第96話 怪しい見た目の客が来た。
〈鉄の幼子亭〉襲撃騒動から三か月ほど経った。
あれから同じような事件が起きる事もなく、毎日忙しくも落ち着いた毎日を過ごしている。
…………いや、二件程起きてた。如月と弥生が倒れた。しかも同時に。
症状を確認した所、ルナや睦月と同じだったので、ルナ達の時と同じように俺が対処し、二人は無事復活したのだが……。
「フヒ。ありがとうございますレンたん。キサラギ、生まれ変わりましたぉ」
「……………………ん。ヤヨイも」
魂を移植した反動で例のごとく意識を失った俺が、目を覚ましたら、ちょっと粘度高めな笑顔と、目を半分閉じた無表情というよりはボンヤリとした顔で、そう挨拶された。
………………なんか、すっげえ濃くなったな。
何このチョイス。テンプレ系オタク娘と脱力系無口娘? 俺の魂が入った結果がこれって事は、これ、俺のせいなの? 俺の魂って一体なんなの? 俺の内面に、こんな人格が眠ってるの?
あとレン『たん』って何。初めてだよそんな呼ばれ方。前の世界でも呼ばれた事ないよ。
目覚めた一発目に食らうには、ちょっとパンチが効きすぎていると思うよ? 俺、一瞬意識が遠のいたからね? 目覚めて五分で二度寝する所だったよ?
ちなみに、如月は髪色がくすんだ白。瞳の色は茶色。髪は全体が軽く波打っており、ボリュームが多い。前髪が長めで、ちょっと目が隠れている。メカクレ属性まで持ってるぞこいつ。
弥生は髪色は如月と同じく、くすんだ白だが、こちらは少し色合いが明るめ。瞳の色はちょっと濃いめのピンク。髪はショート。常時眠そうな、ぼんやりした雰囲気の子だ。
ぶっちゃけ、こうなった二人を初めて見た時、『こいつら、こんなんで客商売なんてできんの……?』と頭を抱えたものだが、なんと問題なく出来ている。クレームもない。むしろ割と人気。
曰く、如月は『友達感覚で付き合える』と、少年達に人気で、弥生は『リーアとは違うタイプの小動物っぽくて可愛い』と、お姉さま達に愛でられているらしい。
………………うん。問題も起きてないし、客の評判も悪くないならそれでいいや。
だけどね? 客のテーブルに一緒に座って駄弁ったり、客の膝の上に座って餌付けされるのは止めろ。仕事中だぞ。
……とまあ、そんな感じの日々を過ごして今日に至り、その今日も終盤に差し掛かり、そろそろ営業終了、という時間まで来ていた。
最後の客が帰った事を確認してから、今日のシフトメンバーである睦月、神無、オネットで手分けして後片付けを始めた所で、キィ、と音を立てて扉が開いた。
まじかー。このタイミングで客かー。
「いらっしゃいませ~」
ゆったりとしたオネットの挨拶と共に入ってきたのは、薄汚れたマントを体に巻き付け、フードを深く被った…………性別も年齢も不詳の人物だった。体のラインも顔も見えないから、さっぱり分からんな。
「……まだやってる?」
と思ったら判明した。若い女性だったようだ。少し掠れた声がセクシー。
「はい~、大丈夫ですよ~。では~、こちらの席へどうぞ~」
オネットによって席に案内され、女性が席に付いた所で、睦月がメニューを置き場から一つ抜き取り、女性の元へ持っていく。
「こちら、お品書きになりますっ! 注文が決まりましたらお声がけくださいっ! あっ! 申し訳ございませんが、もう閉店の時間ですので、注文は一回でお願いしますっ!」
すると、女性はメニューを見る事なく、睦月に何か話しかけていた。その声は小さく、俺の元までは届かない。
(レン様っ! スープと野菜炒め、一つずつですっ!)
(了解ー)
睦月からの【念話】によるオーダーを受けて、〈拡張保管庫〉から器に入ったスープと野菜炒めを取り出す。この二つのメニューはメリアさんが作った物で、俺の好物でもある。
使っている具材も、調味料も普通で、どこにでもあるような料理。
口から光線を吐いたり、叫びながら空を飛んだりするような美味さ、という訳ではないが、なんというか、食べるとホッとして、いつまでも食べていたくなるような暖かさがあるのだ。
……あー、腹減ったなあ。俺も、今日の夕食はこの組み合わせにしようっと。
ほぼ休憩なしで働き、とっくの昔に空っぽになった腹をさすっていると、睦月が受け取り口にやってきたので、注文票を受け取り、内容に齟齬がないか確認してから、料理を渡す。
料理を受け取った睦月は、危なげなくそれを女性の元へ運び、テーブルに配膳していった。
「ごゆっくりどうぞっ!」
疲れを感じさせない、表面上は元気一杯の声で定型句を投げかけ、睦月は女性の座る席から離れた。
いつオーダーがあってもいいように、フロアへ意識を向けつつ、俺は厨房の片づけを始め――――すぐ終わった。
厨房と謳ってはいるけれど、実際ここで料理なんてほとんどしないから、大して汚れないんだよね。料理の受け渡し口で料理が少し零れたりするから、それを綺麗にして、後は全体を軽く掃除して終了だ。
…………さて、暇になっちゃったな。
客がいる中で、大々的にフロアの後片付けをする訳にもいかないんだよね。周りで閉店準備なんてされたら、落ち着いて食事できないし、第一『こんな時間に来ちゃってごめんなさい』と思わせちゃう。
少なくとも俺がその立場だったらそう思う。だから出来るだけやらない。
一応、迷惑にならない程度に、入口の扉の看板を〈閉店〉に変えたり、客が座っている場所以外のテーブルを拭いたり、軽く床掃除をするくらいはやるけど、それだけだ。そして、そのレベルの掃除なら総出でやる必要もない。フロアに出ている睦月一人で熟せる。
というか総出でやっちゃったら、閉店をアピールしないように気を使っている意味がない。
んー…………今の内に、売上でも集計しとこうかな。出来る所までだけでもやっとけば、後が楽だし。
と、集計の準備を始めた所で、フロアからガタン! という音と共に、女性の大きな声が聞こえてきた。
「ねえ! この、この料理! 作ったのは誰!?」
視線を向けると、客の女性が椅子から立ち上がっていた。座っていた椅子は後ろに倒れている。先ほどの音は、椅子が倒れた時に発された音だったようだ。
「え、えっと、その料理を作った者は……」
(ど、どうしましょうレン様っ! なんて答えればいいですかっ!?)
睦月から困り果てた様子で【念話】が送られてきた。
うーん。どうしようかな。
正直に言うのは論外。〈拡張保管庫〉の事を伝えなきゃいけなくなるから。まだこれジャン達にしか売り出してないし、ちゃんと売り出すまでは秘密にしておきたい。…………ジャン達、いつになったら新規顧客を紹介してくれるのかなあ。今の所お金には困ってないけど、いざという時の為の備蓄は多いに越した事はないからね。
…………ってそうじゃない。今はそれは置いておいて。
(そうだね……。『料理人は、そちらの料理を作ってすぐ帰りました』って伝えて)
(は、はいっ!)
「えー、料理人は、そちらの料理を作ってすぐに帰ってしまいまして――――」
「連れ戻して! お願い! お願いします!」
「ええええっ!?」
女性は、マントの内側に手を入れたかと思うと、革袋を取り出して、テーブルの上に勢いよく置いた。ジャラッという音が厨房まで届き、中にお金が入っている事が分かった。その重い音で、それなりの量が入っている事が伺える。
「これ、アタシの全財産です! 足りないなら働いてもっと持ってきます! だから、だから、どうかお願いします!」
女性は、泣きそうな顔でそう言うと、勢いよく頭を下げた。
…………面倒事の匂いがプンプンする。
たかが料理を作った人に会う為に全財産を差し出すなんて、常軌を逸している。
こういうのは、深入りしないのが吉だ。下手に首を突っ込むと、痛い目を見る奴だ。
適当な言い訳で帰ってもらおう。そうしよう。
(……………………あーもー! 神無。裏口から外に出て、おねーちゃんに事情を説明して、こっちに来てもらってくれる? 睦月。『店長に相談してきます』って断ってから一度厨房に来て。で、少し時間を空けてからお客さんの所に戻って、『呼びに行かせたのでお待ちください』って伝えて。あ、もちろんお金は受け取らないでね)
((畏まりました)っ!)
うん、無理だわ。
俺には、あんな必死な顔で頭を下げる相手を、無下にできない。
俺、商売人失格だな。今はいいけど、いつか絶対痛い目見るわ。
「やっぱりレン様はお優しいですっ! ムツキはそんなレン様が大好きですよっ!」
「肯定します。その優しさがレン様の美点です。カンナも好ましく思います」
「ま~、種族どころか~、生物ですらないワタシとマリ姉さんを~、家族扱いするくらいですからね~」
自分の甘さに辟易していると、いつの間にか厨房に入ってきていたらしい三人が、そう言いながらウンウンと頷いていた。
「ははは……ありがと。変な輩に引っ掛からないように、精々気を付けるよ」
優しいというより、ただ甘いだけなんだけどね。
とはいえ、三人による火の玉ストレートな好意のデッドボールで、下がっていた気持ちが上向いた。
この甘さのせいで、皆に迷惑を掛けないようにだけ気を付けよう。
「レンちゃん、来たよー」
「…………連れて来た」
聞き慣れた声に振り向くと、案の定、そこにはメリアさんが立っており、その後ろにはボンヤリした表情の弥生がいた。なんで弥生が……ああ、メリアさんは【いつでも傍に】が使えないから、ここに連れてくる為に付いてきてくれたのか。
「あ、おねーちゃん。ごめんね休みだったのに。弥生もありがとうね。こっちは大丈夫だから、仕事残ってるなら戻っていいよ」
「ん」
俺の言葉に、弥生はコックリ……というか、カクンッといった感じで頷き、そのまま消えた。【いつでも傍に】を使って屋敷に戻ったようだ。…………最後のあれ、頷いたんだよな? 寝落ちじゃないよな? 大丈夫だよな?
「で、話に出てたお客さんっていうのはっと。……あれ、男の人? 女の人? どっち?」
弥生の去り際の様子に不安を覚えていると、受け取り口から女性の様子を覗き見たメリアさんが、ちょっと困った顔で質問してきた。まあ、あの恰好じゃ分からないよね。性別的な特徴が一切見えないし。
「声を聞いた感じ、女の人みたいだよ。おねーちゃんの料理を食べてから、どうしても作った人に会いたいって言われたんだ。理由はわからないけど」
「だよねえ……。レンちゃんの料理と違って、私の料理なんて、それこそどこでも食べられるような物だしねえ。…………まあ、聞いてみれば分かるか」
「俺も行く。ここからだと声が良く聞こえないし」
部分的に聞こえる声と【念話】による実況中継だと、状況が把握しきれないからね。
女性の元へ向かうメリアさんを追って、俺も厨房から出る。そこまで距離は離れてなかったので、すぐに女性の元に着いた。
「お待たせしました。私がその料理を作った者です」
メリアさんが女性に声を掛けると、顔の前で祈るように手を組んで目を瞑っていた女性がガバッと顔を上げ――――その勢いで顔を隠していたフードが取れた。
綺麗な女性だった。だがそれ以上にみすぼらしい女性だった。その顔色は悪く、頬はこけ、肌艶も悪い。元々は美しかったであろう、肩口で雑に切り揃えられた亜麻色の髪は痛み、大きく見開かれた翠色の目の下には濃い隈ができている。過酷な生活を送ってきたであろう事が分かる容姿だった。
「あ……あ…………。な、名前。名前を聞いても、いいですか?」
女性は、零れ落ちんばかりに見開かれた目はそのままに、震える声でメリアさんにそう尋ねた。
ん? もしかして、メリアさんの知り合い?
俺は見た事ないから、俺と会う前に知り合った人かな。同じ村出身とか。
「私の名前ですか? メリアと言いますが」
「っ! ………………マ、マリアという名前に、聞き覚えは?」
メリアさんの言葉に女性は体を一度大きく震わせ、期待と不安に彩られた瞳でメリアさんを見つめながら質問を重ねてきた。
「マリア? 昔、生き別れた娘の名前がマリアですが…………っ! その髪、その目…………まさか」
「ああ、ああっ! やっと! やっと見つけた! おかあさん! マリアだよ! アタシ、マリアだよ!」
「マリア……? 本当にマリアなの…………?」
俺は一歩後ろへ下がりつつ、そっとメリアさんの手に触れた。【熱量操作】を発動してメリアさんから熱を抜き取り、普通の人と変わらない体温まで下がった事を確認してから、その背をそっと押した。
「マリア!」
「おかあさん!」
俺は、涙を流しながらひしと抱き合う二人から視線を外し、睦月達に目配せをしてから、そっとその場を離れた。
十年越しの母娘の再会だ。思う存分喜びを分かち合って欲しい。
胸の辺りにチクリとしたモノを感じたが、それは無視した。




