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「神の手」を持つトリマーは、伝説の魔獣(もふもふ)と気ままな旅をする  作者: 藍城 優
第3章 店は持ちません、旅に出るんです

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41. 磯の香りの絶望と、動く岩礁





長い峠道を越え、レンジたちが辿り着いたのは、大陸南端に位置する港町『マルレーン』。

白い石造りの建物が斜面に建ち並び、青い海と空のコントラストが美しい、活気あふれる貿易港だ。

目立つ『銀の箱舟シルバー・アーク』を街外れの木陰に停め、レンジたちは徒歩で市場へと繰り出していた。


「ニャーン!(おさかなー!)」

「キュウ!(キラキラー!)」


ルナとエメは大はしゃぎだ。

市場には水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が並び、威勢の良い売り子の声が飛び交っている。

南国の太陽、活気ある港、そして美味しそうな海の幸。

本来ならテンションが上がるところだが――

肝心のレンジは、なぜか死んだ魚のような目をしていた。


「……なぁ、クオン」


「(……なんだ、そのこの世の終わりみたいな顔は)」


レンジは陳列された魚介類を指差し、震える声で呟いた。


「魚は……『ウロコ』だろ?」


「(そうだな)」


「タコやイカは……『ヌルヌル』だろ?」


「(新鮮な証拠だな)」


「カニやエビは……『カチカチ』だろ?」


「(美味そうではないか)」


「違うんだよクオン!!」


レンジが頭を抱えて叫んだ。


「海には……俺の愛する『モフモフ』がいねぇじゃねぇかァァァァッ!!」


その叫びは、市場の喧騒にかき消されることなく、周囲の漁師たちをギョッとさせた。


「よく考えたらそうだよ!海生生物って基本、ヌルッとしてるか、ザラッとしてるか、カチッとしてるかだろ!?毛が生えてねぇんだよ!ブラッシングできねぇじゃん!シャンプーしても泡立たねぇじゃん!俺は何を楽しみにここまで来たんだ!?」


「(……貴様、まさか今更それに気づいたのか?)」


クオンは呆れ果ててため息をついた。

この男、峠から青い水平線が見えた時はあんなに目を輝かせていたが、その生態系については一切考慮していなかったらしい。


「はぁ……もう帰ろうかな。羊牧場がある内陸部に……」


「(……我々はまだ羊になど遭遇しておらんぞ。どこへ『帰る』つもりだ)」


クオンの冷静なツッコミも、今のレンジには届かない。


レンジが絶望に打ちひしがれ、踵を返そうとしたその時だった。


ズズズズズズズ……ンッ!!

突如、港の桟橋の方から、地響きのような重低音が響いた。

続いて、人々の悲鳴が上がる。


「うわぁぁっ!で、出たぞぉぉ!!」


「化け物だ!『動く岩礁』が港に入り込んできたぞーッ!!」


「ん?」


レンジが顔を上げると、港の入り口付近の水面が大きく盛り上がり――巨大な「岩の塊」のような物体が、ズリズリと桟橋に乗り上げてくるところだった。

全長は優に二十メートルはあるだろうか。

全身がフジツボや海藻、古びた漁網、そして泥のようなヘドロに覆われており、元の形が判別できないほどだ。


「(……ほう。あれほどのサイズ、ただの魔物ではないな)」


クオンが目を細める。

漁師や港の衛兵たちが、慌ててモリや槍を構える。


「撃てぇ!上陸されたら市場が破壊されるぞ!」


「硬すぎて銛が通らねぇ!火矢を持ってこい!」


殺気立つ港。

だが、レンジはその「化け物」をじっと凝視し――そして、職人としての眼光を鋭く光らせた。


「……待て。あれは襲いに来てるんじゃない」


「(む?)」


「見ろよ、あのフジツボの密集具合。甲羅の継ぎ目に食い込んだ漁網。ヘドロで塞がれた皮膚……。あれじゃ呼吸もままならないし、痒くてたまらないはずだ」


レンジの手が、無意識に腰のホルスター(シザーケース)に伸びる。

彼の目には、それが「敵」ではなく、「重度の手入れ不足で苦しむお客様」にしか見えていなかった。


「どいてな!素人が下手に触ると悪化するぞ!」


レンジは衛兵たちを掻き分け、最前線へと飛び出した。


「お、おい!何だお前は!危ないぞ!」


「下がってろ!今すぐ楽にしてやる!」


レンジは巨大な甲羅の前に立つと、臆することなくその汚れた表面に手を触れた。


「スキャン開始……汚れの成分識別。フジツボ、ヘドロ、漁網……よし、対象ホストである『甲羅と本体』以外は全て『不要物ダート』として処理する」


レンジはニヤリと笑い、パチンと指を鳴らした。


「【広域洗浄エリア・クリーン】!!」


キィィィィィン……ッ!!

その瞬間、周囲に響き渡ったのは水の音ではない。

耳をつんざくような、鋭利な金属音のような高周波だった。

レンジの手のひらを中心にして、青白い光の波紋が巨体を一瞬で駆け抜ける。


「な、なんだ!?」


衛兵たちが目を剥く中、こびりついていた大量のフジツボや岩石が、パラパラと砂のように分解されて崩れ落ちていく。絡みついていた頑丈な漁網も、光の粒子となって消滅した。


そして波紋が過ぎ去った後――そこには、息を呑むほど美しい姿が現れていた。

透き通るようなサファイアブルーの甲羅。

水晶のように輝く四肢。

長年の摩耗でついた傷すらも完全に埋められ、一切の汚れも曇りもなく、まるで鏡のように周囲の景色を反射している。


「(……あやつ、またやりおったな)」


クオンは額に手を当てた。


「(ただの『洗浄』一回で、汚れの分解から物質修復レストア、保護膜コーティングまで同時に済ませたのか……?古代遺跡の壁画修復や聖剣のメンテナンスでも、そこまで完璧にはできんぞ)」


クオンの呆れをよそに、本来の輝きを取り戻した島亀は、驚いたように自分のピカピカの体を一瞥した後、気持ちよさそうに長い首を伸ばし、「フォォォ……」と美しい鳴き声を上げた。


「(……やはりな。神話に謳われる海の主、『島亀アスピドケロン』か)」


クオンの言葉通り、それは長い年月を生きた、神格を持つ巨大亀だった。

島亀はつぶらな瞳でレンジを見つめ、ゆっくりと頷いた。

そして、感謝を示すように口からキラリと光るものを吐き出し、レンジの足元へ転がした。

それは、大人の拳ほどもある巨大な『黒真珠』だった。


「お、お土産か?ありがとよ!」


島亀は満足げに海へと戻り、優雅に泳ぎ去っていった。

後に残されたのは、塵ひとつなく浄化された桟橋と、呆然とする街の人々。


「やれやれ、海に来てもやることは変わらねぇな」


レンジが苦笑しながら、拾い上げた『黒真珠』を魔法鞄マジックバッグにしまおうとした――その時だった。


ビギィィィィィッ!!


「うおっ!?なんだ!?」


バッグの中から、強烈な紅蓮の光と、耳障りな不協和音が漏れ出したのだ。

レンジが慌ててバッグを開くと、中から勝手に飛び出してきた物体があった。

それは以前、火竜イグニスから貰った『火竜のウロコ』だった。


「なんでイグニスのウロコが……!?」


宙に浮いた深紅のウロコと、レンジの手にある漆黒の真珠。

「火」と「水」、本来交わるはずのない二つの神気は、磁石の同極同士のように激しく反発し、空間を歪ませるほどのスパークを散らし始めた。


「ちょ、喧嘩すんなって!危ねぇだろ!」


レンジは咄嗟に、弾け飛びそうになった二つの秘宝を、両手で無理やり抑え込んだ。


その瞬間――レンジの両手が、カッ!と黄金色の光を帯びた。


それは魔法ではない。

荒ぶる魔獣を瞬時に鎮め、絡まった毛並みを指先一つで解きほぐす、彼固有の常時発動スキル『神の手』の輝きだった。


掌の中でバチバチと暴れるエネルギー。

だが、レンジの指先にとってその不快な反発力は、「手入れ不足でガチガチに絡まった毛玉」以外の何物でもなかった。

ならば、やることは一つだ。


「はいはい、落ち着け。……よし、いい子だ」


レンジの手が、暴れるエネルギーを撫でるように優しく、しかし絶対的な強制力を持って動く。

すると、あんなに喧嘩していた赤と青の光が、レンジの指先に導かれるように素直になり、互いに絡み合いながら螺旋を描き始めた。


キィィィィン……ドォォン!!

完全に「調律」された二つの魔力が融合し、眩い閃光が港を包み込んだ。


光が収まると、レンジの手のひらには、見たこともない物体が残されていた。

それは、燃えるような赤と、深海のような蒼が螺旋状に混じり合った、美しい『勾玉まがたま』のような宝石だった。


「(なっ……!!)」


クオンが絶句し、黄金の瞳を見開く。


「(火竜の『陽』の魔力と、島亀の『陰』の魔力……。対極に位置する二柱の神獣の力が融合しただと…… レンジ、それは国宝などというレベルではない。『神話級ミソロジー』のアーティファクトだぞ)」


「神話級……?」


レンジは完成した勾玉を太陽にかざし、しげしげと眺めた。

触れているだけで、体が芯から温まるような、それでいて清涼な水に浸かっているような不思議な感覚がある。


「よく分かんねぇけど、これがあれば……冬場のお湯の温度調節とか、夏場の水温管理が完璧にできるんじゃないか!?」


「(……貴様ッ!!世界のバランスを崩しかねない秘宝を、給湯器代わりに使うつもりか!)」


クオンの悲痛な叫びが、美しい南の空に響き渡った。


「……ま、とりあえず収穫ありってことで!」


レンジはニカッと笑い、新たな「便利グッズ」をポケットに突っ込んだ。

モフモフはいなかったが、どうやらこの海でも、彼の冒険は退屈しそうにないようである。

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