見られた素顔
由里子の匂いを嗅ぎつけながら走る二人。二人は龍ケ崎高校とは真逆へと向かっていた。
本当にこっちで合っているのか? という八重葉の問いに、ペットは「間違いありません」と、息を切らす事無く走りながら答えた。
しばらく走ると河川敷の土手に出た。遠くの橋の下で大人数が騒いでいるのが見える。
橋脚では、後ろ手に縛られた満園と三澤が囚われている。群声でかき消されてしまってはいるが、体を激しく揺さぶり何かを叫んでいる様子だ。そしてその脇に、
「ペット、あれ見て!」
公園で戦った金髪の男、須藤がいた。
八重葉は「あんのハゲェー!」と怒りを露にした。
大人数に対抗しているのは数人。明らかに釣り合いの取れていないケンカだ。
大人数の男子に混ざって、スカートの下にジャージを着た女子が見える。由里子だ。それを見て速度を上げる八重葉。
「ペット、言っとくけど、私がここに来た理由はーー」
「はい、二人三脚で一位を取るためです」
「正解。それにしても、この大人数相手によく挑んだわね、あのバカ」
相手の攻撃も受けてはいるが、無駄な動きをせず、最小限に、そして的確に相手を沈めている。正拳に限らず、時には肘を顎に入れたり、後ろ回し蹴りで踵を顔面に入れたりしている。
「うん、負けてない!」
それを見て微笑む八重葉。
程なくして八重葉も近付くと、狐のお面を着けながら一気に土手を滑り降りる。
「由里子ー!」
八重葉が呼ぶと、由里子は相手をしていた男をなぎ倒しそちらを振り向いた。
「お、その声は! ……八重葉! なの……か?」
「いぇす、私でぇーす」
狐のお面のせいで、一瞬誰だか分からなかったが、由里子はその声から八重葉だと確信した。
「何でお面なんか着けてんだよ」
「他の人に私が強いってバレたら、色々めんどくさいじゃない」
「ああそうかい。どうでもいいけどこいつら一気に片付けてくれよ」
「一気に片付けるくらい力出しちゃったら、全員死んじゃうわよ」
「じゃあ適当にやっちまってくれ!」
その直後、また数人の男が由里子に殴り掛かる。やはり相手は、本気で由里子を潰そうとしているらしい。由里子はひらりとそれらを躱すと、男どもに正拳と肘鉄を入れる。あっさりと地に膝をつく所を見ると、相当な攻撃力だろう事が伺え知れる。
そして囚われの二人は、そんなお面の助っ人を見て顔を見合わせている。
「あれ誰?」
「……さあ」
首を傾げる二人。
まさか、私達を助けに来てくれたのか? そう思い、仲間が増えた事に明るい表情を浮かべる。が、すぐにそれは不安の要素となった。
……でも女子か。大丈夫かな。
二人は再び肩を落としてしまった。
しかしお面の八重葉を見て、須藤は顔を引きつらせた。
「お面の女……まさか、あいつか?」
すると、すぐに携帯を取り出し、誰かへと電話をし始めた。
「もしもし、俺です。……はい、来ました。あの女です。はい、お願いします」
「……?」
「……?」
満園と三澤は訝しげな表情を浮かべる。
「はぁ、はぁ、……ったくキリねぇな!」
息を切らす由里子。その一撃一撃の威力も落ちてきている。
しかし八重葉はと言うと、既に由里子と同じ数程の相手を沈めていると言うのに、全く息を切らさない。そしてその攻撃方法も、人間相手だからと本人なりに考え、胸ぐらと後頭部を持ち、そのまま地面に叩きつける、という手法を取っている。
それなりに威力はあるが、吸血鬼としての力は出していない為、命に関わる程ではない。……と、本人は思っている。
ばったばったと叩き付けられ気絶する男達。地面が軽く凹む程の威力だ。そしてそれを見て、
「おい、あの狐女やべえぞ!」
と相手の男子達が騒ぎ出した。
満園と三澤もそれを見て驚いた。身長は低いくせに男どもを力でねじ伏せる。圧巻だ。
全員を倒した八重葉と由里子、それから助っ人の空手部男子二人が須藤まで到着すると、背後から声がした。
「あらあらあら、派手にやってくれちゃってぇ」
一同がそちらを見ると、二メートルはあるだろうか、巨体の男がそこに現れた。
ズボンだけは龍ケ崎の制服の様だが、上はタンクトップである。筋骨隆々の体にはいくつもの深い傷跡がついている。
「ダブルクローバ、この男」
「うん、間違いない、悪鬼族……」
タンクトップの男は、倒れた男達の間をゆっくりと歩く。
そして八重葉と由里子の間を通り過ぎ、橋脚まで来ると、そこへ拳を思い切り打ち込んだ。轟音と共にコンクリートは脆く崩れ、中の鉄筋はひしゃげた姿で露となった。
「……!?」
そこにいた一同は、あまりの力に息を飲んだ。
満園と三澤はそれを見て、恐怖におののき涙を浮かべた。「殺される!」そう過った。
橋脚から抜いた腕を眺めるタンクトップの男。そして八重葉を見て口を開いた。
「おい須藤、こいつか? 例の女は」
「はい、気を付けて下さい山之内さん。こいつ、なかなか手強いでーー」
須藤が言い切る間もなく、タンクトップの男、山之内は須藤の胸ぐらを掴んで軽々と持ち上げた。
「おい! 誰に物言ってんだお前は。あんなチビに俺がどうかされるとでも思ってんのか?」
「い、いえ……」
須藤は苦しそうな表情のまま首を振る。そしてそのままドサッと落とされると、膝をついたまま激しく噎せ返った。
「しかしまあ、今回はお面のお嬢ちゃんじゃなくて、そこの金髪ガールに用事があるんだなあ俺は」
山之内はそう言うと、由里子へと歩みを進めた。由里子は、サッと一歩引いて身構える。
……いくらなんでもデカすぎる。致命の拳を入れるにもこの体には通らない……かと言って顎にも届かない。どうしたものかな。由里子は思いながら、迫る山之内に圧倒され、無意識のうちにジリジリと体を引いていた。
山之内の瞳はまだ黒いまま、力を出す様子は今のところは無さそうだ。八重葉であればこの男を潰す事は出来る。が、スピードがどの程度なのか分からない。その為、迂闊に手を出した場合、反対側にいる満園や三澤にまで危害を及ぼす危険性がある。スピードで劣る事は無いだろうが、万一を考慮して、八重葉は攻撃を控えた。
距離が小さくなった一瞬でこいつをヤる。八重葉はそう思った。
ーーパンパン!
八重葉は手を叩いて由里子を呼んだ。山之内への構えはそのままに、目だけを八重葉へ向ける由里子。すると八重葉は、手のひらを空に向け、クイクイっと手招きをして見せた。
「……何だ、こっちに来いってか? それどころじゃねえよ」由里子は迷惑そうな表情を浮かべた。
と、山之内はその巨体に似合わず、急激なスピードで由里子目掛けて突進し、そのまま拳を打ち込んだ。
「くっ!」
由里子は辛うじてそれを両手で捌いた。しかし捌いたその手は、真っ赤に腫れていた。ジンジンと痺れる様な痛みが両腕全体に走る。険しい表情を見せる由里子。そしてそれを見てほくそ笑む山之内は、またしても拳を振り上げた。
「これで、終わりだ」
その台詞と共に、山之内の瞳が紅く染まった。
「ダブルクローバ!」
たまらず声が大きくなるペット。
「分かってますとも!」
八重葉は思い切り地面を蹴り、山之内へと急接近する。
山之内の拳は焼かれた鉄の様に赤みを帯びている。これが由里子へ直撃しようものなら、彼女はひとたまりもない。
八重葉は急接近しながら、拳を打ち込むモーションへと入った。その拳はあまりのスピードから、空気との摩擦で炎を帯びている。
ーーガギィィィィィィィン!!
辺りに火の粉が舞う。八重葉の拳が、山之内の拳を見事に弾いていた。
山之内を睨みつける狐の面に、火の粉が踊る。「こ、こいつ……!」山之内は堪らず一歩引いた。
「だ、大丈夫ですか!?」
須藤は満園ら二人を見張りつつ、山之内を心配した。
「な、何今の!?」
「わ、分かんないけど、あの子めっちゃ強い!」
満園と三澤も立ち上がって、その狐のお面の女に期待を寄せ始めた。
「サ……サンキュー」
由里子には、何が起きたのか全く分からなかったが、突然目の前に八重葉が現れて助けてくれた事だけは分かった。
「由里子がこっちに来てくれないから、力使っちゃったじゃない、あの二人にバレてないかな?」
八重葉は、山之内はそっちのけで、由里子の方へ向き直って喋り始めた。
「お前の方に行ける余裕なんて無かったわ! まあ、まだバレてはないだろうけど、今そのお面取ったらアウトだな。逆に、今八重葉ってバラしたほうが、あいつらに借り作れるんじゃねえの?」
「人外の動き出来るのバレちゃったら、二人三脚出れなくなっちゃうわよ。当面は、あんたに一位取らせる事が目的なーー」
「八重葉、後ろ!」
八重葉が言い終わる前に、由里子は叫びながら後ろを指差した。
「ーーっ!」
八重葉が振り返ると、山之内の拳が目の前にまで迫っていた。しかし八重葉は迫るその拳を躱した。が、微かにその拳がお面にあたり、外れて宙を舞った。
八重葉の顔は露なものとなってしまったが、八重葉は次なる動きに入っており、これは瞬間的な物で、自分でも止める事は出来なかった。瞬時に手首を掴み、それを引きつつみぞおちに正拳を打ち込む。
「ぐはぁっっ!」
泡を吹いてその場に崩れる山之内。彼の体が無事なのは、八重葉が力を全く使っていなかったからである。
「ったく、何てことしてくれたのよ……」
山之内を見下ろしながら、その場に佇む八重葉。
そして満園はそんな八重葉を見て、眉間にシワを寄せて口を開いた。
「あ、あれって……」
ーー続く