第98話 メリアさんの為に行動を起こした。
「ねえ、おかあさん。里帰りしようよ」
朝食の食べ過ぎで、お腹がぽんぽこりんになってしまって動けなくなった俺は、メリアさんによって御姫様抱っこでベッドまで運び込まれた。
ちなみに、この時点ですでに〈鉄の幼子亭〉への出勤予定時間は過ぎてしまっている。
本当は今日は俺もメリアさんも出勤の予定だったのだが、俺がこんな状態になってしまったのと、メリアさんの娘であるマリアさんが居るのもあり、急遽シフトを変更、二人とも休みにしてもらった。代わりに、本来今日は休みだったはずの睦月と水無月が出勤している。
…………ごめん。睦月、水無月。この埋め合わせはきっとするから。
俺を運ぶメリアさんの後を、カルガモの子のようにヒョコヒョコと付いてきたマリアさんは、メリアさんが俺をベッドに寝かせたタイミングでそう問いかけた。
「や、このお屋敷も、あのお店も、おかあさんの物だっていうのは、聞いたから知ってるよ? ここでの生活が楽しいって事も。でも、アタシとしては、やっぱりおかあさんは、おとうさんと一緒にいて欲しいんだよね……」
メリアさんが何か反応を返す前に、慌てたようにマリアさんはそう付け加えた。
「………………あの人は? オーキは元気?」
マリアさんの問いに答える代わりに、メリアさんは俺の知らない人の安否を確認した。
……話の流れから言って、〈オーキ〉というのはメリアさんの旦那さんだろう。
オーキ……おうき……王鬼? なんか強そう……そして怖そう……。
「うん。元気だよ。とは言っても足の方は相変わらずで、長い時間歩くのは辛いみたい。本当は一緒におかあさんを探しに来たかったんだけどね…………。こんな足じゃ邪魔になるから、お前一人で行け、って言われたよ」
だから、報告のために定期的に村に帰ってるんだ、とマリアさんは笑った。
旦那さん、足が悪いのか……。
「そっか…………。ねえ、ここから村までは、どれくらいかかるの? 私、訳も分からない内にここまで来ちゃったから、ここがどこら辺なのかも分からないんだよね。それまで村から出た事もなかったし」
「そうだなあ……アタシは三月くらいでここまで来たけど、途中でお金が無くなっちゃって、長めに留まった街とかあったからなあ」
そう言ってマリアさんはうーん、と腕を組んだ。
三月って、どんだけ遠いんだよ……って、そうだった。この世界には自動車とかバイクみたいな、高速で移動する手段がないんだった。一般的な移動手段は徒歩、馬車くらいだもんな。そうなるとそこまで遠くも…………いや十分遠いか。
「み、三月…………? 私、どれだけ走ってたの……? あんな状態だったとはいえ、全く記憶にないなんて……しかもあの時って、服が全部燃えちゃってたはずだから、全裸で……。全裸……うあぁぁぁぁぁぁ…………」
何故かメリアさんが愕然、という表現がピッタリな表情で、なにやらブツブツ呟いているが、声が小さすぎて聞こえないな。…………あ、頭抱えて蹲った。
「あ、あれ? どうしたのおかあさん……? 頭痛いの? 横になる? ここはレンちゃんが使ってるから、別の場所で……」
「いや、そうじゃないんだ…………。でもごめん。ちょっと今話しかけないで……」
「う、うん。分かった……」
心配そうなマリアさんの提案を、すげなく拒絶するメリアさんを見て、俺の胸がズキリと痛んだ。
………………本来なら、あんな風に頭を抱えて、マリアさんの心配も拒絶するくらい悩む必要なんてないはずだ。メリアさんだって、会えるなら旦那さんに会いたいはず。
にも拘わらずあそこまで悩む原因は、俺達の存在以外にありえない。
メリアさんの内心を考慮せず、屋敷を持ち、メイド達を抱え、店を持った。
このイースの街に根を張るような行動を取った。取ってしまった。本当はメリアさんも、故郷に帰りたいと思っていたかもしれないのに。
で、あれば、俺がやるべき事は一つ。それを達成する為に、即座に行動に移さなくてはならない。
(ルナ。質問なんだけど――――)
ルナに【念話】を繋げ、一つ質問をする。ホムンクルスであるメイド達の統括であるルナであれば分かるはずの内容を。
(……………………なるほど。そういった理由であれば、しょうがないでしょうね。方法は――――)
背景を含めて説明したおかげで、ルナは質問への答えを返してくれた。……よかった。そう難しい事でもないみたいだ。
(ありがとう。ごめんね。突然で)
(いえ。これも統括個体であるルナの役目です。ですが…………寂しくなりますね)
(それは言っちゃ駄目な奴だよ)
俺だって寂しい。でもそれは表に出してはいけない感情だ。表に出してしまうと、メリアさんが困ってしまうから。
(…………そうですね。失礼しました。ルナの方で、他の個体には話を通しておきます)
(よろしく。じゃあね)
(はい)
ルナとの【念話】を切り、すぐさま次の相手と【念話】を繋ぐ。
(ごめん睦月。頼みたい事があるんだ)
(レン様っ!? で、できれば後にしていただけると……っ!)
だよね。今や超人気店になった〈鉄の幼子亭〉。いつでも目の回る忙しさだ。俺だって身を以て知っている。だけど……
(ごめん。緊急なんだ)
(レン様……? 承知しましたっ! 少しだけお待ちくださいっ!)
そう言った直後【念話】が切れた。店内で急いで指示出し等をして、時間を作ってるんだろう。本当に申し訳ない。
(お待たせしましたっ! それで、頼みたい事ってなんですかっ!?)
数分待った所で、睦月から【念話】が届いた。
早い。かなり無理をさせてしまったようだ。
(うん。あのね――――)
そして俺は、ルナに話した背景を睦月にも話してから、頼み事を伝えた。
(そうですか。承知しましたっ! すぐ動きますっ! ちなみに、いつまでに終わらせればいいですかっ!?)
(たぶん明日には動くと思うから、今日中かな? いきなりの話な上、急がせる事になって申し訳ないんだけど……)
(問題ありませんっ! この程度、レン様から受けた恩と比べれば、全然大した事ないですっ! それでは、早速行動開始しますねっ!)
(よろしく。……あ、睦月が動くって事は、店の手が足りなくなるね。代替要員を――――)
(手配済みですっ! ムツキの代わりに、キサラギが来てくれますっ! というか、もう来てくれていますっ!)
あの数分の間に、代替要員の手配まで終わらせていたらしい。俺が何を頼むのかも分かってなかったはずなのに。いつの間にか、滅茶苦茶デキる子になっていたようだ。
…………さて。事前に動くのはここまでかな。
睦月との【念話】を切った俺は、メリアさん達にバレないように、そっと深呼吸をする。
すぅ…………はぁ…………。
大きく息を吸い込み、吐き出す。
前の世界で俺は会社員だった。感情を抑えつけて、上っ面を繕うのは慣れている。
噴き出しそうになる色々な物を抑えつけ、小さく固め、奥底に押し込み、蓋をする。
続いて表情を作る。今回は、何も分かってない、無垢な感じがいいだろう。
………………多分、出来た。
こういった事は久しぶりだったから、ちょっと手間取ったけど、多分大丈夫なはず。
後は、この状態を維持したまま、話を進めていけばいい。
「…………行かないの? おねーちゃん、旦那さんに会いたいでしょ? 俺、おねーちゃんの旦那さんに会ってみたいな」
俺が声を掛けると、未だに頭を抱えていたメリアさんが、何故か真っ赤になっている顔を上げて俺を見、怪訝そうな顔をした。
「え? いや、まあ、うん。そりゃあ、会いたいけど…………」
「おお! レンちゃん、おとうさんに会ってみたい? 口下手気味で顔が怖いけど、子供好きだから可愛がってくれると思うよ、きっと!」
「そうなんだ! じゃあ早速準備しよう! 今日は一日準備して、明日の朝に出発しようか!」
「え? あの、ちょっと」
「そうだね! こういうのは思い立ったらすぐ行動しないとね!」
「いや、あのさ」
「うんうん! じゃあ俺、色々準備してくる!」
「あ! ちょっとレンちゃん!?」
「分かった! アタシも準備始めようっと!」
「マリアも!?」
前向きな俺の発言に乗っかってきたマリアさんとガンガン話を進め、当人であるメリアさんを置いてきぼりにして、里帰りを決定した。
これでいい。これくらい強引に話を進めないと、メリアさんは俺達に遠慮してしまうだろうから。
そして、何か言おうとしているメリアさんを無視して、俺はなんとか腹がこなれてきていたのをいいことにベッドから飛び降り、二人から顔をそむけながら部屋を飛び出した。
「…………う、ぐうぅ……ひぐっ」
厨房に向かって走りながら、俺は声を押し殺して泣いていた。
危なかった。ブランクがあると、長時間の維持は難しいみたいだ。
歯を食いしばっていないと叫びだしてしまいそうだ。
なんとか今日一日で昔の感覚を思い出しておかないと。
じゃないと、笑顔で別れる事ができない。メリアさんから離れる事が出来ない。
泣いてしまったら、メリアさんが困るんだ。俺、頑張れ。
それから俺は、暴れだしたくなる心と体を必死に抑えつけながら、明日の旅立ちに向けての準備を進め――――
「じゃあ、行って来るね」
「お世話になりました」
「…………あれ? 本当に行くの? 話の進みが速すぎない?」
「「「「「いってらっしゃいませ」」」」」
「普段、屋敷から出かける時って、こんな事しないよね? 何? どういう事?」
「お出かけと旅だと違うんじゃない? この街に来てから、旅に出た事なんてないでしょ?」
「まあ、その通りだけど…………。そういうものなの……?」
「そういうものなんだよ、きっと」
俺、メリアさん、マリアさんの三人は、屋敷のフルメンバーに見送られながら、メリアさんの里帰りに出発した。
レン、暴走。
どういう意味で暴走しているかは、読者の方々ならなんとなく分かると思います。




