表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
濡れ衣令嬢と竜姫  作者: 白保仁
一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/21

一話

 ヴェルダ樹海。


 大陸西部――カルディア王国の国境に接していながら、そこは人間の国に属さない。

 地図に名は刻まれても、踏み入ることは禁じられている。――禁じられた森。

 ひとたび入れば、生きて帰れぬとさえ囁かれる。


 黒竜が棲むからだ。


 竜は数ある魔獣の中でも頂点に立つ。

 過去には竜に襲われ、一夜にして滅びた国さえある。


 もっとも、人間も無力ではない。

 研鑽を積んだ剣と魔術は、時に竜の鱗さえ穿つ。竜殺しの英雄が語り継がれるのも、そのためだ。


 ――だが、黒竜の恐ろしさは個の力だけではない。


 黒竜は群れる。

 それは弱いから寄り集まるのではない。翼竜の群れとは違う。

 一体一体が、国を滅ぼしうる力を持つ者たちが、家族として共に生きているのだ。


 黒竜は知能も高い。人語を解し、情に厚く、仲間思いだという。

 仮に人間の英雄が一体を倒せたとしても、その代償は国そのものになるだろう。黒竜は仲間を傷つけた者を決して許さない。


 幸いにも黒竜は温厚で、よほど刺激しない限り人里に降りてこない。

 だから人間は選んだ。――近づかない。刺激しない。

 それが唯一、人間に許された選択だった。


※※※


 黒竜の末っ子であるリィは、今日こそはと意気込んだ。

 崖の縁に立ち、胸いっぱいに空気を吸い込む。


 背後では兄のガルが爪を研ぎながら、「またか」という顔をしていた。


「僕の勇姿を見てて、ガル兄」


 ガルが口を開く。


「おい、リィ。せめて――」


 だが、その先は言わせない。

 リィは返事を待たずに駆け出し、地面を蹴って崖から飛び出した。


 身体がふわりと軽くなる。

 風になったかのような気持ちになった。


 今日こそ空を飛ぶのだ。

 リィは、自由に空を駆ける自分の姿を思い描く。


 ――浮いた。

 そう思ったのは一瞬だけだった。


 宙に放り出された身体は、期待に反してじわじわと落ちていく。

 崖の下には樹海が広がっていた。枝葉の海が、こちらへ迫ってくる。


「うわぁぁぁ~~~!」


 黒竜の子とは思えない情けない声が、喉から飛び出した。

 木にぶつかる――そう思った、その瞬間。


 頭上で、バサリと重い音がした。


 次いで、リィの身体がぴたりと止まる。

 ガルに咥えられていたのだ。


 そのままゆっくりと地面へ降ろされ、最後は吐き出すように落とされる。


「やれやれ。いつまでたっても危なっかしいやつだなぁ、リィは」


「今日こそは飛べると思ったんだ」


 リィが拗ねた声で言うと、ガルは呆れ半分のまま、どこか慰めるように続けた。


「リィはまだ子どもだ。俺は三百年以上は生きてる。ヴァルに限っては千年以上だ。焦ることはない」


 ヴァルはリィとガルの親にあたる。十体以上いる兄弟たちを束ねる黒竜の頂点。

 それはつまり、このヴェルダ樹海の頂点に立つことを意味する。


「だけどさ~……みんなと違って、僕には翼がないんだもの……」


 悔しさを隠さずに言うリィに、ガルは肩をすくめる。


「何度も言うが、俺らは翼で空を飛んでるわけじゃない。魔術で飛んでるんだ。翼は飾りみたいなものだ」


「魔術か……魔力量には自信あるんだけどな~」


「いずれ、リィも空を飛べるようになる」


 それでもリィがなおもいじけていると、ガルはひょいと持ち上げ、背中に乗せた。


「さあ、家に帰ろう。帰りにヴェルダ角鹿でも狩って帰ろうか」


「じゅるり……角鹿大好き……」


 機嫌が直ったのを悟ったのか、ガルはやさしく笑い、宙へと舞い上がった。


※※※


 洞窟の外。岩壁を風よけにして、リィは小さく呪文を唱えた。

 宙に灯った火種が乾いた枝へ移り、ぱち、と音を立てて炎が育った。


「ふふん。空は飛べないけど、火の魔術は得意なんだ」


 得意げに胸を張るリィを見て、ガルが鼻先を鳴らす。


「さすがだな。ヴァルも火の魔術が得意だからな。……似たのかもしれん」


「ふふん。いずれ空も飛べるようになって、僕が最強になるんだ」


 ガルが狩ってきたヴェルダ角鹿の肉を、炎の上へ放り込む。

 じゅう、と油が弾け、香ばしい匂いが立ちのぼった。脂が火に落ちるたび、ぱちぱちと赤い火花が跳ねる。


 ガルは爪で器用に肉を裂き、焼けたところから順にリィへ渡してくれる。

 リィは大きく口を開けて、がぶりと齧り付いた。


「うまい!」


 熱い肉をはふはふしながら頬張り、幸せそうにもぐもぐしていると――

 ふいに、大気が揺れた。


 遠くで風が唸ったような音。空気の密度が変わったような圧。

 火の揺らぎさえ、ひとつ息を呑んだように小さくなる。


「ヴァルが帰ってきた!」


 ガルでさえリィよりずっと大きい。だがヴァルはさらに大きい。

 空から降りてくる影が月明かりを覆う。次の瞬間、重い衝撃が地面へ落ち、岩肌が低く震えた。


 ヴァルは定期的に、大人の黒竜を引き連れて樹海の外へ遠征に向かう。

 目的は戦ではなく、古い知己に会いに行くことが多い――と、ガルは言っていた。


 リィは急いで残りの肉を頬張り、喉の奥へ飲み込むと、ガルのそばを飛び出して走り出す。

 足をもつれさせそうになりながらも、ヴァルへ駆け寄っていく。


「やあ、リィ。元気にしてたかい?」


「元気にしてたよ、ヴァル! 外はどうだった?」


 矢継ぎ早に言うと、ヴァルはくすりと笑うように鼻を鳴らした。


「まあまあ、落ち着きな。……ちょっと大きくなったかい?」


「わかる?」


 言われて、リィは胸を張った。自分でもよくわからないが、言われると誇らしい。


 リィをはじめとする年少組は、樹海の外へ出ることを禁じられている。

 だから外の空気を知っているのは、ヴァルたち大人だけだ。


 リィがヴァルに会うのは、三か月ぶりだった。


「わかる、わかる。寂しくなかったかい?」


「寂しくなかったよ。僕は強いからね。みんなも遊んでくれたし」


 リィがちらりと振り返ると、ガルは火の始末をしているところだった。

 肉の香りが薄れ、代わりに夜の冷たい空気が戻ってくる。


「それはよかった。……話は、みんなが集まってからにしよう」


 ヴァルはそう言って、リィの顔をぺろりと舐めた。

 舌は熱くてくすぐったい。肉の脂の匂いまで、いっぺんに持っていかれる気がする。


 ヴァルが洞窟の中へ入っていく。

 リィもその後を追って、洞窟へと駆け込んだ。


※※※


 洞窟の中は、外よりずっと暖かかった。

 岩肌がじんわり熱を持ち、吐く息が白くならない。入口から差し込む月明かりはすぐに細くなり、代わりに奥からほの赤い光が揺れている。


 入口はやや手狭だが、中へ入れば別世界だった。

 天井は高く、通路は幾筋も伸び、広い空間がいくつも連なっている。黒竜が十体以上も住むのだから、狭いはずがない。むしろ広すぎるくらいでないと、翼を広げただけでぶつかってしまう。


 どこかで骨が転がる音がして、別の通路からは水が滴る音が聞こえる。

 湿った土と、焼けた肉の残り香が混じり合っている。――リィにとって、これが家の匂いだった。


 リィが駆け込むと、奥の広間で兄たちがすでに待っていた。


「お、リィが帰ってきた」


 低い声。言ったのは、広間の端で岩に背を預けていた長兄のギィだ。

 身体の線は太く、角の傷が古い。動かずとも、そこにいるだけで重みがある。

 ギィは遠征に出ることもあるが、大抵は樹海に残り、ヴァルが不在の時はまとめ役を担う。


「おかえり、リィ。今日も落ちたの?」


 くすくすと笑う声。今度は姉のグゥだ。

 リィと最も年の近いグゥは、よくこうしてからかってくる。年が近いと言っても、何十年も離れているのだが。

 背の線がしなやかで、鱗の色が少し淡い。


「落ちてない! ……落ちかけただけ!」


 言い返すと、兄たちが小さく喉を鳴らした。

 悔しくてリィは頬を膨らませ、ガルの背中によじ登る。ガルの背は、リィの特等席だった。


「はいはい。ほら、ヴァルが話をするぞ」


 ガルの声が混じる。

 その瞬間、広間の空気がすっと揃った。冗談の匂いが引き、火の揺らぎさえ小さくなる。


 ヴァルが中央に座した。


 ヴァルの姿は、座っているだけで山のようだった。

 鱗は黒竜の名の通り黒い。だがただの黒ではない。古い岩を磨いたような艶と、深い水底のような暗さがある。

 目は深い黒檀色。その視線がゆっくり広間を巡るだけで、皆が黙った。


「みんな元気そうで、なによりだ」


 ヴァルの声は低いのに、耳の奥まで届いた。

 洞窟そのものが振動しているみたいで、リィは思わず喉を鳴らし、姿勢を正す。


「今回はグリューデル峡谷まで行ってきた」


 兄たちの鱗が、微かに擦れる音がした。

 グリューデル峡谷は赤竜の縄張りだ。


「ヴァル、赤竜を倒したの?」


 リィが興奮したように言うと、ヴァルの目がまっすぐリィを捉えた。


「いや、古い知己に会っただけだ。言葉が通じる相手なら、争う必要などない」


「え~。ヴァルなら赤竜だってこてんぱんにできるでしょう」


「そういうことではない。無暗に力を振るうのは、愚か者のすることだ」


 ヴァルの言葉に、リィはふてくされたようにガルの背へ顔をこすりつけた。

 その様子に、ヴァルはふっと笑う。


「そういえば、赤竜にこんな魔法を教えてもらったぞ」


 ヴァルが口を開き、リィの方へ息を吐く。

 青い炎が生まれた――と思った次の瞬間、それはリィを包むように広がった。


 驚いて身じろぎしかけたが、熱さはない。

 むしろ毛布の中へ沈むように、身体の芯がほどけていく。


「……なんか温かくて、気持ちいい……」


「癒しの炎だ。傷を焦がさず、痛みだけを薄める」


「怪我ばっかりのリィに、ぴったりね」


 グゥが笑って言う。

 リィはむっとするが、気持ちよさに勝てず、せめてもの抵抗にグゥへ舌だけ出した。


 広間に、小さな笑いが戻る。


「みんな元気そうで安心した。今回の遠征も問題はない。しばらく外へは出ないつもりだ。何かあれば、すぐ言いなさい」


 ヴァルがそう締めくくると、兄弟たちはぞろぞろと洞窟の奥へ引き返していった。

 残ったのはガルとリィとグゥだけだ。


「次の遠征には僕も連れて行ってよ、ヴァル」


 リィはガルの背から飛び降りると、ヴァルの前足にひしとしがみつき、上目遣いで見上げた。

 こうやって頼むと、ヴァルは大抵少しだけ甘くなる――リィはそう学んでいる。


「なに言ってるの。空も飛べないくせに」


 背後からグゥが声をかけてくる。

 ガルは興味なさそうに爪を研いでいた。


「じゃあ、空を飛べるようになったら連れて行ってくれる?」


 リィが食い下がると、ヴァルは困ったように笑った。


「ん~~。リィはそそっかしいからなぁ。外は危険がいっぱいなのだ」


「大丈夫! 僕、最強になるから!」


「さっきも言ったが、力を振るうことが正しいとは限らない。外の生き物は外のルールの中で生きている。力があるからと言って、それを壊すのはよくない」


「わかった! ガルも連れて行くから!」


「なにもわかってなさそうだが……」


 ガルがぼそりと呟き、グゥが「ほらね」と笑う。

 ヴァルは少しだけ考えるように目を細め――そして、折れた。


「……まあ、空が飛べるようになったら。考えるくらいはしてやろう」


「ほんと!? 約束だよ!」


「ヴァルはリィに甘いんだから」


 グゥが呆れたように言うのを、リィは聞こえないふりをした。


「絶対! 絶対だからね! ガル、今から空飛ぶ練習をしよう!」


 リィがガルへ駆け寄ると、ガルは面倒くさいことになった、という顔をする。


「……明日でいいだろ。もう遅い。今日は寝なさい」


 そう言うなり、ガルはリィをひょいと咥えた。

 そのまま洞窟の奥へ引っ込んでいく。


「わっ、ちょ、待って! 僕、まだ起きてられるよ!」


 抗議は虚しく、リィの足が宙でぶらぶら揺れる。

 遠ざかる広間の赤い光の中で、ヴァルの笑い声が聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ