36. 蘇る白銀と、王の誇り
バリ、バリバリバリッ!!
レンジが突き立てたコームを起点に、フェンリルの背中を覆っていた黒い甲殻(タールと呪いの塊)に亀裂が走った。
それはまるで、脱皮のようだった。
分厚い汚れの層がガラガラと崩れ落ち、その隙間から、雪よりも眩い「白銀」の光が溢れ出す。
「すっげぇ……」
レンジは思わず息を呑んだ。
現れたのは、ただの白い毛ではない。一本一本が透き通るような銀糸であり、自ら光を放つ神代の毛並みだ。
汚れの下で、これほどの美しさが保存されていたとは。
『■■■……ガ……ア……?体が……軽い……?』
バグっていたフェンリルの咆哮が、少しずつ意味のある言葉へと変わっていく。
呪いの核を破壊されたことで、思考回路のノイズが消え始めたのだ。
「まだだ!汚れを落としただけじゃ、キューティクルが開いちまう!」
レンジは魔法鞄から、琥珀色の液体が入った大瓶を取り出した。
「仕上げはこいつだ!交易都市ベルグの『錬金通り』で買い漁った高級ハーブとオイルで作った、レンジ特製『神獣用・極上トリートメント』!」
レンジはトリートメントをドバドバとフェンリルの背にかけ、手早く揉み込んでいく。
荒れた被毛に栄養が染み渡り、瞬く間にツヤが戻っていく。
「スズ、優しく洗い流してくれ!水圧は弱めで!」
「はいっ! ――『潤い恵みの雨』ッ!!」
スズが御幣を振ると、優しく温かい霧雨が降り注いだ。
レンジはその雨を利用し、コームを素早く動かして余分な油分を洗い流していく。
神の手による超高速ブラッシング。
絡まりをほどき、死毛を抜き取り、毛並みを完璧に整える。
すると。
バサッ、バサッ。
意識がないはずのフェンリルの尻尾が、気持ちよさそうに大きく左右に振られ、雪面を叩いた。
無意識の反応だ。
それを見たクオンが、ニヤリと口角を上げた。
「(……おい、フェンリル。いつまで寝惚けている。人間に身を委ね、あまつさえ尻尾を振るとはな。……貴様も地に落ちたものだ)」
クオンのからかうような声に、フェンリルの動きがピタリと止まる。
彼はバツが悪そうに尻尾を止め、意識を取り戻した鋭い瞳でクオンを睨み返した。
『……黙れ、ド腐れ狐。……貴様のその下品な尾を見せつけられるよりはマシだ』
低い、しかし理知的な声。
フェンリルはまだレンジに背中をとかされながらも、鼻を鳴らして続けた。
『……それに、人のことが言えるのか?誇り高き天狐ともあろう者が、人間ごときと連れ添って旅など……。貴様の方こそ、地に落ちたものではないか』
痛烈な一撃。
だが、クオンは涼しい顔でふんぞり返った。
「(勘違いするな。こやつは飼い主ではない。我の『極上の寝床』であり『専属の世話係』だ。……利用する価値があるから、側に置いてやっているに過ぎぬ)」
クオンはレンジの方をチラリと見て、意味深に笑う。
「(……それに、貴様も味わったであろう?この『手』の心地よさを。……これを手放すのは惜しいぞ?)」
『……ッ、ふん』
フェンリルは言葉に詰まり、そっぽを向いた。
確かに、今まさに施されているブラッシングは、極上の快感そのものだったからだ。
「よし、あがりだ!」
二柱の腹の探り合いが終わったタイミングで、レンジが最後のひと撫でを終え、フェンリルの背中から飛び降りた。
その瞬間。
バッッッ!!
フェンリルが身震いをした。
残っていた水滴と微細な汚れが弾け飛び、彼の全身が爆発したかのように膨らむ。
否、膨らんだのではない。
洗われて空気を含んだ極上の毛並みが、本来のボリュームを取り戻したのだ。
そこに立っていたのは、薄汚れた怪物ではない。
月光を織り込んだような美しい白銀の毛を持つ、気高き狼の王だった。
『……ふぅ』
フェンリルは一つ大きく息を吐くと、自身の前足を見た。
黒いタールは跡形もなく消え、美しい銀色が輝いている。
『……礼を言う、人間。そして……』
彼は視線をクオンに向け、少しだけ態度を軟化させた。
『……手間をかけたな、天狐よ。……不本意だが、助かった』
「(ふん。借りは高くつくぞ?北の王ともあろう者が、あんな醜態を晒すなど……後でたっぷりと笑い話にしてやる)」
『くっ……!この借りは必ず返す!だからその件は他言無用だ!』
二柱の神獣が睨み合う。
だが、その空気は険悪なものではなく、旧知の悪友同士のような信頼感に満ちていた。
「おいおい、感動の再会は後にしてくれよ」
レンジがニヤニヤしながら割って入った。
「フェンリルさんよ。あんたをここまで酷い目にあわせた元凶、まだ山頂に残ってるんだろ?」
レンジの言葉に、フェンリルの表情が一変した。
王の威厳と、冷徹な怒りが宿る。
『……ああ。我が聖域を穢し、民を危険に晒した愚か者ども……。「機巧結社」のプラントとか言ったか』
フェンリルは山頂を見上げ、牙を剥いた。
『我が誇りにかけて、ただでは済まさぬ。……行くぞ、人間。貴様らも「掃除」が目的であろう?』
「ああ。俺は『汚れ』が大嫌いでね」
レンジはコームを回してホルスターに収めた。
最強の神獣二柱を連れ、トリマーによる最後の大掃除が始まろうとしていた。
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