19. 灰降る宿場町と、腐りゆく山の主
国境の関所を越えて数日。
植生は徐々に変わり、針葉樹や竹林が目立つようになってきた。
街道沿いには石造りの地蔵や、朱塗りの鳥居のようなモニュメントが見え隠れし、ここが異文化の地であることを告げている。
そして、レンジたちの目の前に、東の国最初の宿場町『リンドウ』が現れた。
「へぇ……!すげぇ、本当に日本……いや、和風だ」
レンジはハンドルを握りながら感嘆の声を漏らした。
瓦屋根の木造建築、提灯が揺れる軒先、着物のような衣服を纏って行き交う獣人たち。
そこは、レンジの記憶にある「時代劇」の世界と、ファンタジーが融合したような独特の景観を持っていた。
だが、何かがおかしい。
「(……む。空気が淀んでいるな)」
助手席のクオンが不快そうに鼻をひくつかせた。
よく見ると、町全体に薄暗い靄がかかっており、空からは雪のように灰色の「粉」がパラパラと降り注いでいる。
活気はあるはずなのに、道ゆく人々の顔色は暗く、咳き込んでいる者も多い。
「なんだこの灰?火山灰か?」
レンジがワイパーを動かすと、灰はベトリとガラスに張り付いた。ただの灰ではない、脂を含んだような不快な粘り気がある。
◇
『銀の箱舟』が町の入り口に差し掛かると、槍を持った犬の獣人の自警団が立ちはだかった。
「止まれ!見慣れぬ馬車だな。人間か?」
自警団の視線は厳しく、あからさまな敵意が含まれていた。
この国では、人間はあまり歓迎されていないようだ。
「旅の冒険者です。通行の許可は関所で受けてきました」
レンジが窓からギルドカードを見せようとするが、警備兵は槍を引こうとしない。
「今は『穢れ』が蔓延している。他所者、特に人間を入れるわけには……」
その時だった。
助手席の窓が開き、金色の毛並みをなびかせてクオンが顔を出した。
「(……おい。我の道を塞ぐとは、良い度胸だな)」
クオンがわずかに「神気」を漏らす。
その瞬間、警備兵たちの顔色が一変した。
彼らの獣としての本能が、目の前の狐がただのペットではなく、自分たちより遥かに高位の存在――「神獣」であることを悟ったのだ。
「こ、これは……『お稲荷様』の眷属……いや、それ以上の……!?」
「し、失礼いたしました!まさか高貴な御方が同乗されているとは!」
警備兵たちは慌てて槍を収め、その場に平伏した。
東の国では、狐や狼、猪などの高位魔獣は信仰の対象となることが多いらしい。
「(……フン。通れ、レンジ)」
「お、おう。助かったよ」
レンジは苦笑いしながらアクセルを踏んだ。
◇
町に入ったレンジたちは、広場に馬車を停め、情報収集のために外へ出た。
やはり、降り注ぐ「灰」の原因が気になる。
「おじいさん。この灰は一体なんなんです?」
レンジが近くで店番をしていた狸の獣人に尋ねると、老人は重い口を開いた。
「……『ヌシ様』の涙じゃよ」
「ヌシ様?」
「この裏山に住まう、巨大な猪神様じゃ。長年この町を守ってきてくださったが、数年前から原因不明の病に侵され……今では身体が腐り落ち、あのような『呪いの灰』を撒き散らすようになってしまわれた」
老人は悲しげに山を見上げた。
「もはや寿命だろうと、皆で静かに最期を看取ろうとしているのじゃが……その苦しみようが酷くてな。近寄るだけで皮膚が爛れるほどの瘴気を出しておられる」
「(……ほう。神堕ちの一歩手前か)」
クオンが鋭い眼光で山を見つめる。
レンジの職人魂(トリマーとしての血)が騒いだ。
ただ暴れているわけではない。「病気」で苦しんでいるなら、それは放置できない。
「……ちょっと様子を見てきてもいいですか?」
「やめておけ、人間。ヌシ様の住処は『聖域』だ。穢れた人間が入れば、祟りで命を落とすぞ」
老人は強く止めたが、レンジはすでに決めていた。
彼はクオンと顔を見合わせる。
「(……行くのだろう?お人好しめ)」
「お前も気になってるんだろ?同業者(神獣)として」
レンジたちは静かに町を抜け、灰が濃くなる裏山へと足を踏み入れた。
山道を進むにつれ、腐敗臭が強烈になっていく。
木々は枯れ、地面はドス黒く変色している。
そして、山頂付近の洞窟の前で、彼らはその「患者」を見つけた。
「ブモォォォ……ッ……」
そこには、家一軒分ほどもある巨大な猪が横たわっていた。
かつては純白だったであろう毛並みは抜け落ち、全身が黒い膿と瘡蓋に覆われている。
背中からは、まるで樹木のように巨大な「角質化した腫瘍」が突き出し、そこから灰色の胞子が噴き出していた。
「ひでぇ……。これはただの汚れじゃないな」
レンジは口元を布で覆い、スキル『神の手』を発動した。
いつもの一瞬の解析ではない。じっくりと、時間をかけて深部まで探る。
解析結果
対象: 大山猪
状態: 瀕死、重度の壊死、魔力暴走
原因: 背中の古傷に『呪具の破片』が残留。そこを中心に組織が変異し、体外へ排出しようとする拒絶反応が続いている。
「……やっぱりだ。外側だけ洗っても意味がない」
レンジは眉をひそめた。
これは洗浄案件ではない。
背中の腫瘍を切開し、深部に埋まっている「原因」を取り除かなければ、この猪は腐り落ちて死ぬだけだ。
「おい、人間!!そこで何をしている!!」
背後から鋭い声が飛んだ。
振り返ると、巫女装束に身を包んだ猫耳の少女と、武装した獣人たちが殺気立ってこちらを取り囲んでいた。
「ヌシ様の安眠を妨げるな!不敬な人間め、今すぐ立ち去らねば斬る!」
少女が抜刀する。
レンジは両手を挙げたが、その目は真剣だった。
「斬るなら斬ればいい。でも、あんたらの神様、このままだと死ぬぞ」
「なっ……!?」
「俺なら治せる。……いや、治させてくれ。これは『手術』が必要だ」
一触即発の空気の中、レンジは真っ直ぐに巫女を見据えた。
「巫女様!なりませぬ!人間などにヌシ様の御体を触れさせるなど!」
護衛たちが叫ぶが、猫耳の巫女――名はスズと言った――は、迷いながらも刀を収めた。
「……ならぬ。だが、このままではヌシ様は死ぬ。……それに」
スズは震える視線を、レンジの背後に佇む金色の狐に向けていた。
彼女には霊感がある。だからこそ分かってしまった。
この男が連れている狐が、自分たちが仕える「お稲荷様」など足元にも及ばぬほどの、正真正銘の「神」であることを。
その神がこの人間の男を信頼し、付き添っているのだ。
「……任せます。ですが、もしヌシ様を害するようなら、私の命に代えても貴方を斬ります」
「わかった。……エメ、照明係頼むぞ」
「キュウ!(まかせて!)」
エメが額のエメラルドを強く発光させ、薄暗い洞窟前を昼間のように照らし出した。
レンジは巨大な猪――大山猪の背中に飛び乗った。
「グオォォォ……ッ……!!」
猪が苦痛に呻き、暴れようとする。
「クオン、暴れないように押さえててくれ!頼む!」
「(人使いの荒い奴め……)」
クオンが尻尾を一本伸ばし、猪の頭をピシリと叩く。
「(大人しく寝ていろ)」
ズンッ!
ただそれだけで、巨大な猪の動きがピタリと止まった。
「よし、始めるぞ」
レンジは患部である背中の巨大な腫瘍を見据えた。
直径1メートルはある角質化した塊。その中心に「呪具の破片」が埋まっている。
通常の刃物では歯が立たない硬度だが、今のレンジには「アレ」がある。
「水魔法――『高圧洗浄・切断』」
シュパァッ!!
レンジの指先から放たれた極細の水刃が、鋼鉄よりも硬い角質を一瞬で切り裂いた。
鮮血は出ない。血管を避けて切開しているからだ。
「なっ……魔法で、あんな精密な切開を……!?」
スズが息を呑む。
レンジの手つきは、まるで手慣れた料理人のように迷いがない。
分厚い角質層を剥がし、その下にあるドロドロに腐った膿の層を露わにする。
「次は洗浄だ。『コーム変形・吸引』!」
水流を渦巻かせ、腐敗した膿と毒素を一気に吸い出し、外へ弾き飛ばす。
強烈な悪臭が周囲に広がるが、レンジは顔色一つ変えない。
患部が綺麗になり、ついに病巣の最深部が見えた。
肉に食い込んだ、禍々しい漆黒の欠片。
まるで生き物のように脈動し、周囲の肉を腐らせ続けている。
「(……ほう。あれは『呪いの楔』か。タチの悪い)」
クオンが目を細める。
「こいつが元凶か。……へばりついてやがるな」
欠片からは無数の触手が伸び、猪の神経や血管に絡みついている。
無理に引き抜けば大量出血で即死だ。
だが、レンジはニヤリと笑った。
(絡まった毛玉を解くのと一緒だ。……解けないなら、元から断つ!)
「『神の手』・全開」
レンジの魔力が指先に集中する。
視界がクリアになり、血管の一本一本、神経の隙間までが明確に見える。
「……『高圧洗浄・剥離』」
シュィィィィィ……!!
今までで最も細く、最も鋭い水流。
それは昨日、丸太の特訓で会得したばかりの神技。
呪いの欠片と健康な肉の「境界線」を、ミクロ単位の精度で走った。
神経を傷つけず、血管を切らず、癒着した部分だけを「剥がす」。
「グ……ゥゥ……」
猪の呼吸が穏やかになっていく。
痛みはない。あるのは、長年の苦痛から解放される安堵感だけ。
「……とれたッ!!」
ボロッ。
レンジが手を引き抜くと、真っ黒な欠片が宙に舞った。
クオンがすかさず尻尾でそれを弾き飛ばし、遠くの岩壁に叩きつけて粉砕した。
「仕上げだ!『回復』!」
レンジは『神の手』の魔力を直接傷口に流し込む。
病巣が取り除かれたことで、ヌシ自身の驚異的な再生能力が活性化し、開いた傷口が見る見るうちに塞がっていった。
「ブモォ……!」
数分後。
巨大な猪は、ゆっくりと立ち上がった。
背中の醜い腫瘍はなくなり、新しいピンク色の皮膚が見えている。
降り注いでいた灰色の粉も、ピタリと止まっていた。
「治った……。本当に、ヌシ様が……」
スズはその場に崩れ落ち、涙を流した。
護衛の獣人たちも、武器を捨てて平伏している。
「ふぅ……。疲れた」
レンジは猪の背中から飛び降り、額の汗を拭った。
すると、猪がレンジに鼻先を近づけ、その身体を優しく擦り寄せた。
「お、くすぐったいって。……元気でやれよ、ヌシ様」
レンジが鼻先を撫でてやると、猪は満足げに一声鳴き、森の奥へと去っていった。
その足取りは軽く、もう灰を撒き散らすこともない。
「……人間……いいえ、治癒師様」
スズが立ち上がり、レンジに向かって深々と頭を下げた。
「疑って申し訳ありませんでした。貴方は、この町……いいえ、東の国の恩人です」
「いや、俺はただの通りすがりの……」
「トリマーだろ?」
レンジが言いかけると、クオンが横から口を挟んだ。
そんな軽口を叩いていると、スズが真剣な表情で顔を上げた。
「お礼については、私が責任を持って取り計らいます。……それと」
スズは一度言葉を切り、畏まった様子で言った。
「この件は、直ちに『お稲荷様』――我らが王へ報告させていただきます。おそらく、王ご自身が貴方様にお会いになりたいと仰るでしょう」
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今後とも『「神の手」を持つトリマーは、伝説の魔獣と気ままな旅をする』を宜しくお願い致します!




