28. 溶解(メルト)トリミングと、森を蝕む歯車
「エメ、手伝ってくれ!」
レンジが声を上げると、魔法鞄のポケットから白い毛玉――カーバンクルのエメが飛び出した。
「キュイッ!(まかせて!)」
「よし。やるぞ」
レンジはバケツの前にしゃがみ込み、ガレス商会で仕入れた数種類の「錬金溶剤」を並べた。
相手は未知の特殊樹脂だ。安全かつ強力に溶かすには、コンマ単位の調合バランスが求められる。本来なら、こんな森の中でぶっつけ本番でやる作業ではない。
「……目分量でいく。エメ、頼むぞ」
レンジは祈るようにエメの額の宝石に触れた。
「キュウ!」
エメが短く鳴き、額のエメラルドが瞬く。
エメから幸運の力を借り受けた事でレンジは迷いを捨て、数種類の劇薬をバケツへ次々と注ぎ込んだ。計量カップなど使わない。指先の感覚と、直感だけが頼りだ。
マドラーを一気に回す。
ジュワッ……と煙が上がり、毒々しい紫色の液体が渦を巻く。
一歩間違えば爆発しかねない反応だが、次の瞬間、液体は澄んだ桜色へと落ち着いた。
「(……ほう。適当に混ぜたように見えたが、完璧な中和点か)」
クオンが感心したように眉を上げる。
レンジは頷き、すぐに大型の噴霧器を担いだ。
ここからはスピード勝負だ。
「少し熱くなりますよ!」
レンジはノズルを構え、大鹿の固まった足関節へ一気に噴射した。
プシュゥゥゥーーッ!!
シュワワワワ……ッ。
樹脂が炭酸のように泡立ち、白濁していく。
皮膚へのダメージはない。狙い通り、汚れだけが分解されている。
「よし、今だ!」
レンジはすかさず金属ヘラを突き立てた。
ガチガチだった樹脂に、ヘラがバターのように吸い込まれていく。
手首を返すと――パキィッ!
本来なら削り取るのに苦労するはずの樹脂が、まるで最初から切れ込みが入っていたかのように、一枚板のごとくペロリと剥がれた。
剥がれた樹脂の裏側はツルツルで、毛を一本も巻き込んでいない。
「キュッ!」
「いいぞ、次だ!」
レンジは無心で手を動かした。
噴霧、反応、剥離。
通常なら何度も引っかかり、修正を余儀なくされる工程が、恐ろしいほどスムーズに進んでいく。
まるでパズルのピースが勝手にはまっていくような感覚だ。
「グルゥ……ッ!」
大鹿が苦悶の声を上げる。
急激に風が当たった皮膚がヒリついているのだろう。
神の手の回復効果で修復していく。
順調だ。このままいけば助かる。
レンジが背中の最も大きな塊にヘラを差し込んだ、その時だった。
ガシャーン、ガシャーン……。
森の奥から、規則正しい、冷たい金属音が響いてきた。
「(……チッ。嗅ぎつけてきたか)」
クオンが作業の邪魔をされた不快感に目を細める。
木々をなぎ倒して現れたのは、3体の奇妙な人型だった。
全身が真鍮の歯車とパイプで構成され、頭部の赤いレンズがギョロリと動く。
「機巧結社の警備人形……!工場の『製品』に手を出したのを感知したんです!」
スズが悲鳴に近い声を上げる。
人形たちは腕を変形させ、高速回転する丸ノコギリを展開した。
『排除……排除……。』
無機質な合成音と共に、3体がレンジの背中へ殺到する。
「くそっ、今手を離せるかよ!」
レンジは振り返らなかった。
今、手を止めれば、溶けかけた樹脂が再硬化して皮膚に癒着してしまう。
背後から迫る駆動音。
だが、レンジが回避行動を取るより早く、金色の風が吹き抜けた。
ドォォォンッ!!
先頭の人形が横合いから弾き飛ばされ、幹に激突して粉砕される。
舞い散る歯車の雨の中、優雅に着地したのは小狐姿のクオンだ。
「(身の程知らずの鉄屑どもめ。……仕事の邪魔だ、消えろ)」
『脅威判定……修正。対象、高エネルギ――』
残る2体が標的を変えようとした瞬間、クオンの前足が虚空を薙いだ。
「(遅い)」
カァンッ!
鋭い金属音が響き、2体の人形は綺麗に上下に切断され、火花を散らして崩れ落ちた。
「(……脆いな。所詮は人間が作った玩具か)」
「助かるよ、クオン!」
「(礼には及ばん。さっさと終わらせろ、レンジ)」
「ああ!」
レンジは最後の一撃、大鹿の鼻先を塞いでいた樹脂の塊にヘラを入れた。
ここでも幸運が味方し、栓がポンッと小気味よく抜けた。
「ブオオォォォッ!!」
開通した鼻孔から、大鹿が貪るように空気を吸い込み、咆哮を上げた。
まだ全身のサビは落ちていないが、呼吸さえできればこっちのものだ。
「よし、第一段階クリア!次は『サビ落とし』だ!スズ、水を頼む!」
「は、はいッ!」
溶解作業は成功した。
だが、工場の警備システムが作動したということは、敵の本丸にこちらの存在がバレたということだ。
「(……来るぞ、レンジ。次はもっと大物がな)」
クオンが工場の煙突を見据える。
森の奥から、先ほどとは比べ物にならない重い地響きが近づいてきていた。
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