◆連邦と共産中華の接近( 2040〜2043)
1. 背景:共産中華の孤立と疲弊
2040年代初頭、
共産中華人民共和国は、戦後の長期的な孤立と内陸化経済の停滞により深刻な政治・社会
的停滞に陥っていた。
沿岸部を掌握する中華民国および連合国経済圏への依存が断たれた結果、
輸出入は激減、資源も枯渇し、内陸部の軍閥化が進行。
国家は名目上「共産党指導の人民共和国」を維持していたが、
実態は地方軍閥連合と同義であり、統治の正統性を急速に失っていた。
この時期、共産中華の最高指導者である趙永新主席(架空人物)は、
体制維持のため外部支援を模索し始める。
連合国(特に中華民国や日本)とは完全に断絶しており、
頼みの綱となるのは、かつての敵であった大ドイツ連邦のみであった。
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2. 連邦側の動機:シベリア・中央アジアの連絡路確保
一方の大ドイツ連邦(首相:クラウス・リントホルスト)は、
**カスピ海戦争(2030年代後半)**以降、
中央アジア地域の掌握には成功したものの、
シベリア以東への直接的アクセス路を欠いていた。
既存の補給路はウラル〜オムスク〜ノボシビルスク方面に限られ、
さらに東方の資源地帯(ヤクーツク・イルクーツク方面)や太平洋岸に至る陸上ルート
は、
山岳地帯・反連邦勢力地帯・連合国寄りの非同盟圏によって遮断されていた。
これを解消するため、連邦参謀本部は
「東方回廊計画(Projekt Ostkorridor)」を立案。
その核心が「新疆・チベット経由で共産中華領内を通過し、
インドシナ北部・南シベリア方面へと至る大陸連絡軸の確立」であった。
この戦略的必要性が、
共産中華への接近政策の原動力となる。
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3. 外交交渉の開始(2041年)
2041年、連邦外務省は表向き「経済開発支援」の名目で、
アルタイ経由の連絡代表団をウルムチに派遣。
以後、秘密裏にドイツ連邦情報庁(BFD)および連邦国防省が接触を開始する。
同年末、連邦企業「ノルド・コンツェルン」傘下の資源開発会社が、
新疆およびタリム盆地での天然ガス・鉱物資源開発の長期契約を締結。
これは実質的な経済的従属関係の開始を意味した。
表向きは「経済援助・インフラ整備協定」だが、
裏では軍事顧問団・通信技術支援・対連合国情報共有を伴う秘密議定書が締結されてい
た。
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4. 「タリム協定」(2042年):事実上の属国化
2042年2月、両国間で「タリム経済・防衛協力協定(通称:タリム協定)」が締結。
協定の公表条文は以下の通り:
・両国は相互の主権を尊重し、領土保全を保証する。
・連邦は共産中華の経済復興およびインフラ再建を支援する。
・共産中華は連邦に対し、天然資源供給の安定化と貿易優遇を提供する。
だが、非公開の付属条項には以下が含まれていた:
• 連邦は共産中華領内に顧問団・警備部隊を派遣できる。
• 主要通信・衛星ネットワークを連邦標準に統合。
• 共産中華の軍事改革・装備近代化を連邦技術顧問の監督下に置く。
• 共産中華は外交声明を連邦と事前調整する。
これにより、共産中華は**形式上の独立国でありながら、
実質的には連邦の保護領(準加盟国)**となった。
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5. 影響と国際反応
連合国は当初、これを「中立国への通常経済援助」とみなした。
しかし数ヶ月後、共産中華軍が連邦仕様の無人兵器・戦術通信網を導入し、
国境地帯で中華民国軍との小規模な衝突を繰り返すようになると、
ロンドンやワシントンでは「連邦による代理戦争化」の懸念が高まった。
とはいえ、2042年時点では連邦が直接軍事介入している証拠はなく、
国際的非難も限定的であった。
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6. まとめ:接近の実態
項目 状況 備考
形式的関係 経済協力・安全保障協定 「対等」を装う
実質的関係 経済・軍事・外交の全面従属 準加盟国化
連邦の目的 シベリア・中央アジアへの東方回廊確保 兵站・資源確保
共産中華の目的 体制維持・外資導入・軍近代化 国内安定のための「庇護」
国際的評価 当初は静観、その後懸念 連合国は監視体制を強化
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7. 展望
この接近は、のちの**「新疆ルート」開通(2043年)**につながり、
連邦のシベリア・中央アジア支配圏を東方へ延伸させる。
一方で、共産中華の軍事行動活発化が
**中華民国との国境紛争(2044年)**を誘発し、
のちの「第二次中華戦争」へと発展していくことになる。




