゆっくりとシチュー皿に差し込んだ。
「!? 柔らかっ!? お肉が簡単に切れちゃったよ!?」
柔らかさを確認する為か、スプーンで肉を押したメリアさんは、予想に反して肉が切れてしまった事に驚きの声を上げた。
俺の好みで肉はかなり大き目に切ってある。通常であれば、火加減に注意しつつかなり煮込まなければこうはならないのだが、そこは圧力鍋調理。短い煮込み時間でここまでいける。素晴らしきかな圧力鍋。ちなみにシチューの入った圧力鍋は〈拡張保管庫〉に格納済みだ。いくら万能調理器具の圧力鍋でも、出しっぱなしだと冷めちゃうからね。
「でしょ? これが今回作った調理器具、圧力鍋の力だよ」
「あつりょくなべ…………どんな道具なのかはよくわからないけど、すごいんだねえ」
全力でドヤる俺を尻目に、メリアさんは半分に切れた肉をスプーンで掬い、ゆっくりと口に運び、次の瞬間に大きく目を見開いた。
「お、美味ひいっ! お肉が口の中で解けた! なにこれ!?」
そうでしょうそうでしょう。ビーフシチュー美味しいよねえ。
目を閉じて、ビーフシチューの美味しさに身を震わせているメリアさんを暫し眺めてから、俺も自分の分のシチューを掬って口に運んだ。
「…………うん。美味い。いい出来だ。成功だね」
肉もいい感じに柔らかいし、各種野菜にもしっかり味が染みている。
あー、ビーフシチューなんて久々に食べた。やっぱ美味しいなあ。
元々好きではあったんだけど、前の世界でもあんまり食べなかったんだよね。
作るのは手間だし、レストランで食べようとすると微妙に高いんだよ。ついつい手軽に作れる別の料理に逃げてしまったり、比較的リーズナブルなメニューを選びがちだったから。
「あ……」
メリアさんの声が聞こえて、食べるのを中断して顔を上げると、洗ったみたいに綺麗なシチュー皿と、皿の底を悲し気に見つめるメリアさんの姿が目に入った。
「ははっ。お代わり、いる? まだたくさんあるよ?」
「! いる!」
悲しそうに皿を見つめるメリアさんの様子がおかしくて、笑いながらお代わりがいるか聞くと、メリアさんはほんのり頬を染めつつ、嬉しそうに皿を差し出してきた。
肉を多めに入れたシチューをメリアさんの前に置くと、メリアさんは嬉しそうにスプーンをシチューに差し込――――まない。
「? どうしたの? 食べないの?」
中途半端な姿勢で固まっているメリアさんを不思議に思い声をかけると、メリアさんは苦悶の表情を浮かべながら体をブルブルと震わせ始めた。その手からスプーンが零れ落ち、カラン、と硬質な音を響かせる。
「なんか……からだ、が……へん…………」
「どうしたの!? だいじょう――――」
ビーフシチューで!? 体に悪い物なんて入れてないぞ!? あ、もしかしてアレルギーとかか!?
混乱しながらも安否を確認しようとしたのだが、大丈夫? という台詞は最後まで言い切る事が出来なかった。
何の前触れもなくメリアさんの体から爆風が吹き荒れ、吹き飛ばされたからだ。
「ガハッ!?」
背中から勢いよく壁に激突し、肺から空気が吐き出される。
椅子やテーブルも俺と同様に吹き飛ばされ、室内は惨憺たる有様だ。
そんな中、メリアさんだけが椅子に座った姿勢のまま、肩を抱いてブルブルと震えている。
「ゴホッ。お……おねーちゃ」
「……いや、なに、なにこれ。体の中で何か、が暴れてる……出てこよう、と、してる……!」
メリアさんの尋常ではない様子に駆け寄ろうとするが、背中へのダメージか、はたまた空気を強制的に吐き出させられた事により酸欠か。体は思うように動かず、ノソノソと立ち上がるのがやっとだった。
「もう……駄目。レンちゃ…………にげ」
「おねーちゃん!」
(あわわわ! 予想より早いですぅ! どどどうしましょぉ!?)
(申請はもう通ってるでしょ! さっさと展開するわよ! 早くしないと被害が出る!)
(は、はいぃ!)
どこからか、聞いた事のある甘ったるい高い声と、聞いた事のない凛とした低めの声が聞こえると同時に、二つの事柄が起こった。
まず、視界からメリアさん以外の物が消えた。
散乱した食器も、倒れた椅子やテーブルも、豆腐ハウスの壁も。すぐ側に見えるはずの屋敷すらも消えた。
代わりに眼前に広がるのは、どこまでも白い空間。地面はおろか、空までも白い。そののっぺりとした白さは、絵を描く前の白紙のキャンパスのようだ。全てが白いせいで距離感が掴めない。
続いて、メリアさんの身体が炎に包まれた。
その勢いは激しく、あっという間に巨大な火柱にまで成長した。
「あ……危なかったですぅ」
「ほんとね。もうちょっと展開が遅れたら、あの子の家くらいは消し飛んでたかもしれないわね……」
起こった内容のあまりのインパクトに思考停止していると、背後から二人分の声が聞こえてきた。こんな事が起こる直前に聞こえてきた声と同じ物だ。
勢いよく振り返ると、そこにいたのは二人の女性だった。
一人は空色の瞳と、瞳と同じ色の長い髪をツインテールにした幼女。
もう一人は黒金色の長い髪を先端部分でまとめた、なんか派手な鎧を着た大人の女性。
大人の女性の方は初見だが、幼女の方は見覚えがある。俺のこの世界に連れてきた張本人。
「レ…………女神!」
「ちょ! 私の名前忘れたんですかぁ!? レストナード! 輪廻と生命を司る女神、レストナードですぅ!」
「んなこたぁどうでもいいんだよ!」
「どうでもいい!? 相変わらずふけーですぅ!?」
眦を吊り上げて怒りを露わにする幼女神。だが今はそんな些細な事を気にしている余裕はない。
「あれはどういう事だ! なんでメリアさんが炎に包まれた! メリアさんは無事なのか!? なんか知ってるんだろ神なんだから!」
「はいどうどう。彼女はまだ無事だからちょっと落ち着きなさいな。あなたが慌てたからって事態が好転する訳じゃないのよ?」
掴みかからんばかりに幼女神に詰め寄ると、もう一人の女性に口を挟まれた。
その女性の超然とした態度に少し頭が冷えた。意味もなく走り出したくなるような衝動を必死に抑えつつ、一度大きく深呼吸。………………いや無理だよ!
「全くもう。しょうがないわねえ。ほら」
ぐずる子供を前にした母親のような表情を浮かべながら、女性が俺の頭に手を乗せた。
その瞬間、頭が氷でもぶちこまれたかのように冷えた。なにこれ。
「権能の一つよ。普段はやらないんだけど、今は緊急事態だから」
「なにそれこわい」
「私もこれと同じ神だからね。これくらい簡単よ。本当は自己紹介から始めたい所なんだけど――――そんな時間もないか」
女性の視線が鋭くなったのを見て、その視線の先、メリアさんのいる方に視線を移すと、丁度火柱に変化が訪れる所だった。
ただ大きく、高く立ち上っていただけの火柱が、みるみるうちにその形を変えていく。
粘土を捏ねるように炎が蠢き、その形が定まっていく。
「…………犬? いや、狐か?」
最終的に、炎によって形作られたのは、全長三十メートルはありそうな、黄金色の体毛が眩しい四足動物だった。あの尖った耳と顔の造形は、おそらく狐だろう。
……火から出来たはずなのになんで金色なんだろう、なんて関係ない事を考えてしまうのは、無理やり冷静にされた弊害とかだろうか。
「あれを倒しなさい! まだ大丈夫だけど、急がないと中にいる彼女の命が危ないわ! そして、申し訳ないけど、色々あって私達が手を貸す事は出来ない! 一人でやるのよ!」
「まじかよ……!」
神通力は当てに出来ないらしい。こちとら攻撃能力は低いってのに……!
だが泣き言は言ってられない。早くしないとメリアさんが危ない、なんて言われたら全力でやらざるを得ないな!
〈拡張保管庫〉から〈ゴード鉱〉の塊を取り出し、【金属操作】を発動。【翼】を展開すると同時、棒を作成して手に持つ。続いて筒を作成し腰と肩に装着。筒の中には【魔力固定】で弾丸と水を生成した。
最後に結界を張りつつ【身体強化】で身体能力を上げる。
【能力】をフル活用しての完全戦闘態勢に移行した所で、今の今までただ突っ立っていただけ巨大狐と目が合った。
それが合図となったのか、巨大狐はその巨体に見合った大きな口を開き――――
『妾にも、ビーフシチューとかいうのをよこすのじゃああああああ!!!!』
「「「………………はい?」」」
料理を催促された。解せぬ。
レンの周囲は今日も平和です。




