13/12/06 anaロgy
彼女は恋をしているのかも知れない。
学校というコミュニティにおいて、色恋沙汰は生徒にとって最大の関心事になりがちだが、私はこれまで一切の興味を抱かなかった。誰が誰を好きになろうが、好き合おうが、構わないじゃないか。そっとしておいてやればいいじゃないか。そう考えていた。しかし私の頭は今、その直感に支配されている。
他ならぬ彼女であるから。
「この本は君にお勧めだ。貸すよ」
木漏れ日の下、差し出してきた本の表紙には、枯れ葉の積もった寒々しい並木道の写真がプリントされていた。左開きである事からもタイトルからも恋愛モノだと解る。お礼を言って受け取ったものの、胸のもやもやは抑えきれなかった。
物騒な本ばかり読んでいた彼女だったが、このところはこの手の話ばかり読んでいる。いずれゼロ年代の作品だという共通項だけは残っているものの、多くは若々しい文体のいわゆる【等身大の恋愛】であり、ほぼ真逆の方向性だ。
浮かない顔をしているねと彼女は言った。
「ここ最近その表情が目立つ。何か嫌な事でもあったのかね?」
瞳の奥のレンズが、私の顔にピントを合わせて前後する。そんな事はないよと私は即座に否定した。けれども、嫌と言えば嫌に違い無かった。
ここで一つ断言するが、趣味の変化をすぐ心境の変化に、それも恋愛などに結び付ける程、私は慌て者ではない。
近頃の彼女は国語の授業中に教師をよく見ている。手元のモニタでも電子黒板でもなく、教科書を読み上げながら歩く教師を目で追っている。以前から挙手による発言や、授業時間終了後に質問しに行く事が多く、それは日本語が彼女にとって興味深いものだからだと思っていたのだが、一度疑いを抱いてからは気に掛かって仕方が無い。
件の国語教師は決して若くないし美形とも言い難いけれど、知性的かつ理性的、それでいて溌剌として爽やかな印象がある。恋なるものを率先してしようとするならば、対象として相応しかろう。ただし彼は左手薬指にプラチナの指輪を嵌めており、そして何より、彼は人間である。
だから彼女が彼に恋をしているなどというのは、馬鹿らしい発想なのだ。
全く論理的ではないのだから。
そうは言っても何か怪しい。訝しんだのは彼女だった。
「君、何か隠し事でもあるんじゃないか」
「無いよ、そんなの」
それを問いたいのは私の方なのだ。なら良いとすぐに引き下がった彼女は、私の存在を忘れたかの様に、バッグからまた別の本を取り出して開いた。その本もまた恋愛小説だった。
「一つ訊きたいのだけど」
一つ訊きたいのだけど、直球で尋ねたとしても理屈で躱されるのは目に見えているから、私はこう尋ねた。
「この本のどこが面白かった?」
問い掛けに対して、彼女はちろりと上目遣いに私を睨んだ。
「君は面白くないものをひとに勧めるのかい?」
「そういう意味じゃなくて、感想を訊いてるんだよ。どういう点が面白かったのか。例えばごちゃごちゃした人間関係が、とか、主人公の感情の機微が、とか」
ふむ。はっきりとした発音でそう唸り、開いたばかりの本を閉じた。
「意味深長な質問だね。この種の小説を面白いと感じるか否かは、君が挙げた二点に集約されるだろう。物語の登場人物に対して感情移入や自己投影が出来なければ、物語は面白くならない。主人公が感情を高ぶらせたり焦ったりする事にこそスリルがあるのだから」
「まあ、そうだね」
「しかし君は、わたしが面白く感じたと知っていながらその質問をする。つまり、わたしが感情移入や自己投影が出来るのか、恋愛について理解するのか、ひっきょう、わたしが恋をするのかという事に疑問を持っていて、本当はそれを訊きたかったのだね」
あまりに呆気無く看破されてしまったので、私はただ頷くだけだった。彼女はやれやれと本を置いた。結局、回りくどい手段も彼女には通用しないのだと忘れていたのだった。
恋愛の定義についてはさておき、と前置きして、彼女は表情を変えずに答えた。
「わたしも恋をするよ」
そうなんだと返したと思う。声にはならなかったかも知れない。
「しかしね、恋愛小説を読み解くのはなかなか困難だよ。文章からイメージを映像化しにくいんだ。作者の表現力の問題かも知れないが」
そうなんだ。
「わたしはそろそろ戻るよ。君のおかげでまたバッテリーを消耗してるんだ」
そうなんだ。バイバイ。
「ああ、バイバイ。また教室で」
彼女は立ち去って行った。
図書室に独り残されて、無意識に本を開いていた。私は何故、しっかりとした回答を得ても釈然と出来ないのだろう。横書きでやたらと改行の多い文章を流し読む。私は何故、こんなにもショックを受けているのだろう。登場人物は女子校生と既婚の国語教師。
机の上で、ホログラムの小鳥が音も無く跳ね回っている。
ああ、そうか。やっと理解したけれど、心臓が縮こまった様な感覚は決して消えなかった。
どうして人間はこんなにも複雑なのだろう。
私は本を閉じて、立ち上がる為に声を出した。
「ああ、お腹減った」
一日二日一話・第一話。
「ロボットでミステリ恋愛学園」なる無茶なお題をくれた、ここあ氏に感謝を。
「anaロg」の続編にあたる、かも知れない。一発目から新規設定を放棄するのはいかがなものかと思いつつも、お題の要素が多すぎて一から練ると大変な事になるので致し方無く。
おいミステリどこいった?とか、どこにアナロジーが?とか言われそう。言ってくれるな。
とりあえず、こんな調子でほぼ毎日やっていきたい。
「一日二日」なのは甘えです。