表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

わたしと庄司くんがキスをするまで 中編

 次の日雨は止んだけれど、庄司くんは学校を休んだ。その次の日も。

 ……また明日って言ったのに。

 わたしは鞄の中に入っている庄司くんから借りた傘を、何度も見ながら心配になる。

 風邪でもひいたのだろうか? 庄司くん、雨の中濡れて帰ったから。

 だけどわたしの心配をよそに、次の日庄司くんはケロッとした顔で登校してきた。

 具合が悪かったわけではないらしい。なにやら家の都合だとかなんとか話しているのが聞こえた。


 そしてその日わたしは、朝から庄司くんに傘を返すチャンスをうかがっていた。

 だけどなかなかタイミングがつかめなくて、結局放課後になってしまった。


 授業が終わり、教室を出て行く庄司くんを見つけた。

 わたしは傘を取り出し、急いで追いかける。

「庄司く……」

 名前を呼びかけて口を閉じた。廊下で女の子が庄司くんに声をかけて、何か話している。そしてそのまま並んで歩き出し、廊下の向こうへ消えていった。


 わたしは小さくため息をつく。そして黒い傘をぎゅっと握りしめる。

 何やってるんだ。何やってるんだ、わたし。

 いつの間にか庄司くんに振りまわされている自分に嫌気が差して、傘を持ったまま教室へ戻った。

 するとクラスの女の子がわたしに声をかけてきた。もうすぐ行われる卒業式の実行委員の子だ。三年生を送るために、わたしたち二年生がいろいろ準備している。


「ごめん、委員長。今日何か用事ある?」

「え、別にないけど」

「お願いがあるんだ。あたしこのあと部活のミーティングがあって……でもこれ、明日までに終わらせなくちゃなんないの」

 彼女が印刷してきたプリントには、卒業式で歌う曲の歌詞が書かれていた。それをすべて半分に折る仕事が残っているのだという。

「いいよ。わたしやっとくよ」

「ほんとに! たすかる。ありがとう!」

 こういうことはよくあることだった。学級委員は実行委員と協力して、いろいろな行事をこなしていかなければならない。

 貧乏くじ引かされている気がしないでもないけど、密かに誰かのためになるのなら、このくらい簡単なことだ。


 ひと気の少なくなった教室で、席に座ってプリントを折り始めた。

 量は多いけれど、どうせ家に帰ってもやることないし、のんびりやるか。

 そんなことを考えながら、黙々と紙を折る。いつの間にか教室内には誰もいなくなり、窓からは夕陽が差し込んできた。

 こういう静かな教室が実は好きだ。こういう地味な作業もけっこう好き。

 その時いきなり教室のドアが開いた。

 少し驚いて顔を上げると、真っ直ぐこちらへ向かってきたその人が、わたしの前の席に座った。


「庄司くん? なんで?」

「なんかさっき、委員長に呼ばれたような気がしたから」

 庄司くんはそう言ってわたしに笑いかけると「これひとりでやるつもり?」なんて言いながら、プリントを半分に折り始めた。

 わたしはしばらくぼんやりと、庄司くんの指先を見つめていた。けれどハッと思い出して、自分の鞄の上に置いてあった傘を手に取った。


「庄司くん。これ」

 庄司くんが顔を上げる。

「ありがと。すごく……助かった」

 折りたたみ傘を差し出すと、庄司くんはそれを受け取ってわたしに笑いかけた。

「どういたしまして」

 わたしはあの日のことを思い出して恥ずかしくなる。あの日、庄司くんの前で泣いてしまったことだ。

 傘を自分の鞄へしまうと、庄司くんは黙ってまた作業を始めた。

「あの……手伝ってくれるの?」

「うん。だってこんなにたくさん、ひとりじゃ大変だよ。みんな見てみぬふりしてひどいよな。てかおれもずっと、委員長に任せっきりだったけど」

 ちらりとわたしのことを見て、庄司くんが言う。

「ごめん。今までもわかってたのに、手伝ってあげなくて」

 机を挟んで向かい合う、庄司くんとわたしの距離は近い。


 どうしたらいいのかわからなくなって、わたしも黙ってプリントを折った。

 夕焼け色の静かな教室で、わたしと庄司くんはただ黙々とそれを続ける。


「委員長はさ、おれのこと怒ってるよな?」

 突然庄司くんの声が響いた。

「え?」

「おれのこと、ムカついてるだろ?」

 顔を上げて庄司くんを見る。庄司くんも手を止めて、わたしのことを見ている。少し真面目な表情で。

「別にムカついてないよ?」

「嘘だ。おれのことなんか嫌いだろ? おれとのキス、全力で拒否したし……」

「そ、それは……別に嫌いなわけじゃなくて……」

「それにおれの前で……泣いたし」

 言葉に詰まった。わたしがあの時、泣けてきたのは……。


 庄司くんが黙ってしまった。わたしも黙ってしまった。

 ふたりでしばらく黙り込んだあと、また庄司くんが口を開いた。


「おれさ、小六まで海外に住んでたんだけど」

「えっ?」

 思わず顔を上げて庄司くんを見る。

 聞いてない。そんな話聞いたことない。

 でもそう言われれば、やけに英語の発音がよかったような気がする。

「ちょっと待って! 庄司くんって帰国子女だったの?」

「そんなカッコイイもんじゃないよ」

「だからキスは挨拶みたいなもんとか、そんなこと言ってたの?」

「まぁ、そういう環境で育ったからね。それにうちの両親、息子の前でも平気でベタベタちゅーちゅーしてるし。だからそういうのに抵抗ないっていうか」

 庄司くんは確かめるようにわたしを見て、それから言った。

「でもそれって、ちょっと普通じゃないのかもって最近気づいた」

 確かに庄司くんは普通とは違う。わたしにとっては理解できない人間だ。

 だけど庄司くんが生きてきた環境の中で、それが普通のことならば、わたしがとやかく言うことではない。


「おれとキスしてた女の子たちも、わかってたんだろうな。おれがちょっとおかしいこと。だから面白半分で『キスして』なんて言ってきて。おれも軽い気持ちでしてたけど」

 少し笑った庄司くんがわたしの顔を見て言う。

「でもおれ、嫌がる子にはしなかったよ?」

 うん。わたしにはしなかった。

 クラスの女の子とはしたのに。隣のクラスの子ともしたのに。野球部で坊主頭の山田ともしたのに。

 ――するわけないじゃん、委員長とは。

 だけどわたしとはしなかった。わたしが嫌がっていたから。


 また涙が出そうになって、あわてて庄司くんから顔をそむける。

「あー、ごめん! やっぱり委員長、こんなおれのこと嫌いだよな? でもおれ、もうすぐここからいなくなるから……だから許して!」

「え?」

 わけがわからなくて思わず庄司くんを見る。

 庄司くんは最後の一枚を半分に折ると、それをわたしに差し出しながら言った。

「たぶんおれ、学校辞めて海外に行く」

「な、なにっ? 意味わかんない」

 庄司くんは少し笑って、わたしの手に無理やりプリントを渡す。

 庄司くんの指先とわたしの指先が、ほんの一瞬だけ触れ合う。

「おれの父親、また海外赴任になってさ。ほらうちの両親ラブラブだから、母さんも絶対ついて行くって。そんで自動的にお前も一緒に来いって。息子の都合なんか全然考えてないんだから、うちの親」

「い、行くの? 庄司くんも……」

 庄司くんはなにも答えなかった。答えないでただわたしを見て、そしてちょっと寂しそうに笑った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ