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3ON3!  作者: 泉谷パーム
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第三章 自分ON戦い

 胴着を身に纏い、幾重は道場へ向かった。

 本来ならば今日は練習は休みである。しかし、どうしても幾重は自主練をしたいと、顧問に申し出たのだ。

 昼間の誓いを心に沈め、少しでも本気をぶつけようと、竹刀を握った。

 ――おうおう、せいぜい頑張ってくれよ、弱虫君。

 突然、心の中で誰かが話しかけてきた。

 ――うるさい。練習の邪魔だ。

 ――へぇ、いつになく強気じゃねぇか。そうこなくっちゃ、面白くねぇけど。

 バコン!

 幾重は傍らの壁を拳で殴った。

 ――もう、僕は弱虫なんかじゃない。僕は、僕は……。

 遅い来る、もう一人の自分の声。なぜ今になって奴の声が聞こえてくるのかは分からないが、なんとかその気持ちを振り切ろうとするので精一杯だった。

 幾重はゆっくりと、道場の戸を開いた。

「来たわね、幾重」

 中を見た瞬間、幾重は驚いた。

「ね、姉さん?」

 姉、鴻上真雪が、静かにその場で正座をしていた。それも、剣道用の袴と胴を身に纏って、だ。

「どうしてここに?」

「いえ、あなたが自主練をすると聞いたものだから。折角だから、ね」

 清楚な佇まいの彼女には、剣道の胴着も良く似合う。お嬢様な彼女ならではの気品と、道場の堅苦しい雰囲気がいかにもマッチしている。

 真雪は手ぬぐいを頭に巻き、立ち上がって竹刀を構えた。

「良かったら、一度お手合わせ願おうかしら」

「えっ?」

 真雪の申し出に、幾重は目を丸くした。

「あら? 何か不満かしら?」

「い、いや。姉さんが剣道なんて……」

「私これでも武道は色々と嗜んでいるのよ。知っているでしょ?」

 それは幾重も知っていた。しかし、武道を嗜んでいるとはいえ、彼女は剣道に関してはそこまでやっていたわけではない。それに対して、幾重は中学時代から剣道一本で通ってきた。勝負は明らかに自分のほうが優位である。まさか彼女と試合をするなどと……。

 少しばかり幾重は戸惑ったが、そこでぱっとある考えが浮かんだ。

 ――これは、チャンスではないか。

 この場で、彼女にもう一度本気をぶつけるのだ。

 今まで自分が秘めてきた、彼女に対する本気。怒りや憎しみではない、彼女に対する思い。それら全てをぶつけたいと思った。

「いいよ、姉さん」

 幾重は真剣な眼差しで、彼女を見据えた。

 幾重も手ぬぐいを巻き、面を被った。真雪もそれに合わせて面を被る。

 両者はゆっくりと見合い、竹刀を構えた。

「三本先取したほうが勝ち、いいわね?」

「うん」

 両者の呼吸が、ゆっくりと止まる。

 道場内に張り詰めた空気が漂った。かつてない、姉と弟の戦い。他に誰も居ない、寂しい試合ではあったが、それは逆に好都合だった。

 ふたりはゆっくりと、深呼吸をして、そして……。

「始め!」



 春馬は図書室のカウンターに座り、ゆっくりと室内を眺めた。

 眺めるとはいっても、かなり張り詰めた空気を漂わせていた。両肘をつき、手を組んで眺めるその光景は、図書委員というよりも警備員、いやボディガードぐらい堅苦しかった。

「あの、すみません。これ借りたいんですけど……」

 一人の生徒が、彼の前に本を差し出す。

「一週間」

「えっ?」

「一週間以内に、返却をお願いします」

「あ、はい……」

 生徒はたじろぎながら、そそくさとカードに記入をしてその場を去っていった。

「おいおい、怖いよ、望月」

「すみません、これが普通です」

 冷房の効いている室内が、更に五度くらい下がっていた。彼の冷たい視線が、周囲の生徒たちに寒気を与えていた。

 しばらくして、そんな空気を打破するかのように、一人の女子生徒が入ってきた。

「失礼しま、す……」

 彼女もまたこの空気に煽られ、思わず身震いしてしまう。しかしそれに負けず、なんとか目的の男子生徒の前にたどり着いた。

「あのさ、もち、づき……」

「天野か。また勉強か?」

「う、うん……」

 彼女はたどたどしく返事をする。正直、今日の春馬は少し怖かった。

 ふと、春馬の視線が彼女から外れた。すると彼は張り詰めた視線を緩め、少しばかり柔らかい顔になった。

「おい、天野。それ……」

 春馬は咲海の鞄を指差した。その先には、ストラップのような、猫型の小物がぶら下がっていた。よく見ると、それはビーズで出来ていた。

「あ、これ?」

「そう、それだ」

 咲海がそれを手に取ると、得意気な顔になって、

「これ、実は手作りなんだよねぇ」

「手作り、だと?」

 春馬は興味津々といった顔で、咲海を見つめる。

「うん、あたしの」

「お前の、だと!?」

 春馬が更に目を輝かせた。普段大人びている彼が、まるで純粋な子どものような心を見せた。

「あたし、実はこういうの作るの得意なんだよね」

「そ、そうなのか。それは……」

 物欲しそうに見つめる春馬に、咲海は

「良かったら、あげようか?」

「い、いいのか?」

「うん、まぁ……。いつも勉強見てもらっているお礼、もあるし……」

 春馬は、咲海の掌をがばっと握った。

「あ、ありがとう」

 図書室内が、別の意味で冷ややかになった。

 咲海もこればかりは照れくさかったのか、頬をゆっくりと掻く。

「あ、あのさ、望月。言いにくいんだけど……」ふぅ、と彼女はため息を吐いた。「もしかしてあんた、こういうの好きなの?」

 春馬は目線を斜め下に逸らし、「実は、な」と呟いた。

 しばらく、この冷ややかな空気が続いた。

 普段クールなイメージの彼が、次第に壊れていくようで、図書室内は彼の変わりように驚いた。

「クスッ」

 咲海が思わず吹き出す。

「わ、悪いか?」

 春馬は照れくさそうに、口をへの字に曲げた。

「いや、やっぱり望月、可愛いところあるんだなって思って」

「か、可愛いだと?」

「うん、可愛い。あ、気に障った?」

 お互い顔を紅くしながら、しばらくして、春馬も顔を緩めた。

 図書室内にいる面々も、クスッと笑い出した。静寂だった図書室が、一斉に騒がしくなる。

「あは、あはははは」

「天野さんのいうとおりじゃん。望月君、かわいすぎぃ」

「お前固い奴だと思っていたけど、いいキャラしてんじゃん!」

 照れくさい気分だったが、恥ずかしさのあまり、春馬も少し吹き出した。

 ――もう、噂なんてどうでもいいな。

 春馬は、そう思った。そのとき……。

 プルルルルル……。

 騒がしかった図書室内に、電話音が鳴り響いた。それを合図にするかのように、皆の笑いが一斉に止まった。

「おいおい、誰のケータイだよ?」

「悪い、俺だ」

 春馬は懐からスマートフォンを取り出し、電話を取った。

 何故か、突然緊張の空気が張り詰めた。

「もしもし、どうした?」

 咲海は、その様子をじっと見つめていた。図書室内の人間も、何故か緊張の面立ちで彼を眺めていた。

「え、何だって!?」

 春馬は大声を張り上げ、一気に眉を顰めた。



「はぁ、はぁ……」

 幾重と真雪の視界は、二人とも道場の天井だけが映っていた。

 息を荒げ、道場の床に大の字になって寝そべる。荒い呼吸をしながら、冷や汗を拭い去る。

「やっぱり姉さんは強いね……」

 幾重は先ほどの試合を、ゆっくりと思い出す。

 剣道専門の自分と違い、あらゆる武道を嗜んできた彼女は、その言葉に恥じないほど強かった。

「ふふっ、まだまだよ……」

 真雪もまた、髪が乱れるのもお構いなしに寝そべっていた。

「いや、姉さんは強いよ」

「でも……」真雪は汗を拭った。「まさか、あなたに負けるなんてね」

 そう、先ほどの試合……。

 一本を先取され、続いて幾重が一本、そして真雪が二本目、幾重が二本目、といった感じでお互いに善戦を強いられていた。

 そして、最後に一本取ったのは、幾重だった。

「私もまだまだ、ね。あなたを守るだなんて言っておいて。こんなんじゃ、あなたにまた怒られるわね」

 真雪は天井に手を翳した。

「これでも僕本気だったよ。じゃなけりゃ姉さんに負けていた」

「ふふっ、やっと本気になってくれた」

 真雪はゆっくり、幾重のほうを向く。やはり、お互いに全力を尽くしたようで完全に疲れきっていた。

「だって、本気じゃないと姉さんに失礼だもん。姉さんは僕のこと、いつも本気でいてくれた。だから……」

 道場内に、緩やかな空気が流れた。

 しばらくして……。

 プルルルル……。

 電話の音が鳴り響く。

「あれ? 僕のケータイかな?」

 幾重は寝そべったまま、道場の隅に置いたあったケータイを手に取った。

「はい、もしもし……」

 真雪は、そっと幾重の顔を見た。

 そして……。

「えっ、そんな……。分かった、すぐ行くよ」

 幾重の顔が、突然険しくなる。

 彼は電話を慌てて切ると、おもむろに立ち上がった。

「ねぇ、幾重。どうしたの?」

 真雪が尋ねると、幾重は真剣な表情で、

「連ちゃんが、危ない」

「えっ!?」

 思わず、真雪は目を丸くした。

「こないだ連ちゃんが殴った相手が、地元の暴走族たちを引き連れて連ちゃんを捜しまわっているって!」

「なんですって!?」

 幾重は急いで手ぬぐいを取り払い、その場を走り去っていった。

 真雪もそれに続いて、彼を追いかけた。


「クソッ、こんなときに……」

 連太郎は急いでいた。

 ついさっき掛かってきた一本の電話が、彼を慌てさせていた。

『鉾田連太郎さんですね。こちら愛峰総合病院です。実は、先ほど矢島様の体調が急変しまして……』

 ――ヤジセン、無事でいてくれよ。

 鉾田は強く願った。

 矢島への思いが、次々に蘇ってくる。

 中学時代、先生なんて存在を信用できなかった自分に、本気でぶつかってきた初めての教師。馬鹿みたいにまっすぐで、馬鹿みたいに優しくて、実は怒ると怖くて、そんな風変わりな教師だった。

「ははっ、よく考えたら葉月と似ているな」

 矢島の特徴を並べたら、どうしてもユリナの顔が思い浮かんでしまう。

 教師としてではなく、異性として、恋愛対象として……。本気の彼女は、誰よりもまっすぐだった。

 自分にとって、この世で一番教師らしい教師といえる存在は矢島。それは、今でも揺るがない。そして、二番目は……。

「葉月、か」

 どうしても、彼女の顔が頭から離れられなかった。

 いつの間にか、矢島を心配しているはずがユリナのことばかり考えるようになっていた。いけない、と思い、連太郎は歯を食いしばって更に走り去っていった。

 しばらくすると目の前に、小さな公園があった。わずかではあるが、ここを抜けると微妙にショートカットになる。そう思い公園に入った、そのときだった。

「鉾田、見つけたぜ」

 突然何者かが呼び止めた。

「こないだの借り、たっぷり返してやる」

「あんだと!?」

 苛立ちを表に出しながら、連太郎は声の主を睨み付けた。

 公園内に、二人の男子学生が立ちはだかった。どこかで見覚えのある二人組だった。

「捜したぜぇ、鉾田連太郎」

「お前ら、こないだの……」

 見覚えがあるのも当然だった。ついこの間、愛峰高校の女子生徒に絡んでいた二人組だったからだ。

 連太郎は舌打ちをしながら、拳を握った。

「覚えていてくれたんだなぁ、ケルベロスさんよぉ」

「何しに来たんだ? 俺は急いでいるんだ、そこをどけ!」

「へっ、甘いな」

 不良男はどこからか鉄パイプを取り出し、ブンッと鈍い音を立てて連太郎目掛けて振り下ろした。

「うわ、あぶね……」

 間一髪、連太郎はそれを避ける。

「どこ見てんだよ、カス!」

 今度はもう一人の不良男が、拳にメリケンサックを装着しながら、連太郎に殴りかかってきた。連太郎は思わず右に避けるが、その弾みで転倒してしまった。

 ――クソッ、こんなことしている場合じゃないのに……。

 連太郎はなんとか身体を起こして、彼らを睨みつける。先ほど転んだせいで右肩が痛む。なんとか左手で抑えながら、ゆっくりと後ろに去ろうとする。

「逃げんのか、ケルベロス?」

「だがなぁ……」

 それは、突然だった。

 街中から、鈍重なエンジン音が、不協和音を奏でながら近づいていた。それは次第に大きくなっていき、そして……。

「後ろを見な」

 連太郎が振り返り、そしてその光景に唖然とした。

 エンジン音の嵐とともに、バイクの群れが公園内に犇めき合った。色とりどりのバイクとともに、カラフルにペインティングされた髪色の連中が、バイクから降りてくる。

「へへへ、コイツがケルベロスね」

「久しぶりに楽しめそうだなぁ、おい!」

 いかにも屈強そうな連中が、次から次へと現れる。

「へっ、今時暴走族かよ」

 悪態を吐きながら、連太郎はふてぶてしく笑みを浮かべた。しかし内心では、少しずつ尻込みしてしまう。

 ――マズイな、こりゃ。さすがにこの人数はキツい。

 現れた面々はざっと見積もっても二十人はいる。ケルベロス鉾田とはいえ、本物の暴走族相手にこの人数は勝てる自信がなかった。

「おいおい、ビビッてんのか?」

「ま、そうだな。所詮こいつは一人じゃ何もできねぇ弱虫なんだろうな」

 ――弱虫。

 鉾田はこめかみに、一層力を入れた。

 ――ふざけんなよ、一人じゃ何もできねぇのは……。

「おめぇらのほうだろうがあああああああああ!」

 連太郎は、思い切り拳を振り下ろした。


 ――なぁ、数多、聞こえるか?

 幾重は走りながら、何度も心にそう問いかけた。

 しかし、その相手はぴくりとも反応しない。当然ではあるが。

 ――お前なら、こんなときどうする?

 もう一度、問いかける。

 またしても、返事はなかった。

 ――答えろよ。

 静かに、その相手に質問する。

 ――答えろ、鴻上数多。いや……。

 少し、深呼吸を入れ、そして……。

 ――答えろ、鴻上幾重!

 自分の名を呼んだ。

 ぐっと、肩に力を入れ、その相手の名を必死で呼び続ける。

 しばらくして……。

 ――やっと、呼んだな。

 奴の嫌味な声が聞こえてきた。

 幾重は、ようやく理解できた。

 鴻上数多、それは自分自身が生み出した、もう一人の自分。

 ――そう、お前は俺なんだよ。にゃはははは!

 数多が挙げる高笑いを、幾重はなんとか堪えた。

 ――しかしまぁ、珍しいなぁ。お前から俺を呼ぶなんてな。

 正直、呼びたくなどはなかった。しかし幾重は歯を食いしばり、

 ――お前なら、どうする? こんなとき?

 数多、いや自分自身に問いただした。

 ――こんなとき?

 ――ああ、お友達がピンチだからどうしようってあれか?

 ――さぁね、自分で考えろよ。

 やっぱり、と幾重は鼻で笑った。

 そうだ、自分で決めなきゃ。最も、問いただしている相手も自分なのだが。

 自分の頬をパチンと叩き、幾重はまっすぐ前を見た。 

 ――ひとつだけ言っておく。

 ――俺は、てめぇの弱い心が生んだ存在だ。

 ――てめぇがいつまでもビビッていたり、怖がっていたりしたら……。

 ――てめぇは一生俺から逃れられねぇ。それだけは覚えておけ。

 数多はそう告げて、幾重の心からすぅっと消えた。

 数多が残した最後の言葉……。

 幾重はそれをかみ締め、そして……。

 ――決めたよ。

 ――僕はもう、怖がらない。

 ――何も、怖いものなんてないんだから。

「幾重、どうしたの?」

 後ろを走っていた真雪が声をかけた。

「ううん、なんでもない。それよりも、早く行こう!」

 真雪は気付いた。

 彼は走り出している。

 弱い自分と闘っている、一人の男である。

 いつの間にか、真雪は顔を赤くしていた。

 ――分かったわよ、幾重。

 ――私も走るわ。あなたと、一緒にね。




「悪いな、天野!」

「いいよ、あたしも鉾田には……」

 事態を知った春馬と咲海は、無我夢中で走り出した。

 先ほどまで可愛らしいマスコットに心惹かれていた、少年のような春馬の顔。それが今、いつもどおりの無口で無表情な顔に戻っている。

 いや、違う。表情はある。それも、彼女が今まで見たことのない、強い表情だ。

 この間、彼女は彼に向かって言った。「あなたの弱いところも好きになれそうだ」と。

 でも……。

 やはり、彼は強い人間だ。

 友達のために、大きな図体を一生懸命に震わせて走り出している。彼の広い背中が次第に頼もしく感じた。

 ――分かったよ、あたし。

 フラれた経験から、春馬は努力して、優等生になった。下らない噂に振り回されないように、自分を強くしようとしていたんだ。彼女の、知らないところで。

 ――だから、望月のことが好きなんだ。

 もう今となっては、望月春馬という男の全てが好きになってしまいそうだった。無口で一件冷静だけど、誰よりも熱いものを秘めている。弱い部分や、可愛い部分も持ち合わせていて、でも強くて友達思い。

 そんな彼を好きになったことを、彼女は誇らしく感じた。

 この間ファミレスで会った、あの女。

 あいつはやはり春馬のことを何も分かっていなかった。周りの目ばかり気にして、春馬が格好良くなったときだけ好きになる。そんな女にだけは負ける気はしなかった。

「連太郎、無事でいてくれ」

 ぽろっと、春馬の口からそんな言葉が漏れる。

 ――そうか。春馬をこんなに強くしたのは、鉾田と、鴻上君なんだ。

 恋愛ニート三人組なんて呼ばれている彼らだけど、それはただ自分というものをしっかり持っていて、単純な気持ちで自分を決めたくなかったからなんだ。

「連太郎、ありがとう。今度はあたしが助ける番だよ」

「何か言ったか?」

「ううん、独り言」

 咲海が強気な笑顔を春馬に向けると、春馬が少し怪訝な表情を浮かべる。

「望月、急ごう」

「そうだな!」

 二人の息のあった声が、大きく重なった。



「ぐっ!」

 連太郎の左頬に、強烈なパンチがめり込む。

 思わず仰け反って、連太郎は尻餅をついた。

「ははは、やっぱ弱ええじゃん!」

「ま、さすがの番犬ちゃんも、この人数じゃただの子犬同然だろうな!」

 馬鹿にする暴走族どもを余所に、連太郎はゆっくりと立ち上がる。

 ――クソが!

 なんとか身体を起こすが、既に顔面に二、三発の打撲痕が出来上がっていた。正直な話、連太郎は血反吐を吐けるものなら吐きたかった。しかし、ここで弱みを見せてしまっては……。

「こんな、連中に……」

「るせぇ!」

 ガコンッ!

 今度は蹴りが、連太郎の腹部に入る。

「うぐっ!」

 内臓が全て押しつぶされそうな痛みに耐え切れず、連太郎は肩膝をついてしまう。

 最早連太郎は限界だった。相手は思った以上に強い。このままだと病院に行くまでに、自分のほうが病院送りにされてしまいそうだった。

「俺は、こんなところで……」

 連太郎はもう一度、ゆっくり立ち上がる。フラフラの身体をなんとかバランスを保ち、ギッと連中を睨みつけた。

「こんなところで、立ち止まるわけにはいかねえんだよ!」

「だからうるせぇっつーてんだろうがああああ!」

 連太郎目掛けて、メリケンサック付きの拳が飛んできた。

 ――あ、もうダメかな。

 連太郎は一気に力を抜いた。もう、どうにでもなれと思った。

 腰、そして脚が、その場にがくんと崩れる。意識も朦朧としていた。

 そのとき……。

 バフッ!

 クッションを殴ったような、柔らかい音が連太郎の耳に飛んできた。

 ――えっ?

 連太郎は、朦朧とした意識をゆっくり戻していった。

「鉾田君、大丈夫?」

 よく聞いたことのある、いや、いつも聞いている女性の声だった。

 ようやく、連太郎の意識がはっきりした。

 彼に飛んでくるはずだった拳が、柔らかい鞄に遮られていた。一人の女性がその鞄を盾にするように、力いっぱいに両手で抱えていた。

「なんだ、この女!?」

 男の拳が、鞄から離れた。女性はその場に鞄を投げ捨て、連太郎のほうへ向かった。

「もういいよ。頑張ったね、鉾田君」

「葉月……」

 連太郎が見たのは、自分を抱えながら静かに泣いている担任の葉月ユリナの姿だった。

「どうして、ここへ?」

「仙石さんが情報を掴んだの。あなたを狙っている暴走族がいるって。心配になって、ずっとあなたを捜していたんだから」

 ぽつり、とユリナの涙が連太郎の顔に垂れる。

 ――やっぱ、コイツも本気なんだな。

 矢島が言っていたことがようやく理解できる。連太郎はそんな気がしていた。

 悲惨な喧嘩を繰り返していた両親、自分から遠ざかっていく先生たち、そして拳でしか己の存在を知ることの出来ない不良ども。みんな、人を本気で好きになったことがないのかも知れない。

 でも、彼女は違う。現にこうして、自分のことを本気で好きになってくれている。教師と生徒、そして男女。二つの意味で自分を好きだと言ってくれる存在が、今ここにいるのだ。

 彼女だけではない。

 初めて連太郎と本気で向き合った教師の矢島――。

 元不良と知りながらも、毎日のように自分と友達でいてくれる春馬と幾重――。

 連太郎に向かって、恋をさせてあげるなどと宣戦布告した生徒会長の真雪――。

 口喧嘩ばかりだが、根は素直で優しい咲海――。

 問題ばかり起こすが、連太郎が狙われている情報を誰よりも早く掴んでくれた、節穴の桃子――。

 そして、今までに連太郎に告白してくれた女子たち――。

「そっか、俺、もう一人じゃないんだな」

 連太郎は最後の力を振り絞り、力任せに立ち上がった。

「鉾田、くん……」

「葉月、逃げろ。あとは俺がやる」

「ダメ! 鉾田君は、もう戦わないで!」

 葉月は泣いていた。その顔を見て、連太郎はふっと苦笑いを浮かべた。

 ――悪いな、春馬、幾重。約束破って。

 ――葉月、泣かせちまった。

 連太郎はポキポキと指の骨を鳴らした。

「てめぇら、覚悟は出来てんだろうな」

 先ほどまでとは桁違いの威圧感。暴走族たちも思わず一歩引き下がる。

 連太郎はゆっくりと全身し、睨みを利かせながら拳を振り上げる。

「ぐへあ!」

 暴走族の一人に、連太郎の拳が突き刺さった。

 彼は背後まで吹き飛ばされ、全身がきゅうっと伸びた。

「さて、と。次はどいつだ?」

 ケルベロスの本気が、更に加速していった。

「な、何だよコイツ……」

「バ、バケモノだ。人間じゃねぇ」

「あんだと!?」

 連太郎は指をぽきり、と鳴らし、バケモノ呼ばわりした男を睨みつけた。

「俺は人間だ。もう、普通に人に対して怒ったり、笑ったり、好きになったりすることもできんだよ」

「ま、待て……」

「俺にはもう、俺のこと本気で好きになってくれる奴がいるんだよ!」

 ぐごっ!

 連太郎の重い拳が、バケモノ呼ばわりした男の顔面を思いっきり凹ませた。

「うぐああああ!」

 背後に倒れた男を見ながら、連太郎ははぁ、はぁと肩で息をしている。

 ――あ、ヤバッ。

 ――今ので、かなり力使っちまった。

 再び、連太郎の瞼がゆっくりと閉じかけた、そのときだった。

「そうね、ようやく分かったようね」

「ホント、鉾田って鈍いんだから」

 ――えっ?

「連ちゃん、後は僕らに任せなよ」

「お前は早く病院へ行け!」

 ――お前ら。

 公園の入り口から、よく知った声が聞こえた。

「幾重、春馬、会長、天野……」

「みんな、来てくれたんだ!」

 ユリナの顔がぱあっと明るくなる。

 見知った顔が、これであらかた揃った。

「本当は竹刀のほうが手に馴染むんだけどね」

「こんな連中にはこれで充分よ」

 幾重と真雪は、手に太い木の棒を携えていた。

「だ、そうだ。これも本来武器に使うものでは……」

「望月、喧嘩っていったらやっぱこれでしょ?」

 春馬と咲海は、硬そうな金属バットを手に持っていた。

「なんだよ、おせぇ、じゃ、ねえか……」

「ほらほら、怪我人は早く病院へ行きなさい!」

「お、おう!」

 病院へ行く目的が若干変わっているような気がしないでもないが、連太郎は彼女らの好意を素直に受け取ることにした。

 そして、連太郎は公園の入り口目掛けて駆け出した。

「通すか!」

「どけええええ!」

 立ちはだかった暴走族たちを、連太郎は思いっきり蹴り飛ばした。

「クソッ!」

 今度はバイクに乗ったまま、暴走族たちが出口を塞いだ。

「どけっつってんだろ!」

 連太郎の手がバイクを掴んだ。彼の馬鹿力で、バイクはエンジンが掛かりながらも動きを止め、思いっきり投げ飛ばされた。

「うわ、鉾田ヤバい」

「余所見している暇はないぞ、天野!」

「へへ、隙ありぃ!」

 様子を見つめている咲海目掛けて、暴走族の一人が殴りかかってきた。

 バコンッ!

 彼の拳が咲海に届かないまま、彼はその場に崩れ落ちる。気がつくと咲海が持っているバットが、彼の腹部にめり込んでいた。

「や、やっちゃった……」

「天野、やはりお前は強いな」

 春馬に褒められて、咲海は照れくさそうに笑った。

 ――強いんだ、あたし。

「ホント、天野さんもやるね」

 幾重はその様子を笑いながら見ていた。すると……。

「へへへ、てめぇ弱そうだな」

 別の暴走族が、今度は幾重目掛けて拳を振りかざした。

 ――あっ!

 彼は、一瞬恐怖を感じた。

 そして、今、弱そうだといわれた。

「僕は、弱くなんか……」

 幾重の瞳が、ギッと目の前の男を睨んだ。

「なっ!?」

 気がついたときには、彼の拳は受け止められていた。目の前にいる少年の、掌によって。

「にゃーはっはっは!」

「な、なんだコイツ!?」

「いく、え……?」

 真雪と暴走族たちが、怪訝な表情で幾重を見つめていた。

 幾重は笑っていた。それも、今まで見たことのないような歪んだ表情で。

「おうおう、やっと出てこれた。やっぱ幾重ビビッてんじゃん」

「まさか、あなた……」

 歪んだ顔のまま、幾重は真雪のほうを向いた。いや、それは幾重ではなく……。

「へぇ、あんたが噂の姉さん、か」

「あなたが、例の鴻上数多……?」

 真雪はその姿を見るのは初めてだった。連太郎に聞いていた以上に、彼は嫌らしい表情だった。

「ご名答。そこらのゴミよりは出来るみたいだねぇ」

「できれば一生会いたくなかったわ。あなたには、ね」

 目の前にいるこの人物が幾重とは認めたくない。しかし、真雪にはそんなことを考えている暇はなかった。

「まぁそういうなって。お姉さん」

「あなたにお姉さんと呼ばれる筋合いはないわ!」

 二人が口喧嘩をしていると、一人の暴走族が、真雪に殴りかかってきた。

 バコッ!

 数多が手にした棒が、彼をなぎ払った。暴走族は、何も言わずにその場に倒れる。

「あ、ありがとう」

 思わず、真雪の口から感謝の言葉が漏れた。

「なるほどねぇ、このゴミどもを始末すればいいってわけね」

「ゴミじゃないわ」真雪は髪をかきあげて彼らを睨んだ。「正確には、“粗大ゴミ”よ」

「にゃはははは、そりゃあいい!」

 二人はお互いに笑いあい、背中を向け合った。

「一言だけ、てめぇに言ってやるぜ」

「何かしら?」

「俺はコイツが弱いと出て来れない。だが、コイツが強くねぇと、俺も強くなれねぇ」

 にひっと、嫌らしい笑みがこぼれる。

「だから、何かしら?」

「そういうわけだ。俺は強くなりたい。誰よりも、世界中のどんな女よりも、いや、全ての人間よりもだ」

 数多は振り返って真雪を見た。

「だから、あんた、コイツを強くしてやってくれ。一人じゃ強くなれねぇ部分を、あんたが補ってやってくれ。そうすれば俺も、更に強くなることができる」

 外道なこの人間が、初めて発した願い。

 真雪も少し戸惑ったが、しばらく間をおいて、ふっと笑った。

「でも、それだとあなたは出て来れないのよね? あなたはそれでもいいの?」

「ふん、そんときは……」数多は手に持った棒を、一層強く握った。「この身体、コイツに全て返してやる。そして、コイツはあんたに返してやる。俺は一瞬でも強くなれればそれでいいんだ」

「そう……」

 数多からこぼれる、彼の本気。

 幾重が求めていた強さは、なんだったのか。まだ真雪は彼の知らない部分がたくさんあることに気がついた。

「そういうわけだ、いくぜ!」

「ええ!」

 公園内で、乱闘が始まった。

 いや、これは最早戦争とでもいうべき状況だった。

 事の発端である、不良男子たちは予想外のシチュエーションに、次第に顔が青ざめていく。

「おい、これさすがにヤバいんじゃねぇの?」

「鉾田には逃げられちまったし、もうこれズラかったほうが……」

「そうはいかないわよ!」

 公園の外から、新しい声が聞こえてきた。

 そこには一人の女子が、眼鏡をクイッと直しながらこちらを見据えていた。

「仙石、さん?」

 ユリナたちも一斉にそちらのほうを向く。

「会長、大丈夫ですかぁ?」

「ちっ、誰かと思ったらゴミかよ」

 数多の悪態に、桃子はムッと顔を顰めた。

「まさか、また……」

「ええ。あなたの予想通り」

 桃子は頭を抱えた。正直、この人物とはあまり会いたくなかったからだ。

 とりあえずこの人物は無視をして、彼女は話を進めた。

「遅くなってごめん。みんなを集めるのに時間が掛かっちゃって」

「みんな……?」

 一同は、彼女の後ろを見る。

 数人、いや、十数人ほどの生徒たちが集結していた。

「鉾田は死んだほうがいいけど、やっぱり死んじゃ嫌だよ」

「なんだかんだで、あなたたちに最高の彼氏紹介してもらったしね」

「鉾田は無事か?」

「望月君、大丈夫?」

「鴻上君、なんか雰囲気変わっていない?」

 がやがやと、生徒たちが公園に入り込む。皆、木刀やらバットやら、何かしらの武器を手にしていた。

「あいつらは、俺たちが……」

 集まった面々を見て、春馬は目を丸くした。それは今まで男子三人が彼女や彼氏を紹介してきた連中だった。

「そっ、みんなあんたたちに感謝しているのよ。あんたたちのおかげで、“本気の恋”が見つかったってね」

 桃子はウインクを送り、キッと睨みつける。

「さぁ、この人数、相手にするかしら?」

「う、うるせぇ。こっちは喧嘩のプロばかり……」

 その瞬間――。

 ウィンウィンと、遠くからサイレンの音が鳴り響いてきた。

「な、なんだこりゃ?」

 桃子は呆れたようにため息を吐いた。

「あのねぇ、当たり前のこというけど」桃子はちっちっちと指を振った。「こういうときは普通、警察に連絡するもんでしょ?」

 暴走族と不良生徒たちは、一気に脱力してしまう。

 ふん、と鼻を鳴らしながら、桃子は彼らを見据えた。

「節穴の桃子様、舐めないでよ」

「よくやったわ、仙石さん」

 真雪が褒めると、桃子はきゃっと顔を赤らめて、

「かいちょお、無事で本当に良かったですぅ……」

 思いっきり真雪の胸に飛び込んだ。

「まったく……」

 真雪はよしよし、と桃子の頭を撫でた。

「なんだ、こりゃ?」

「なんか拍子抜けだなぁ。おい、幾重。もう疲れたからお前出て来い」

「ま、いっか。なんとかなったみたいだし」

「うう、怖かったよ……」

 一同は、その場にへなへなと座り込んでしまった。

 夕日がいつの間にか沈んでいた。あれからすごい時間が経っていることに、ようやく気がついた。

「あいつは、辿り着いたんだろうか……」


 ――ヤジセン、無事で、いてくれ……。

 連太郎は、怪我だらけの身体でなんとか全力疾走していた。

 ズキズキと傷が痛む。殴られすぎて血がところどころアスファルトに垂れる。

 病院行ったついでに、手当てでもしてもらおうか。少しばかりそんな冗談も考えた。しかし、今は矢島のことが第一優先だった。

「はぁ、はぁ……。畜生!」

 切れた息と朦朧とした意識の中で、連太郎はようやく病院に辿り着いた。

 ふと時計を見た。時刻はまだ午後の五時過ぎ。面会時間はギリギリ大丈夫なはずだ。最も、謝絶されても無理矢理会いに行く覚悟ではあったが。

「すみません……」

「あ、はい……」

 病院に駆け込んだ傷だらけの少年を見て、受付の女性は驚いた。しかし連太郎はそんなこと構わずに、カウンターをバンッと叩いた。

「二、二○五号室の、矢島に、面会、できますか?」

 息を切らしながら、連太郎は受付の女性を強く睨んだ。

「え、矢島さんですね。矢島、やじま……」

 受付の女性は、少し怯えながら、リストを探す。

 しばらくして、彼女の手が止まった。そして、悲しげな表情で連太郎を見た。

「申し訳ございません、実は矢島さんは、先ほど……」

「えっ……?」


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