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「神の手」を持つトリマーは、伝説の魔獣(もふもふ)と気ままな旅をする  作者: 藍城 優
第3章 店は持ちません、旅に出るんです

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47. 伝説の修繕? いいえ、ただの洗浄です





「……あぁ?『洗浄クリーン』だぁ?」


真紅の鎧を纏った巨漢、ゼグノスが額に青筋を浮かべてレンジを睨み下ろした。

身長2メートルを超える筋骨隆々のSランク冒険者と、HP650の一般人以下のトリマー。

その体格差は、熊とウサギほどもある。


「ふざけてんのか、兄ちゃん。俺の『紅蓮』はな、ただの鉄の塊じゃねぇんだ。古代の竜の血を吸わせて鍛え上げた、国宝級の魔剣だぞ!それを水洗いして『はい直りました』で済むなら、鍛冶師なんていらねぇんだよ!」


ゼグノスの怒声が酒場をビリビリと震わせる。

周囲の冒険者たちも、「馬鹿な奴だ」「Sランクを怒らせてタダで済むと思うなよ」と嘲笑と憐れみの視線を送っていた。

だが、レンジは涼しい顔で肩をすくめた。


「あのな、あんた。その剣、だいぶ『痒がってる』ぞ」


「……は?痒い?」


「ああ。酸が入り込んで、魔力の通り道(毛穴)が詰まってる。人間で言えば、全身が泥パックで固まって呼吸できない状態だ。そんな状態で無理に魔力を通そうとすれば、回路が焼き切れて二度と使い物にならなくなるぞ」


レンジはプロのトリマーとしての目で、淡々と診断を下した。

彼の目には見えていた。剣の表面を覆うドス黒い汚れと、その奥で悲鳴を上げている微細な魔力回路の詰まりが。


「なっ……!?」


ゼグノスが言葉に詰まる。

実は、彼も感覚的にそれを理解していたからだ。

剣が重く、鈍く、まるで病気になったかのように魔力を拒絶している感覚。それを初対面の、しかも素人に言い当てられた。


「(……おい、ゼグノス。やらせてみろ)」


ゼグノスの背後から、パーティーメンバーらしき魔法使いの男が声をかけた。


「(今は一刻を争う。ドワーフの親方は不在だ。ダメ元でも、何もしないよりはマシだろう)」


「……チッ。わかったよ」


ゼグノスは舌打ちし、ドサリと巨大な魔剣をカウンターに置いた。

赤茶色に錆びつき、強烈な酸の異臭を放つ鉄塊。


「ただし!もし傷一つでもつけやがったら、テメェのその細い腕、ヘし折るからな」


「はいはい」


レンジは脅しを軽く受け流し、魔剣の前に立った。

ポケットから這い出そうとしたシャボンを、指先で制する。


(今回は出番なしだ、シャボン。物理的な汚れ落としじゃ間に合わない。魔法で一気にやる)


レンジは右手をかざし、小さく呟いた。


「――【解析スキャン】」


レンジの瞳に、魔剣の構造図が青白い光となって浮かび上がる。

酸によって侵食された微細な溝、錆が食い込んだ魔力回路の深部、そして剣本来の分子配列。すべてが手に取るように理解できた。


(なるほど、表面だけじゃない。中までボロボロか……)


意識するのは、単なる表面の汚れ落としではない。

もっと深く、分子レベルでの「結合分離」と「表面コーティング」だ。


「……汚ねぇなぁ。ちゃんと手入れしてやれよ」

ボソリと呟き、レンジは魔法を発動した。「――『洗浄クリーン』」


カッ!

レンジの手のひらから、純白の光が迸った。

それは攻撃魔法のような激しさではなく、すべてを洗い流す清流のような静かな光だった。


「……ッ!?」


ゼグノスが目を見開く。

光が魔剣を包み込んだ瞬間、こびりついていた赤茶色の錆と酸の汚れが、まるで古い角質が剥がれ落ちるようにポロポロと崩れ落ちていく。

だが、レンジの作業はそこでは終わらない。


(酸で溶けたミクロの凹凸を、魔力で埋めて平滑化コーティング……。詰まった魔力回路は、高圧洗浄のイメージで押し流す……!)


レンジにとって、それは「Sランク武器の修復」などという大層なものではない。

「毛玉でガチガチになった犬の毛をほぐし、トリートメントでツヤツヤにする」作業と全く同じ感覚だった。


――シュゥゥゥ……キィィン!


澄んだ音が響き渡り、光が収束する。

そこに現れたのは、もはや先ほどまでの鉄屑ではなかった。


「…………は?」


ゼグノスが呆けた声を出す。

カウンターの上に横たわっていたのは、鏡のように磨き上げられた真紅の刃。

表面には一点の曇りもなく、周囲の松明の光を反射してギラギラと輝いている。

さらに驚くべきは、剣から立ち上る「気配」だ。


「お、おい……嘘だろ……」


魔法使いの男が震える指で剣を指差した。


「魔力伝導率が……120%を超えてる……!?新品……いや、『鍛え直された(リフォージ)』以上の数値だぞ!?」


酒場が静まり返った。

誰も言葉を発せない。

ただの生活魔法で、ドワーフの国宝級職人マイスターの仕事を数秒でやってのけたのだから。


「ふぅ。こんなもんか」


レンジは額の汗を拭い、満足げに頷いた。


「表面の酸化膜を除去して、フッ素コーティング……じゃなくて魔力コーティングしておいたから。これで当分は汚れもつかないし、切れ味も戻ってるはずだ」


「き、切れ味……?」


ゼグノスはおっかなびっくり、自分の愛剣を手に取った。

軽い。

羽のように軽い。

そして、まるで体の一部になったかのように、魔力が驚くほどスムーズに馴染んでいく。


「……せ、せいッ!」


試しに、ゼグノスがカウンターの端にあった鉄製の燭台を軽く叩いてみた。


ザンッ!!


金属音がしなかった。

まるで豆腐でも切ったかのように、分厚い鉄の燭台が音もなく両断され、床に転がった。


「…………」


「あーあ、備品壊しちゃダメだろ」


レンジが呆れたように言うが、誰も突っ込めない。

ゼグノスは切断面を見つめ、わなわなと震え……そして、猛然とレンジに向き直った。


「す、すげぇぇぇぇッ!!なんだこれ!?前よりすげぇ!魔力を通した時の抵抗がゼロだ!これならドラゴンの鱗だって紙切れみてぇに斬れるぞ!!」


あの強面の巨漢が、新しいオモチャを与えられた子供のように目を輝かせている。


「おい聞いたか!?『洗浄クリーン』一発で魔剣を強化しやがった!」


「そもそも『洗浄クリーン』って、あんな風に壊れたもんを修復する魔法だったか!?」


「おかしいだろ!あれは洗濯とか皿洗いに使う魔法で、鍛冶のスキルじゃねぇはずだぞ!?」


「もしかして、伝説の『錬金術師』が正体を隠してるんじゃ……」


周囲の手のひら返しが始まった。

さっきまで「詐欺師」呼ばわりしていた冒険者たちが、畏怖と尊敬の眼差しでレンジを見ている。


「(……フン。現金な連中よ)」


足元のクオンが鼻で笑う。


「まあ、これで依頼完了ってことでいいか?お代は……そうだな。通常のシャンプー&カット代として、大銅貨5枚(約5000円)でいいよ」


レンジが手を出すと、ゼグノスは勢いよく首を振った。


「馬鹿野郎!大銅貨5枚でSランク魔剣が直せるかッ!……おい!手持ちの金、全部出せ!」


ゼグノスは仲間から財布をひったくると、中に入っていた金貨や宝石を、ジャラジャラとカウンターにぶちまけた。


「大金貨5枚(約5000万円)だ!これでも足りねぇくらいだ!レンジさん!いや、『師匠』!今後、俺の武器のメンテは全部あんたに頼む!!」


「えっ、いや、そんな急に……それに師匠って……」


「俺たちもだ!」


「俺の鎧も洗ってくれ!」


「私の杖もお願いします、師匠!」


あっという間に、レンジの周りには依頼希望者の長蛇の列が出来上がっていた。


「ちょ、ちょっと待て!俺はトリマーだぞ!?

動物以外は専門外で……」


「(諦めろ、レンジ)」


クオンがニヤリと笑った。


「(貴様のその『手』は、世界を綺麗にしすぎるのだ。……それに、貴様のその貧弱な体を守る『防具』を買う資金が必要だろう?)」


「……うっ」


レンジは言葉に詰まった。

手持ちの資金(約100億円)はある。だが、自分の命を守るための装備くらいは、棚ぼたの金ではなく、自分の技術で稼いだ金で買いたい――そんな職人としての妙なプライドもあった。


「みゅ!(ぼくも装備ほしい!)」

「キュウ!(キラキラのやつ!)」


エメもシャボンも大喜びだ。

レンジは溜息をつき、金貨の山と冒険者たちの熱狂的な視線に囲まれながら、覚悟を決めた。


「……わかったよ。一人ずつだ!あと、俺は武器屋じゃないからな!あくまで『トリマー』だからな!」


こうして。

迷宮都市バルガンの冒険者ギルドに、新たな伝説が刻まれた。

「HPはスライム以下だが、神話級の武具を一瞬で修復する謎の職人がいる」と。

だが、レンジはまだ知らない。

この騒動を、ギルドの奥から鋭い視線で見つめる人物がいることを――。


「……面白いわね。あの『洗浄』、ただの生活魔法じゃないわ」


ギルドマスターの執務室。

片眼鏡モノクルをかけたエルフの美女が、水晶玉越しの映像を見て、妖艶に唇を舐めた。


「彼なら……『あの子』の呪いも、解けるかもしれない」


最弱の飼い主の周りで、また新たなトラブルの種が芽吹き始めていた。


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