とある文官の分析
少年王が王になるまでと、彼に対する周りの認識をざっくりと。若干勘違い入ってるかも。
「では、そのように。四日後の会議で使用するので、それまでに資料を纏めておきなさい」
『はい、オウラ様!』
しっかりと声を揃えて返事をした文官たちに軽く頷いてみせ、濃紺色の文官服に身を包んだ青年――オウラは、己の執務室へ戻るために踵を返した。
後頭部で結んだ青い長髪を靡かせながら早足で歩くオウラに、通りがかる同僚たちが会釈していく。仕事に戻る前にもう一度己の王の尊顔を拝したい気がしたが、あの夜色の少年王は既に自室に引っ込んでいるだろう。どんな難題を前にしても一片の揺らぎもなく君臨している少年王の姿はこの上なく崇高に誇らしく感じられたが、無感動に凍て付いた目は自分たちを見る時も変わらず溶けないのだと知っているから、手放しで喜べはしなかった。
――あの少年王には自分たちなど必要ないのだろう。彼はそう考える。
女であればさぞかし愛らしい娘に成長したであろう容姿をした少年王は、しかし実際は男であるが故により一層危うい中性的な艶を有している。深淵の夜が化身を生んだかと思わせるほど透き通った空気を纏い、そして正しく全てを包み込む夜のように、彼はどこまでも孤高の存在だった。
少年に出会ったあの日のことを、きっとオウラは生涯忘れない。出会ったのは僅か二年前、前王と貴族の暴政によってこの国が荒れ果てていた時に、夜色の少年はどこからともなくオウラの前に現れた。あれからオウラはこの国の住人の中で、最も長く少年の傍に仕える人間となっている。
僭王。暴王。粛清王。残虐王。虐殺王。鮮血王。今や諸外国から様々な呼称で呼ばれるようになった、当時たったの十五歳だった少年は、けれどその呼び名の指し示す通り、大地を染め抜く血の雨と抜き身の刃の鋭さを持って、容赦なく当時の王族と腐った貴族共を鏖殺した。災害にも似た圧倒的魔力と、猛毒の如き神算鬼謀。続き過ぎた暴政の歴史に疲れ切っていた国民の心を一瞬にして鷲掴んだ少年が破竹の勢いで血の改革を成し遂げた後には、塵と膿を一掃し、長きに渡り搾取され尽くして渇いた国土が広がっていた。
――新しい支配者となったあの少年に桁外れの知識と実行力が備わっていたことは、この上ない僥倖と言えるのだろう。オウラはそう考える。
四方を岩山に囲まれ冬は雪深く閉ざされるこの国は、他国が手を出しにくい天然の要塞と言えば聞こえは良いが、逆に言うなら決して自然の実りに恵まれてはいなかった。特産品どころか食料の自給すら危ないほどで、要はわざわざ余所から戦争を仕掛けに来ても、得られる利益など何もないのだ。故にただの『英雄』では統治能力が追い付かず、反乱終結後の荒れ果てた国を持て余していたに違いない。指導したのがあの少年でなければ、国はこんなにも早く復興することはなかったと、オウラは確信していた。
革命の激動とは一転して、少年王は流れる清水のような清廉さで国を導いた。冷静に、効率的に、決して声を荒げることなく。私欲に基づく謀叛や反逆は起きればその小さな手で躊躇なく捕らえて残らず素っ首刎ね飛ばしたが、ただ日々の平穏を求め懸命に生きようと足掻く者たちには、同じ手を以て残らず救いが差し伸べられた。未だ安寧には遠いものの、復興の成果と展望は明らかだ。だからこそ、最も長く近くでその手腕を見ているオウラのみならず、官吏や兵士や国民たちも皆、あの少年王に心酔しているのである。
――けれど。
(あの方自身は、いつまでもそれを続けるつもりなどないのだろうな)
王位を得る前も得た後も、あの冷め切った目は変わらなかった。水晶よりも澄み渡り、そして何をも映さない漆黒の瞳。決して遠くない未来に、少年王はいなくなる。王の名を呼ぶ人々を捨て、鮮やかに蘇った国をここに置いて。
『――オレはいずれ、この国を出る』
かつて言われた、少年の言葉を思い出す。
少年が王となった理由は、荒れていた国に対する義侠心でも哀れみでもない。少年が唯一無二と定める存在を守るために、少年は一時的でもこの国の王位に就かねばならなかった。国を導き整えたのは、それが王位に連なる義務だからだ。玉座に座る対価として、少年は法を布き国を富ませ人を育て、そして今や着々と手放す準備は整っている。
『オレはオレの目的のためにこの国に来たんだ。達成するのがいつになるかは分かんねーけど、ずっと留まるわけじゃないことは確かだな』
少年王の声と共に思い浮かぶのは、長い白色の髪を無造作に流した青年の姿だ。僅かに垣間見ただけでも目に焼き付く繊細な美貌は、ただ少年王に寄り添うためだけに存在していた。少年が王位に就いた頃から姿を見せるようになったものの、その素性は誰も知らず、けれど寒気のするような人外の力を感じさせる。
ただの旅人に過ぎなかった少年が王位を欲した理由があの青年なのだと、オウラはうっすら察していた。そしてそれに応えるようにあの青年は、少年王以外の全ての人間をまるで路傍の石でも見るかのような目で眺めていた。少年王に対しては優しさ以外の全ての顔を隠しながら、その実あらゆるものを世界の外側に放り投げ、ただ当然の権利であるかのように少年王と共にいた。
――そう在れる白い青年を羨ましいと、思ってしまった自分に唇を噛んだ。
『だからお前は、できるだけ急いで政務を覚えろよ』
たとえどれだけ泣き縋ったとしても、少年王はオウラを連れて行きはしないだろう。あの二人が興味を持つのは互いだけで、それ以外など背景に等しい。対応の差こそあれど、二人が向けてくる温度にはさほど違いがないことを、聡明な青年官吏は悟っていた。
『覚えて、成り代わって。そうして、もうオレなんか必要ないんだと言ってみろ。この先の全ては自分たちの手で創れるから、血濡れの簒奪王はいらないんだと宣言してみろ』
――違う。自分たちに少年王が必要ないのではない。あの少年王に、自分たちが必要ないのだ。
最初からそうだった。少年王が真に他者を必要としたことなど、あの真白を除いて一度もなかった。彼らの過去に何があったのかは分からない。けれど彼らと彼ら以外との間にある壁は、呆れるくらいに高く、厚く。
『――いつかオレを追い落としてみせろよ。そのためにお前を傍に置いているんだからな』
少年王の愛らしい顔と、その背後で楽しそうに笑う真白。それらを思い出しながら、『次』を託されると決められた青年は拳を握り締めた。
今から二十年も前に王宮から放り出された女官が産んだ、今となっては唯一『正当な』王族の血を引く人間となってしまった青年。先代王の気紛れで望まず手を付けられた挙げ句、あっさり飽きられ捨てられて、無念と心労に早逝してしまった母の復讐を果たしてくれた今の主君に、彼は心から感謝している。たとえこの身に流れる『血』が目的だっただけだとしても、一番最初に己の前に現れてくれたことに歓喜したいくらいには。
だからこそ、その恩に報いるためには当の恩人を追い落とさねばならないという矛盾を、未だに消化し切れないのだけれど。
(尤も何が正しいのかなんて、考えたところで結果が出るわけはないのですがね)
それでも、刻一刻と迫ってくるその日が、少しでも遅くあればいいと思う。
あのいと高き氷雪の王の姿が、一日でも長く自分たちの上に、燦然と輝いてくれているように。