第91話 大事件が起こった。
〈鉄の幼子亭〉で出している料理のレシピの特許を先取りし、俺達から金を毟ろうとした奴らを追い払って一月程。
念のため十日間程、なにかしらの妨害や、嫌がらせを警戒して宿直みたいな物を店に置いていたのだが、そういった事もなく、日々は過ぎていった。
このまま続けても擦り減るだけ、という事で、数日前から過度の警戒を止め、いつも通りの生活に戻った。
マリとオネットが『拠点の防衛なら任せてほしいし! 不眠不休で防衛するし!』『そうですよ~。ワタシ達~、防衛用の個体ですし~。それこそが~、本来の使用用途ですから~』と言って、マジで不眠不休で店に居座ろうとするのを必死こいて止めたり、という事はあったけど。
……いやまあ、二人の言う通り、それが本来の使用用途なのかもしれない。二人は人形で、俺達のような生物と違って休息は不要みたいだし。あいつら、食事もいらないみたいだしな。
でも、俺にとって、あいつらもすでに家族の一員なのだ。そんな道具のような使い方はしたくなかった。
ま、ただの俺の我儘だ。
そんな、なんでもない日常が戻ってきての今日、俺とメリアさんは休日。
昨日、結構遅くまで料理の仕込みをしていたので、今日はちょっと遅く起きる予定。公認された寝坊って素晴らしいよね。
――――とか言いつつ、いつもと大して変わらない時間に目が覚めてしまった。ちょっと損した気分。
「ふわぁぁぁぁぁぁ…………」
むっくりと状態を起こし、大きなアクビを一発。目をくしくしと擦りつつ、周りをキョロキョロと見渡す。
窓からは日の光が差し込み、今日もいい天気である事を教えてくれる。
「すぅ…………すぅ…………」
隣ではメリアさんが、まだ夢の世界へ旅行中。帰還する事なく滞在延長を申請し、無事受理されたようだ。
「…………おやすみー」
それを見て、俺も再び旅立つ事を決意。再び布団という快適な舟に潜り込む。
レッツゴー夢の世界へ……。あ、目的は観光ですぅ――――
(レン様っ!! 主っ!! 大変です!)
「「ぅおわあっ!?」」
突然頭の中に響き渡った声で、一瞬にしてご帰宅。メリアさんも同様のようで、隣で布団から上体を起こしている。
(……何? どうしたのルナ? 俺達、昨日夜遅かったから、もうちょっと寝てたいんだけど……)
大音量で響いた【念話】に、頭をくわんくわんさせながら、送り主であるルナに【念話】を返す。ちょっと言い方に棘があるのはご愛敬って事でヨロシク。
……しょうがないじゃん。寝てた所を叩き起こされたら、大なり小なり誰だってこうなるだろ。
メリアさんもまだ寝足りないようで、目をショボショボさせている。
(お、お休み中の所、申し訳ございません…………。 で、ですが! 緊急事態なんです! 来てください! お、お店が! お店が!)
ルナは俺がちょっと不機嫌なのを感じ取ったようで、申し訳なさそうに謝ってきたが、すぐに泣きそうな、悲鳴のような声をあげた。
ルナの切羽詰まった様子に、ガチの緊急事態であると理解した俺達は、目を見合わせてから一つ頷いて、揃ってベッドから飛び起きた。
(分かった。すぐ行く。ルナは人目の付かない場所に移動よろしく)
(あ、ありがとうございます! 畏まりました!)
【念話】を切った俺達は、ドタバタと着替えを済ませ、メリアさんと手を繋いでから、【いつでも傍に】を発動、ルナの元へ転移した。
転移した先は、〈鉄の幼子亭〉から少し離れた所にある狭い路地裏。空はいい天気なのに、両脇の建物に日の光が遮られているせいで薄暗い。当たり前だが周りに人はいない。
「こちらです!」
「え? ちょ、待てって!」
俺達の転移が完了するのを見るや否や、ルナは俺の呼びかけにも応えず路地裏を飛び出した。
不意を突かれたせいで置いてきぼりを食らった俺達は、慌ててルナの後を追いかける。
「ルナがあそこまで慌てるなんて珍し…………くもないね」
メリアさんの身も蓋もない言葉に、残念ながら俺は否定の言葉が返せなかった。
まあ確かに、結構ルナってちょっとした事で、『はわわー!』ってなってるイメージがあるからなあ……。
「まあ、大した事ないんだったら、それに越した事はないよ。さっさと解決して二度寝しよう」
「そうだねえ。私もまだちょっと眠い……」
そんな緊張感のない会話をしながら、前を走るルナを追いかけていた俺達だったが、〈鉄の幼子亭〉の前に着いた所で、そんな雰囲気は跡形もなく吹き飛んだ。
店の前に、沢山の人が集まっていた。
…………いや、店の前に人が集まる事は珍しい事じゃない。自分で言うのもなんだが、今やイースの街でもトップクラスの人気店となった〈鉄の幼子亭〉は、連日入店待ちの行列が出来る。どちらかというと日常の風景だ。
だが、今目の前にあるコレは違う。
普段目に入る、入店待ちの人達から感じるのは、早く店に入りたい為に滲み出るソワソワ感や、ワクワク感、あと少しのイライラ、といった物だ。
しかし、目の前の人達の横顔から感じるのは、悲しみ、憐み、そして怒り。
開店前の店の前で見るには、明らかにおかしな表情。
それを目の当たりにした俺達は、焦燥感に駆られ、人垣に突っ込んだ。
人と人との隙間に体をねじ込み、前に進む。
俺よりも体が大きいメリアさんは、なかなか前に進む事が出来ないようだが、俺は小さな体をフル活用して狭い隙間をスルスルと抜け、思いのほか簡単に人垣を抜けた。
開けた視界の先の光景を目にして、俺は絶句する事になった。
「な…………」
「なに……これ」
俺から少し遅れて人垣を抜けたメリアさんも、目の前の光景を見て言葉を失っている。
――――俺達の店、〈鉄の幼子亭〉が、無残に破壊されていた。
倒壊こそしていないが、壁のあちこちには穴が開き、扉はなくなってしまっている。
なんだこれは? どういう事だ? なんで店が壊れてるんだ? 意味が分からない…………………………ああ、夢か。こんな意味不明な状況、夢に決まってる。現実の俺は、屋敷のベッドで惰眠を貪っている所なんだ。最近忙しかったからな。疲れてる時って、悪夢とか見やすくなるし、今回もそれだろう。全く、悪趣味な夢だ。心臓に悪い。そのせいでほら、滅茶苦茶鼓動が速くなっちゃってるじゃないか。頭もなんだかフワフワするし、呼吸も苦しい。上手く息が吸えていない感じがする。夢の中のはずなのに。
うん。これ以上、こんな夢は見ていたくないな。多分あの、これ見よがしに開いている入口から店に入れば、夢から覚めるんじゃないかな?
「……あ!? レンちゃん! 待って!」
地面の感触もなんだか曖昧で、真っすぐ歩けない。でもなんとか頑張って進む。早くこの夢から覚めたいから。あの入口から店の中に入れば、夢は覚めるはずだから……っ!
やっとの思いで入口の前に到達し、そのまま足を止める事無く、中に入る。
最初に感じたのは、悪臭。
鉄錆のような匂いと、生臭さ、そしてアルコールと糞尿の匂いが入り混じった匂い。
そう、匂い。
夢の中では、匂いを感じる事はない。少なくとも俺は感じた事はない。
にも拘わらず、今俺の鼻は、このひどい悪臭を感じ取っている。
つまり、これは、この状況は――――
「あ…………」
この、砕かれたテーブルも、叩き潰された椅子も、割られて床に打ち捨てられ、中身が零れ出しているエールの樽も。
床にぶちまけられている、何かの動物の内臓も、壁に塗りたくられている血糊も、そこかしこにこびり付いている糞尿も。
――――全て、現実。
「ひ、ひどい…………」
すぐ横から、メリアさんの声が聞こえてきた。俺を追って店内に入ってきたらしい。
「…………ねえ、おねーちゃん。俺、なんか悪い事したのかな?」
「レンちゃん……?」
正面を見たままの俺の問いに、メリアさんは訝し気な声をあげるが、お構いなしに俺は言葉を続けていく。
先ほどまでの淡い希望が粉々に砕かれた反動からか、頭がちっとも働かない。
にも関わらず、俺の口からは勝手に言葉が零れ落ちていく。
「この街に来て、家族が増えてさ、皆を食べさせなきゃいけないって思って、このお店を始めたんだ」
そう。冒険者が俺には向いていない事が分かり、別の方法でお金を稼ぐ必要があった。
真っ先に思い浮かんだのは〈拡張保管庫〉の販売。だが、〈拡張保管庫〉は高額らしく、そうポンポン売れる物ではないと知った。なので、次の手段として、お店を始める事にしたのだ。
「最初は全然駄目だったけどさ。皆で一生懸命働いてさ、お客さんも増えて、家族も、リーア、マリ、オネットって増えてって。ルナも、睦月も生まれ変わって」
俺の周りに、守らなきゃいけない人達が増えていった。だから。
「俺、もっと頑張らなきゃって思ってたんだよ。沢山お金を稼いで、皆に良い暮らしをしてもらいたかったから。それは、悪い事じゃないよね?」
「うん……うん……! レンちゃんは悪くない! 悪い事なんて、レンちゃんはなんにもしてないよ!」
いつの間にか俺は、メリアさんに正面から強く、強く抱き締められていた。
耳の近くから聞こえる涙に濡れた声、肩口が濡れる感触。メリアさんは泣いているらしい。
…………そうか。泣いていいんだ。
それを理解した途端、先ほどまでは凍り付いたように動かなかった頭が、感情が、堰を切ったように溢れだした。
「じゃ、じゃあ、なんで、こ、こんなことに……なんで……なん……う、うぁぁ…………あああああぁぁぁぁ!」
疑問、怒り、悲しみ、悔しさ。
そんな感情がごちゃ混ぜになり、自分でも良く分からないまま、涙を流し、喚き続ける。
そんな俺の頭を、メリアさんは俺を抱き締めたまま、優しく、優しく撫でてくれた。
その感触に、ぐちゃぐちゃだった俺の中身は、少しづつ落ち着いていき、それに伴い段々と瞼が重くなってきた。
「ありがと、おねーちゃん……俺、だい……じょうぶ。がんば……る」
薄れゆく意識の中、なんとかそれだけ言って、俺は微睡みの中に落ちていった。
完全に意識を失う直前、ギリッ! という音が耳に届いた。