8. 至高の朝と、経営お断りの誓い
翌朝。
レンジが目を覚ますと、そこは天国だった。
「……重い。けど、幸せだ」
彼の身体の上には、もふもふの重しが二つ乗っていた。
胸元には、黒絹のように艶やかな「ルナ(シャドウ・キャット)」が丸まっており、足元には黄金の毛並みを持つ「クオン(天狐・小狐モード)」が、レンジの足を枕にして眠っている。
最高級の羽毛布団と、最高級の魔獣によるダブルサンドイッチ。
かつて深夜残業と休日出勤に追われ、会社の固いソファで仮眠をとっていた社畜時代とは雲泥の差だ。
「(……む。起きたか、レンジ)」
レンジが身じろぎすると、クオンが片目を開けて欠伸をした。
「おはよう、クオン。ルナも」
「ニャゥ……(おはよ……)」
ルナも眠そうに伸びをして、レンジの指を甘噛みする。
レンジは二匹を撫で回しながら、ルームサービスで届いた朝食(焼きたてパンと厚切りベーコン、新鮮なミルク)を平らげた。
優雅な食後のコーヒーを飲みながら、レンジは窓の外に広がる異世界の街並みを眺め、ぽつりと呟いた。
「よし。……店はやめよう」
「(……は?いきなりなんだ?)」
クオンが首を傾げる。
レンジは真剣な顔で、拳を握りしめた。
「いや、これだけ資金(100億円)もあるし、技術もある。普通なら『店を構えて一国一城の主!』みたいな展開になるところだけど……俺は絶対に嫌だ」
レンジの脳裏に、前世の記憶がフラッシュバックする。
『店長、バイトのシフトが埋まりません!』
『今月の売り上げ、目標未達だぞ!どう埋め合わせるんだ!』
『予約の電話、殺到してます!』
『クレーマー対応お願いします!』
終わらない事務作業、胃が痛くなる数字の管理、人間関係の板挟み。
「俺はもう、経営なんてしたくないんだ。ノルマに追われず、好きな時に、好きな場所で、目の前のボサボサな動物を綺麗にしたいだけなんだよ!」
「(……なるほど。つまり、責任を負いたくないということか)」
「人聞きが悪いな!『自由を愛する』と言ってくれ」
レンジは立ち上がり、高らかに宣言した。
「俺は『旅するトリマー』になる。世界中の魔獣を求めて旅をして、困っている子がいたらその場でケアをする。……これぞ、究極のフリーランスだ!」
「(ふん。まあ、よいのではないか?我としても、一箇所に留まるのは退屈だ)」
クオンも同意してくれた。
どうやら帝も、狭い店に縛られるよりは旅を好むようだ。
「そうと決まれば、まずはギルドだ。旅に出るにしても、冒険者としてのランクを上げないと、他の街への通行許可が下りないらしいからな」
レンジは身支度を整え、二匹を連れて部屋を出た。
目指すは自由気ままな旅生活。
だが、世の中そう甘くはないことを、レンジはまだ知らなかった。
◇
「あ、レンジ様!お待ちしておりました!」
冒険者ギルドの扉をくぐるなり、昨日の受付嬢が血相を変えて飛んできた。
「え、何かありました?もしかして、ルナの件で苦情とか……」
「いえ、逆です!昨日の『悪臭獣の浄化』の件がギルド上層部の耳に入りまして……その、ギルドマスターがお呼びです」
「ギルドマスター?」
周囲の冒険者たちが「マジかよ」「新人がいきなりギルマスに呼び出しか?」とざわめく。
レンジは嫌な予感がした。
組織のトップに呼び出される。それは前世の経験上、ろくなことにならないフラグだ。
「……わかりました。行きましょう」
案内されたのは、ギルドの最上階にある執務室だった。
重厚な扉が開かれると、そこには書類の山に埋もれるようにして、一人の女性が座っていた。
「よく来たわね、噂の新人くん」
顔を上げたのは、長い耳を持つエルフの女性だった。
ただし、繊細で儚いエルフのイメージとは程遠い。
片眼鏡をかけ、口には煙管を咥え、鋭い眼光は歴戦の猛者のそれだ。
「ルリデン支部ギルドマスターの、ミリアよ。……ふうん、なるほど」
ミリアはレンジを一瞥し、次にその足元のクオンと、肩の上のルナに視線を移した。
「Fランク登録と聞いていたけど……とんでもない『化け物』を二匹も連れているのね」
「(……ほう。この女、多少は『視える』ようだな)」
「えっ? 二匹……ですか?」
レンジは聞き返した。
クオンが「化け物(神獣)」なのは知っている。だが、ルナはただの迷子の子猫を拾っただけのはずだ。
昨日の鑑定では「健康状態」しか見ていなかった。レンジは慌てて、肩の上のルナに『神の手(解析モード)』を発動した。
【解析結果】
個体名: ルナ
種族: 月蝕猫 ※シャドウ・キャットの変異上位種
危険度:S(災害級)
特性: 影渡り、精神捕食、物理魔法攻撃無効(影化)
備考: 成長すれば、一国を悪夢に沈めるポテンシャルを持つ伝説の凶獣。
「…………は?」
レンジの顔から血の気が引いた。
災害級?一国を悪夢に沈める?
肩の上で「ニャ〜ン(撫でて?)」と甘えているこの可愛い生き物が?
「(……ククッ。ようやく気づいたか、鈍感な奴め)」
足元でクオンが楽しそうに笑った。
「(言ったであろう?『ただの獣ではない』とな。まあ、今はまだ幼体だ。躾次第で良き番犬……いや、番猫になるだろうよ)」
「(うわぁ……俺、とんでもない爆弾を拾ってたのか……)」
レンジが冷や汗をかいていると、ミリアが呆れたように煙を吐いた。
「自分でも把握してなかったのね。……まあいいわ。あなたがその二匹を従えているという事実は変わらない」
クオンが面白そうに鼻を鳴らす。
ミリアの眉が一瞬ピクリと動いたが、すぐに表情を戻した。
「単刀直入に言うわ。あなた、この街で『店』を開く気はない?」
「えっ」
レンジは動揺した。朝一番に否定したばかりの話題だ。
「昨日のあなたの手腕、報告書で読ませてもらったわ。あのシャドウ・キャットを一瞬で手懐け、新品同様に磨き上げる技術……正直、異常よ。この街には多くの冒険者がいるけど、彼らの従魔のケアができる人材は皆無なの。あなたが店を開けば、ギルドとして全面バックアップするし、間違いなく繁盛するわ」
ミリアは畳み掛けるように、好条件を提示してきた。
一等地のテナント、税金の免除、専属スタッフの斡旋。
普通の商人なら喉から手が出るほどの厚遇だ。
だが、レンジの答えは決まっていた。
「……お断りします」
「あら、即答?条件が不満?」
「いえ、条件は最高ですが……俺は経営が嫌なんです」
レンジはキッパリと言い放った。
「俺は旅がしたいんです。店に縛られず、世界中のまだ見ぬ魔獣をケアして回りたい。だから、定住する気はありません」
室内が沈黙に包まれた。
ミリアは煙管をふかし、紫色の煙を吐き出した後……ニヤリと笑った。
「……ふふっ、そう。経営が嫌いな職人、ね。嫌いじゃないわ、そういう馬鹿正直な男は」
どうやら怒らせずに済んだらしい。
ミリアは机の引き出しから、一枚の羊皮紙を取り出した。
「わかったわ。店を出せとは言わない。その代わり……『特別依頼』を受けてちょうだい」
「特別依頼、ですか?」
「ええ。あなたが旅に出るなら、Fランクのままじゃ不便でしょう?この依頼を達成したら、特例で**『Cランク』**への昇格を認めてあげる」
Cランク。
それは一人前の冒険者の証であり、大抵の国や街への通行許可が得られるランクだ。
レンジにとっては願ってもない話だった。
「やります。で、内容は?」
「話が早くて助かるわ。依頼人は、この街の領主様……のご令嬢よ」
ミリアは困ったように眉間を揉んだ。
「彼女が可愛がっている『愛玩魔獣』がね……最近、手がつけられないほど凶暴化しているの。誰も近づけないから、爪も伸び放題、毛もボサボサ。何人もの獣医やテイマーが送り返されたわ。……あなた、それを『綺麗』にできる?」
レンジはニカっと笑った。
凶暴? 手がつけられない?
そんなの、トリマーにとっては日常茶飯事だ。
「お任せください。その子を世界一の美獣にしてみせますよ」
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