(4)響く音、気になる音色
式の準備が終わった体育館には、すでに教職員や生徒会の役員、そして新入生の保護者達が集まっていた。
ちなみに、部活などで仕事が与えられていない在校生は、体育館のキャパシティーの関係などもあって、自宅待機だ。
そのかわり、昨日の午前中は全員が集まって、体育館など校舎全体の掃除に取り組んだ。
入学式で迎える事ができないので、せめて全員で校舎をピカピカにして迎えようと言う、昔の生徒会の発案だ。
「もう一回確認するよ。」
もう新入生が扉の外で待機を始めているだろうという頃、体育館の隅の方の吹奏楽部では、亜紀が部員達の前に立ち、小声で何か話をしていた。
「司がA組の佐野原真琴さん、清水がC組の小熊千沙さん、美奈がD組の宮永愛さん、水木がE組の高山一穂さん、よ。」
亜紀は、昨日新入生名簿で確認した名前を挙げ、それを部員一人一人に割り振っていく。
実は入学式で、新入生全員の点呼が行われるのだ。その時に顔を覚えて、今後の勧誘を有利に進めようというのである。入学式に臨席する、吹奏楽部ならではの作戦だ。
「えー、まもなく入学式を始めたいと思います。保護者の皆様にお願いです。携帯電話の電源は――」
亜紀がちょうど確認を終えたところで、教頭のアナウンスが始まった。
いよいよ、入学式が始まるようである。
「じゃあ、演奏頑張ろう!これを聴いて、入ろうと思う子もいるかもしれないしね。」
亜紀は最後にそう言って、正面に向き直った。けれども立ったままだ。
パーカッションの和久を除いて、他の部員達は全員椅子に座っているのに、亜紀はそれを背にして、一人前に飛び出す形で立っていた。
「ふふ、やっぱりちょっと緊張するわね。」
唇の先をぺろぺろとなめて湿らせながら、微笑む亜紀。その後トランペットをくわえて、息を二、三度吹き込んでみる。
「うし、頑張ろう。」
心の中でそう呟いて、亜紀は再度気合を入れた。
扉の向こう側では、新入生達が静かに式が始まるのを待っていた。
「もうすぐ入場です。」
列の先頭、A組の担任がそう言うと、一気に緊張感が高まった。
卒業までずっとこんな感じならいいのにと思っているのは、一年生の担任達だ。この、初々しいピリッとした雰囲気というのは、そんなに長続きしないものである。
「新入生入場!」
まもなく、体育館の中からアナウンスが聞こえて、扉が開かれた。
それと同時に、小気味良いドラムスティックの音も体育館に響き渡る。
「じゃあ、行きますよ。」
A組の担任がそう指示を出すと、同時に吹奏楽部のマーチ演奏も始まった。
そしてそれを聴いて真っ先に反応をしたのが、真琴だった。
「『栄光をたたえて』……か。」
さすがは元吹奏楽部。曲をほんの数秒聴いただけで、名前を言い当ててしまった。
――『式典のための行進曲「栄光をたたえて」』。二〇〇一年の吹奏楽コンクールの課題曲だ。
「薄っぺらいなぁ……。ピアノ使ってごまかしてるし、コラールカットしてるし……一体ここの吹部って何人なんだろ。」
一歩二歩と、マーチにあわせて歩きながら、真琴は演奏に耳を傾け続ける。
やっぱり音が薄っぺらい。スネアが若干不安定。
けれども真琴が一番気になったのは、そんな事ではなかった。
「ペット……無茶苦茶巧い。なにこれ……。」
聴く限り、一人の音である。しかしものすごく音圧があって、スラーとかスタッカートとかの表情の付け方も巧い。そしてなにより、一つ一つの音がきらきらと輝いていた。
一体どんな人が演奏してるんだろうか。真琴は気になって背伸びをしてみる。けれどもまだこの位置からでは見えない。
「気になる……気になる……。」
自然と歩幅が大きくなって、前の人にぶつかりそうになった。
「人数不足で先生が助っ人に入ってるとか?」
そんな憶測も真琴の中で飛び出した。
しかし次の瞬間真琴が目にしたのは、制服を着たロングヘアーの先輩が、トランペットを立奏している姿だった。
「高校生……だったんだ。」
真琴の口から思わず漏れた言葉。考えてみれば当たり前の事だが、真琴はそれが信じられなかった。
今までいろんな団体の演奏を聴いてきたが、ここまで巧いトランペット奏者と出会うのは久しぶりだ。
全国大会で金賞を取った高校の定期演奏会で、ずっと前に聴いたトランペットソロ。それと同じくらいかも知れない。
「ああ、もう!吹部には入らないって決めたのに……。吹奏楽にはもう関わらないって決めたのに……。私ったら何でこんなに気にしてるのよ……。」
そうだ、私は吹奏楽に戻っちゃいけない人間なんだ。真琴はそう自分に言い聞かせる。
けれども身体は正直だった。ブレザーの下で、腕がゾワゾワっと鳥肌を立てているのが分かった。
真琴はもう、そのトランペットの音色のとりこになっていた。