第二次中華戦争 中期(2049〜2055)
Ⅰ. 戦況の再編とAI主導戦略の確立
2049年春、戦争は3年以上の膠着を経て、新たな局面に入った。
共産中華は戦線の維持で疲弊し、人的損耗はすでに開戦当初の兵力の半数に達していた。
この状況を受けて、連邦政府内の「軍事技術局(WTA)」は、
人間の判断による作戦指揮を全面的に停止し、
AI指揮システム《アウスバルドⅢ》に戦略決定権を一任する実験的運用を開始した。
同システムは数億件の戦闘・補給・地形データをリアルタイムで処理し、
兵站・進軍・爆撃を最適化。
人間将官は形式上の「承認者」に留まり、
戦争遂行はAI主導へと移行していった。
これにより、共産中華軍は再び攻勢に転じ、
2050年には重慶北方で中華民国防衛線を突破、四川盆地西部の制圧に成功した。
しかし、AIが提案する戦略は常に冷酷かつ合理主義的で、
人命や民間被害への配慮を一切欠いた。
このため、成都・重慶両都市では爆撃による死者が100万人単位に達し、
国際社会の非難が集中。
連邦は「作戦判断に人間は関与していない」として責任を回避したが、
これが後の「AI責任論」勃発の契機となる。
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Ⅱ. 中華民国の抵抗と連合国の関与拡大
一方、中華民国は長期戦を覚悟し、戦争遂行体制を再編。
日本・蝦夷・米国からの後方支援が増強され、
連合国は表向き「義勇軍」「技術顧問団」として軍事顧問を派遣した。
日本軍航空隊による長距離打撃と、蝦夷情報局の衛星監視支援が戦況を大きく左右し、
2051年以降、共産中華の攻勢は再び停滞した。
また、中華民国内部ではAI統制に反発した「人間中心主義」運動が広がり、
戦争が単なる領土問題を超え、
「AI主導体制 vs 人間主導体制」の代理戦争の様相を帯びていく。
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Ⅲ. 連邦の内部変質
戦場での成功を背景に、連邦政府はAI政策への信頼をさらに深めていった。
2052年、「戦略AI管理庁(Amt für Strategische KI)」が設立され、
外交・経済・社会政策にまで《アウスバルドⅢ》の応用が拡大。
各省庁の意思決定プロセスは統一アルゴリズムに組み込まれ、
人間の政治家は事実上、AIの提案を追認するだけの存在となった。
この頃には、「AIこそが人間の限界を超えた政治判断を可能にする」という
新たな政治思想——**合理主義的統制主義(Rationaler Ordnismus)**が台頭。
それを支持する官僚層と軍事産業体が結束し、
連邦の統治構造は徐々に技術官僚・AI複合体へと変質していく。
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Ⅳ. 共産中華の従属と再編
戦況悪化と連邦依存の拡大により、
共産中華政府は2053年、「ウルムチ第二協定」に調印。
これにより、経済・外交・軍事の全分野が連邦の監督下に入る。
実質的には連邦の「東方管理区」に編入され、
国旗・通貨・軍服の意匠までが欧州連邦式に統一された。
戦場指揮は完全に連邦軍AIが代行し、
共産中華軍の独自判断は禁じられる。
現地では「AI将軍(Generalkommandant)」と呼ばれる無人司令中枢が稼働し、
兵士は命令を受けるのみとなった。
これがのちに“機械の戦争(Maschinenkrieg)”と呼ばれる所以である。
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Ⅴ. 戦線の収束と「冷戦化」
2055年、双方の戦力は極限まで摩耗し、戦線は長江沿岸で固定。
戦争の目的が失われた状態で、両陣営は事実上の停戦状態に移行した。
だが、中華民国は国土の半分を荒廃させ、共産中華は主権を失った。
戦争は勝者を生まず、
AI主導体制の恐怖と、連合国陣営の警戒心だけを残す結果となった。
この戦争を通じて、欧州連邦ではAIによる国家運営が定着し、
一方の連合国では「人間による政治」を重視する反AI的潮流が確立する。
世界はふたたび二極に分かれ、
それぞれが全く異なる原理——
機械による秩序か、人間による自由か——を掲げて対峙する構造へと移行していった。




