二人の始まり
お面の脇から覗く八重葉の鋭い眼光は、リスの可愛らしいそれとは相反しており、不気味なオーラを漂わせている。
男はサッと身を引いて、そして弾かれた拳をもう片方の手で庇った。
「セ、セプトンブル家だとぉ!?」
男は苦しそうな表情を浮かべている。
男がとりあえずは攻撃をしてこない事を確信すると、八重葉は体勢を戻した。そしてズレていたお面をキチンと顔に被せ、由里子を確認する。
「……」
気絶している。先程の音と衝撃で飛んでしまったようだ。抱いていた由里子をそっと寝かせる。
それなら好都合と、八重葉はお面を外してその場に放った。
由里子に追跡をバレないようにする為のお面だったのだ、もう必要はない。この男を追っ払った後で由里子を起こして、偶然そこを通りかかったようにすればいいのだ。八重葉の中で完全な、しかし単純なシナリオが出来上がった。
「お前、悪鬼族だろ。何故ここにいる?」
八重葉が問う。
悪鬼族は本来、人間界へ降りる事は無い。修行もせずにココロを満たす事もなく生涯を終える。それ故暴力を振るう種族となっていくのだ。
「理由なんて無い。全ての物を破壊し、思い切り暴れたかっただけだ。吸血界では何かしら邪魔が入るからな。人間は弱くていいぞ、やりたい放題だよ」
男はそう言うと、「アハハハハ!」と高らかに笑った。
「……めんどくさいわね」
八重葉は思った。恐らく吸血界では、この男がこちらへ降りて来ている事は未確認の筈。となれば、この男に暴れ回られてしまっては、自分が暴れていると勘違いされてしまう。
しかも、何故だかこの男は由里子に目を付けていた。今由里子を殺されてしまっては、またターゲットを捜さなければいけないし、何より自分が由里子を殺したと思われては永住が即決定してしまう。
となれば選ぶは一択。
「あんたを殺すわ」
それを聞いた男は、またしてもゲラゲラと笑った。
「おいおいセプトンブル家のお嬢ちゃん。セプトンブルと聞いて驚いたが、お前に何が出来るってんだ? 確かに、お前の軍の戦士が一人でオクトーブルを潰したらしいが、お前じゃあ俺は倒せねぇよ。それとも戦いごっこでもしたいのかな? アハハハハハ!」
「じゃあ、遊んでもらおっかなー。今日一日体がムズムズしてたし」
八重葉は静かに微笑みながらそう言うと、片手を腰に当てたまま立ちすくんだ。
暫くしても男が来ないので、「さっさと来なよ、悪鬼のカス」と小馬鹿にする様にほくそ笑むと、男は怒りに顔を歪ませた。
「てめえ、調子にのんじゃ、ねーーぞ!」
男はその間合いを一蹴りで詰める。その一蹴りで舞い上がる砂塵。忽ちにして周りが見えなくなる。
そして振りかざした拳を、思い切り八重葉に打ち付ける、瞬間、男の踏み込みの鋭さで、ゴォン! と地面が割れた。凄まじいスピードの拳だ。と、
ーーパシン。
八重葉は男の拳を、軽い平手打ちでいなしてしまった。
「……」
男は前のめりになり、体勢を崩している。言葉を失い固まる男。力一杯の一撃だったのだ、それをいとも簡単に捌かれ、唖然としている。目の前で起きた事象に思考が追いつかない。
何が起きた? 本当にこの女に捌かれたのか? ただ単に外しただけじゃないのか? 額にはびっしりと脂汗が滲む。そして男は体勢を崩したまま、八重葉を恐る恐る見上げる。八重葉は腕組みをして男を見下している。
「今の何? 私に蚊でも止まってたの? あのね、教えてあげる」
八重葉はそう言って男の胸ぐらをグイッと掴むと、男もろともその姿を消してしまった。
「……?」
草むらから見ていたペットも瞬間的に八重葉を見失ってしまったが、ハッとして数十メートル離れているトイレの方へ視線をやった。するとーー
ズゴォォォォォォン!!
トイレの外壁に男を打ち付ける八重葉が現れた。男は尻もちをつく形となっており、八重葉はその男の胸ぐらを両手で掴みながら壁に押し付けている。
その体は壁にめり込んでおり、八重葉に押さえ付けられている鎖骨は既に折れてしまっていた。
「グハァ! 何て……力だ……!」
八重葉は胸ぐらを掴んだまま、拳を振り上げる。
「パンチってのは、こうやんの、よ!」
そう言って繰り出されたパンチは、男の顔の真横に直撃し、壁を貫いてしまった。八重葉の腕は二の腕まで埋まっている。
男の顔は完全に引きつっており、先程の威勢は全く無くなっていた。
「オクトーブル潰したの、私なのよ。あんたもさっさと吸血界に帰りな、命は取らないから」
耳元でそう囁くと、男は声にならない声で何度も頷いた。
「おーい、由里子ー」
八重葉は気を失っている由里子のほっぺをペシペシ叩きながら体を揺すった。すると由里子は眉間にシワを寄せながら、「ん、んー」とゆっくりと目を開けた。
「あ、起きた! オハヨー!」
微笑む八重葉のその瞳は、黒く戻っている。
「あ、あれ? 連中は?」
それを聞いた八重葉は、さも今来たかの様に立ち振る舞う。
「連中? そこの人達の事?」
八重葉がそう言いながら辺りを見渡すと、そこには由里子がやった三人と、金髪の男がのびたままとなっていた。
「あれ? どうなってんだ?」
「私が来た時にはこの状態だったけど」
「そっか……何か、学校のジャージでリスのお面つけたやつが助けてくれたとこまでは覚えてるんだけど……」
由里子は何とも腑に落ちない様子で首を傾げた。気を失う直前までハッキリと覚えているなんて、凄い脳みそだ。八重葉はそう思った。
そして八重葉は悶々と考える。
それにしても由里子が気を失っていたお陰で思い切りやれたわ。悪鬼族のあの金髪ハゲの相手だって力を出さなくてもビンタ一つで対応出来たけど、人間離れしている攻撃をされた時、それを簡単にいなしてしまったら私が人間じゃないって疑われちゃうもん。
素性がバレる事自体は特に問題じゃないけど、その後がめんどくさいわ。吸血鬼と知られた後、何の目的でここへ来ているかの説明をして、すんなりそれを実行させてもらえる? それは、否。間違いなく由里子は阻止してくるはず。何せ私に初恋の気持ちを吸われたら、二度と恋をしなくなっちゃうんだからね。
「おい九家月、それ本当か?」
「?」
八重葉は由里子の言葉を受け、目を丸くした。何の事を聞かれているのか検討がつかなかった。が、ペットに耳打ちをされた。
「ダブルクローバ、今考えていた事、全部口から出ていましたよ」
「!?」
由里子は、トイレの壁にめり込む悪鬼族の男を見た。
「あれやったのもお前なんだな。あいつは人間じゃなくて、お前も人間じゃない。……人間の初恋を吸いに来た吸血鬼」
「……」
この短時間で全てバレてしまった。八重葉は静かにペットを見る。目を合わせたペットは、静かに目を閉じてしまった。
フォローする事も拒まれてしまった以上、八重葉はもう開き直るしかなかった。
「そ、そうなのよ。私は吸血鬼で、殺されそうになったあなたを助けたのも私。ここへ来てすぐに、あなたがあの正孝って男に恋をしているって分かったから、跡をつけてたのよ」
すると由里子は顔を真っ赤にさせた。
「わ、私が正孝を!? ば、ばか言え! あいつの事なんて、す、すすす、好きじゃねえし!」
「……」
「……」
そのバレバレな反応に、八重葉とペットは冷ややかな視線を送った。
「今ので確信したわ、あなたは恋をしている。あとはそれが初恋なら、吸わせてもらうわ」
「や、やだよ! 吸わせたらその後二度と恋しなくなっちゃうんだろ!?」
「……」
「……」
またしても冷たい視線を送る。八重葉もペットも、全く同じ事を考えていた。
ーーこいつ、意外に乙女……。
八重葉は問答無用で、由里子のそのココロを吸おうとした。
「あんたには悪いけど、吸わせてもらうわよ!」
「や、やめろ! てか正孝の事別に好きじゃねぇし!」
「待てコラー!」
逃げる由里子にそれを追う八重葉。二人は公園の外まで走っていってしまった。そしてそれを見つめるペット。
すると、
ーーパシーン!
ペットの脳天に雷が落ち、彼女はパタッとその場に倒れてしまった。
「忘れていました……」
ーーーーーーーーーー
翌日放課後、八重葉が帰ろうとした時、由里子に呼び止められた。
「おい九家月、この後何か用事あるか?」
「え、別に無いけど。……まさかココロ吸わせてくれるの!?」
「ちげーよ! ちょっとさ、二人三脚の練習手伝えよ。昨日のお礼もしたいしさ」
一体どういう風の吹き回しだろう。昨日はあんなに嫌がっていたのに。てかめんどくさいなあ。
八重葉はそんな事を考えつつも、悪鬼族の男に目を付けられていた理由を聞いていなかった事と、何より「お礼」という言葉につられて首を縦に振った。
「お、サンキュー! 実は私とお前が二人三脚のペアなんだよ、さっき職員室で調べて来た。それと、縛る紐も借りて来た」
「ひ、ひひひ、紐ぉ!? 縛るって、一体何するつもりよ! この変態!!」
「あ、足結ぶに決まってんだろ! 何考えてんだよ!」
八重葉は顔を真っ赤にした。するとペットは静かに言葉を漏らした。
「これは恥ずかしいですね、ダブルクローバ」
すると八重葉は、これ以上にない程に顔を真っ赤にしながらも、飽くまで冷静を装った。
「あ、ああ、足をね、なるほどね。そ、そうよね、足を、結ぶのよね。フフフ、そういう手もあるわね、知ってた知ってた」
「ダブルクローバ、この女からする初恋の香りが強くなっています。昨日はああ言っていましたが、やはり間違いなさそうです。私が思うにこの女、正孝とかいう男に以前告白をして破れているのでしょう。それで、この二人三脚で一位を取ることが出来れば、その返事を考え直してくれると、そう言っていたのかと思われます」
ペットがそう言うと、八重葉は「うん」と頷き、小声で囁く。
「その推測が当たっていたら、私は由里子に一位を取らせて、正孝と成就した瞬間にその恋を吸えばいいのね」
「その通りです」
二人はグラウンドへ出て、足を結ぶ。
「ちょ、ちょっと近いわよ、もちょっと離れなさいよ」
八重葉はすごく迷惑そうな顔をしている。
「無理に決まってるだろ、二人三脚なんだから。それじゃあいくぞ、内側からな」
オレンジに染められたグラウンド。
「オッケー!」
その一角でジャージに身を包んだ二人。二人の始まりを告げる、記念すべき息を合わせた第一歩目。
「せーの!」
「せーの!」
二人は、盛大に顔から転んだ。
ーー続く