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濡れ衣令嬢と竜姫  作者: 白保仁
二章

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十一話

 約束の時間になり、アデルは第一王子ジークフリートのもとへ向かった。

 扉の前で一度、息を整える。――緊張しているのが、はっきり分かる。


 指先が冷えていた。

 深呼吸をひとつ。背筋を伸ばして、扉を開ける。


 入室した瞬間、視線が刺さった。


 正面、ジークフリートの隣には当然のようにレオノーラがいる。

 壁際にはヘルミーネをはじめ、数名の教師。

 さらに第一王子派の貴族子女――学生たちまで控えていた。


 見世物にされている。そう感じた。


 アデルは歩を進め、臣下の礼を取る。


「よい。ここは学園だ。形式ばる必要はない」


 ジークフリートが、いかにも寛大そうに手を振った。


「それに――仮にも婚約者だったのだ。顔を上げよ」


「ありがとうございます。殿下、お久しぶりでございます」


「君も無事でなにより。――で、禁じられた森で何があった?」


 アデルは顔を上げ、ジークフリートと視線を合わせた。

 隣のレオノーラは、いつも通り怯えた表情を貼りつけている。


「ヴェルダ樹海へ入ってほどなく、年若い黒竜――黒竜の子と思しき存在に遭遇しました」


「運がいい。幼竜だったから討ち取れた、と?」


 ジークフリートが顎に手を当て、考え込むふりをする。

 その間、周囲は静かだ。


「いいえ。黒竜を怒らせるわけにはいきません。私は会話による接触を試みました」


 嘘は言っていない。

 ――その子が人間だったことだけを伏せている。


「そこで、想定外の事態が起きました」


「ほう」


「樹海の外から、獅鷲(グリフォン)が侵入し、襲撃してきたのです」


 その瞬間、レオノーラの表情がほんのわずかに強張った。

 アデルは視界の端でそれを捉え、顔には出さず続ける。


「黒竜の子と共闘し、獅鷲を退けました。鱗は、その子の親竜から礼として受け取ったものです」


「そうか。そんなことがあるのか。さすがだ、アデル」


 狐面の女の話はあえてしなかった。

 目を覚ましてから探したが、ヴェルダ樹海から消えていた。角笛の欠片も持ち去られている。

 話しても、証明する手段がない。


 ジークフリートが拍手をする。

 それに合わせるように、周囲からも拍手が起こった。


 拍手。拍手。拍手。

 乾いた音が、いつまでも続く。そこには称賛の熱がない。


 ようやく拍手が止むと、ジークフリートは満足げに間を取り、ゆっくり言った。


「では、肝心の鱗はどこだ? 約束通り、その鱗をもって君の罪を――なかったことにしよう」


 その言葉に、アデルの視線が自然とヘルミーネへ向いた。


「ヘルミーネ先生。鑑定の結果は、いかがでしたか」


 ヘルミーネはアデルをしばらく見つめた。

 今朝の柔らかい笑みはない。そこにあるのは、冷たい顔だった。


 そして、わざとらしいほどとぼけた声で言った。


「……なにのことかしら、アデルさん」


※※※


 一瞬、空気が止まった。

 アデルは反射的に唇を噛みそうになるのを堪える。


 ジークフリートも、レオノーラも、学生も――揃って、追い詰められたアデルを眺めていた。

 どう出るのかを、品定めしている。


 アデルは脈打つ鼓動を落ち着かせ、言葉を選ぶ。


「本日朝、黒竜の鱗を先生にお預けしました。殿下の命で鑑定する、と」


「ごめんなさいね。あなたが何を言っているのか、分からないわ」


 アデルはジークフリートを見た。

 ジークフリートは面白がるように口の端を上げる。


「残念ながら、僕はなにも知らないな」


(……また、嵌められた)


 迂闊だった。

 まさか、付き合いのある教師まで使ってくるとは。


 だが、ここで崩れれば終わりだ。

 アデルは呼吸を整え、声だけを平らにする。


「殿下。確認を。私が嘘をついていると仰るなら、なぜ今朝、ヘルミーネ先生が私の部屋に来たのか説明が必要です。

 寮の出入りは、寮監の記録に残っているはずです」


 ざわ、と小さな波が起こる。

 ヘルミーネが一瞬だけ目を泳がせた。


 ジークフリートは肩をすくめる。


「君の部屋に行ったのは、教師の裁量だろう。僕は関与していない」


「では――先生。今朝の来訪は、殿下の命ではなかったのですか」


 ヘルミーネの口元が、わずかに引きつる。

 しかし次の瞬間には、作り物の笑みが戻った。


「私は、ただ心配して伺っただけよ。鱗なんて、預かっていないわ」


 ヘルミーネは平然と嘘をついた。

 アデルは、声を荒げないまま押す。


「先生が預かっていないと言うなら、私の手元にあるはずです。

 ですが私はいま、この場に鱗を持っていません」


 今度は学生たちの視線が、ヘルミーネへ移った。


「証明にならないわ。あなたが持っていないだけでしょう。

 ……それに、私がそんな真似をする理由があるとでも?」


 ジークフリートが、咳払いをひとつ挟んだ。


「……ふむ。鱗がない、ということか?」


 わざとらしく首を傾げる。


「では今までの話は、作り話だったのかな?」


 学生からクスクスと笑いが起きる。

 背筋がぞっとする。


「殿下。私は確かに鱗を持ち帰りました。我が家の者も見ているはずです」


「君」


 ジークフリートが、柔らかい声で遮る。


「僕がいま聞いているのは、ここに鱗があるかだけだ。

 君の話が事実なら――ずいぶん軽々しく預けたものだな」


 アデルは、喉の奥が冷えるのを感じた。


「……猶予をください。再度、鱗を持ち帰ります」


 今なら事情を話せば、黒竜たちは協力してくれる。

 だが、ジークフリートは首を横に振った。


「何度も許可は出せない。機会は一度きりだ」


 見下ろす視線が、突き刺さる。


「言い残すことはあるか。処罰の内容は追って沙汰を出す」


 もう何を言っても無駄だ。

 アデルはうつむいた。ジークフリートは――どうしても自分を潰したいらしい。


 冷たい視線が刺さる。学生だけじゃない。教師まで同じ目をしていた。

 アデルが一体、何をしたというのだろう。


(王家は、この状況を把握しているの? それとも――)


 思考が渦を巻いた、そのときだった。


※※※


 扉が、唐突に開いた。


「遅れてすまない。研究室が立て込んでいてね」


 女性にしては低めの声。カナリアだった。

 彼女は遠慮なく室内を横切り、当然のようにアデルの隣へ立つ。


 空気が変わる。


「呼んだ覚えはありませんが、カナリア教諭」


「ああ、呼ばれなければ来てはいけなかったんですね。疎くてね」


 カナリアはにやりと笑い、視線だけで全員を黙らせた。


「――それで。殿下のお望みの黒竜の鱗の鑑定が終わりましたよ」


 ヘルミーネの頬がぴくりと引きつる。


 カナリアは手にした袋から、布に包まれたものを取り出した。

 ――黒竜の鱗だ。


「な……どうして、それを!」


 ヘルミーネが声を荒げる。

 カナリアは薄く笑った。


「どうして、って? 今朝、アデルから預かったものだよ」


 視線がぶつかる。

 カナリアがにこりと笑う。


「もちろん、あなたの部屋から盗んだりはしない。私は教師だからね」


 短い沈黙。

 先に視線を逸らしたのはヘルミーネだった。


 カナリアは鱗を皆に見えるよう掲げ、言い切る。


「鑑定は済ませた。これは正真正銘、黒竜の鱗だ」


 そしてジークフリートへ視線を移す。


「私はアデルの殺害未遂の嫌疑そのものは信じていない。――ただ、ここは学園内の問題だ。殿下の言葉通り、この鱗でなかったことになるんだよね?」


 室内が静まり返った。

 誰もが、王子の返答を待っている。


 ジークフリートの目が細くなる。


「……カナリア教諭。君を賢い人間だと思っていたが」


「自分で言うのも何だけど、王国でも並ぶ者はそうはいないよ」


 沈黙が、さらに重くなる。


 やがてジークフリートは芝居がかった調子に戻した。


「……アデル・ローゼンベルク。黒竜の鱗を持ち帰った功をもって、君の罪をなかったことにする。婚約解消は取り消さない。だが学園には通い続けるがよい」


「……っ」


 声を上げたのはレオノーラだった。

 その顔には焦りが浮いている。――当然だ。アデルが学園に残れば、彼女の立場は揺らぐ。


「申し訳ない」


 ジークフリートはレオノーラの手を取り、甘い声音で言った。


「だが、君のことは僕が守る」


 ――もう、アデルは眼中にない。そう言わんばかりだ。


 どうやら、アデルの罪はなかったことになったらしい。

 そもそもやっていないのだから当然だが、いまは生き残っただけで十分だ。


 アデルはゆっくり息を吸い、カナリアへ向き直る。


「ありがとうございます、カナリア先生」


「いいんだよ。かわいい生徒のためだからね」


 カナリアはいつもの調子で肩をすくめた。

 その軽さが、今はひどく頼もしく見えた。


※※※


 アデルがカナリアを伴って部屋を出ると、クラリスが駆け寄ってきた。


「大丈夫でしたか、アデル様」


「ええ、カナリア先生のおかげよ」


 クラリスはカナリアに気づくと深く礼をする。


「――驚いたよ、アデル。黒竜の鱗を持ち帰ったと聞いたときは」


「いえ……ですが先生、あんなことをして大丈夫でしたか?」


「多少は肩身が狭くなるだろうね。まあ、これでも味方は多くてね」


 カナリアはさらりと言う。


「……なにかあれば、ローゼンベルク家を頼ってください。あと、魔導石はお返しします」


「ああ、使わなかったのかな?」


「いえ、使わせていただきました。樹海でのことも、お話ししておきます」


 行き先はカナリアの研究室だった。


 アデルは本当のことを話した。

 リィのこと。狐面の女のこと。角笛のこと。


 研究室のソファに座ると、カナリアがコーヒーを出してくる。

 アデルが口をつけると、とても苦く、頭の芯が冴えていった。


「その狐面の女が、魔獣を操ってた……聞いたことがあるな」


「本当ですか?」


「帝国が持つ魔道具に似た話がある。確か、それも角笛だったはずだ」


「では、狐面の女は帝国からの刺客……」


「そういう線が濃い。もし第一王子が帝国と裏で繋がっているなら、由々しき事態だね」


「……はい」


 カナリアはカップを置き、声を少しだけ落とす。


「君の父君に伝えるのが良いだろう。君を狙った理由も、君の家――ひいては君の父にある可能性が高い」


「父ですか」


「帝国の攻撃を退けてきた功績は、公爵家が大きい。帝国からすれば因縁の敵だ。――君は、その娘だからね」


「なるほど……」


「どちらにせよ、君も疲れただろう。しばらく休みなさい。研究室のことは気にしなくていい」


「ありがとうございます」


 アデルは礼をして、研究室をあとにした。


※※※


 アデルがローゼンベルク公爵家の別邸を訪れたのは、三日後のことだった。

 リィの様子を確かめるためだ。


 応接の間に通されるなり、アデルは小さく目を瞬いた。


 リィは、見違えるほど整えられていた。

 樹海の匂いをまとっていた野性味は影を潜め、髪は丁寧に梳かれ、服も上等な仕立てのものに替わっている。


 元が整っているだけに、背筋を伸ばして立っているだけで――どこかの令嬢のように見えた。


 ……次の瞬間まで。


「うわぁぁん! 寂しかったよ!」


 リィが勢いよく飛びついてくる。

 アデルはよろけそうになるのを堪えて受け止めた――が、背後からクラリスがそっと支えた。

 冷えた目でリィを見ている。


「セルバはいいやつだけど、面白くないな」


 リィが頬を膨らませる。


「まあ……面白さを期待する相手ではないわね」


 アデルは苦笑しながら、ようやくリィを引きはがした。

 抱擁の余熱が残る腕を軽く払ってから、後ろに控えるセルバへ視線を向ける。


「それで。状況はどうなっているの?」


 セルバが一歩進み、恭しく頭を下げる。


「ご報告いたします。帝国が国境付近で動いており、コンラート閣下とディートリヒ様は北東へ向かわれました。別邸の守りは増員しております」


 淡々としているが、疲労の影が声の底にわずかにある。

 セルバは続けた。


「アデル様の側近にあたる者は、現在この別邸にて軟禁のうえ、順次事情聴取中です。

 また屋敷の使用人と出入りの記録を洗い直しておりますが――現時点で内通者は特定できておりません」


「父から、何か言伝は?」


「……ございません。ただ――」


 セルバは一拍置き、言い方だけを少し柔らげた。


「ご無事を、心から案じておりました」


「そう……」


 隣でリィが難しい話を理解しようと眉を寄せている。


「内通者がいるとして、どこの者だと思う?」


「第一王子派か、帝国の手の者か……。ただ、ローゼンベルク家は敵が多うございます」


「……やっぱり帝国の線は消えないわね」


 アデルは、学園でジークフリートと対面したときの光景を思い出す。

 獅鷲の名を出した瞬間のレオノーラのあの硬さ。見間違えではない。


「グレイソン家の可能性もある。レオノーラは……何かを知っていそうだった」


 息を吐き、思考を組み直す。


「彼女たち、軟禁中だったわね。私から話せるかしら」


「護衛を付けるのであれば、問題はないかと」


 そのとき、リィが胸を張って割り込んだ。


「アデルは、僕が守るぞ! 安心しろ!」


 セルバは即座に一礼する。


「それでは、よろしくお願いいたします」


「……やっぱりセルバは面白くないな」


 リィがぼそっと言い、アデルは小さく笑ってしまった。

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