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濡れ衣令嬢と竜姫  作者: 白保仁
一章

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2/21

二話

 アデル・ローゼンベルクは、ローゼンベルク公爵家の令嬢である。

 カルディア王国建国当初から続く名門で、王家とも縁の深い大貴族――その娘だ。

 王国内ではローゼンブルクの名を持つだけで、大抵のことはなんとかなる。


 けれどアデルは、その扱いに甘えるつもりはなかった。

 幼いころから周囲は過剰なほど丁重で、失敗さえ無かったことにしてくれた。厳しかったのは、父くらいだろう。

 軍を背負う父の背中を見て育ったアデルは、自分もまた家名に恥じぬよう研鑽を積んできた。


 その積み重ねもあって、十歳のとき第一王子ジークフリート・アルクレイヴの婚約者に選ばれた。

 順調にいけば、いずれはカルディア王国の王妃となる。

 誰もがそう囁き、アデル自身も――それを当然の未来として受け入れていた。


 それなのに。


(どうして、こうなったんだろう?)


 華やかな音楽。シャンデリアの揺れる光。

 学園のパーティ会場で、アデルはどこか他人事のように立ち尽くしていた。


 目の前のジークフリートは、婚約者を見る目ではない。

 罪人を見る目で――こちらを、冷たく見下ろしている。


 その隣には、最近よく見かける伯爵令嬢レオノーラ・グレイソン。

 彼女は唇を震わせ、今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。


「アデル。君にはがっかりしたよ」


 ジークフリートの声は、どこまでも冷淡だった。

 少なくとも、婚約者に向ける声ではない。


 アデルは胸の奥から湧き上がる怒りを押し殺し、息を呑む。

 返せる言葉はいくらでもある。けれど相手はこの国の第一王子だ。

 ここで感情的になれば、さらに自分の首を絞めるだけ。そんなみっともない真似はしたくない。


 周囲がざわめいた。

 学園のパーティで、王子が突然、公爵令嬢を糾弾し始めたのだ。驚かない者の方が少ない。


 ジークフリートとアデルの仲が良くないことは、周知の事実だった。


 正確には、ジークフリートが一方的にアデルを嫌っている。

 アデルにも思うところはあったが、相手は王族だ。歩み寄るべきは自分だと、そう言い聞かせてきた。

 ただ、何が気に入らないのかは分からない。何を治すべきかわからないのだから、手の打ちようもない。

 近頃は周囲の目も気にせず、露骨に冷たい態度を取ることすらあった。


 だからこそ、今も「またいつものことだ」と冷めた顔で見守っている者もいる。

 だが、今日の言葉は、いつもとは違った。


「君が、レオノーラ嬢の殺害を企んでいることはわかっている。証拠も上がっている」


 レオノーラは青ざめたまま、小さく首を振った。

 その怯えた姿は、無関係であれば同情を誘うだろう。演技か本心か――判別はつかない。


(証拠……? あるわけがない)


 アデルは内心でそう言い切った。

 なぜなら、彼女はレオノーラの殺害など企んでいない。


 確かに、王子に近づきすぎるレオノーラに苛立ちはあった。

 けれど、だからといって殺すという発想などしない。

 仮に排除したいのだとしても、もっと貴族的で、もっと綺麗な方法がいくらでもある。

 殺人などという短慮を選ぶほど、アデルは愚かではない。


 アデルはジークフリートの視線を、正面から受け止めた。


 ジークフリートは侍従に顎をしゃくった。

 すると銀盆の上に二つの品が並べられ、衆目に晒される。


 封の切られた手紙。

 小さなガラス瓶。中に淡い紫の液体が揺れている。

 どちらも、アデルが見たことのないものだった。


「これが証拠だ」


 ジークフリートの声が、会場の空気を支配する。


「これはレオノーラ嬢に届いた脅迫状だ。貴族の用いる紙には、製紙所の透かしが入っている。この手紙の透かしは――ローゼンベルク公爵家で用いている紙と一致した」


 ざわ、と再び波が立つ。

 貴族たちの視線が一斉にアデルへ集まった。


 アデルは銀盆の上の手紙を見た。

 文字は整っている。柔らかく、女性らしい筆致。


(違う)


 形は似せてある。だが、自分の字と違うことくらいは分かる。

 筆圧の抜き方、線の止め方。――ほんのわずかな癖が、そこにはない。


「さらに、悪いが君の部屋を調べさせてもらった。この瓶が出てきた。レオノーラ嬢の食事に混ぜられていたものと同じ毒だ」


 アデルの胸がざわついた。

 先日、レオノーラが倒れていたという噂は聞いている。だが、それが自分の仕業であるはずがない。


 ジークフリートは守るようにレオノーラを引き寄せた。

 その仕草が自然で、あまりにも絵になるせいで、アデルの喉がひどく渇く。


「幸い、レオノーラ嬢は回復した。だが量によっては死に至った可能性もある。言い逃れはできまい」


 アデルは一歩前へ出た。

 どうやら、これはいつもの冷たい態度ではない。

 本気だ。本気で自分を潰すつもりだ。


「……手紙を、こちらへ」


 会場が静まった。

 ジークフリートが目を細める。


「何をするつもりだ」


「確認したいだけです。筆跡は似せられますが、私が書いた字ではありません」


 アデルの声は落ち着いていた。

 言葉を選ぶ。ここで激情に任せれば、彼らの思う壺だ。


 ジークフリートは鼻で笑った。


「不要だ。鑑定はすでに済んでいる。それに……君の家の者も認めていたぞ」


 その一言に、アデルの背筋が冷えた。

 家の者が――認めた?


「……誰が、です?」


「君が知るべきことではない。君みたいな――人殺しにな」


 数名の貴族が顔を見合わせる。

 証拠を信じていいのか迷うような者もいる。だが助け舟を出す者はいない。

 相手は第一王子だ。異を唱えた瞬間、自分が標的になりかねない。


 ジークフリートは畳みかける。


「それに、君の部屋から毒の瓶が出ている。何を疑う必要がある?」


 会場の空気が、静かに同意へ傾いた。

 それに合わせて視線も、アデルを冷たく裁く色に染まっていく。


(要するに……)


 抵抗する気力が削られていく。


(私は嵌められた。殿下に――あるいは、ローゼンベルク家内の誰かに)


 どちらにせよ、もう遅いのだろう。

 部屋から瓶が出たという事実が、何よりも重い。偽りでも、王子が「出てきた」と言った以上、それは真実として扱われる。


「ジークフリート殿下……信じてください。私はレオノーラ嬢を傷つけていません」


 できることとしたら、温情に縋ることくらいだ。

 会場中がアデルを哀れむ目に変わっていくのが分かる。


 その瞬間、レオノーラが小さく息を呑み、肩を震わせた。

 泣きそうな顔で、ジークフリートに縋るように視線を向ける。


「殿下……っ」


 ジークフリートは、レオノーラに優しく手を差し伸べた。


「怖かったな」


 そしてアデルへ向き直る。

 その眼差しから温度が消えた。


「アデル・ローゼンベルク。君との婚約は破棄する」


 会場が息を呑む。

 公爵家の娘が王妃候補から降ろされた。この噂は、明日の朝には王都中を巡るだろう。


 アデルは一度だけ目を伏せた。

 そして、ゆっくり顔を上げる。


「承りました」


 自分でも驚くほど冷静に、その言葉が出た。

 ジークフリートは表情ひとつ変えず、続ける。


「君とは長い付き合いだ。贖罪の機会を与えよう。竜殺しのローゼンベルク家に相応しい仕事だ」


 アデルは顔を上げる。

 こんなふうに追い詰めておいて、まだ何を言うつもりなのか。


 竜殺しのローゼンベルク家。

 初代が竜を退け、この国の危機を救ったという逸話。

 その功によって公爵家となった――子どものころから繰り返し聞かされた物語。


「君には竜殺しを行ってもらう。……いや、鱗一つでも持ち帰ればいい。その功をもって罪をなかったことにしよう」


 まるで課題を出すような口調だった。


「殺害を企んだ罪は重い。だが今回は学園内の出来事だ。それでもって良しとしよう」


 慈悲を与えるかのように言う。

 だがアデルの胸の中は、冷え切っていた。


 竜とは、生きる災害だ。

 鱗を持ち帰れ――それは「死ね」と言っているのと同じ。


「しかし、竜など……どこにいるかも分かりません」


 アデルが絞り出すと、ジークフリートは冷たく笑った。


「分かっているのがいるではないか。ヴェルダ樹海だ」


 アデルは息を呑む。


「黒竜を相手にせよと……?」


「まあ、安心しろ。禁じられた森に入る許可は出してやる」


 王子は一拍置いて、言い切った。


「――ただし、貴様一人だけだ。王国が黒竜に喧嘩を売ったなどと思われたくないからな」


 黒竜。これは実質、死刑宣告だ。


 なのにアデルは、どこかすっきりしていた。

 この男が自分をここまで邪魔に思っていたのだと――ようやく腑に落ちたからだ。


「……御意のままに、殿下。ローゼンベルク家の名にかけて、黒竜の鱗を持ち帰ってみせましょう」


 喚いたりはしない。

 公爵令嬢としての矜持が、それを許さなかった。


 ジークフリートは鼻を鳴らしただけだった。


 アデルは踵を返す。

 背中に刺さる視線が痛い。哀れみ、勝ち誇り、好奇――それらが刃物のように飛んでくる。


(……簡単に死んだりしない。絶対に)


 ローゼンベルクの血は、竜に挑んだ歴史の上にある。

 ならばせめて、この死刑に等しい命令を生還で踏みつけてやる。

 そして自分を嵌めた者を――必ず見返してやるのだ。


※※※


 王立グランヴェール学園の教師、カナリア・ローレンツは研究室で調べものをしていた。

 羊皮紙の束に目を走らせ、文字を指先でなぞっていく。机の端には乾ききらないインク壺と、使いかけの羽根ペン。


 湯気の立つコーヒーを淹れると、香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がった。

 ひと口すすった、そのとき。


 扉が、こつこつと叩かれる。


「どうぞ」


 返事をすると、扉が静かに開いた。

 顔を覗かせたのは女学生――アデル・ローゼンベルクだった。


 金髪は肩近くまで整えられ、碧い瞳がまっすぐこちらを見る。

 美しい顔立ちだが、いつもより色がない。表情が固い。


 カナリアは本を閉じ、椅子から立ち上がった。


「いらっしゃい、アデル。……どうした?」


 いつもなら一礼して用件を簡潔に告げる。

 だが今日は、扉の前で足が止まっている。


 カナリアは室内のソファを指した。


「そこに座って。顔色が良くない」


「……体調が悪いわけではありません」


 声が、硬い。

 アデルは一瞬迷ったあと、ソファに腰を下ろした。


「先生。少しだけ、お時間をいただけますか」


「もちろん。何があった?」


 促すと、アデルは視線を落としてから、短く言った。


「ジークフリート……殿下の件です」


 カナリアは眉をひそめた。

 まさか恋愛相談ではないだろう。


 カナリアはカップをもう一つ取り、コーヒーを注いでアデルの前に置く。

 アデルは深刻な顔のまま、カップに触れもしない。


「……殿下に、婚約解消を申し出られました」


「……いったい、なぜ?」


「レオノーラさんへの……殺人未遂の疑い、だそうです」


「レオノーラ……グレイソン家の令嬢か。なんでまた?」


 名前に覚えはある。挨拶を交わした程度だ。

 伯爵令嬢にしては目立たず、物静かな印象しか残っていない。


 カナリアは探るように言った。


「それで……君はやっていないんだろう? まさか痴情のもつれ、なんて言わないよね」


 アデルは息を吐き、頷いた。

 その動きに迷いがないのを見て、カナリアも信じることにする。


「はい。もちろん、やっていません。……けれど、証拠が出てきているのです」


「偽証か、捏造か。どちらにせよ、誰かが君を陥れようとしている」


「ええ。ローゼンベルク家の中に、私を売った者がいるみたいです」


 カナリアは思わず顔をしかめた。


「厄介だな……君の父君とは話したことがあるが、筋の通る人だった。とはいえ、公爵家も一枚岩じゃないか」


 アデルは短くうなずき、静かに言った。


「父は軍の中枢にいます。国益のためなら、娘を切り捨てる判断さえするでしょう」


 言葉が静かすぎて、むしろ重い。

 カナリアは軽く息を吐いた。


「家が信用できないから助けてほしい、ということかな? 構わないが――政治は苦手でね」


 だがアデルは首を振る。


「いえ、とはいえ父は関わってないでしょう。どちらにせよ、家に頼るつもりはありません。……私は、すぐ学園を離れなければ」


「離れる? 家に戻るのかい?」


「ヴェルダ樹海に向かいます」


 カナリアの手が止まった。


「……何を言っている」


「竜の鱗を持ち帰れば許すと。殿下が」


 冗談ではない。

 アデルの顔が、そう言っている。


 カナリアは深く息を吐いた。


「……君ひとりで?」


「はい。一人でという条件です」


「これだから……権力を持った子どもは。死にに行くようなものだよ」


「死ぬつもりはありません」


「いや、当主に言うべきだ。これは――」


「殿下は学園内の問題として処理すると言いました。私としても好都合です。家を巻き込みたくありません」


 アデルは少しだけ間を置き、続ける。


「それに、証拠まで出ている以上、単なる暴走ではない。周到に準備された計画です。覆すなら……こちらも無茶を通すしかありません」


 まっすぐな声だった。

 カナリアはしばらくアデルを見つめ、根負けしたように肩を落とす。


 そして立ち上がり、本棚から一冊の本を抜き取って差し出した。


「黒竜に関する記録だ。温厚で、人語を解するという。……決して争ってはいけないよ」


 アデルは礼をして受け取った。


 カナリアは研究室の奥へ行き、厳重な保管庫から拳大ほどの石を取り出す。

 鈍い光が、手のひらの上で脈打った。


「これを持っていきなさい。魔晶石だ。黒竜が価値を見出すかは分からないが……交渉の材料にはなる」


「……先生」


「君は、頭の使い方が上手い子だ。戦うんじゃない。生きて帰るために使いなさい」


 アデルは魔晶石を見つめ、唇を噛みしめた。

 やがて、小さく息を吸って顔を上げる。


「……ありがとうございます。お礼は、必ず後日」


「いいんだよ。かわいい生徒のためだからね」


 カナリアがそう言うと、アデルは涙をこらえるように一度瞬きし、深く頭を下げた。

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