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「神の手」を持つトリマーは、伝説の魔獣(もふもふ)と気ままな旅をする  作者: 藍城 優
第3章 店は持ちません、旅に出るんです

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51. 英雄の凱旋? いいえ、ただの帰還です






「……つ、疲れたぁ……」


東の空が白み始めた頃。

冒険者ギルドの重い扉が、ギギィ……と音を立てて開いた。

時刻は早朝。

昨夜の喧騒は嘘のように消え、広い酒場には清掃員の姿と、ベンチで泥のように眠る数人の酔っ払いがいるだけだ。

そこへ、幽霊のような足取りで入ってきた男――レンジは、そのままカウンターへ向かい、力尽きたように突っ伏した。


「……ミリアさーん……。帰りましたぁ……」


「……あら。お帰り、レンジ君」


カウンターの奥から、落ち着いた、けれど少しだけ掠れた声が返ってきた。

ミリアさんが、愛用の煙管キセルを指で弄びながら、ゆっくりと顔を上げる。

その美しい顔には、化粧でも隠しきれない隈と疲労が滲んでいるが、纏う空気はあくまで冷静そのものだ。


「随分と遅いご帰還じゃない。……夜が明けてしまったわよ?」


彼女はふぅ、と小さく息を吐き、片眼鏡モノクルの位置を直した。


「戻りが遅いから、ダンジョンの露と消えたかと思ったわ。……本当に、心配させるんだから」


言葉こそ軽口だが、その瞳は揺れている。

どうやら、本当に一睡もせずにここで待っていてくれたらしい。


「あはは……すみません。思ったよりダンジョンが広くて……」


午後4時に入って、戻ってきたのが翌朝の5時。

実に13時間ぶっ通しのダンジョン行だ。

HP650の一般人には過酷すぎる労働だった。


「でも、依頼ならこの通り……」


俺は足元を指差した。

そこには、徹夜の行軍にもかかわらず元気いっぱいの黒狼フェンの姿があった。

『浄化の泉』の効果は凄まじいらしく、疲れ知らずで尻尾を振っている。


「ワンッ!」

「フェン……」


ミリアさんがカウンターから身を乗り出す。

先ほどまでの大人の余裕が一瞬揺らぎ、安堵の色が顔全体に広がった。


「……よかった。本当に、綺麗になって……」


「呪いは完治しました。リハビリもバッチリです」


ミリアさんは涙を見せることなく、ただ深く、愛おしそうにフェンを見つめた。

その沈黙が、彼女の深い愛情を物語っている。

俺もその光景を見てホッとしたが、最後の仕事を忘れてはいけない。


「あと、ついでに……コレの換金もお願いします」


俺は眠い目をこすりながら、腰の『魔法鞄マジックバッグ』から戦利品を取り出した。

ドスン、とカウンターに重い音が響く。

置かれたのは、禍々しい漆黒の巨大剣。

第5階層で遭遇した騎士が持っていた大剣だ。


「…………」


ミリアさんの動きがピタリと止まった。

手にした煙管を取り落としそうになり、慌てて握り直す。


「……5階層で回収した剣です。」


「……ちょっと待ちなさい」


ミリアさんの冷静な声が、少しだけ裏返った。


「これ……『魔騎士の大剣』じゃない。なんでこんな物がここにあるの?」


「え?いや、5階層にいた中ボスが……」


「5階層のボスは『ヘビーゴーレム』よ。推奨レベル15の練習相手。こんな凶悪な『深淵の魔騎士アビス・ナイト』が出るわけないじゃない」


「へ?」


俺とミリアさんが顔を見合わせる。


「いや、いましたよ。物理攻撃が効かなくて、全身漆黒の鎧を着たデカいのが」


「嘘でしょ……。『深淵の魔騎士』は深層エリアのレアモンスター、推奨レベルは50よ!?なんでそんな災害級イレギュラーが5層に……」


ミリアさんの顔色がサァッと青ざめる。

どうやら、俺が遭遇したのは通常のボスではなかったらしい。


「そういえば第1階層も変でしたよ。入った瞬間、『魔物のモンスターハウス』に遭遇して。スケルトンとゾンビ100体くらいに囲まれました」


「100体!?第1階層でモンスターハウスですって!?」


「ええ。クオンが『自然災害みたいなもんだ』って言ってましたけど……ここまでイレギュラー続きだと、ただの不運じゃなさそうですね。」


「第10階層のボスも、聞いてたスライムじゃありませんでした。なんかこう、ヘドロの津波みたいなデカい塊で……名前は確か、『カース・スライム』とか……」


カターンッ!!


乾いた音が響いた。

ミリアさんが、愛用の煙管を床に取り落としたのだ。


「……え?」


「カース……スライム……?」


ミリアさんの唇が震えている。

まるで、世界の終わりを聞かされたような顔だ。


「ま、待って。嘘よね?見間違いよね?だってあれは、迷宮の浄化機能が完全に停止して、『澱み』が臨界点を超えた時にだけ現れる……」


ミリアさんはカウンターに手をつき、ガタガタと震える声で叫んだ。


「『迷宮崩壊ダンジョン・ブレイク』の予兆そのものじゃないッ!!」


「……へ?」


「もしあんな物が地上に溢れ出したら、この迷宮都市なんて一夜で……ッ!」


ミリアさんの顔から、完全に血の気が引いている。

どうやら俺が「汚れた客」だと思って洗った相手は、都市を滅ぼしかねない最悪の災害だったらしい。


「……で、どうしたの!?逃げてきたの!?まだ奥にいるなら、すぐに国軍へ要請を――」


「ああ、なんかゴミがいっぱい絡まって痛そうにしてたんで、取り除いてあげました」


「……はぁ?」


ミリアさんがポカンと口を開けた。


「中から綺麗な『水の精霊』が出てきて、お礼言って消えていきましたよ。……あ、これがお礼のキスされた頬っぺたです」


俺は自分の頬を指差した。


「…………」


ミリアさんは長い沈黙の後、額を押さえて深い、深いため息をついた。

その背中からは、魂が抜けていくのが見えた気がした。


「……都市崩壊クラスの危機を、解決した…ね」


彼女は床に落ちた煙管を拾う気力もなく、力なく笑った。


「貴方、本当に何者なの……?イレギュラーどころの話じゃないわ。貴方自身が、この迷宮都市最大の『イレギュラー』じゃない……」


彼女はフラフラとカウンターに戻ると、金庫から革袋を取り出した。


「もういいわ……。これ以上聞くと私の寿命が縮む気がする。買い取りましょう。都市を救った救世主への報酬と、フェンの治療費……合わせて金貨3枚。……安すぎるけど、今のギルドの即金じゃこれが限界よ」


「お、金貨3枚ですか」


日本円にして約300万円。

一晩の労働対価としては破格だ。

まあ、俺の『魔法鞄』には既に100億円近い資産が眠っているから、金に困っているわけではないが……。


「ありがとうございます。これでみんなに、美味い飯でも奢ってやれますよ」


自分トリマーの腕で稼いだ金なら、使う時の気分もまた違うだろう。

俺が金貨を受け取ろうとすると、フェンが俺のズボンの裾をくわえて引っ張った。


「クゥ〜ン……」


上目遣いで見つめてくる。

「まだ一緒にいたい」と言っているようだが、俺の体力はもう限界だ。


「フェン。お前はもう元気だ。それに、ほら……お前の飼いギルマスが、首を長くして待ってたんだぞ」


俺はカウンターの中にいるミリアさんを指差した。


「……ワンッ!」


フェンは俺の顔を一度舐めると、嬉しそうに尻尾を振って駆け出した。

カウンターを軽々と飛び越え、ミリアさんの元へ。


「わふっ!わふっ!」

「……ええ、おかえり。フェン」


ミリアさんが膝をつき、優しくフェンを抱きしめる。

ただ、愛おしそうにその頭を撫で、フェンもまた信頼しきった様子で彼女に身を預けている。

その静かな再会こそが、二人の絆の深さを証明していた。

それを見届けて、俺は大きく伸びをした。


「(……フン。良い仕事をしたな、レンジ)」


足元でクオンがニヤリと笑う。


「ああ。……まあ、あいつも元気になったし、これで良かったんだよ」


俺はこっそりと自分のステータス画面を開いた。



【名前:レンジ】

【職業:放浪のトリマー】

【称号:迷宮の清掃人、精霊の友】

【Lv:1】

【HP:650】



13時間、イレギュラーだらけの地獄を戦い抜いて、レベルは1のまま。

だが、懐には労働の対価である金貨3枚。

そして、ギルドマスターに借りを作ったという強力なコネもできた。

何より、昨日の夕方には無かった「自信」が少しだけついていた。


「よし……帰るぞ、みんな」


「(飯はどうするのだ?)」


「無理。眠い。……高級肉は、起きてからだ。今は眠らせてくれ」


「(ククク、賢明な判断だ)」


「にゃあ……(ねむい……)」


「みゅー(おやすみ)」


「キュウ(おやすみ)」


「よし……帰るぞ、みんな。……あ、そういえば俺たち、まだ宿とってねぇな」


俺が虚ろな目で呟くと、ミリアさんが苦笑しながら一枚の羊皮紙を差し出してくれた。


「これを持っていきなさい。ギルド提携の宿屋への紹介状よ。一番静かで、ベッドがふかふかな部屋を用意させるわ」


「……女神かよ」


俺たちは朝日が差し込むギルドを後にした。

清掃員のおばちゃんが「あら、おはよう」と声をかけてくるのをあいまいに返し、俺たちは紹介された宿屋への道をゾンビのように歩き出した。


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