33. 黒い呪いの正体と、クリーニング
「……ふざけているのか?」
レンジの提案に対し、リーダー格の男はこめかみに青筋を浮かべた。
彼らにとって、誇りである毛皮を蝕むこの「黒い汚れ」は、仲間を死に至らしめる恐怖の呪いだ。それを「洗ってやろうか」などと言われれば、侮辱されたと感じるのも無理はない。
「我らは『白銀の民』!この山の守り人だ!貴様のような軽薄な人間に、我らの苦しみが分かってたまるか!」
男が槍を振り上げ、威嚇のためにレンジの足元の地面を突き刺そうとした――その時。
キンッ!
乾いた金属音が響き、男の槍が弾き飛ばされた。
レンジの前に、いつの間にか黄金の狐――クオンが割り込んでいたのだ。彼女は尻尾一本で槍を弾き返し、氷のような冷たい瞳で獣人たちを見下ろした。
「(……分をわきまえろ、獣人。こやつは、貴様らの薄汚い毛皮を心配してやっているのだぞ)」
「なっ……魔獣が喋った!?」
民たちが動揺して後ずさる。
レンジはクオンの背中をポンと叩いた。
「おいクオン、煽るなよ。……けど、ありがとうな」
「(……フン。相棒が串刺しにされては、我の寝覚めが悪いからな)」
クオンは素っ気なく答えるが、その尻尾はレンジを守るように揺れている。
レンジは苦笑しながら、再び男に向き直った。
「悪気はなかったんだ。ただ、百聞は一見にしかずだ。……ちょっと失礼」
レンジは魔法鞄からスプレーボトル(強力油汚れ用洗剤)と、白いタオルを取り出した。
そして、男の油でベトベトになった腕の毛皮に、シュッシュッと洗剤を吹きかけた。
「うわっ!?な、何をする!」
「動くなよ。……ほら、ここをこうして……」
レンジはタオルで汚れた部分を優しく、しかし素早く拭き取った。
黒く酸化した油がタオルに移り、その下から――。
「……え?」
男が目を丸くした。
黒一色だった腕の一部が、雪のように真っ白な輝きを取り戻していたからだ。
それだけではない。油で固まっていた体毛がほぐれ、空気を含んでふっくらとしたボリュームが戻っている。
「どうだ?そこだけ温かいだろ?」
「あ……温かい……」
男は自分の腕を触り、信じられないという顔をした。
今まで冷たく重くのしかかっていた「呪い」が消え、ポカポカとした熱が戻ってきている。
「それが毛皮の『本来の機能』だ。油汚れは毛を束ねて、断熱層である空気を追い出しちまう。だから獣人のあんた達でも、まるで冷えた油の鎧を着ているのと同じ状態になって、寒くなるんだよ」
レンジは洗剤のボトルを振ってみせた。
「あんた達のは、呪いでも病気でもない。ただの『重油汚れ』だ。……落とせば治る」
沈黙が場を支配した。
獣人たちは互いの顔を見合わせ、やがて一人が震える声で叫んだ。
「す、すごい……!呪いが消えたぞ!」
「救世主様だ!」
手のひらを返したような騒ぎになり、レンジたちは村の中へと招かれることになった。
◇
村長(先ほどのリーダーの白狼獣人。名前はボルグ)の家に入ると、そこもやはり寒かった。
暖炉はあるが、燃やしている薪が油を含んでいるため、黒い煤が出て部屋全体が薄暗い。
「申し訳ない。もてなしたいが、綺麗な水も食料も尽きかけていてな……」
ボルグが悔しげに頭を下げる。
レンジはスズにお願いして、魔法で綺麗な水を出してもらい、温かいお茶を淹れた。
一口飲んで人心地つくと、ボルグが重い口を開いた。
「全ては数ヶ月前……山の中腹に、奇妙な『鉄の塔』が建ってからだ」
「鉄の塔?」
「ああ。見たこともない鋼鉄の蜘蛛たちが現れ、地面に穴を掘り始めた。すると、大地からこの『黒い水』が噴き出し、川も雪も汚染されてしまったのだ」
間違いなく、機巧結社による石油の掘削プラントだ。
資源を求めて、聖なる山に土足で踏み込んだらしい。
「我らが崇める山の神――『白銀のフェンリル』様は、お怒りになり、鉄の塔を破壊しようとされた。……だが」
ボルグの手が震える。
「フェンリル様は、噴き出した黒い水を全身に浴びてしまわれたのだ。……以来、正気を失い、我らのものとは比較にならぬほど『禍々しい気配』を纏って暴れ回っておられる。近づく者は、その黒い瘴気に触れただけで体が腐り落ちる……」
「……なるほどな。ただの油じゃないってことか」
レンジはカップを置き、険しい顔をした。
獣人たちの汚れは、ただの「油」だった。だから洗剤で落ちた。
だが、神を襲ったものは違う。
「機巧の連中は、神を憎んでいる。だからただ汚すだけじゃない。神を殺し、堕とすために、汚れの中に『穢れ(呪い)』を混ぜ込んでやがるんだ」
「(……奴らの常套手段だな)」
クオンが不快げに吐き捨てる。
物理的な「汚れ」で肉体の機能を奪い、「穢れ」で精神を蝕む。
西の火竜も、南の大鹿もそうだった。
だが、今回の「油×呪い」の癒着は、過去最高に厄介そうだ。
「あの、レンジ殿。……我らの汚れを落としたその洗剤なら、神も救えるだろうか?」
ボルグが縋るように尋ねるが、レンジは首を横に振った。
「いや、この洗剤だけじゃ無理だ。表面の油は落ちても、神の魂にこびりついた『呪い(けがれ)』までは溶かせない」
「そ、そんな……」
絶望するボルグの前で、レンジは腰のホルスターから、愛用の銀色の道具を抜き放った。
『聖銀のコーム』。
神の手を持つトリマーだけが扱える、最強のケア用品だ。
「だが、これなら話は別だ」
レンジはコームを指で弾き、キィンと澄んだ音を鳴らした。
「俺の『神の手』の魔力を、この聖銀のコームに乗せて梳かす。そうすれば、油と一緒に『呪い』も浄化して掻き出せる。……それが唯一の方法だ」
物理的な洗浄と、霊的な浄化。
その両方を同時に行えるのは、世界で唯一、レンジだけだ。
「行くぞ。……ベトベトになって泣いてる神様を、助けにな」
レンジたちは準備を整え、ボルグたちに見送られて再び車へと乗り込んだ。
目指すは山頂。
そこで待つのは、機巧結社の悪意によってドロドロに汚染された、悲しき白銀の狼神。
最後の戦いは、これまでで最も「頑固な汚れ」との勝負になりそうだ。
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