20. 黄金の神獣と、東の国の王
宿場町リンドウでの一件から翌日。
レンジたちの乗る魔導馬車『銀の箱舟』は、巫女スズの先導のもと、東の国の首都『キョウ』へと到着していた。
「うわぁ……。こいつは圧巻だな」
フロントガラス越しに見える景色に、レンジは息を呑んだ。
盆地の中央に広がる巨大な都。
整然と区画整理された街並みは、朱塗りの鳥居や柳の木で彩られ、その中心には天を突くような巨大な城――『白狐城』が鎮座している。
和風ファンタジーの極致とも言える光景だ。
「(……フン。数百年ぶりに見たが、随分と派手になったものだ)」
助手席のクオンは、懐かしむというよりは、呆れたような目で城を見上げていた。
「(あのような高い天守など、目立ちたがりの愚か者が住む鳥籠よ)」
「また辛口だな……。一応、これから会う相手の家だぞ?」
「(事実だ。……それに、今の王は『若造』だと聞くしな)」
クオンは欠伸を噛み殺した。
彼女にとっての「若造」が何百歳を指すのか、レンジには想像もつかない。
◇
王城への入場は、異例の待遇だった。
本来なら人間が足を踏み入れることなど許されない聖域だが、スズの報告を受けた王からの強い要望により、フリーパスで最奥の「謁見の間」へと通されたのだ。
城内は静まり返っていた。
磨き上げられた木の床、美しい襖絵、そして廊下の要所要所に控える近衛兵たち。
「ひっ……!」
彼らはレンジを見ると訝しげに眉をひそめたが、その連れを見た瞬間、顔面を蒼白にして震え上がった。
レンジの頭上には、聖なる光を放つ宝石獣。
足元には、底知れぬ闇のプレッシャーを放つ黒猫。
だが、何よりも兵士たちを戦慄させたのは、レンジの肩に悠然と鎮座する金色の狐だった。
彼女は変化の術により、その神気を極限まで抑え込んでいる。
だが、それでも隠しきれずに漏れ出る『ほんの僅かな余波』が、尋常ではなかった。
濃縮された神の威光は、たとえ針の穴ほどの漏出であっても、近くにいる兵士たちの魂を押し潰すには十分すぎたのだ。
「……あ、ありえない……なんだ、この重圧は……」
「目を合わせるな……魂ごと持っていかれるぞ……」
兵士たちは本能的な恐怖に屈し、逃げるように道を空けていく。
エメは「キュウ?」と不思議そうに首を傾げ、ルナは「ニャ〜ン(広いね〜)」と呑気に鳴いているが、クオンだけは鼻を鳴らすのみだ。
「(……クオン、お前、威圧感出しすぎじゃないか?)」
「(何もしておらん。これでもかなり抑えているのだがな。……獣人の器が脆すぎるのだ)」
「はいはい、そうですか」
レンジは肩をすくめた。この相棒の規格外さは、治る気配がない。
やがて、一行は最奥にある「謁見の間」の前へと辿り着いた。
巨大な両開きの襖には、金箔で九尾の狐が描かれている。
「どうぞ、お入りください」
スズが静かに襖を開く。
その先には、百畳敷きはあろうかという広大な空間が広がっていた。
部屋の奥、一段高くなった「上段の間」には御簾が垂らされ、その向こうに人影が座っている。
「面を上げよ」
涼やかで、しかし絶対的な威厳を含んだ声が響いた。
御簾がゆっくりと巻き上げられる。
そこに座していたのは、十二単のような豪奢な着物を纏った、絶世の美貌を誇る青年だった。
透き通るような白い肌、切れ長の瞳、そして白銀の長髪。
人の姿をしてはいるが、その頭には大きな狐の耳があり、背後には九本の真っ白な尾が扇のように広がっている。
彼こそが、民から『お稲荷様』と崇められる東の国の王、本名を『コクヨウ』という。
レンジはスキル『神の手』で、こっそりと解析を試みた。
【解析結果】
対象: コクヨウ(九尾の白狐)
種族: 神霊種(上位神)
状態: 緊張、疲労、微細な『穢れ』の蓄積
備考: 人化の術に長け、人の姿を好む「神」に分類される。
(やっぱり、この人も神様か。しかも九尾……クオンと同じクラスの大物だな)
レンジが分析していると、コクヨウの鋭い視線が飛んできた。
彼はレンジを一瞥し、次にその周りにいる「小さきものたち」を見て、目を見張った。
「ほう……。希少なカーバンクルに、深淵を纏う月蝕猫まで従えているとは。其方、ただの人間ではないな?」
「ええ、まあ。家族みたいなもんです」
レンジが答えると、エメが得意げに胸を張り、額の宝石をキラリと光らせた。
だが、コクヨウの瞳には、まだ微かな侮蔑の色が混じっていた。
所詮は人間が、たまたま懐かれただけだろう、とでも思っているようだ。
「名は?」
「レンジです。冒険者兼、トリマーをやっています」
「トリマー?……聞き慣れぬ職だが、まあよい。人間でありながら『穢れ』を祓う術を持つとは殊勝な心がけだ。褒美をとらすゆえ――」
王が言葉を続けようとした、その時だった。
「(……おい、コクヨウとやら)」
レンジの肩の上で、クオンが不機嫌そうに声を上げた。
広間にいた全員が凍りついた。
王の発言を遮るなど、不敬罪で即座に斬首されても文句は言えない。
「(客を立ったまま待たせるとは、随分と偉くなったものだな?我の知る『東の血筋』は、もう少し礼儀を弁えていたはずだが)」
「……何?」
コクヨウが眉を吊り上げ、不快げに視線をレンジの肩へと向けた。
彼はまだ気づいていない。
ただの狐ごときが王に対して口を聞いたことへの、苛立ちだけがそこにあった。
「分をわきまえよ、下等な獣風情が。……人間が躾を怠ったか?」
コクヨウが冷たく吐き捨てると同時に、玉座から強烈な魔力が放たれた。
王としての威圧。普通の動物なら即座に失神するほどのプレッシャーだ。
「(うおっ、すごい圧力……!)」
レンジが冷や汗をかいて身構える。
だが、クオンは涼しい顔でその威圧を受け流し……深く、ため息をついた。
「(……やれやれ。礼儀も知らぬ上に、目まで節穴になったか)」
クオンがゆっくりと目を開く。
その瞬間。
ドォンッ……!!
レンジの肩の上を中心に、爆発的な『神気』が解き放たれた。
それは抑え込まれていた栓が抜けたような、圧倒的な質量の奔流だった。
城全体が震え、空間そのものが黄金色に染まる錯覚すら覚える。
「な……ッ!?」
コクヨウの顔から、一瞬で余裕が消え失せた。
放っていた魔力など、クオンの神気に比べれば蝋燭の灯火も同然。
彼は玉座の上で硬直し、全身をガタガタと震わせた。
この魂の波長。
この、絶対的な支配力。
そして、この世界でただ一柱だけが持つことを許された、黄金の神気。
「(おい若造。我に向かって『下等』とは、随分と大きな口を利くようになったな?)」
クオンがスッと目を細める。
「(百万年早いわ)」
その一言が、決定打だった。
コクヨウの表情が能面のように凍りつく。
目は極限まで見開かれ、唇がわななき、血の気が一瞬で引いていく。
「そ、その御姿……その、魂の波長は……まさか……!?」
ガタガタガタッ!
コクヨウは玉座から転げ落ちるように飛び降りた。
そして、着物の裾が乱れるのも構わず、レンジたちの目の前まで走ってくると――。
ズサァァァッ!!
その場にスライディング土下座をした。
それもただの土下座ではない。額を畳にめり込ませんばかりの、完全なる平伏だ。
「も、申し訳ございませんッ!!まさか『天狐』の始祖であらせられる、クオン様ご本人とは露知らず!!あまつさえ、見下ろす位置より言葉を発し、威圧するなど万死に値する不敬!!どうか、どうかお慈悲をーーッ!!」
「えっ」
レンジは口をあんぐりと開けた。
エメも「キュウ?」と目を白黒させ、ルナはと跳ねた。
さっきまで「下等な獣」と罵っていた威厳たっぷりの王様が、今は完全に「会長に怒られた新入社員」のように縮こまっている。
「(……顔を上げろ。見苦しい)」
「は、はいっ!」
コクヨウは恐縮しながら顔を上げた。その美しい顔は冷や汗でぐしゃぐしゃだ。
彼は震える声で尋ねた。
「クオン様……。貴女様は、五百年前の『大厄災』にて、世界の全ての穢れをその身に封じ、消滅されたはずでは……」
レンジが眉をピクリと動かした。
やはり、クオンがあの森にいたのは、ただの引きこもりではなかったのか。
「(……フン。王家の記録には『消滅した』とあるか。……それは人間どもにとって、さぞ都合の良い歴史だろうな)」
クオンの声が低くなり、室内の温度が一気に氷点下まで下がった。
彼女の金色の瞳が、憎悪の光を帯びる。
「(我は生きていた。だが、世界を救い、泥のように弱り果てた我に対して……当時の人間どもが何をしたか、貴様は知っているか?)」
「い、いいえ……。存じ上げません」
コクヨウはクオンの怒気圧に震えながら首を横に振った。
クオンは吐き捨てるように言った。
「(奴らは恩を忘れ、我を『素材』と見なした。……我の持つ『天狐の尾』を切り落とすべく、軍を差し向けたのだ)」
「なっ……!?」
コクヨウは言葉を失った。
顔色が蒼白になり、わななく唇から信じられないという声が漏れる。
「そ、そのような……まさか……!救世主たる貴女様に、人間風情が刃を向けたと言うのですか!?」
「(そうだ。故に我は人間を呪い、森の奥深くで心を閉ざした。……そして、泥の中で腐りかけていたところを、この物好きな男に拾われたのだ)」
「この人間が……!?あの『滅びの穢れ』を身に受けていた貴女様を……!?」
コクヨウは信じられないものを見る目でレンジを見た。
レンジは気まずそうに頬を掻いた。
(すごい過去だな……。そりゃあ俺が初めて会った時、殺気立ってたわけだ)
「この男は違った」
クオンはレンジの耳元に顔を寄せ、コクヨウに見せつけるように、誇らしげに言った。
「こやつは、我の強大な力にも、金になる美しい尾にも、一切興味を示さなかった。……ただ、『汚れていて可哀想だ』と言って、櫛を入れたのだ」
「く、櫛……?」
コクヨウが呆然と呟く。
「(ああ。こやつにとって我は、神でも化け物でもなく、ただの『毛並みの悪い客』だったらしい。……呆れた男だ)」
クオンがクスクスと笑う。その笑顔には、レンジへの全幅の信頼が滲んでいた。
コクヨウはポカンと口を開け、まじまじとレンジを見つめた。
伝説の神獣を前にして、恐怖も欲もなく、ただ「梳いてやりたい」と思った人間。
それはある意味、どんな英雄よりも異常で、そして尊い存在だ。
コクヨウは居住まいを正し、レンジに向き直った。
今度は神としての警戒の色はない。あるのは、深淵なる畏敬と感謝の念だ。
「……非礼を詫びよう、人間レンジよ。貴殿は、我らが守護神を……クオン様を救ってくれたのだな」
コクヨウは深々と頭を下げた。
「その恩、東の国は決して忘れぬ。……貴殿を、国賓として迎え入れよう」
「いや、そんな大層な……」
「立ち話もなんだ。……積もる話もある。場所を変えて、改めて歓迎させてくれ」
◇
案内されたのは、城の奥にある静かな離れだった。
美しい日本庭園(のような庭)が見える座敷で、レンジたちの前には見たこともない豪華な茶菓子と、香り高い抹茶が運ばれてきた。
「へぇ……!これ、和菓子か?こっちの世界にもあるんだな」
「当国の特産品だ。口に合うと良いのだが」
コクヨウは先ほどの威圧的な態度が嘘のように、穏やかな微笑みで茶を勧めてきた。
彼はもはや王としてではなく、偉大なる先祖とその連れをもてなす「後輩」のような態度だ。
「(ふむ。この饅頭、悪くない味だ)」
クオンは早々にレンジの膝から降り、座布団の上でくつろぎながら菓子を頬張っている。
「それにしても……」
コクヨウは、茶を啜りながら、改めてクオンの姿をしげしげと眺めた。
「実に見事な毛並みだ。一本一本が黄金の光を放っているようで……数百年前の絵巻物に描かれた姿よりも美しい。レンジ殿、貴殿の『手入れ』とは、魔法か何かか?」
「いえ、ただのブラッシングですよ。まあ、俺のスキルでちょっとした補正はかけてますけど」
レンジは照れくさそうに頭を掻いた。
「(レンジの手技は悪くないぞ。そこらの三流神官が使う浄化魔法よりも、よほどコリがほぐれる)」
クオンが得意げに尻尾を揺らす。
「(特に耳の裏と、尻尾の付け根のマッサージは絶品だ。コクヨウ、貴様も一度やってもらうといい)」
「ははは……。クオン様がそこまで仰るとは、よほどの手練れなのですね」
コクヨウは楽しげに笑ったが、その笑顔が一瞬、苦痛に歪んだ。
「ッ……ぅ……」
彼が茶碗を持つ手が、微かに震える。
着物の袖口から、ドス黒い「何か」が這い上がるのが見えた。
「おい、大丈夫か?」
レンジが身を乗り出すと、コクヨウは慌てて袖を押さえ、作り笑いを浮かべた。
「ああ、失礼。……少し、持病が障っただけだ」
「持病?」
「(……隠すな、コクヨウ)」
クオンの目が鋭く光った。彼女は座布団から立ち上がり、コクヨウの元へと歩み寄る。
「(その穢れの臭い……ただ事ではないぞ。いつからだ?)」
「……お気づきでしたか」
観念したように、コクヨウはため息をついた。
彼はゆっくりと着物の袖をまくり上げ、その腕を晒した。
「うわっ……なんだこれ」
レンジは絶句した。
白磁のように美しい肌が、まるで墨汁を垂らしたように黒く変色している。
しかもその黒いシミは、血管のように脈打ち、生きているかのように蠢いていた。
「『蝕み』と呼んでいる。……ここ数年、突如としてこの国に蔓延し始めた奇病だ」
コクヨウの声が沈む。
「最初は倦怠感だけだった。だが、次第に魔力が濁り、肉体が変質し……最後には理性を失って暴走する。リンドウの猪神も、これにやられたのだ」
「じゃあ、あんたも……」
「ああ。我もまた、侵食されている。本来の神獣の姿に戻れば、一気に穢れが全身に回り、理性を保てなくなるだろう。故に、こうして人の姿で耐えているのだが……それも限界が近い」
コクヨウは悔しげに拳を握りしめた。
「民には『神々の寿命』や『代替わりの時期』だと説明し、事実を伏せている。もし『神を殺す伝染病』が蔓延していると知られれば、国中が大パニックになるからな」
「なるほど……。リンドウの爺さんが『寿命だろう』って言ってたのは、そういうことか」
レンジは納得したように頷いた。
真実はもっと残酷で、緊急性を要するものだったのだ。
「我だけではない。この国の各地を守る神々が、次々とこの病に倒れている。……このままでは、東の国は『神堕ち』した獣たちの暴走によって滅びるだろう」
重苦しい沈黙が座敷を包んだ。
美しい庭園の風景すら、今は色あせて見える。
「我ら神霊種の力をもってしても、この穢れは祓えぬ。触れれば感染り、洗おうとすれば水が腐る。……まさに手詰まりだ」
コクヨウは顔を上げ、すがるような瞳でレンジを見た。
先ほどまでの談笑の空気は消え、そこには国を憂う王の顔があった。
「レンジ殿。……厚かましい願いとは承知している。だが、貴殿のその不思議な技で……クオン様を救ったその手で、どうか我が国を救ってはくれまいか?」
レンジは腕組みをし、チラリと相棒を見た。
クオンは「(世話の焼ける若造だ)」とばかりに鼻を鳴らしたが、その尻尾は期待するように揺れている。
彼女もまた、同族が苦しむのを見過ごすつもりはないのだ。
「……やれやれ。観光に来たはずなんだけどな」
レンジは残りの茶を飲み干し、立ち上がった。
「わかりました。乗りかかった船だ。それに、苦しんでいる獣達を放っておけないしな」
レンジはコクヨウの前に立ち、その黒く染まった腕に手をかざした。
「神様だろうが王様だろうが、汚れているなら綺麗にする。絡まっているなら解く。……それが俺の仕事ですから」
「レンジ殿……!」
「まずは王様、あんたのその黒いシミを落としましょうか。――話はそれからだ」
東の国の王と、最強の神獣、そして異世界のトリマー。
穏やかな茶会は一転、東の国全土を巻き込む「穢れの解呪」の作戦会議へと変わろうとしていた。
感想・質問・誤字脱字・雑談 等
良かったら書いていって下さい!
今後とも『「神の手」を持つトリマーは、伝説の魔獣と気ままな旅をする』を宜しくお願い致します!




