セプトンブル家のダブルクローバ様
朝の教室は騒がしい。それはどこでも同じで、この八重葉を迎え入れる教室もまた、非常に騒がしくなっていた。しかしこの騒がしさも、大抵は教師が入ってくると収まるものだ。
が、「はーい、それじゃあホームルーム始めるわよー!」と、先生が入って来ても、結局騒がしいままであった。教師が気の弱そうな若い女性だという事が一番の原因らしい。
「席に着いてー! 今日は編入生がいます。九家月さんどうぞー」
「はい」
教室を見渡す様に入る八重葉。こんなに大人数で勉強してるのか? 率直にそう思った。生まれてこのかた、勉強はマンツーマンでしか行った事がないのだ。そう思うのも当然である。
教室の男子からは「お、可愛いんじゃね?」「俺タイプかも」「彼氏いんのかな?」「クラスの女子より可愛いよな」等など、八重葉への感想が寄せられた。
「はいはい皆静かにして下さーい! それじゃあ九家月さん、自己紹介をお願いします」
「あ、はい。九家月八重葉と言います。えーと、お父さんの転勤で、この学校へ来ました。宜しくお願いします」
八重葉が予め決めておいたセリフを言うと、ペットはぼそりと言葉を漏らした。
「何のオリジナリティも無い、完璧な台本通りのセリフでした。流石です」
「それ褒めてんの?」
「えーと、それでは、九家月さんは、あそこの素暴さんの隣の席に着いて下さい。窓際のあの席です」
教師が促すと、八重葉は「素暴?」と目を丸くした。
「はい、素暴由里子さん、あそこの、ジャージで寝ている女の子です」
「分かりました」
席に着くなり、机に突っ伏す隣の子に挨拶をした。
「素暴さん、これから宜しくね」
「何だようるせーな、静かに寝かせ--! お、お前は!」
寝ていた女の子は先程ケンカしたばかりのギャルだった。ジャージを着ているのはワイシャツが汚れてしまったからだろう。
「あ、あー! あんたは! 何であんたがここにいんのよ!」
八重葉は由里子の目の前に人差し指を突き出した。すると由里子はそれを、パシッと振り払って声を荒らげる。
「お前こそ、何でいんだよ!」
「わ、私はお父さんの転勤よ!」
間髪入れずに、由里子は八重葉のセリフを、わざとふざけて復唱してみせた。
「あたしはお父さんの転勤よぅ」
「ウッザー! 何なのこいつ!」
そんな二人を見つめる先生はとても満足そうで、「あらあら二人とも仲がいいのね、良かったわ」と満面の笑みを浮かべている。そしてそのままホームルームへと入った。
ホームルーム内容は、今度の体育祭で何の競技をするかの報告。どうやら二人三脚走をするらしい。
八重葉は「二人三脚? 体育祭??」と目を丸くしている。すぐにペットがこと細かく解説するが、全く伝わらない。そんなもののどこが楽しいのだろう? どこかを鍛える為にやるのか? どうでもいいけどめんどくさい。と八重葉の頭の中では、この三つの思考がぐるぐるぐるぐると、ひたすらに巡っていた。
「先生、あたし二人三脚パス、やらないから」
由里子だ。足を組んで頬杖をついて、意欲の無い事を全面にアピールしている。先生は必死に参加するよう頼んではいるが、由里子が首を縦に振る気配はない。
八重葉も、やらない選択肢もあるのか!? と微かに光明を見たが、そのビクついた反応からペットに心を読まれ、「学校のルールに従わなければ、即永住です」とボソリと呟かれてしまった。
八重葉はそれを聞いた瞬間から憂鬱になり、外の景色に目をやった。晴れ渡る空に広いグラウンド。風に踊る木々たち。とても優雅である。
それらをゆっくりと落ち着いた気持ちで眺める彼女は、端から見ると可憐な少女に映っているのかもしれない。しかしこの女、内心では全く逆の事を考えていた。
ーーああ、暴れたい。今すぐ体を動かしたい。どこかの軍と一戦交えたい……。
元々戦闘種族なのだ、そんな事ばかりが八重葉の脳内を占拠する。
景色を眺めている後ろでは、「出て下さい!」「絶対にやだ!」のエンドレスリピートが再生されている。
……うるさいなあ。
八重葉は聞こえていないフリをするが、真後ろから聞こえる由里子の声が癇に障って仕方がない。
いよいよ我慢の限界が来て、由里子に食ってかかろうとしたその時、後ろの席から男子の声が聞こえた。
「由里子、お前が二人三脚走で一位取れたら、考え直してもいいぞ?」
後ろを見ると、メガネを掛けた短髪イケメンがそこにいた。名札には「古賀」と記されている。振り向いた八重葉と目が合い、イケメンは「どうも、古賀正孝です」とウインクをして見せた。
「ーーっ!」
瞬間的に八重葉の足先からつむじまで、ゾゾゾゾっと寒気が走った。思わず直ぐに体を前に戻す。そしてまた、軽く全身を震わせて小さく呟く。
「うう、気持ち悪っ」
その身を震わせながら八重葉は、何を考え直すのだろう? そうも思ったが、今は何より先生とギャルの問答が収まった事が嬉しかった。
由里子は正孝に向き直ると、「ほ、本当かよ?」と改まっている。
「この前の返事って?」
八重葉が由里子へ問うと、由里子は顔を真っ赤にさせ「お、お前には関係ないだろ」と、ぷいっとそっぽを向いてしまった。が、すぐに正孝が口を開く。
「こいつ、この前俺にさ……」
「だーー! うるさい! 言うな!」
由里子は正孝に立ちかかって本気で止めようとする。
そしてそんな二人を見て、ペットは静かに呟いた。
「なるほど、ダブルクローバ、分かりました。この女、この正孝とかいう男に恋をしているようです」
「んーーーー!?」
八重葉は思わず大声を出しそうになったが、両手で口を塞いで咄嗟に抑える。しかしそれは思い切り漏れていたようで、その奇妙な動作と声によりクラス全員から注目を浴びる羽目となった。
由里子と正孝も訝しげな表情で見ている。
こ、こいつがこいつをー!? 嘘でしょー! そう思いつつ、八重葉は目を大きく見開いたまま、そして口を塞いだままその二人への視線を交互させた。
その時、チャイムが鳴った。
「はーいそれではホームルームを終わりまーす。素暴さんもよろしくねー!」
「あ、ちょ! 私まだ出るって決めたわけじゃ……」
そのチャイムをいい事に、先生は由里子の言葉を最後まで聞くことなく、急いで出て行ってしまった。由里子は立ち上がって出口の方へ腕を伸ばして固まっている。
「諦めろ不良ー」
後ろから正孝が笑いながらに言うと、由里子は、「不良じゃねえよ!」と不貞腐れながら席に座った。
「ダブルクローバ、あの女を説得してみては如何ですか?」
ペットが耳元で囁く。すると八重葉は、小声で、しかし口調だけは叫ぶ様に反論する。
「はぁ!? 絶対嫌よ! 体育祭とやらに出るのすら嫌なのに、その上何であいつを説得しなくちゃならないのよ! めんどくさい!」
「私は別に構いませんが、あの女からする、初恋の香りが気になったもので……」
ペットはそう言うと、メイド服のスカートからおもむろに折り畳み椅子を取り出し、八重葉の隣にそれを設置させて腰を落ち着かせた。
「……どうやって入れてたのよそんな物」
八重葉は迷惑そうにそれを見て、少し席を離した。
ーーーーーーーーーー
一日の授業も終わり、放課後には数人の女子から部活の勧誘を受けた八重葉だったが、全てを断った。理由はもちろん、面倒だから、である。
そして、ペットの提案により少し遠回りをしてはいるが、現在帰宅中。数十メートル先に由里子が歩き、その跡をつける八重葉。由里子を尾行し、正孝の事を想っているかどうかを調査しようと言うのだ。
ペットとの話し合いの結果、現在初恋をしている人を他に見つける方が難しいかもしれない、という事になり、可能性のある由里子にターゲットを絞ったのだ。
先を歩く由里子に悟られる事なく、ひっそりと跡をつける。
しかし八重葉は一切身を隠そうとしない。と言うのも、見事に変装をしているからである。
服装こそ学校のジャージではあるが、顔はバレないように、おもちゃ屋さんで見つけた、“おじさんが笑っている奇妙な半透明のお面”を装着しているのだ。お面の効果か、何人たりとも八重葉には気付く事なく、誰の視線も感じない。正に完璧! ……本人だけがそう思っていた。
実際には、すれ違う人々は八重葉を怪しむ様に釘付けとなり、同じ方向へ進む人は八重葉から離れて歩いていた。
八重葉はその効果の強さ(※本人の妄想。)から思わず、「クククク」と顔の右半分を片手で覆うように笑うものだから、近くにいた子供が泣き出してしまう一幕もあった。
ちなみにペットもお面を買ったのだが、こちらは可愛いリスのお面であった。服と同じ様に、ペットが手にすると周りからも見えなくなってしまうようで、「これは便利ですね」とペットは消えている事に利便性を感じ始めていた。
そうこうしていると、由里子はある小さな公園へとやってきた。そこには他校の制服に身を包んだガラの悪そうな男が四人おり、忽ちに由里子を囲んでしまった。
すると一人が由里子の胸ぐらを掴んで、殴りかかろうとした。ーー瞬間、由里子はその手を振りほどいて、腰を落としてみぞおちに正拳を入れた。そのスピードは、八重葉に「おお、やるぅ」と言わしめるほどでもあった。
何故そこに来て突然ケンカが始まったのかなんて皆目検討もつかないが、八重葉とペットはそれを草むらに隠れて見ていた。
由里子が三人を地に沈めたところで、ずっと様子を眺めていた四人目が制服を脱ぐと、ゆっくりと由里子へと近付いた。
身長は由里子より少し高め、男子としては若干低めである。髪は金髪の坊主で、耳にはいくつもピアスを開けている。他の輩とは明らかに違う出で立ちをしている。
しかし由里子は怖気付くどころか、その男の顔面へ拳を突き出す。しかし、
ーーパシン!
男は何なく片手でそれを受け止めた。
こいつ、出来る……! 由里子がそう思った瞬間、今度は由里子の顔目掛けて男の拳が飛んで来た。
「くっ!」
由里子は間一髪で首だけを傾けて躱す。由里子の髪が男の拳を撫でる。すると男は口を開いた。
「ほう、これはなかなか。流石は藤原を病院送りにしただけの事はあるな。しかし、これはどうかな?」
そう言うと、男の目は紅く小さくなった。
「ペット! あれ!」
叫ぶ八重葉。
「ええ、どうやら修行の為に降りて来ている吸血界の者ですね。止めるなら、このお面を」
そう言ってペットは、今まで自分がしていたリスのお面を手渡した。
「何でこれなの?」
「そのおじさんのお面は半透明なのでバレる危険性が。……何より、スーパーダサいです」
「……失礼しちゃうわね」
八重葉はそう言うと、地面を思い切り蹴って男へ急接近する。その速度は人間では捉える事が出来ない程だ。八重葉はその間、自分のお面を外しつつリスのお面を装着する。
すでに繰り出されている男のパンチは、由里子の腹部を狙っているようだ。
ーーここまでするなんて、こいつ、悪鬼族か? 八重葉はそう思った。
悪鬼族とは、吸血鬼としての力は殆ど持っていない種族の事である。力がない故、勝つ為には手段も選ばない非道な集団とされている。
力が無いと言っても、容易に人間をバラバラにしてしまう程の力は十分にある。これが由里子に当たれば、間違いなく彼女の体は……。
ガギィィィィィーーーーン!!
辺りに、とてつもなく大きな轟器がぶつかり合った様な音が響く。
八重葉の拳が、その男の拳を弾いていた。
由里子の体は、八重葉が片手で半身抱く様に支えている。
男は口を開く。
「……くっ! お前、何者だ!?」
「セプトンブル家のダブルクローバ様だよ」
八重葉がお面から覗かせ睨み上げるその目は、真っ赤に、そして鋭くなっていた。
ーー続く