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濡れ衣令嬢と竜姫  作者: 白保仁
一章

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四話

 セルバは王都内の公爵家別邸に戻ると、まず学園へ使者を走らせた。

 学園内に滞在しているアデル付きの使用人を呼び戻すためだ。


 コンラートの反応は、セルバのおおよそ予想通りだった。

 セルバは先代のときから仕えている。コンラートが子供のころから知っているのだ。

 コンラートは優れた軍人ではある。父親としての私情を、優先しないだろう。


 指示を終えたセルバのもとへ、侍女長のアグネスが近づいてくる。

 いつも澄ました顔をしているが、今日は少し硬い表情だ。


「それで、コンラート様はなんと?」


「捨ておけ、と……。帝国が戦を仕掛けてきました」


「それで……あなたはどうするつもりなの?」


 周囲に人はいない。だからアグネスの口調は少しだけ砕けていた。

 セルバは彼女の目を見て、短く答える。


「動けるのは私たちだけでしょう。放っておくわけにもいかない」


 セルバの言葉に、アグネスはどこかほっとした顔をした。

 ふたりにとってアデルは、生まれた時から見てきた子――半分は家族のような存在だった。


 公爵夫人――コンラートの妻は、アデルを産んだあと若くして亡くなっている。


 子は三人。

 長男ディートリヒは父の補佐として軍務卿執務室に詰めている。

 次男クラウドは十七歳で、公爵領にて領政の勉強をしている最中だ。

 そして末娘が、アデル。唯一の女の子であるアデルを、アグネスはとても可愛がっていた。


 コンラートとディートリヒが不在の今、公爵家の実務の舵は、事実上セルバが握っている。


「それで、どうお考えで?」


「アデル様が懇意にしている教師、カナリア様からの手紙です」


 セルバは封蝋の切れた封筒を差し出す。

 アグネスはそれを受け取り、中身に目を走らせた。


「……アデル様は、側近たちを疑っている様子」


「内通者が……?」


「そうでなければ、アデル様を陥れるのは難しいでしょう」


 アグネスの喉が、こくりと鳴った。


「アデル様は……誰にも告げず、ヴェルダ樹海へ向かったと」


「おそらく、アデル様に近しい者が通じています」


 セルバは言い切ってから、ほんの一瞬だけ視線を落とした。


「ただ、内通者がどこまで入り込んでいるかはわかりません」


「他にもいる可能性があると?」


「ひとりだけとは限らないでしょう。複数入り込んでいる可能性もあります」


「……どうするのです?」


「閣下も、私が動くことは織り込み済みでしょう。――公爵家が攻撃されているなら、早めに手を打たねばなりません」


 セルバは袖口を整え、歩き出した。

 廊下の燭火が揺れ、影だけが少し長く伸びた。


※※※


 リィはヴェルダ棘尾狼(きょくびろう)を追いかける。

 森の奥へ奥へと、木々の間を縫うように走っていった。


 樹海の魔物は黒竜の気配を嗅ぎ取ると、大抵は一目散に逃げ出す。


 リィはヴァルの教えを守って、無闇に襲ったりしない。

 けれど今は、お腹が減っていた。


 黒竜とはいえ、リィの魔力は規格外だった。

 兄弟たちも黒竜の名にふさわしい力を持つが、リィはその中でも頭ひとつ抜けている。

 ヴェルダ樹海の魔物たちは、その差を本能で測る。


 棘尾狼は角鹿と違って、肉質が硬く、臭みも強い。リィの好みではなかった。

 だが、腹が減っては空も飛べない。

 リィは不満げに鼻を鳴らし、獰猛な笑みを浮かべて追跡を続けた。


 遠く崖の上では、いつものようにガルが退屈そうに爪を研いでいる。

 今朝もリィが半ば無理やり修行に連れ出したとき、ぶつぶつ文句を言っていた。


 木々の密度がふっと薄れ、開けた場所に出た。

 そこでリィは足を止める。


 ――いた。


 正面に、棘尾狼が十体近く。

 逃げ切れないと悟ったのか、群れを組んで待ち構えている。

 さらに背後の木陰の奥から、様子を伺っている目もある。


「むむっ……こんなに食べられないぞ……」


 リィは食べるのは好きだが、大食いではない。兄弟の中でも身体が小さく、食べる量だって少ない。

 棘尾狼は群れで戦うことで、時には格上の魔獣だって倒すことがある。


 けれど――


 リィにとっては、一体でも十体でも大差はなかった。


 先頭の棘尾狼が威嚇するように吠えた。

 それを合図にしたかのように、背後の樹上から一体が跳ぶ。影が落ち、棘のように硬い体毛が風を裂いた。


 棘尾狼の尾は、魔力を込めると三メートル近くまで伸びる。

 鞭のようにしなり、獲物を絡め取り、締め上げる。そこへ群れが一斉に噛みつく。それが得意技だ。


「……でも、相手が悪いぞ」


 リィは背後を見向きもしないまま、尾の一撃をひらりとかわした。

 次の瞬間、伸びた尾をずん、と掴む。


 棘が刺さるはずの場所に、傷はつかない。

 リィの周囲を覆う魔力が、薄い膜のように刃を弾いた。


「うりゃっ」


 引き寄せる。

 尾の主ごと、ずるりと引きずり出したところで、蹴り上げた。


 ぐ、と鈍い音。

 棘尾狼は悲鳴を上げる暇もなく宙を舞い、落ち葉を巻き上げながら地面に叩きつけられる。


 リィは口元を歪めた。


「……しっかり焼いてやる」


 喉の奥で魔力が燃え、息が熱を帯びる。炎が一閃し、棘尾狼の身体を舐めた。

 短い断末魔の気配だけが残り、次の瞬間には、ぴくりとも動かなくなる。


 周囲の棘尾狼たちが一斉に後ずさった。

 うなり声が小さくなり、目が揺れる。さっきまでの勢いが嘘みたいに、足元が落ち着かない。


 リィは、倒れた一体を顎で示す。


「一体あれば十分だ。……まだやりたいなら、相手するけど?」


 言葉が通じたかどうかはわからない。

 けれど意味は伝わったのだろう。棘尾狼の群れは、散るように森へ消えていった。


 残った死体を掴み上げると、リィは軽く肩を回す。


「よし。ガル兄のところに帰ろ」


 リィは獲物を引きずり、崖の上の兄のもとへ向かった。

 遠くで、爪を研ぐ音が止んだ気がした。


※※※


 ガルの元へ戻ると、リィは得意げに棘尾狼の死体を引きずり寄せた。

 そして「よいしょ」とばかりに、ガルの背中によじ登る。


 ガルは、これでもかというほど大きな鼻息をついた。


「……ひとの背中で食べるやつがあるか」


 ガルが背をゆすったが、それは本気で振り落とすものではない。

 叱っているふりをしているだけだと、リィにはわかる。


 リィは満面の笑みで、棘尾狼に齧り付いた。


「大丈夫だ。僕は気にしない……」


「お前が気にしなくても、俺が気にするんだ」


 そう言いながらも、ガルは結局あきらめたのか、爪研ぎを再開した。

 齧り付いた先から滲んだ血が、ぽたり、ぽたりと黒い鱗を濡らす。ガルの尻尾が、嫌そうに小さく揺れた。


 しばらくリィが夢中になっていると、ガルがぽつりと言った。


「リィ……空を飛べないことを、あまり気にするな。それに……外も、思うほど面白いものじゃない」


 リィは口の端についた血を舌で拭い、胸を張る。


「気にしてないよ。僕はヴァルの子だ。すぐに空も飛べるようになる」


「それはそうだが……急ぐなと言っている」


 ガルは爪研ぎをやめ、首をねじってこちらを見上げた。

 黒色の瞳が、いつになく真剣だ。


「リィ。お前は……器に余る魔力の持ち主だ。珍しいことに……」


「魔力量だけなら、ガルより上だよ」


 自慢げに鼻を鳴らした瞬間、ガルの尻尾がぺちり、と背中を打った。

 痛くはない。


「……まあ、そういうことだ。魔力が大きすぎて、器が追いついていない。だからお前は、魔術が下手なんだ」


「へたっぴじゃない……ちょっと苦手なだけさ」


「大器晩成というだろう。急いでどうにかなるものじゃない」


 リィは不貞腐れた顔をして、ガルの背にぎゅっとしがみつく。


「でも、練習には付き合ってくれるじゃないか……」


「時が解決するからといって、努力が無駄なわけじゃない」


 ガルは大きく溜息をついた。


「それに……お前に泣きわめかれると、俺の気が滅入るからな」


「僕は泣いたりしない……」


 ぶすっとした声で返すと、また後ろの方でガルの尻尾が、ぱた、と鳴った。

 叱っているのか、慰めているのか――たぶん、その両方だった。


※※※


 リィの飛行練習は連日続いた。

 その日の樹海は、いつもより静かな気がした。

 夜半に雨が降ったのだろう。湿った土の匂いが濃く、葉の裏に溜まった雫が、ときおりぽたりと落ちる。


 リィは大きく伸びをして、胸いっぱいに息を吸い込んだ。肺の奥まで森の匂いが染みる。

 ガルは連日付き合ってくれていたが、さすがに毎日とはいかず、今日はひとりだ。

 仕方なくリィは樹海をふらふら彷徨っていた。


(今日こそ飛ぶぞ……)


 足踏みしながら、ぐっと力を込める。空を飛ぶのは魔術の応用だ。

 力を入れたところで意味はない。分かっているのに、つい入ってしまう。


 リィは昔から魔術が苦手だった。


 魔力が体の中を巡る感覚はある。

 けれど、それを狙った形に整えるのが難しい。掴もうとすると、するりと指の間から抜けていくみたいに散る。


 火の魔術だって、最近ようやくそれっぽくなってきたくらいだ。


 竜っぽくてかっこいいから。

 そんな理由で、せめて火の魔術だけでもと練習してきた。リィにとって、かっこいいのは大事だ。

 ヴァルもガルも強い。そして、かっこいい。自分もそうなりたい、と素直に思う。


 リィは崖へ向かった。


 全力で走る。足が地面を叩くたび、湿った土が跳ねた。


(いける……!)


 地面を蹴り、崖から飛び出す。

 頬を風が撫でる。視界がひらけて、樹海の緑が下に広がる。ほんの一瞬、身体が軽くなった気がした。


 身体を巡る魔力を、今度こそはと丁寧に練る。


 ――なのに。


 魔術は、不発で終わった。

 身体がじわじわと落ちていく。風が耳元で唸りはじめ、枝葉の海が迫ってくる。


「うわぁぁぁ~!」


 情けない声が喉から飛び出した。

 速度が増し、木々が目の前に迫ってくる。枝葉を掻き分けるように落ちていき、葉が頬を叩き、蔓が腕に絡む。


 けれど、痛みは薄い。

 体を覆う魔力が、薄い膜みたいに傷を弾いてくれる。


 次の瞬間。


 ドスン、と鈍い音がした。

 湿った土が泥になって跳ね、冷たい飛沫が頬に散った。肺の中の空気が一瞬抜けて、視界がぐらりと揺れる。


 リィは泥の中に手をつき、むっと顔を上げた。


「……だいじょうぶ」


 誰も聞いていないのに、言い訳みたいに呟く。

 そして泥を払うより先にリィはもう一度、崖を見上げていた。


 悔しさのほうが、痛みより先に来た。


※※※


 リィはしばらくぼんやりとしていた。

 いつもなら、ガルに慰めてもらうところだが、今日は一人だ。

 悔しさで、すぐに動く気になれなかった。


 あれだけ派手な音を立てたのに、周囲は静かだった。

 鳥の声も遠い。枝葉のざわめきすら、どこか慎ましく聞こえる。


 リィがもう少し小さいころは、舐めて襲いかかってくる魔物も、少ないながらいた。

 魔術は苦手でも、魔力の高さで押し切って返り討ちにしてきた。


 今となっては、ヴェルダ樹海の中でリィに敵うものは、家族以外にいないだろう。


 ――けれど、その日は違った。


 土を踏む音。葉擦れの音。浅い呼吸。

 できる限り音を消しているつもりなのだろうが、リィの耳にははっきり届いていた。


 何かが近づいてくる。

 さっきの落下音に気づいて、様子を見に来たのだ。


 リィが感じたのは警戒心ではない。好奇心だった。

 リィに自分から近づいてくる魔獣は珍しい。


 リィは気づかぬふりをして、泥の中で姿勢を整え、座り込んだ。

 のんびりと頬についた泥を拭い、わざと欠伸までしてみせる。


(……誰だろ)


 足音が止まる。

 そこから、ゆっくりとした時間が流れた。


 襲ってこない。

 ただ、じっと見てくるだけだ。視線には敵意も殺意もない。ただ、観察しているだけに見えた。


 ヴェルダ樹海でリィを知らないものなど、まずいない。

 それなのに、この距離感。


(外から来たのかな)


 そう思うと、好奇心がぐっと膨らむ。

 面白そうな相手なら、食べるのは勘弁してやってもいいかもしれない。


 いつまでも動かないのは退屈だった。

 リィは立ち上がり、ゆっくり腰をひねる。泥が肩からぽたりと落ちた。


 そして――ある方向を向いて止まる。

 にやりと笑った。


「そこだ」


 次の瞬間、リィは走り出した。

 相手の気配が跳ねる。動揺したのが、手に取るように分かる。


「見つけた」


 逃げようとしたのか、相手の身体がふわりと浮いた。

 だがその前に、リィは飛びついて押し倒す。


「きゃっ――!」


 短い悲鳴。柔らかい声。

 土と葉が舞い、下敷きになった相手がじたばたと暴れる。けれど、リィの腕はびくともしない。


「んん?」


 見たことのない生き物だった。

 細い手足。鱗も爪も牙もない。


 ――やっぱり、外から来た?


 リィが顔を近づけてじろじろ眺めると、相手は露骨に顔をしかめた。

 樹海のどんな生き物とも違う。……違う、はずなのに。


 どこかで見た形だ。


(……あ)


 リィ自身だ。

 ちょっと違う。けれど、大きくは同じ。リィと似た姿をしている。


 なのに、相手はひどくひ弱だった。

 抵抗しているつもりなのだろうが、力がまるで入っていない。可哀そうになってきて、リィはぱっと手を離した。


 相手は転がるように身を起こし、泥を払っている。

 警戒しているのか、息が少し荒い。


「なんだ……お前、竜か? どこから来たんだ?」


 返事がない。

 リィは頬をふくらませ、少しだけぶすっとした顔になる。


「僕はリィ。――お前の名前は?」


 相手が顔を上げた。

 綺麗な蒼い瞳が、まっすぐこちらを射抜く。思わず、リィは息を止める。


 そして相手は、戸惑いを隠さない声で言った。


「竜……? いえ、それより……どうして女の子が、こんなところにいるの?」

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