第2項 今こそ憲法を改定せよ
偏見であることを承知で言えば。
この「いわゆる従軍慰安婦」問題において、謝罪すべきとする方々は、イコールで護憲派でもあると考えている次第だったりする。
この慰安婦問題では謝罪すべきだが、それはそれとして、現在の国家安全保障問題に鑑み、憲法を見直すべきとする人は皆無だろう。
もし、そのような持論をお持ちの方がいたら、是非とも「そこまで言って委員会」などに出演して頂きたい。
非常に面白い討論になりそうである。
さて、憲法改正の論点は前述のように第九条に集約されるケースが多い。
最近では、第九十六条も話題に出てくるようではあるが、ほとんどが第九条絡みである。
九条を守れとか、九条を世界遺産だったかノーベル賞にとか。
しかし、日本国憲法は第百三条まであるのだ。
九条ばかりをこのように持ち上げるのは、他の条文に失礼ではあるまいか。
「ずるいわ、九条ばっかり」
「本当よ、生意気だわ」
などと、他の条文が嫉妬するかもしれないのである。
かくして、九条の靴には画鋲が入れられたり、机に落書きされたり、鞄に生ゴミが入れられたりと深刻なイジメ問題が発生するのである。
そして、イジメがエスカレートして、あからさまな暴力問題にまで発展してしまう。
だが、武力を放棄した上で交戦権が認められない九条はひたすらに耐えるしかないのであった……。
あー、いかん。
しょうもない妄想が……と、えーと、ですね。
この項で言う憲法改正の対象は、九条、及び、九十六条では無いので、まずはご安心頂きたい。
前項で色々と述べた事と矛盾するようだが。
現実の話として。
日本の首相は、公約したわけでも無いのに、過去に謝罪しているんですな、これが。
ところが、現在も謝罪を主張しておられる日本国内の方々によれば、これは口先だけの偽善であると言うことになるらしい。
そして、誠心誠意を込めての心からの謝罪を主張していると。
ここで筆者が心躍らせたのは、「誠心誠意」「心からの」と言う精神分野における命題をどのように判断したか、と言う点だ。
謝罪肯定派の中には、テレパスとか、深層心理を具象化するSFな装置とか、あるいは、心の中を映し出すファンタジー魔法の使い手がいるのかっっ!?
残念ながらそうではなかった。(←当たり前だ)
今なお謝罪を主張される方々が、過去の謝罪が口先だけとする論拠は、公式に謝罪しても、その後に否定的な意見が出る事にある、とする論調のあるようだ。
まぁ、確かに、謝罪したとしても、その舌の根の乾かぬうちに前言を翻すような言動があれば、それは誠意ある謝罪とは言えないだろう。
50年談話で謝罪の言葉を述べた元首相の村山氏とか、いわゆる河野談話で日本の否を認めたとされる河野氏が、そのような言動する人だったのか……と、思ってよくよく調べてみると、それぞれ、ご本人は主張を変えたとか、そんなわけでは無いのですな。
公式な謝罪を述べた人以外の、全くの別人が否定的な意見を口にする。
これをもって、過去の謝罪が口先だけ、と言う事になっているようなんである。
まぁ、筆者個人としての感想は、ここでは触れない。
前にも述べたが、日本国が謝罪する方法がテーマなので、筆者の個人的見解は二の次である。
しかし、ハードルの高い話である。
そうすると、この問題に関して公式に謝罪するには二つの課題があると言う事になる。
つまり、日本国の首相が「誠意ある、心からの」謝罪を述べている事を、客観的に示すこと。
もうひとつは、その謝罪以降、何人も否定的な意見を表明しない事。
前者は謝罪の弁を述べている時に、ポリグラフか何かをつけてもらうなどで解決できるとして、後者が厄介である。
当人はともかく、全くの他者に否定的な意見を表明させないと言う事は、まぁ、政府要人としての、立場による制約を期待するとしても、これは相当に難しいのでは無いだろうか。
一つには期間の問題もある。
首相が謝罪した直後に、別の政府要人が否定的な意見を、などというのは論外であることは言うまでも無い。
だが、どのくらいの期間、否定的な意見が出なければ良いのだろうか?
未来永劫、否定的な意見を封じるなどと言うのは、衆知徹底させても簡単では無いし、その保証をどうやって担保するかと言う話もある。
そうなると、否定的な意見が出る可能性がある状態を放置するのがよろしく無いとして、法案による罰則を設ける事で、この課題をクリアするしかないだろう。
罰則による抑止もそうだが、否定的な意見を表明したら罰しますよ、と言う姿勢を見せるのだ。
ここで問題になるのが、日本国憲法第二十一条の条文である。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」
そうなのである。
言論の自由が保障されている以上、謝罪を成立させる為の否定的な意見を封殺する事は難しいのである。
これは、ヘイトスピーチを封じるのとはわけが違う。
この「いわゆる従軍慰安婦」問題に関して言えば、歴史的検証の言動が、そのまま否定的意見に直結する可能性が大いにあるのである。
これを表明させないようにするに色々と大変だと思う。
例えば、出版物については、検閲制度によって吟味し、否定的な意見かを判断した上で出版を許可する仕組みが必要になる。
また、例えば、集会においては、監視員を置き、否定的な意見を口にする者を即座に拘束しなければならない。
そうなると言論統制の為の組織作成や、運用する為の法案が必要になるのだが、これは現状では憲法違反になる。
だが、謝罪肯定派の方々は安心して欲しい。
幸いにして、2015年現在の首相は、改憲論者である。
つまり、憲法レベルで、「誠意ある、心からの」謝罪を成立させる絶好の機会でもあるのだ。
色々なしがらみもあろうが、「敵の敵は味方」「呉越同舟」とも言う。
ま、格言の用法の些少な間違いには、この際目をつぶって頂くとして。
是非とも、「いわゆる従軍慰安婦」を否定するような意見を圧殺して、早期な解決を目指す為にも、謝罪を主張される方々は、今と言う好機を逃す事無く、憲法を改訂すべく活動してはいかがだろうかと思うのである。
筆者個人の思いや信条は圧殺した上で、タイトル通りの方法論として、以上のように提案するもので……あれ、また誰か来たようだな。