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「神の手」を持つトリマーは、伝説の魔獣(もふもふ)と気ままな旅をする  作者: 藍城 優
第3章 店は持ちません、旅に出るんです

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67. 天空のキャンプと、食いしん坊な竜王





 ヴォルガランドの背中と爪のケアを終えた頃には、空は茜色に染まり始めていた。

 眼下に広がる雲海が黄金色に輝き、その上をゆっくりと夜の帳が降りてくる。

 地上では決して拝めない、天空ならではの絶景だ。


「さて……暗くなる前に寝床の準備をするか」


 俺は草原の開けた場所に移動すると、魔法鞄マジックバッグから『銀の箱舟シルバー・アーク』号を取り出した。

 ズンッ、と重厚な音を立てて、銀色の魔導馬車が鎮座する。


『ほう? これは……人間にしては面白い玩具おもちゃを持っているな』


 ヴォルガラが興味深そうに鼻を近づけてくる。

 彼の巨体から見れば、この大型キャンピングカーも「シルバニアファミリーの家」くらいのサイズ感だろう。


「俺の家兼、移動手段です。中は結構快適なんですよ」


 俺は慣れた手つきでサイドオーニング(日除け)を展開し、その下にテーブルと椅子を並べた。

 魔法コンロを設置し、ランタンに火を灯す。

 あっという間に、お洒落なキャンプサイトの完成だ。


「みぃ〜!(ごはんー!)」

「みゅっ!(おなかへったー!)」


 ポムとシャボンがテーブルの周りを跳ね回る。

 エメとルナも「きゅ〜(お肉〜)」「ニャ〜(お肉〜)」と俺の両肩に乗って催促してくる。

 働いた(主に俺とシャボンが)後は、腹が減るものだ。


「よし、今日は『天空の島』到着祝いだ。豪勢にバーベキューといこうか!」


 俺は魔法鞄の口を開いた。

 中に入っているのは、かつて交易都市ベルグを訪れた際に、「いつか使うだろう」と大量に仕入れておいた最高級食材の山だ。魔法鞄の時間停止機能のおかげで、鮮度は抜群のままである。


 俺はそこから、脂の乗った「カイザーターキーのモモ肉」や、分厚い「オークキングのバラ肉」、そして新鮮な野菜を大量に取り出した。

 鉄板の上でジュウジュウと肉が焼ける音が響き、香ばしい匂いが周囲に漂い始める。


「……ふぅ。やはり、肉の焼ける匂いというのは食欲をそそるな」


 ふいに、鈴を転がすような、涼やかで艶のある声が耳元で響いた。

 念話ではない、直接鼓膜を震わせる女性の声だ。

 それと同時に、鼻をつく脂の匂いに混じって、脳髄を痺れさせるような甘く高貴な伽羅きゃらの香りが漂ってきた。

 俺がギクリとして振り返ると、そこには信じられない光景があった。


「嘘だろ……」


 椅子に優雅に腰掛けていたのは、いつもの愛らしい子狐ではない。

 月明かりの下、黄金の光を糸にして織り込んだような長い髪と、透き通るような白い肌を持つ、絶世の美女だった。

 切れ長の金色の瞳は、夜の闇に妖しく輝き、熟れた果実のような唇は、楽しげな弧を描いている。


 彼女はゆったりとした薄いローブを一枚だけ身に纏い、その隙間からは豊満な胸元の谷間や、組まれた滑らかな太腿が惜しげもなく晒されていた。

 かつて、赤龍楼せきりゅうろうが誇る、万病を癒やす霊泉で見た時と同じ、神々しいまでの「美の暴力」。

 最強の神獣・天狐クオンの、人としての姿だ。


「ク、クオン……? なんでまた、その姿に……」


 俺は動揺して、持っていたトングを取り落としそうになった。

 以前の温泉での一件以来、二度目の遭遇だが、免疫なんてできるはずがない。むしろ、服を着ている(といっても際どいが)分、その妖艶さが際立って直視できない。


「なんだ、不満か? 子狐の姿では、こうして杯を傾けることもできぬからな」


 クオンは艶然と微笑むと、いつの間にか手にしていたワイングラスを揺らした。

 赤ワインが揺れるたびに、甘美な香りが広がる。


「……それより、レンジよ。其方、顔が赤いが? まさか、我のこの姿にまだ慣れぬのか?」


 彼女は悪戯っぽく目を細めると、わざとらしく身を乗り出し、俺の顔を覗き込んできた。

 甘い吐息がかかる距離。

 ローブの胸元が重力に従ってたわみ、白磁のような肌が目に飛び込んでくる。


「っ……! ち、近ぇっての! 勘違いすんなよ、別に照れてるとかじゃねぇからな!」


 俺は必死に強がって、視線を泳がせた。

 心臓が早鐘を打っているのを悟られないよう、虚勢を張る。


「お、俺はプロのトリマーだぞ? お前の身体なんて普段から見慣れてるし……トリミングの時に地肌までチェックしてるから、裸なんて今さらだろ……!」


「(ほう? つまり、今の我を見ても『ただの肉体』としか思わぬ、と?)」


「そ、そうだよ! 職業倫理的に、全然なんともないね!」


 嘘だ。

 大嘘だ。

 モフモフの毛皮と、この豊満かつ神秘的な美女の肢体じゃ、破壊力が天と地ほど違う。

 トリマーの理性を総動員しても、目の前の暴力的なまでの色香には抗えない。

 俺が顔を真っ赤にして早口でまくし立てると、クオンは「くくっ、可愛いやつめ」と喉を鳴らして笑った。

 完全に遊ばれている。


「はい、まずはポムたちの分な! ほら、クオンも肉だろ!」


 俺は誤魔化すように、焼き上がった肉を皿に盛って差し出した。

 クオンはそれを優雅に受け取りながら、勝ち誇ったような笑みを浮かべてワインを一口含んだ。


『…………』


 そんな俺たちのやり取りを、じーっと見つめる巨大な影があった。

 ヴォルガラだ。

 彼は少し離れた場所で伏せているのだが、その長い首を限界まで伸ばし、俺たちのテーブルを凝視している。

 鼻がヒクヒクと動いている。


「……あの、ヴォルガランドさん?」


『な、なんだ。我は気にしておらんぞ。人間ごときの食事が、どれほどのものか観察しているだけだ』


 嘘つけ。ヨダレが出そうだぞ。

 プライドの高い古代竜らしく必死に取り繕っているが、目は完全に肉に釘付けだ。

 そういえば、ここ数百年は背中が痒くてイライラして、食事どころじゃなかったのかもしれない。


「よかったら、ヴォルガランドさんも食べますか?」


『む……? 貴殿がどうしてもと言うなら、味見をしてやらんこともないが?』


「はいはい、どうしても食べてほしいです。……ただ、このサイズじゃ味も分からないでしょうからね」


 俺はニヤリと笑うと、とっておきの巨大肉を取り出した。

 これもベルグの市場で、「誰が買うんだこれ」と売れ残っていたのを面白がって買った、体長数メートルはある『ギガント・ボア』のブロック肉だ。

 これを丸ごと鉄板……には乗り切らないので、直火で豪快に炙る。

 特製のニンニク醤油ダレをたっぷりと塗り込みながら焼き上げると、暴力的なまでの食欲をそそる香りが爆発した。


「ほらよっ! 特製ギガントステーキだ!」


 俺は焼き上がった巨大肉を、念動力でヴォルガラの目の前に浮かせた。


『ほう……。では、遠慮なく』


 ヴォルガラは大きな口を開け、その肉をパクリと一口で飲み込んだ。

 数回咀嚼し、ゴクリと飲み込む。

 その瞬間、彼の青い瞳がカッと見開かれた。


『――――美味いッ!!!!!』


 ビリビリビリッ!

 感動のあまり発せられた声で、空気が震えた。


『なんだこれは!? 肉汁と共に溢れ出す、この濃厚な味わいは! ただ焼いただけの肉とは次元が違うぞ!? この茶色いタレ……これは魔法の薬なのか!?』


「ただのBBQソース……と言っても、俺が現地の果物や香草スパイスを煮込んで作った再現品ですけどね。気に入ってもらえて何よりです」


『気に入るどころではない! 美味すぎる! レンジ殿、おかわりはあるか!? いや、あるなら全部焼いてくれ!!』


 完全に胃袋を掴んでしまったようだ。

 ヴォルガラは尻尾をブンブンと振って、次なる肉を催促してくる。

 背中のケアで骨抜きにし、胃袋も掴む。

 これで天空の支配者との友好関係は盤石だ。


          ◇


 そうして大量の肉が胃袋へ消えた頃、ヴォルガラが満足げに息をつき、改めて俺の方を向いた。


『……ふむ。美味かった。礼を言うぞ、レンジ殿』


「いえいえ。口に合ってよかったですよ、ヴォルガランドさん」


 俺が片付けをしながら答えると、彼は少し気恥ずかしそうに視線を逸らし、ボソリと言った。


『……それと、一つ訂正がある』


「訂正? 味付けが濃すぎました?」


『違う! ……我が名だ』


 彼はコホンと咳払いをすると、真剣な眼差しで俺を見下ろした。


『これからは、我のことを「ヴォルガラ」と呼ぶことを許そう』


「え? でも、さっきクオンがそう呼んだら『ヴォルガランドだ!』って怒ってたじゃないですか」


 俺が素朴な疑問を口にすると、ヴォルガラは鼻を鳴らした。


『あやつはただの腐れ縁だし、いつものノリみたいなものだ。だが、貴殿は我が背を救った恩人であり、共に卓を囲んだ友だ。……特別に許す』


 どうやら、名前を略して呼ぶことは、古代竜にとって「心を許した相手への特権」らしい。

 あの頑固そうなドラゴンが、ここまでデレてくれるとは。


「……あはは、光栄だ。よろしくな、ヴォルガラ」


『うむ! よろしく頼むぞ、我が友よ!』


 ヴォルガラは嬉しそうに喉を鳴らし、満ち足りた表情で地面に伏せた。


          ◇


 宴の後。

 満腹になった俺たちは、焚き火を囲んでまったりと過ごしていた。

 ヴォルガラも満足したらしく、少し離れた場所で丸くなって寝息を立てている。

 ふと見ると、ポムとエメが、眠っているヴォルガラの背中によじ登ろうとしていた。


「おいおい、起きちゃうぞ」

「みゅ〜(だって、ここあったかーい)」


 どうやら、綺麗になったヴォルガラの鱗は、地熱と体温を程よく通す極上の床暖房になっているらしい。

 しかも、俺が念入りに『洗浄』と『研磨』をしたおかげで、清潔そのものだ。


『……んご……むにゃ……』


 ヴォルガラは起きる気配がない。

 それどころか、ポムたちが背中に乗ると、無意識に翼を少し動かして、風除けを作ってやっていた。

 案外、面倒見の良い竜なのかもしれない。


「(フフッ。あの堅物が、すっかり毒気を抜かれたものだな)」


 クオンは人の姿のまま、焚き火の明かりに照らされながら穏やかに微笑んだ。

 その横顔は、昼間の騒がしさが嘘のように神秘的で、俺はつい見惚れてしまいそうになる。


「(ここなら追手も来ない。ヴォルガラもおる。……久方ぶりに、安心して過ごせそうだな、レンジ)」


「ああ、そうだな」


 俺は夜空を見上げた。

 満天の星空。遮るものは何もない。

 地上では『聖人』だなんだと騒がれているが、ここには俺を知る仲間しかいない。

 最強の神獣・天狐。

 天空の支配者・古代竜。

 そして、愛すべきモフモフたち。


「……ここ、世界で一番安全な場所かもしれないな」


 俺は大きく伸びをすると、銀の箱舟の中へ……ではなく、ポムたちに倣ってヴォルガラの背中のフカフカ(?)な鱗の上へと寝転がった。


 焚き火の爆ぜる音と、竜の寝息をBGMに、俺は深い眠りへと落ちていった。


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