第90話 特許は大事だと身をもって知った。
今日も今日とて〈鉄の幼子亭〉は大盛況。俺も毎日必死に働いております。
デミグラスソースが侯爵様のお墨付きを得てからは、料理のオプション扱いという形態のおかげで、他の料理の売上も激増。仕込みの量もそれに伴って増えた。
そのおかげで、〈鉄の幼子亭〉の業務が終わってから仕込む分だけでは、とても消費を賄えず、メイド達に料理を教え、日中も屋敷で仕込みをやってもらう事にした。
ここまではいつもと同じ日常なのだが…………あまり働いてるの見た事ないって? 描写してないだけで働いてるよ。死に物狂いでな!
どう考えても過重労働です。本当にありがとうございました。
…………早急に手を打たないと、そう遠くない内に誰か過労で倒れちゃいそう。
そんなこんな今日もまた、普通に激務な一日が過ぎていくかと思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
絶え間なく齎されるオーダーを、ヒイヒイ言いながら捌いていると、フロアで給仕をしているメリアさんから【念話】が届いた。
(レンちゃん。なんか商業組合の人が来て、至急の話があるから組合まで来て欲しい言ってるんだけど、どうしよう?)
あ”あ”!? んだと!? ふざけんな!? この状況で人員を減らすだと!?
――――やばいやばい。忙しさの余り、気が立っているみたいだ。落ち着く為に深呼吸を一回。
スウ……ハア……。
…………よしオーケー。
俺達が目の回るような忙しさだってのは見れば分かるはず。にも拘わらず組合への呼び出しか。
くそ、本当に至急の話なんだろうな。
…………あーもー、しょうがないなあ。
(おねーちゃん、行ってきてくれる? 俺も行きたい所だけど、この状況で二人抜けるのはヤバい。申し訳ないけど、おねーちゃん一人で行って話を聞いて、【念話】で内容を教えてくれない?)
ぶっちゃけ、メリアさん一人抜けるだけでもかなりキツいのだが、そんなに長時間はかからないだろう、と思い込む事にする。現実逃避とも言う。
一人だけ行く、という条件なら、俺が行ってもいいはずなんだが、俺じゃ駄目なんだよね。
実は俺、商業組合に登録してないからね。
商業組合へは、〈鉄の幼子亭〉の建物を買った時に、メリアさんだけ登録した。
店を出す場合、そのお店の店長さえ組合に登録していれば、他の店員は登録していなくても大丈夫と聞いたからだ。その時に俺も一緒に登録しても良かったんだけど…………ほら、登録料がね、かかるからね。
あの頃はそんなにお金に余裕なかったしね。できるだけ金は使いたくなかったんだよ。
(そうだよねえ。…………分かった。私一人で行ってくるよ)
(よろしく。なるべく早く帰ってきてね?)
(はーい。努力しまーす)
……
…………
(はぁ……。そうきたかー)
商業組合に向かったメリアさんから【念話】で話を聞いた俺は、オーダーを捌く手を一瞬止め、溜息を吐いた。
その内容は、〈鉄の幼子亭〉で出しているクロケットやトンカツ等の料理について。
端的に言うと、どっかの店が、うちで出している料理の特許を取ったらしい。もちろん俺は何も聞いていない。
俺は〈鉄の幼子亭〉で出している前の世界の料理について、特許を申請していなかった。
特許を取ってレシピの使用料をもらう事より、特許を取らない事で〈鉄の幼子亭〉で出している料理が世間に広く出回り、それを元に新しい料理や調理法が開発され、結果的に全体の料理のレベルが上がる事を見込んでいたのだ。
前の世界でもそういった事例はあったから、上手くいくと思っていたのだが、ちょっと甘かったらしい。
そして、その特許を取った店はレシピ使用料を高額に設定しており、うちから大金をせしめる心積もりな事は見え見え。特許が取られている料理、全部うちでしか出してない奴だからね。
…………あー、この世界に来てから、いい人としか関わってないから、こういう事があると凹むわー。あ、いい人ってのに、人攫いとクソガキは含まれていないよ。当たり前だけど。
(どうするのレンちゃん。このままじゃお店で料理を出せなくなっちゃうよ?)
メリアさんの心配そうな【念話】が頭に響いてくる。
確かにこれは早急に対処しなくちゃいけない問題だ。組合の人が至急と言ったのも頷ける。
(そうだね。かと言って、うちの料理を出すのに、どこの誰とも知れん奴に金出すとか有り得ないし。……おねーちゃん、料理の特許申請に必要な物と、うちの料理の特許を取った店について、後、出来ればその特許の内容について聞いてもらえる?)
(うん。分かった)
メリアさん経由で話を聞いた結果、特許を取った店と特許の内容については、守秘義務的な物で教えてもらえなかったが、特許申請に必要な物は分かった。
〈名前〉と〈レシピ〉だ。
雑に言うと、『この料理は〇〇という名前の料理で、~~~~という作り方で作ります』という情報を組合に伝えて、被りがなければ登録できるそうだ。
被りの判断基準は〈名前〉と〈レシピ〉で分かれており、片方が被っただけでも申請できないらしい。
つまり、〈名前〉が違っても、〈レシピ〉が同じだと組合が判断すれば蹴られる、という訳だ。逆もまた然り。
それを聞いた俺は、一つの作戦が思い浮かんだ。
正直、失敗する可能性も割と高いと思うけど、やらないよりはましだろう。今は巧遅より拙速が重要。
(じゃあおねーちゃん、その場で特許申請しちゃって)
(ええ!? 申請するって言ったって、何を? クロケットとかは、もうそのお店に登録されちゃってるんでしょ? それじゃあ登録できないじゃない)
(普通にやるとね。だから――――)
驚くメリアさんに先ほど考えた作戦を説明すると、訝し気な【念話】が返ってきた。
(ええ……? それ、大丈夫なの?)
(さあ? でもやらないよりはやった方がいい。今はとりあえず動く事が重要だよ)
(う、うん。分かった……)
この日は結局、組合で俺の作戦を実行してもらった為、メリアさんが帰ってきたのは閉店間近だった。
おかげで、今の〈鉄の幼子亭〉は、一人マイナスになっただけでパンク寸前になってしまう、という事を身を以て知る事になったよ。普段は厨房に籠りっきりの俺も、厨房と給仕を平行しないと回らないくらいだった。
……うん。パンク寸前というか、パンクしてたな。まじ疲れた……。
……
…………
………………
翌日。
いつもと変わらず、〈鉄の幼子亭〉は大盛況。俺も厨房で死に物狂いでオーダーを回す。
給仕係の皆も、立ち止まる事もできないほど、目まぐるしく働いている。
そんな中、厨房にいる俺にもはっきり聞こえるほどの怒鳴り声が響き渡った。
「ふざけるな! どういう事だ!」
受け取り口から顔を出し、声の聞こえた方を見ると、質の良さげな服を着た男が立っており、顔を真っ赤にしている。
「どうかしましたでしょうか?」
意味不明にぶち切れている男の元へ、メリアさんが向かい、声を掛けた。俺が向かおうと思ったけど、メリアさんなら大丈夫かな。
「どうもこうもあるか! 何故この料理を出している!」
怒鳴りながら男が目の前のテーブルを指さす。テーブルの上には料理が何点か乗っているのが見える。
「何故、と言われましても……」
「この料理は特許が取られている物だ! この店では使用料を払ってないだろう! 使用料を支払わずに店で出すのは犯罪だぞ!」
特許取得済みの料理をうちの店で出しているのが許せないらしい。……なんであいつ、特許の話を知ってるんだ? 関係者?
「確かに、そちらの料理は特許が取られた物です。うちで取りました」
「はあ!? そんなはずあるか! これはクロケットだろう! これは最近、うち――じゃなかった、別の店で特許を取った物だ!」
俺の疑問は、男が口を滑らせたお陰で氷解した。あの男、うちの料理の特許を取った店の関係者のようだ。
そんな奴が、なんでうちの店に来ているんだろう? 敵情視察? 目玉料理が出せなくなって右往左往してる様を見て愉悦に浸ろうとした?
…………うーん、分からん。
分からんが、男の言い分に対する返答は決まっている。
こんな感じだ。
「いいえ? そちらはクロケットという料理ではありません。その料理の名前は――――コロッケです」
「……は? コロ……は?」
「コロッケです」
「だ、だったらあの料理はなんだ! あれはトンカツだろう!」
「いいえ? あれはポークカツレツです」
「ポ、ポーク……? じゃ、じゃああれは! あれはメンチカツ――」
「ハンカツですね」
次々と料理を指さして怒鳴る男に、メリアさんが淡々と返していく。その度に困惑し、気を取り直すように声を荒げる男は、見ててちょっと面白い。
「全てうちで特許を取得しています。商業組合に確認いただいても構いませんよ?」
「ぬ、ぐ、ぐうううううう!」
メリアさんのトドメの一言に、怒りからか歯を食いしばってプルプル震える男。ざまあ。
これが、俺が組合にいたメリアさんに指示した作戦。
ズバリ『別名で特許を取っちゃおう作戦』だ。そのまんまだ。
メリアさんが組合で話を聞いたあの時、俺はその場で各料理の特許を申請するように頼んだ。
もちろん、そのままの名前では申請出来ない。すでにその名前で特許が取られているのだから。
だから名前を変えて申請してもらった。
〈クロケット〉は〈コロッケ〉。
〈トンカツ〉は〈ポークカツレツ〉。
〈メンチカツ〉は〈ハンカツ〉と名前を変えて申請したのだ。
ちなみに〈ハンカツ〉は〈ハンバ-グカツレツ〉の略だ。
実際は、いくら名前を変えた所で、レシピが同じであれば申請は通らないのだが、そこはそれ。
通らなかったら別の作戦を考えるだけの事だ。
まあ、申請が通ったという事は、あちらさんが申請した物とはレシピが違ったって事なので、もうどうでもいい話なんだけど。
……ああ、今後同じような事が起こると面倒なので、ハンバーグとデミグラスソースも申請して、無事受理されている。ハンバーグはまだ店に出してないけど。
今後も、新しいメニューを出す時はちゃんと申請する事にしよう。
食文化の発展なんていう、デカい事を考えた結果の今回の事件だからね。
俺みたいな小市民には荷が重すぎたって事だ。
木っ端商人は木っ端商人らしく分を弁えて、ちっちゃくまとまる事にしよう。
「ぐぎぎぎ……! クソッ! 覚えてやがれ! 後悔させてやる!」
メリアさんに論破されてウギギッとなっていた男は、小悪党のテンプレみたいな台詞を吐いて、店を飛び出していった。
うん。とりあえずこれで、この問題は解決かな?
危うく店が立ち行かなくなって路頭に迷う所だったが、なんとか凌いだ。今回の教訓は、『自分の持ち物はしっかり管理しよう』って所だな。
いい勉強になったよ、全く。出来ればもう二度とこんな勉強はしたくないけどな。