41. 磯の香りの絶望と、動く岩礁
長い峠道を越え、レンジたちが辿り着いたのは、大陸南端に位置する港町『マルレーン』。
白い石造りの建物が斜面に建ち並び、青い海と空のコントラストが美しい、活気あふれる貿易港だ。
目立つ『銀の箱舟』を街外れの木陰に停め、レンジたちは徒歩で市場へと繰り出していた。
「ニャーン!(おさかなー!)」
「キュウ!(キラキラー!)」
ルナとエメは大はしゃぎだ。
市場には水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が並び、威勢の良い売り子の声が飛び交っている。
南国の太陽、活気ある港、そして美味しそうな海の幸。
本来ならテンションが上がるところだが――
肝心のレンジは、なぜか死んだ魚のような目をしていた。
「……なぁ、クオン」
「(……なんだ、そのこの世の終わりみたいな顔は)」
レンジは陳列された魚介類を指差し、震える声で呟いた。
「魚は……『ウロコ』だろ?」
「(そうだな)」
「タコやイカは……『ヌルヌル』だろ?」
「(新鮮な証拠だな)」
「カニやエビは……『カチカチ』だろ?」
「(美味そうではないか)」
「違うんだよクオン!!」
レンジが頭を抱えて叫んだ。
「海には……俺の愛する『モフモフ』がいねぇじゃねぇかァァァァッ!!」
その叫びは、市場の喧騒にかき消されることなく、周囲の漁師たちをギョッとさせた。
「よく考えたらそうだよ!海生生物って基本、ヌルッとしてるか、ザラッとしてるか、カチッとしてるかだろ!?毛が生えてねぇんだよ!ブラッシングできねぇじゃん!シャンプーしても泡立たねぇじゃん!俺は何を楽しみにここまで来たんだ!?」
「(……貴様、まさか今更それに気づいたのか?)」
クオンは呆れ果ててため息をついた。
この男、峠から青い水平線が見えた時はあんなに目を輝かせていたが、その生態系については一切考慮していなかったらしい。
「はぁ……もう帰ろうかな。羊牧場がある内陸部に……」
「(……我々はまだ羊になど遭遇しておらんぞ。どこへ『帰る』つもりだ)」
クオンの冷静なツッコミも、今のレンジには届かない。
レンジが絶望に打ちひしがれ、踵を返そうとしたその時だった。
ズズズズズズズ……ンッ!!
突如、港の桟橋の方から、地響きのような重低音が響いた。
続いて、人々の悲鳴が上がる。
「うわぁぁっ!で、出たぞぉぉ!!」
「化け物だ!『動く岩礁』が港に入り込んできたぞーッ!!」
「ん?」
レンジが顔を上げると、港の入り口付近の水面が大きく盛り上がり――巨大な「岩の塊」のような物体が、ズリズリと桟橋に乗り上げてくるところだった。
全長は優に二十メートルはあるだろうか。
全身がフジツボや海藻、古びた漁網、そして泥のようなヘドロに覆われており、元の形が判別できないほどだ。
「(……ほう。あれほどのサイズ、ただの魔物ではないな)」
クオンが目を細める。
漁師や港の衛兵たちが、慌てて銛や槍を構える。
「撃てぇ!上陸されたら市場が破壊されるぞ!」
「硬すぎて銛が通らねぇ!火矢を持ってこい!」
殺気立つ港。
だが、レンジはその「化け物」をじっと凝視し――そして、職人としての眼光を鋭く光らせた。
「……待て。あれは襲いに来てるんじゃない」
「(む?)」
「見ろよ、あのフジツボの密集具合。甲羅の継ぎ目に食い込んだ漁網。ヘドロで塞がれた皮膚……。あれじゃ呼吸もままならないし、痒くてたまらないはずだ」
レンジの手が、無意識に腰のホルスター(シザーケース)に伸びる。
彼の目には、それが「敵」ではなく、「重度の手入れ不足で苦しむお客様」にしか見えていなかった。
「どいてな!素人が下手に触ると悪化するぞ!」
レンジは衛兵たちを掻き分け、最前線へと飛び出した。
「お、おい!何だお前は!危ないぞ!」
「下がってろ!今すぐ楽にしてやる!」
レンジは巨大な甲羅の前に立つと、臆することなくその汚れた表面に手を触れた。
「スキャン開始……汚れの成分識別。フジツボ、ヘドロ、漁網……よし、対象である『甲羅と本体』以外は全て『不要物』として処理する」
レンジはニヤリと笑い、パチンと指を鳴らした。
「【広域洗浄】!!」
キィィィィィン……ッ!!
その瞬間、周囲に響き渡ったのは水の音ではない。
耳をつんざくような、鋭利な金属音のような高周波だった。
レンジの手のひらを中心にして、青白い光の波紋が巨体を一瞬で駆け抜ける。
「な、なんだ!?」
衛兵たちが目を剥く中、こびりついていた大量のフジツボや岩石が、パラパラと砂のように分解されて崩れ落ちていく。絡みついていた頑丈な漁網も、光の粒子となって消滅した。
そして波紋が過ぎ去った後――そこには、息を呑むほど美しい姿が現れていた。
透き通るようなサファイアブルーの甲羅。
水晶のように輝く四肢。
長年の摩耗でついた傷すらも完全に埋められ、一切の汚れも曇りもなく、まるで鏡のように周囲の景色を反射している。
「(……あやつ、またやりおったな)」
クオンは額に手を当てた。
「(ただの『洗浄』一回で、汚れの分解から物質修復、保護膜コーティングまで同時に済ませたのか……?古代遺跡の壁画修復や聖剣のメンテナンスでも、そこまで完璧にはできんぞ)」
クオンの呆れをよそに、本来の輝きを取り戻した島亀は、驚いたように自分のピカピカの体を一瞥した後、気持ちよさそうに長い首を伸ばし、「フォォォ……」と美しい鳴き声を上げた。
「(……やはりな。神話に謳われる海の主、『島亀』か)」
クオンの言葉通り、それは長い年月を生きた、神格を持つ巨大亀だった。
島亀はつぶらな瞳でレンジを見つめ、ゆっくりと頷いた。
そして、感謝を示すように口からキラリと光るものを吐き出し、レンジの足元へ転がした。
それは、大人の拳ほどもある巨大な『黒真珠』だった。
「お、お土産か?ありがとよ!」
島亀は満足げに海へと戻り、優雅に泳ぎ去っていった。
後に残されたのは、塵ひとつなく浄化された桟橋と、呆然とする街の人々。
「やれやれ、海に来てもやることは変わらねぇな」
レンジが苦笑しながら、拾い上げた『黒真珠』を魔法鞄にしまおうとした――その時だった。
ビギィィィィィッ!!
「うおっ!?なんだ!?」
バッグの中から、強烈な紅蓮の光と、耳障りな不協和音が漏れ出したのだ。
レンジが慌ててバッグを開くと、中から勝手に飛び出してきた物体があった。
それは以前、火竜イグニスから貰った『火竜のウロコ』だった。
「なんでイグニスのウロコが……!?」
宙に浮いた深紅のウロコと、レンジの手にある漆黒の真珠。
「火」と「水」、本来交わるはずのない二つの神気は、磁石の同極同士のように激しく反発し、空間を歪ませるほどのスパークを散らし始めた。
「ちょ、喧嘩すんなって!危ねぇだろ!」
レンジは咄嗟に、弾け飛びそうになった二つの秘宝を、両手で無理やり抑え込んだ。
その瞬間――レンジの両手が、カッ!と黄金色の光を帯びた。
それは魔法ではない。
荒ぶる魔獣を瞬時に鎮め、絡まった毛並みを指先一つで解きほぐす、彼固有の常時発動スキル『神の手』の輝きだった。
掌の中でバチバチと暴れるエネルギー。
だが、レンジの指先にとってその不快な反発力は、「手入れ不足でガチガチに絡まった毛玉」以外の何物でもなかった。
ならば、やることは一つだ。
「はいはい、落ち着け。……よし、いい子だ」
レンジの手が、暴れるエネルギーを撫でるように優しく、しかし絶対的な強制力を持って動く。
すると、あんなに喧嘩していた赤と青の光が、レンジの指先に導かれるように素直になり、互いに絡み合いながら螺旋を描き始めた。
キィィィィン……ドォォン!!
完全に「調律」された二つの魔力が融合し、眩い閃光が港を包み込んだ。
光が収まると、レンジの手のひらには、見たこともない物体が残されていた。
それは、燃えるような赤と、深海のような蒼が螺旋状に混じり合った、美しい『勾玉』のような宝石だった。
「(なっ……!!)」
クオンが絶句し、黄金の瞳を見開く。
「(火竜の『陽』の魔力と、島亀の『陰』の魔力……。対極に位置する二柱の神獣の力が融合しただと…… レンジ、それは国宝などというレベルではない。『神話級』のアーティファクトだぞ)」
「神話級……?」
レンジは完成した勾玉を太陽にかざし、しげしげと眺めた。
触れているだけで、体が芯から温まるような、それでいて清涼な水に浸かっているような不思議な感覚がある。
「よく分かんねぇけど、これがあれば……冬場のお湯の温度調節とか、夏場の水温管理が完璧にできるんじゃないか!?」
「(……貴様ッ!!世界のバランスを崩しかねない秘宝を、給湯器代わりに使うつもりか!)」
クオンの悲痛な叫びが、美しい南の空に響き渡った。
「……ま、とりあえず収穫ありってことで!」
レンジはニカッと笑い、新たな「便利グッズ」をポケットに突っ込んだ。
モフモフはいなかったが、どうやらこの海でも、彼の冒険は退屈しそうにないようである。
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