12. 交易都市ベルグと、泥まみれの宝石獣
「見えてきたぞ。あれが交易都市『ベルグ』か」
魔導馬車『銀の箱舟』を走らせること五日。
地平線の先に、巨大な城壁に囲まれた都市が姿を現した。
ルリデンよりも遥かに大きく、東西南北から伸びる街道が交差する、大陸有数の物流拠点だ。
城門の前には、入国審査を待つ商人の馬車が長蛇の列を作っていたが、レンジたちはルリデン伯爵の紹介状と、Cランク冒険者カードのおかげで、貴賓レーンを通り抜けることができた。
◇
「すっげぇ人混み……。それに、いろんな種族がいるな」
市内の広場にある「高級馬車預かり所」に愛車を停め、レンジたちは街へ繰り出した。
石畳の大通りは、活気に満ち溢れていた。
人間の商人に混じり、大きな荷物を背負ったドワーフ、しなやかに歩く獣人族、そしてローブを目深に被った魔術師たち。
通り沿いには屋台がひしめき合い、スパイスと焼き肉の香ばしい煙、そして甘い果実の香りが混然一体となって漂っていた。
「(……ほう。なかなか賑やかそうな場所ではないか。美味そうな匂いがここまで漂ってくるぞ)」
堂々と横を歩くクオンが鼻をピクつかせた。
「ニャーン!(お魚!お魚の匂いがする!)」
レンジの肩に乗ったルナも、尻尾をブンブン振って目を輝かせている。
どうやら我が家の魔獣たちは、異文化交流や観光よりも、まずは食い気が優先らしい。
「はいはい、わかってるって。まずは腹ごしらえだな」
レンジは屋台を巡り、クオンには「羊肉の香草スパイス串」を、ルナには「川魚の姿焼き」を買い与えた。自分は、珍しい「虹色果実のジュース」を片手に、串焼きを頬張る。
値段を気にせず、最高級の屋台飯を食べ歩きできるのは、冒険者の特権であり醍醐味だ。
「(うむ。このピリッとした辛味、悪くない。酒が欲しくなるな)」
「お酒は夜まで我慢してくれ。……さて、腹も満たしたし、買い出しに行くか」
「(買い出しだと?……依頼ではないのか。せっかくの新しい街だ、少しは退屈しのぎになるかと思ったのだが)」
クオンが露骨につまらなそうな顔をする。
彼女としては、街のゴロツキや魔獣を相手に一暴れしたかったらしい。
「戦いばっかり求めてどうすんだよ。俺が用があるのは、シャンプーやリンスの材料だ。ここは交易都市だろ?世界中の薬草やオイルが手に入るはずだ」
トリマーにとって、洗剤は命だ。
レンジは魔力で成分を合成して自作しているが、その品質を底上げするためには、良質な天然素材が欠かせない。
特に、魔獣の毛並みは種族によって千差万別。様々なケースに対応するには、多種多様なオイルやハーブが必要なのだ。
レンジたちは人混みを抜け、独特の薬草の匂いが漂う「錬金通り」へと足を向けた。
◇
「いらっしゃい!東方の椿油が入ったよ!」
「マンドラゴラの根っこはいらんかねー!」
錬金通りは、マニアックな熱気に包まれていた。
レンジの目は、職人モード(ガチ勢)に切り替わっていた。
「おっ、この『月光草のオイル』純度が高いな。これならルナのような黒毛の艶出しに最適だ」
「こっちの『ドライアドの樹液』は、乾燥肌の保湿に使える……よし、樽でくれ」
レンジは目利きスキルをフル活用し、次々と最高級素材を魔法鞄に放り込んでいく。
店主たちが「すげぇ上客が来た!」と色めき立つ中、レンジは満足げにリストを消化していった。
「よし、これで新作のトリートメントが作れるな」
大量の買い物を終え、市場の裏通りを歩いてショートカットしようとした、その時だった。
「ええい、どけ!この穀潰しが!」
「ギャッ……!」
「邪魔だ!店先に汚いゴミは要らねぇんだよ!」
怒鳴り声と共に、ドサッという鈍い音が響いた。
路地裏にある、薄暗い古道具屋の店先。
スキンヘッドの柄の悪い店主が、何かを足で蹴り飛ばしていた。
「(……む?)」
クオンが不快そうに眉をひそめる。
レンジの足が止まった。
店主が蹴り飛ばしたのは、薄汚れたボロ雑巾……のように見える、小さな毛玉だった。
「全く、とんだ不良在庫だ!『幸福を呼ぶ幻獣』だなんて嘘っぱちを掴ませやがって!飯ばっかり食って、ちっとも売れねえ!」
店主は箒でその毛玉を掃き出し、ゴミ捨て場の方へと追いやった。
毛玉は抵抗する力もないのか、震えながら小さく丸まっている。
泥と油、そしてホコリにまみれていて、一見するとただの汚いモップのようだ。
だが、レンジの耳には、その小さな毛玉が発する、消え入りそうな悲鳴が聞こえていた。
「……なぁ、親父さん」
レンジは静かに近づき、声をかけた。
その声色は低い。
「ああん?なんだ兄ちゃん。客なら表へ回って……ん?なんだその上等な服は。貴族様か?」
店主はレンジの服装と、連れている二匹の魔獣を見て、下卑た揉み手をした。
「へへっ、何か掘り出し物をお探しで?魔道具ならいいのがありますぜ」
「いや。……そいつ、捨てるなら俺が貰ってもいいか?」
レンジはゴミ捨て場の毛玉を指差した。
店主の顔が歪んだ。
「は?これか?……へっ、物好きなこった。こんな臭いネズミ、何の役にも立たねえぞ」
「役立つかどうかは俺が決める。……いくらだ?」
「金なんぞ取らねえよ。売れもしねぇし、邪魔なだけなんだよ。はやく持ってってくれ。ああせいせいした」
店主は厄介払いができたとばかりに、ペッ、と唾を吐き捨てて店の中へ戻っていった。
残されたのは、ゴミの山と、その中でうずくまる小さな命。
「……大丈夫か?」
レンジは膝をつき、その汚れきった毛玉に手を伸ばした。
近くで見ると、惨状は明らかだった。
毛はフェルト状に固まり、通気性が死んでいる。皮膚にはカビが生え、炎症を起こしている特有の腐敗臭がした。
そして何より、怯えきっている。
人の手が近づくだけで、ビクッと震えて身を縮こまらせる。
「(……なんだこれは? 犬か? 兎か?)」
クオンが訝しげに覗き込む。
「(泥の臭いが酷くて、種族がわからんぞ)」
「ニャン……(かわいそう……痛そう……)」
ルナが心配そうに擦り寄る。
レンジはそっと毛玉を抱き上げた。
軽い。
毛のボリュームで大きく見えているが、その中身はガリガリに痩せ細っている。肋骨が手に当たるほどだ。
「よし、鑑定だ」
レンジは『神の手』の目を向けた。
【解析結果】
種族: カーバンクル(宝石獣)
状態: 極度の栄養失調、皮膚真菌症、宝石の輝き喪失(ストレス性)、心の閉鎖
備考: 本来は額に宝石を持ち、その宝石で幸運を呼ぶ希少な聖獣。現在は汚れで宝石が見えなくなっている。
「……カーバンクルか」
伝説の宝石獣。
額に宝石を持ち、その輝きで幸運をもたらすと言われる希少種だ。
だが、今のこの子に輝きはない。
商人は「輝かないから偽物だ」と思ったのだろうが、逆だ。
手入れもされず、愛情も注がれなかったから、輝きを失ったのだ。
レンジの目に、職人としての静かな怒りと、燃えるような使命感が宿った。
「帰るぞ、クオン、ルナ。……『銀の箱舟』で、緊急オペ(トリミング)だ」
レンジは腕の中の小さな震える塊を、壊れ物を扱うように優しく抱きしめ、早足で市場を後にした。
◇
馬車預かり所に戻ったレンジは、すぐに車内へ駆け込み、換気システムを最大にした。
「よし、まずはこのガチガチに固まった鎧(毛玉)を脱がせるぞ」
レンジは作業台の上に清潔なタオルを敷き、震えるカーバンクルを乗せた。
「キュウ……ッ」
「怖くないぞ。痛いのを取るだけだ」
レンジは『聖銀のハサミ』を取り出し、バリカン型へと変形させた。
ここまでフェルト化した毛は、解くよりも一度刈ってしまった方が、皮膚への負担が少ない。
レンジの手が高速で動く。
バリカンは皮膚を傷つけることなく、汚れと膿で固まった毛の塊だけを正確に切り離していく。
ボトッ、ボトッ。
重い泥の塊が落ちるたびに、カーバンクルの体が軽くなっていく。
「(ほう……。中から綺麗な皮膚が出てきたな)」
クオンが感心して見守る中、レンジは荒刈りを終えた。
次は洗浄だ。
「ここからが本番だ。薬用シャンプー風呂、行くぞ」
レンジはコームをシンクモードに変形させ、先ほど市場で買ったばかりの「殺菌効果のあるハーブ」と「保湿オイル」をブレンドした特製のお湯を張った。
チャプン。
お湯に入れた瞬間、カーバンクルが暴れようとしたが、レンジの指先がツボを押さえ、同時にお湯の温かさが伝わると、すぐに大人しくなった。
「痒かったろ?今、カビもダニも全部流してやるからな」
レンジの指が、痩せた背中を優しく、しかし丹念にマッサージする。
泡が茶色く濁り、また新しいお湯で流す。それを三度繰り返した。
次第に、カーバンクルの呼吸が落ち着き、閉じていた目がうっすらと開かれた。
そこには、レンジに対する怯えではなく、微かな信頼の色が灯り始めていた。
そして、最後の仕上げ。
ドライヤーの温風で乾かし、残った毛を整える。
「……よし。出来上がりだ」
レンジが手を離すと、そこには――。
「キュウ!」
先程までの泥団子が嘘のような、白銀の毛並みを持つ小動物が座っていた。
長い耳、フサフサの尻尾、そしてつぶらな瞳。
何より目を引くのは、額の中央。
汚れが落ち、レンジの魔力トリートメントによって本来の輝きを取り戻した「深緑の宝石」が、見る者を魅了するような、深く華やかな翠の煌めきを放っていた。
「(……見事だ。これは確かに、王侯貴族が血眼になって求める『生ける宝石』だな)」
クオンが息を呑む。
ルナも「キレイ……!」と目を輝かせている。
「キュ……キュウ!(あったかい……軽い!)」
カーバンクルは自分の体を見下ろし、信じられないといった様子で飛び跳ねた。
そして、レンジの胸に飛び込み、その頬をペロペロと舐めた。
「ははっ、くすぐったいって!」
レンジは笑い、その額の宝石に優しくキスをした。
あの店主は、自ら「幸運」を捨てたのだ。
だが、そのおかげでこの子はレンジの元へ来た。
「お前の名前は……緑の宝石だから『エメラルド』……いや、呼びやすく『エメ』にしよう。」
「キュウ!(エメ!)」
エメは嬉しそうに鳴き、その額の宝石を一際強く輝かせた。
それは、レンジたち一行に、これからの旅路での「幸運」を約束する輝きだった。
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