サンタを迎えに行く夜
よろしくお願いします。
私は玄関でスーツケースを持ち、ウールコートを羽織った父を見送っていた。
「理恵、おみやげ何がいい?」
「ケーキ!」
「僕はタンドリーチキンがいい」
人情味溢れる顔つきの父は私達に微笑んで、出て行く。
「わかった、行ってくるよ」
これが父との最後の会話になると思わなかった。私の父である平野太一が飛行機の事故で38歳の若さで亡くなった。出版社に文学の編集者として勤務していて、取材の為に滅多に乗らない飛行機に搭乗していた。何て運の悪いことか、整備不良による突然の悲報だった。
私を含めて母の千穂、弟の翔の3人は現実を受け入れる事が出来ずに、途方に暮れていた。大勢の人々が太一の通夜、葬儀に参列してくれた。ただ茫然とするばかりで、遺族である私達は悲しむゆとりすらなかった。
その後、3年の月日が経ってから、じわじわと私達家族の悲しみが溢れるように出てきた。我が家には完全に笑顔が消えて、千穂が頻繁に太一を思い出しては涙を溢す機会が増えた。酒量が日に日に増えて家事もまともに手に就かなくなった。ついに千穂は心療内科に通院を始めた。私も翔も気まずくなり、明るい話題を提供する場合ではなくなった。皆暗い顔で過ごして、前向きに何かをしようという姿勢は自然となくなった。
私は埼玉県立の高校に入学して、ごく普通の女の子として振舞っていた。授業が終わり、生徒たちは駐輪場でたむろしていた。マフラーや毛糸の手袋をしている人が多かった。私は鞄を籠に入れて、帰る準備をしていた。
「皆でカラオケ行くけど、理恵ちゃんも来る?」
私は躊躇したが、すまなそうに断った。
「ごめんね、ちょっと用があって」
私は女子グループに手を振って、自転車をこいだ。
「またね、バイバイ」
私が去った後、女子たちは何やらひそひそ話しているようだ。
「つきあい悪いね、もう誘うのをやめようか」といった所かと私は推測した。
私は友人達の誘いをほぼ断って、すぐに家に帰っていた。なぜなら、千穂の代わりに私が家事をしなくはならなかったからだ。この事はクラスメイトには話さなかった。下手な同情を買うぐらいなら言わない方がいいと私は思っていた。
家に戻り、私はお米を研いだり、大根、人参といった野菜を切ったりして夕食の準備に追われていた。生活費の方は航空会社の賠償金と太一の生命保険で何とかなったが、家族のメンタル面が一番の問題だった。
「あなた、ご飯何がいい? 理恵が作ってくれていますよ~」
千穂は一人で、毎日のように太一の遺影に向かって、ぶつぶつ独り言を呟いていた。返信される当てのない太一宛ての手紙もしばしば書いていた。ひどい時は家の外でも奇声を発しており、近所の人からは当初は同情されていたが、次第に気違い扱いされていた。太一の残してくれた都内の一戸建てに居づらくなり、埼玉県さいたま市の千穂の実家のアパートの近くへと引っ越した。中学生の翔が無言で帰ってきた。丸坊主で中学校では野球部に所属していた。
「お帰りなさい・・・何か言ったら?」
翔は私を無視してリビングでテレビを見始める。翔の頬に微かに傷がついていた。千穂の奇行が学校でも噂になっていたのは私も知っていた。翔もその事で愚痴を言ってくる事はなかったのだが、内心では相当傷ついていた筈だ。お互いに干渉はしないようにしていた。
私のクラスでは流行りの音楽や映画、漫画の話等で盛り上がっていた。趣味を楽しむ精神的ゆとりはなかったが、多少は周囲と合わせなくてはと私は焦っていた。私は数人の女子のグループに話しかけた。
「どんな歌流行っているの? 次はカラオケ誘ってね!」
女子グループは私の顔を見て、一瞬会話を止めた。一人が私に冷たく言ってきた。
「理恵ちゃん、忙しいんでしょう?無理しなくていいよ」
私は反応に困り、頷くのが精一杯だった。
「う、うん」
私は仕方なく自分の席へと戻った。周囲は依然として会話を楽しんでいる様子だ。一人で本を読んでいた河原淳平は私の方をちらっと見ていた。私はすぐに淳平から目を反らして立ち上がった。
クラスに居場所が無くなってきた私は、憩の場所である図書室へと向かっていた。図書室で私はブラックジャックの文庫本を読んでいた。言わずと知れた手塚治虫の生命の尊さを描いた名作の漫画である。これだけは素直に読んで感動する事が出来た。淳平が来て、恥ずかしそうに私に声をかけた。
「人に合わせるのって面倒くさいよね?」
淳平は手に太宰治の人間失格を持って、読み出す。私は隣の席に座る淳平を見て、言った。
「読書好きだね、河原君って」
「人と群れるよりかは本を読む方が遥に楽しいよ」
「ハハ、そうだね」
淳平はクラスで男子の友達はいなく、変わった奴と見なされていた。眼鏡をかけていて黒髪を前に垂らしていて、いかにも真面目な男子だった。悪く言えばオタクっぽいという印象もあった。だが、私にとっては逆に接しやすい存在だった。図書室での交流で淳平との距離がだいぶ縮まってきた。
翌週には自転車で一緒に帰る仲になっていた。田園地帯の道路をゆっくりと話が出来る程度に疾走していた。淳平は私に訊ねた。
「平野さんはバイトしているの?部活、やっていないよね?」
「してないけど、うちさ・・・母子家庭だからお母さんの手伝いしているの」
淳平は感心している様子だ。
「偉いね、平野さんって」
「そんな事ないよ」
木枯らしが吹いて、私はマフラーが飛ばないように強めに首に巻きつけた。集団で下校する男子グループを前方に見つけた淳平は私に不思議そうに話す。
「皆、何で群れたがるんだろうね? 群れから外れる奴は変人扱いされて、何かおかしいよね?」
「仲間が欲しいんじゃない?趣味を共有して楽しめる仲間が」
「僕、そういうのは疲れる・・・話に入っていく為にいろいろな情報チェックしたりするのがおっくうでさ~」
「河原君ってB型?」
「そうだよ、よくわかったね?」
「何となく」
私はすました顔で言った後、淳平と交差点の信号周辺で別れた。
「じゃ、またね!」
私は笑顔で淳平に手を振り岩槻方面へ向かい自転車をこいだ。
「じゃあね」
淳平が止まったまま、遠くから私を愛おしい目で見ているのがわかった。淳平は私に恋心を抱いているのか、と私は勝手に推測した。
告白されたとしても、つきあう余裕などはなかったけど、気にしてくれている人がいるだけで私は嬉しかった。中学時代も男の子から告白された経験は3回位あったが、彼氏作るには時期早々と思い、断っていた。
夕方、スーパーで買い物した帰りだった。セールになっている天ぷらやサラダといった惣菜を買い込んだ私は通学路で翔が複数の同級生達から苛められているのを目撃してしまった。
「お前の母ちゃん、気違いだろう?」
「違うよ、病気なだけだ」
「似たようなものだろうが!夜中に大声で叫んで迷惑だよ!」
「うるせえ!黙れ!」
翔は蹴りを入れるが、大勢で逆襲されてしまう。私は走り寄って、殴られたり蹴られたりしている翔を助ける。
「やめなさい!! あなたたち!!」
私に怒鳴られて、中学生達は逃げていく。翔は座り込み、黙ったままだ。
「翔、大丈夫?」
「あっちいってよ」
ぶっきらぼうに言う翔だが、私は腕を掴んで
優しく翔に言った。
「お姉ちゃんと一緒に帰ろうよ・・・おかずもいっぱい買ったからね」
翔は反抗することなく、私と一緒に歩いて帰った。
家に戻り、千穂が缶チューハイを飲んでいた。顔は真っ赤になり、呂律が回っていなかった。
「あ、あら~お帰り・・・も、もっと・・・お酒買ってきてよ~エヘヘ」
「お母さん、お酒はもう終わり!」
私はきつめの口調で千穂に言い放った。
「な、なんでぇ~買ってきてよ~」
翔の怒りが爆発して鞄を床に叩きつけた。
「お前のせいだ!くそ婆!」
「くそ婆だぁ~親に向かってぇ~」
千穂は空き缶を翔に向かって、ぶん投げる。
「やりやがったな!」
翔は机や椅子を蹴っ飛ばして、私と千穂を威圧した。
「やめなよ、翔!!」
「うるせえ! 俺がどんな思いしているかわかっているのかよ!」
私は必死に暴れる翔を止めた。腕に傷が出来てしまい、ひりひりと痛みが走る。
「あなた、翔が家庭内暴力を・・・たすけて
おくれよ~」
千穂は太一の遺影に向かって、またしても独り言を呟きだした。私と翔は諦めた顔になり、千穂から離れた。
夜になり、私は腕の傷を庇いながら、お風呂に浸かっていた。温泡を入れて、身体の芯から温めた。私の身体は胸もふくよかになりだいぶ大人へと成長していた。ぼ~としながら湯船に浸かっていると窓から雪がぱらぱら降ってくるのが見えた。曇った夜空を眺めながら、私はみるみる落ち込んだ顔になっていく。何で私だけ嫌な想いしなければならないの?誰か助けてくれる人はいないのか?私の眼から涙がとめどなく溢れ出てきた。太一の生きていた頃の記憶が蘇ってきた。多忙で滅多に家にはいなかったけど、帰ってきた時は家族皆で楽しく食事をしていた。クリスマスには必ずケーキとチキン、プレゼントを買ってきてくれた。おしゃな洋服も一緒に買いに行ってくれた、小さい頃は寝る前に絵本を読み聞かせてくれた優しい太一。もう、あの日は帰ってこないのかと思うと私の心はこの風景のように寒く、凍りついたままになっていた。
私は誰かに心の内を話したい衝動に駆られた。中学の友達は引っ越ししてから疎遠になっていたので、高校で一番身近な存在になりつつあった淳平に家の事情を話してみた。私の家の事情を聞いて、淳平は心の底から私を心配してくれた様子だ。
「ありがとう、平野さん。嬉しかったよ」
「え、何で?」と私は淳平に訊ねた。
「僕、人から悩みを打ち明けられた経験ないからさ」
他人なんてどうでもいいと言っておきながら、
やはり他人に頼られると人間というものは嬉しいものだと私は痛感した。
「まずはお母さんを元気にしないとね」
淳平は何やらアイディアが浮かんだ様で私にひそひそと言った。
私が台所で洗い物をしていると、千穂は手紙を見て、大喜びしていた。
「お父さんから、返事来たよ~」
「え、どういう事?」
「天国から手紙くれたのよ」
「おふくろ、大丈夫?あ、前からか?」
翔は首を傾げていた。私は翔の耳元でこっそりと真実を話した。千穂を少しでも元気にするようにと私がお父さんからの手紙を偽装して、書いていたのだ。便箋に次の言葉を書いてみた。
「母さん、いつも手紙ありがとう! 天国から毎日理恵、翔の姿を見ているよ。お父さんがいなくても元気に前向きに生きてね」
千穂は次第に元気になり、少しずつ家事をするようになった。これをきっかけに元の明るい家族に戻りたいと私は願った。
すっかり冬になり冷え切った朝、ポストに手紙が投函されていた。千穂が嬉しそうに手紙を読んでわくわくしていた。
私はベランダで洗濯物を干していた。千穂が
すごい勢いで駆けつけてきた。
「お父さんからよ、お父さんは生きていたのよ~」
「え、何? 見せて」
私は驚いて手紙を読んだ。
「今まで、迷惑かけてすまなかった。実はお父さんは奇跡的に生きていた。怪我も治り、ようやくクリスマスイブに皆に会いに行けるよ!!」
誰かのいたずらかと私は思った。こんな内容の手紙、私は書いた覚えはない。淳平に聞いても知らないと言われた。
クリスマスイブの夜に私と千穂、翔は待ち合わせ場所の大宮駅前に向かった。寒波が訪れたようで大粒の雪が降ってきて、瞬く間にアスファルトの地面が白くなっていく。大宮駅前ではクリスマスイブで大賑わいだった。広場には大きなクリスマスツリーが建っていて、家族連れや恋人同士が買い物をしたり、楽しそうに食事をしたりしていた。しばらく待っても誰も来る気配がなく、私は千穂にしびれを切らして言った。
「もう、帰ろうよ。誰かのいたずらよ」
「帰ろうぜ」と翔も言う。
「え~来るよ~お父さんは!!」
私は迷ったが真実を千穂に告げた。
「実はあの手紙は私が書いたの!本当はわかっているんでしょう?いつまでも狂った振りはやめなよ!」
千穂は泣きそうな顔で私を見詰めながら言う
「だって・・・そう思わないと・・・」
私は千穂の両腕を掴みながら、説得した。
「お母さん、現実を受け止めて、皆で頑張って生きようよ!」
「そうだよ、俺達も頑張るから」
千穂は何も言えずに俯いたままだ。涙が頬をすーと流れている。
私はくしゃみをして、ハンカチで鼻を拭いた瞬間に数メートル先にサンタが現れて、私に向かって近づいて来る。私の心臓は早鐘を打ち出した。
「メリークリスマス!!」
プレゼントを渡されて、私は何が何だかわからなかった。
「誰? 本当にお父さんなの?」
サンタのマスクが取れて、40代の中年男性が現れる。どこかで見た記憶がある。淳平がサンタの後ろから出てくる。
「河原君? どうして?」
「僕の親父だよ」
「久しぶりだね、理恵ちゃん! お父さんの
葬儀以来だね」
私は思い出した。お父さんが担当していた作家の人だった。しかも、淳平のお父さんだなんて何てこの世は狭いのだろうか。
駅前のファミレスに入り、私達家族と河原親子はコーヒーを飲みながら、しみじみと昔話をしていた。
「びっくりさせてごめんね。淳平から話を聞いていたたまれなくなってね」
コーヒーを一口すすって河原は私と千穂、翔に向かって話を続ける。
「理恵は自慢の娘だと生前話していたよ。明るくてとても気立てのいい子だって」
私は照れ臭そうな顔になった。
「いいえ、とんでもないです」
「良かったら、プレゼント開けてみて」
私は袋から中身を取り出した。
ワープロで書かれた生原稿が出てきた。
内容は敏腕編集者が主人公で家庭を顧みずに仕事に没頭していたが、ある日謎の天才文学少女が小説の持込みにやってきて、主人公の心境に変化が起こるというファンタジーだった。
「お父さんをイメージして書かせてもらったので、もし書籍化された場合、印税はいくらかお支払しますので」
「うちの主人が本に・・・ありがとうございます」
千穂は感激した様子で、河原に深々と頭を下げた。
「いいえ、そんな・・・」
私は遠慮がちに河原を見詰めて言った。
「気持ちだけいただきます」
「でも、私にできる事はこれぐらいだから」
「本当に気を使わないで下さい。生活にはさほど困ってないですし」
「そう・・・」
残念そうな顔になる河原。
「是非、出版化させて下さい。陰ながら応援していますので・・・父の想いを読者に伝えて下さい」
「ありがとう、理恵ちゃん」
淳平は携帯で誰かと話している様子だ。
「こっち、こっち・・・」
淳平は入口付近で誰かを誘導している。
私のクラスメイト達がぞろぞろと大勢入ってきた。
「こんばんは!!メリークリスマス」
クラッカーがパーンと鳴り響く。
淳平が嬉しそうに私を見詰める。
「平野さん、これからパーティだ!たまには弾けようぜ!」
驚きのあまりしばらく声が出なかったが、ようやく私は皆に笑顔を見せて、3年ぶりに心の底から楽しむ事が出来た。
完