(1)一哉の暴挙
真琴がトイレから帰ってきて、注文した品がやってくる。そしてたわいのないおしゃべり。学校が大きかっただとか、屋上からは海が見えるらしいとか、彼女はそんなことを、目をキラキラさせながら話してきた。
そして、話題が学校の立派な設備のことになったとき、一哉はここぞとばかりに部活の話を切り出した。
「設備が立派だ立派だって喜んでるけど、恩恵を受けられるのって運動部だけだよな。」
「えっ?」
不思議そうに首を傾げる真琴に、一哉は続ける。
「だって、立派なのは運動関係の設備ばっかりじゃん。体育館なんて多少ボロくても授業をする分には困らないし、弓道場とか相撲場が立派でも、俺らには関係ない。それとも、お前運動部に行くのか?」
――我ながら話運びが巧いと思った。
一方で真琴は、してやられたといった表情。苦笑い。
「あんた、よっぽど私の部活が気になるのね。」
真琴はそうとだけつぶやくと、スプーンをくわえてなにやら考え始めた。黒いどんぐり眼はずーっと右上を向いていて、口から伸びたスプーンの柄が、モゴモゴとせわしなく上下に動いている。
そしてその動作が止まると同時に、真琴はスプーンを口から引っこ抜いて、一言だけ言った。
「運動部もいいかもね。」
――一発で嘘とわかった。
しかし一哉は、何も言わずに真琴の話に耳を傾け続ける。
「最近運動不足だって思ってたのよね。運動は得意じゃないけど嫌いでもないし、この機会に運動部デビューするのも悪くないかなーって。」
にこにこと微笑みながらそう話す真琴。一哉はそんな彼女と視線を合わせようとするが、向こうの黒目はあっちに行ったりこっちに来たりと落ち着きがなく、結局諦めた。
「ねぇねぇ、私が入部するとしたらどこがいいと思う?」
あれからしばらく、真琴の一人舞台だった。切れ間なく続くマシンガントークは、途中口を挟もうとする一哉を拒んでいるようでもあった。
しかし、ようやく発言権が得られたのだ。真琴のその質問に、一哉は迷いなくこう答えた。
「吹部。」
それを聞いた真琴の表情が歪む。
「えっと、だから……運動部で――」
「吹部。運動部系文化部。」
再び一哉がそう言うと、みるみるうちに真琴が不機嫌な表情になった。
「嫌がらせ?吹部には入らないって言ったじゃん。」
「でも運動部に入るつもりもないんだろ。勧誘でもみくちゃにされてたとき言ってたよな?」
「そ、それは……。」
言いよどむ真琴。一哉はそんな彼女の顔をじーっと見つめる。
真琴はその視線から逃げるように、目を下にやった。そしてぼそりと、小さな声でつぶやいた。
「認めるわよ、もう……。吹奏楽は続けたい、もっともっとトランペットがうまくなりたい。でもあんな事があったら、怖くて続けられるはずがないじゃん!!」
最初小さかった声は、全て言い終わる頃には大声に変わっていた。
店中の人が何事かと思って二人のほうを見つめてきたが、それは数秒の間だけだった。
「店、出るぞ。そんでもう一回学校に戻る。」
突然、一哉が真琴の腕を思いっきりつかんで、グッと座席から引っ張りあげた。
「えっ、ちょ!まだ食べ終わってないってば!!」
そう言う真琴の声を、一哉は聞こうともしなかった。そして彼女を引っ張ったままレジまでやってくると、パッパと二人分の支払いを済ませて、店から出た。
「もう一回、吹部の人たちのところまで行く。」
「は?なんでよ!私は入らないってば!!」
「いいから、ついて来い!!」
必死に抵抗する真琴だったが、やはり一哉は力強く、全く敵わなかった。黙ったまま真正面を見つめズンズンと進んでいくその横顔を、睨み付けることしか出来なかった。