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暴発

作者: ひでまろ

「お前って本当に使えねえな」

 工場長のその一言が導火線に火をつけ、積もり積もった俺の怒りと憎しみを爆発させた。(これまでにもたびたび浴びせられた言葉だったが、なぜか今日に限り我慢できなかった)。

 俺はトイレにいく工場長のあとをつけた。右手には工具箱から取り出したプラスドライバーを隠し持っていた。

 ドアを開けると、工場長は小用便器の前で用を足していた。ちらりとこちらを見て俺だとわかると、ウザったそうに正面に目を戻した。俺はそんな工場長の背後に駆け寄り、ドライバーで背中を刺した。殺すつもりだった。だから工場長が死ぬまで刺し続けた。

 どろっとした血にまみれて、薄汚れた床に工場長が転がっていた。俺はその無残な姿を鼻で笑った。

 手とドライバーの血を洗い、俺がトイレから出ようとしたら、ちょうど越中が中に入ってきた。

 越中は血まみれの工場長の死体を目にするや否や,ぎょっと立ちすくんだ。あまり話したことはないが、なかなかいい奴だった。しかし、俺は仕方ないので越中も刺した。腹をえぐり、背中を刺した。別に恨みがあるわけではないのでかわいそうとは思ったが、仕方なかった。いわゆる不運というやつだろう。

 俺はロッカー室に駆け込むと、作業服を脱ぎ、私服に着替えた。どうにか人目につかず工場から抜け出した。

 俺は頭も悪く、ろくでもない人間だった。自分で自覚していても、他人から馬鹿にされるとやはり頭にくる。それでも、普段は我慢して耐えている。しかし、どうしたわけか今日は我慢できなかった。

 俺は自宅に向かった。今日はパートが休みなので、母はいるはずだった。大学生の弟もいればいいがと思った。試験期間とやらで、ここのところその日の試験が済めば真っすぐ帰宅して翌日の試験勉強をしていたので、今日もそうあることを願った。

 バスから降りると、俺は急ぎ足で自宅に向かった。犯行はすでに露見しているはずで、しかも姿の見えない俺が真っ先に疑われているはずだった。

 俺はバッグを持ち歩かないので、柄を下にしてドライバーをズボンのポケットにしまっていた。

 家に帰ると、母は居間でテレビを観ていた。

「あら、どうしたの?」

 母は俺の姿に驚いた。どうしたもこうしたもない、俺は母を憎んでいた。だから返事の代わりに、ドライバーを手に襲いかかった。

 俺の両親は俺を馬鹿にしている。有名大学出の自分たちからは、優秀な子供しか生まれないと信じている。だから弟だけが本当の息子であって、何年も浪人した挙句、町工場で働いているような俺は、本当の息子ではなかった。

 父ほどあからさまではなく、母は一見俺と弟を平等に扱っているが、残念ながら俺にはそのまやかしが簡単に見抜けてしまう。期待を込める眼差し、深い愛情を示す微笑み――弟には向けても、俺は一度だって向けられたことはない。俺を軽蔑し嫌悪しているのが、俺にはありありとわかっていた。

 だから殺したかった。だから刺した。だから母は死んだ。

 俺はゆっくりと階段を上った。下で結構物音を立てたのに降りてこないところをみると、弟はいないのかもしれない。残念に思ったが、一応確認だけはしてみるつもりだった。

 俺は部屋のドアをそっと開けた。弟はいた。机に向かいこちらに背を向けていた。ヘッドフォンをしていた。

 英語のヒヤリングの勉強でもしているのだろうか? いやいや、どうせ勉強するふりをして音楽でも聞いているのだろう。こいつはそういう奴だ。昔から親の前でだけいい子ぶるんだ。

 めらめらと怒りが燃え上がる。

俺は毎月生活費を渡してる。なのにこいつは金を使うばかりだ。頭が俺よりいいだけで、何でこいつだけちやほやされるんだ。調子のりやがって、いつも俺を見下しやがって。

 俺は両手でドライバーの柄を握ると、力一杯弟の頭めがけて振りおろした。頭蓋骨が邪魔をして突き刺さらなかった。だから素っ頓狂な叫びをあげて振り返る弟の顔を刺した。弟は椅子から転げ落ちた。俺は足蹴にした。

 人を馬鹿にしちゃいけない。いいか、わかったか!

 俺は逃げようとする弟を何度も刺した。多分、死んでからも何回か刺していた。血まみれの死体を見下ろしながら、しかし俺は満足していなかった。

 まだ父を殺していなかった。あいつを殺さなければ意味がなかった。あいつが我が家の悪しき中心、俺をのけ者にする家庭を作り上げた張本人だった。

 俺がまだ小さかった頃、まだ頭の悪さが露見していなかった頃は、あいつは確かに俺にも優しくしてくれた。しかし俺が馬鹿だとわかり、あいつの思い描く正しい人生から外れてしまうと、途端に冷淡になり、蔑みと嫌悪をあらわにし、時には無視し、要は俺が自分の息子であることを後悔し始めた。

 あいつは俺と縁を切りたかったのだ。あいつは俺を自分の息子だと認めたくなかったのだ。

 俺は弟の頭を思い切り踏みつけた。怒りが収まらなかった。

 俺はシャワーを浴び、服を着替えた。母の死体をぼんやり見つめながら、ソファーの端にちょこんと座っていた。

 父が帰ってくる前に、警察が訪ねてくるかもしれない。いや、きっとくるだろう。警察は俺の居所を探しているのだ。

 押入れの中にでも隠れていようかと考えたが、やはりいったん家を離れることに決めた。俺は手でもてあそんでいたドライバーをズボンのポケットにしまった。

 裏口から外に出て、様子を疑いながら通りに出た。まだいつもと変わらぬ住宅街の風景だった。

 俺はバスに乗り、駅前に出た。小さな喫茶店に入り、のんびりコーヒーを飲んだ。

 俺は夜がくるのを待っていた。街中をぶらぶらさまよい時間をつぶし、やがてバスに乗り、途中で降りて、そこから歩いて自宅に向かった。

 遠くからでも赤色灯の点滅は目立っていた。野次馬が自宅を取り巻いている。自宅は煌々と明かりが灯っていた。

 俺は電柱の陰からその光景を確認した。

 父もいるに違いないと思った。しかし、殺すのは不可能だと俺にもわかった。

 俺はどうしようかと考えながらその場をあとにした。


 俺は再びバスで駅前に戻った。

 歩きながら、時折ズボンの上からドライバーの感触を確かめた。

 繁華街には数多のネオンがきらめいていた。

 裏通りを進むと、派手な化粧をした若い女が自動販売機に寄りかかって煙草を吸っていた。

 俺は声をかけた。

「遊ばない?」

 女は鼻から煙を吐き出しながら尋ねた。

「なにして?」 

「ホテルで」

「いくらくれる?」

 女は淡々と質問した。

 俺はズボンから財布を取り出した。給料日あとなので、まだ万札が入っていた。

「三万」

「いいよ」

 女は煙草を路上に捨てた。

「いくつ?」

 俺が尋ねると、女は不機嫌な顔をした。

「それ、訊くの?」

「いや、やめとく」

 俺たちは近くの古ぼけたホテルに入った。

 俺は最初のうちは丁寧だったが、後半はがむしゃらだった。

 女はいい身体をしていた。しかし身体こそ大人だったが、あえぐ鳴き声にはまだ子供が混じっていた。

 事が済むと、俺は尋ねた。

「どうせ毎日退屈だろ?」

「そうね」

 女は無愛想に答えた。

「明日面白いバイトしねえか?」

「なに?」

「人質」

「誰の?」

「俺の」

「何かやったの?」

「人を殺した」

 女はじろりと俺を見た。

「私も殺すの?」

「何で?」

「だって人を殺したんでしょ?」

「殺すには理由があるさ。俺は別に殺人鬼じゃない」

「そう、ならいいわ。で、人質って何?」

「明日、俺の父親に恥をかかせてやろうと思ってさ。社会的抹殺さ」

「面白そうね」

「だから面白いバイトって言っただろ」

「いくら?」

 俺はベッドから抜け出て、ズボンの財布を取り出し、中身を改めた。

「あと二万しかないな」

「いいわ、それで」 

 女は二万円を受け取ると、しっかりと自分の財布にしまった。

「シャワー浴びてくる」

 女はそう言って、浴室に向かった。

 俺は布団にもぐりこむと、疲れていたのでそのまま眠ってしまった。


 あくる朝、俺と女はとあるマンションの屋上にいた。

 張り巡らされたフェンスの外、建物の縁にドライバー片手の俺は立ち、女はしゃがみ込んでいた。

「どうよ?」

 俺は女に尋ねた。

「スリル満点」

 女は笑った。フェンスをつかむ手がぶるぶる震えていたので、それが虚勢だとわかったが、俺は何も言わなかった。

 警察の面々が半月形に取り囲んでいた。近寄ると女を突き落すと脅していたので、それ以上前に出てこれなかった。虚しい説得を何度も繰り返していた。

 一時間後、俺は某テレビ局のインタビューにフェンス越しに答えていた。俺の要求だった。俺は事件の経緯を語り、全ての責任を父に押し付けた。父がどんなにひどい男かを洗いざらいぶちまけ(多少脚色が混ざっていたが)、俺がこうなったのも全部父のせいだとわめいた。俺は何度も父を実名で呼び、自分がその息子であることを強調した。インタビュアーの後方では、しっかりとカメラが回っていた。

 俺はすっきりした。しかし、まだやることが残っていた。

 俺は上着を脱ぎ、ズボンを脱ぎ、見物人の群がるはるか下の路上に投げ捨てた。

 下着姿の俺は、「親父を連れてこい!」と怒鳴った。

 警察はその要求をなかなかのもうとしなかった。

 それでも俺は怒鳴り続けた。

 警察は俺を落ち着かせようと懸命に説得を続けた。

 俺は確かに興奮していた。しかし、内心の一部は常に冷静だった。

「疲れた」

 女がぽつりと言った。

「……そうか」

 そろそろ潮時だと思った。いつの頃からか、隣のビルの屋上でもカメラが回っていた。俺は充分に目立った。父への憎悪を充分に伝えた。

 俺は下着も脱いで丸裸になった。とことん馬鹿な男を演じるつもりだった。カメラが上半身だけしか映せないのが残念だったが、意味のわからない阿保な犯人として、ネットでは永遠に笑いものにされるだろう。

 あんたの息子はこんなに馬鹿だったんだよ!

「じゃあな」

 俺は女にそう告げると、両手をぱたぱたさせて鳥のマネをしながら屋上から飛び降りた。そこまでは話していなかったので、女は驚愕の叫びをあげた。

 死ぬこと――俺が一番望んでいたのはこれだ。俺は死に向かいながら笑った。



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