第0項 序文……なんちゃって
まず誤解の無いように断っておく。
この「いわゆる従軍慰安婦」問題について、特に信条を述べるものでは無い。
これが、事実であったか否か。
あるいは、謝罪すべきか否かすらも、ここでは置いておく。
と、断っても、本文もろくに読まずに、前述のような論点でのアレコレを言う人はいるんだろうなあ。
えー、この問題について、事実か否か、あるいは、謝罪すべきか否かに関しては、既に多くの方が色々な資料や証言を元に議論されている。
筆者のようなレベルで、そうした議論に加われるなどとは自惚れていない。
んじゃ、何を言いたいかと言うと。
この「小説家になろう」では異世界ものの多くの優れた小説がアップされている。
魔力やなんやらで俺TUEEEな話も好きなのだが、知恵と策略、政略でチートする軍師ものがもっと好きなのである。
自分でも書いてみたいと思う。
だが、思うは易し、行うは難しで、シチュエーションなんかが全然思いつかない。
そこで、現実にある政治的な課題をネタに、あれこれ思案した結果が、これである。
そういうわけなので、「いわゆる従軍慰安婦」問題に関して、個人的に思い入れは、多分、無い。
じつを言えば、この問題が解決しなくても、個人的には全く困る事は無いのだが、それだからこそ、このネタを選んだとも言える。
もう一つは、ここ最近、謝罪肯定派の分が悪くなっていると言う印象がある。
ネット言論での潮流もそうだし、リアルでも朝日新聞が誤報を認めたり。
卑近な例では、「そこまで言って委員会」などを見ると、この問題で某田嶋氏が孤軍奮闘されており、他のパネラーからボコボコにされているようにも見受けられる。
ちなみに、某田嶋氏を味方するわけでも、同調するわけでも無い事を断っておくが、ああいう人がいないと、あの番組って成立しないとも思うのだが、それはともかく。
そういう分が悪い方に味方するような観点こそが、面白いのではないかと。
このエッセイの主旨は、タイトル通りに、『日本が「いわゆる従軍慰安婦」問題で謝罪する方法』なのである。
いかにすれば、謝罪させる事ができるか。
そして、この問題で謝罪するとは、具体的にはどういう事かと言う点に関して、その方法論などを、つらつらと述べるものである。
この案件は、色々と熟慮すると簡単な話では無い。
しかも、他人事では無いでのある。
繰り返すが、あくまでも方法論に絞る。
また、この方法論における対象は日本国内の謝罪肯定派に限定する。
肝心な隣国の意見などは、この際は、議論の焦点がぼやけるのでおいて置く。
つまり、日本国内において、この問題に関して謝罪すべきとする人々が、どのようにしたら良いか、と言う事について、妄想した結果を、臆面も無く披露するものだったりするのである。
大事な事なので二度言うが、日本が「いわゆる従軍慰安婦」問題について謝罪する、と言うその方法論について、それを最上位の目標においた、一種の思考的シミュレーション的なエッセイである。
なので、題材はアレだが、政治的な意図は皆無である。
えー、友達が呼んでるそうなので、とりあえずは、ここまで。