(1)グロッキー
週が明けた月曜日。先週の木曜の入学式や、ガイダンス漬けの金曜日も終わり、今日から通常授業が始まる。そんな新しく爽やかな日に、俺は教室の机に突っ伏して苦悶していた。
脚が痛い……ひざの裏のありえないところが痛い。体が重い。
そんな調子の俺に、クラスメートで親友の冬田正輝が声をかけてくる。
「おーい。瀕死状態みたいやけど、一体どうしたん?」
心配してくれているというか、面白がっているというか……。いや、まぁ、後者なんだろうけど。
「はは、日帰り撮影旅行のツケだ。」
俺はゆーっくりと机から身体を起こして、椅子の背もたれに寄りかかると、苦笑いしながら答えた。
「またかよ!?」
そして、正輝に呆れ顔をされた。
昨日俺は、カメラやレンズが入った大きなカバンを担いで、能登地方のとある小さな駅にいた。
能登鹿島駅。能登さくら駅の愛称でも親しまれているこの駅は、その名の通り桜の名所で、この時期にはたくさんの観光客が訪れる。
昭和の時代、旧国鉄七尾線の開通とともに植樹された桜たちは、力強く根付き、ホームに沿って華やかなトンネルを作った。そしてそれは今もなお、時代を超えてこの地に咲き誇り、やってくる青と白の新型車両を包み込む。
そんな感動を一目見たくて、見させたくて、二時間列車にゆられてやってきたのだ。
「どうだ、すごく綺麗だろ、恋人よ。思う存分、瞳に焼き付けてくれ――。」
そんなことを思いながら、列車と桜の共演や、花壇に植えてあったチューリップ、地面に生えたタンポポなど、駅のいたるところに散りばめられた春を、一枚一枚切り取っていく。
構図を決め、露出とピントをあわせシャッターを切るたびに、カメラが喜んでいる気がして嬉しかった。
そうして、駅で過ごすこと二時間ほど。そろそろお腹も減ってきて、俺は事前に調べておいた蕎麦屋さんで昼食をとるため、金沢方向に一駅行った西岸駅にやってきた。
開業当時のままの木造の駅舎を出れば、目の前には広大な七尾湾と、牡蠣貝の直売所。看板にのぼり旗など、道沿いのあちらこちらで踊る「かき」の文字の誘惑を振り切り、目的の蕎麦屋さんにたどり着く。一見、ただの民家のようなそのお店は、中に入るとどこか懐かしく、蕎麦のいい匂いに包まれていた。
「田舎せいろとカキフライをお願いします。」
好きなところにと店員さんに言われ、俺は一直線に座敷に向かい、お品書きをしばらく眺めた後、注文をした。
グーッと足を伸ばして、深く息を吸えば、いぐさのいい匂い。この匂いに素朴な蕎麦の香りも加わって、なんともいえず心地が良い。
そしてしばらく待てば、そこに蕎麦の味も加わった。ずるずるとすすれば、口の中がモチモチ美味しい。素朴なんだけれども、高級な味。
一気に掻っ込みたくなる衝動と、ゆっくりと味わいたい感情。
やっぱり、そん所そこらの蕎麦屋とは違う。こんな辺鄙なところで、商売を続けられるのには、やっぱりそれなりの理由があるのだ。
「ごちそうさまです。すごく美味しかったです!」
「ありがとうございます、ぜひまたいらして下さい!」
ひと時の幸せの後、店員さんの笑顔に見送られ、俺は店を後にした。
本当はもっとゆっくりしていきたかったけれど、もう一つ行きたいところがあるのだ。あんまり時間を使うわけにもいかない。
「さぁ、美味い飯も食ったことだし、気合を入れていこう!ここからはしたたか歩くんだから。」
地図を片手に、俺は心の中でそう呟いた。
目指すところは別所岳の山頂。西岸駅の観光案内版には、十キロ先と記されていた。往復だとその倍、筋肉痛は確実である。
でも、ぜひ一度見ておきたいのだ。能登半島の地図を、この目で実際に――
「――で、今日はこの有様か。」
「はは、まぁな。途中で迷うし道も悪いし、散々だった。」
正輝の言葉に、俺は弱々しく笑ってそう答えた。
そう、道に迷ったせいで俺は、ただでさえ長い道のりを更に歩く羽目になったのだ。その上保安林の間を縫うようにのびるその道は、落差も激しくぬかるみだらけで、想像以上に脚に負担をかけた。
「でも、頂上は本当に気持ちよかったぞ!三百メートルほどの小さな山だけど、能登半島が一望できるんだ。まさしく地図のあの形が、この目で見れるんだよ!」
「へぇ……確かにそれは一回、見てみたいかも。」
「だろ?!何なら今度一緒に行ってみるか?」
「い、いや、それとこれとは話が別だよ……。」
興奮気味の俺に、正輝は苦笑い。
そう。親友でもこうなのだ。カメラを持って時には列車で、時には自転車で、時には歩きで――いくら親友と言っても、こんなに地味で面倒くさい趣味には付き合ってくれない。当然他の友達もそうだ。
だからいつも、一人旅。いや、それはそれで楽しいんだ。マイペースに行けるし、話し相手がいない分、地元の人ともふれあえるし。
でもときどき、同年代の友達と一緒に、のんびりぶらぶらわいわいと旅をしたいなんて、思ったりもするのである。
先輩と過ごした、あの夏の日みたいに――。