大ドイツ連邦の成立(2030–2032)
【背景:欧州連邦の疲弊と亀裂】
2030年代初頭、欧州連邦はフランス・ベネルクスの独立、経済停滞、連合国との冷戦長
期化により、
「巨大で老衰した官僚国家」と化していた。
特に、東欧・ヨーロッパロシア地域ではインフラと統治機構が崩壊し、
各地で民族紛争と反乱が散発。
中央政府の権威は弱体化していった。
ベルリン=ワルシャワ複合首都圏でも、経済難と汚職、指導層の高齢化が進み、
連邦議会では「再中央集権派」と「自治拡大派」が激しく対立した。
この頃から、軍・警察・情報機関の一部では
「欧州連邦を解体し、純粋なゲルマン世界として再統一すべき」とする新民族主義派が台
頭していく。
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【2030年:フランス・ベネルクスの離脱】
「欧州の春」と呼ばれた自由化運動がフランスからベネルクスへ波及し、
連邦当局の介入は失敗。
2030年末、フランス共和国とベネルクス共同体は正式に独立を宣言。
これにより、欧州連邦は旧来の西欧領域を完全に喪失した。
ベルリン政府は当初、軍の再派兵を検討するが、
経済・人員的余力が乏しく、結局「事実上の黙認」となった。
連邦の求心力は決定的に失われた。
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【2031年:総統府の再編と「連邦宣言」】
2031年春、ショルツ総統は議会を一時閉鎖し、
「非常統治令(Notstandsgesetz)」を発令。
名目上は“秩序回復のための一時措置”であったが、実質的にはクーデター的再編であっ
た。
以後、連邦構成国(ポーランド・チェコ・ウクライナ西部・バルト三国など)は
「大ドイツ圏(Großdeutsche Raum)」として一体化され、
自治政府は廃止される。
同年末、ショルツは首都ベルリンで「大ドイツ連邦成立宣言(Proklamation des Groß
deutschen Bundes)」を発表。
欧州連邦の法的連続性を引き継ぐとしつつも、
体制の実質は第四帝国的中央集権国家へと変貌した。
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【2032年:統合の完成】
2032年、旧連邦内で反乱・ストライキを起こしていた残余地域(ウクライナ西部、ポー
ランド南部など)は、
軍政と治安部隊により鎮圧。
「ドイツ民族共同体(Deutsche Volksgemeinschaft)」が再設立され、
ゲルマン系以外の住民は居住・職業・教育に制限を受けることとなった。
同年秋、ベルリン・ワルシャワ間に「連邦行政回廊(Bundesverwaltungszone)」が制定
され、
実質的な二重首都制が完成。
連邦の政治構造は以下のように再構築された:
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大ドイツ連邦の体制(2032年時点)
機関 構成・権限
連邦総統(Bundesführer) 国家元首。非常時には立法・行政・軍事を統合的に指揮。現
職:オラフ・ショルツ。
連邦評議会(Bundesvollzugsrat) 各省代表+軍・産業・党指導者で構成。実質的な最
高意思決定機関。
国民議会(Volksrat) 名目上の立法機関。議席の過半数は「国家再建党(Nationale
Wiederaufbaupartei)」が占める。
治安警察総局(GSP) 旧ゲシュタポと欧州連邦保安庁を統合。反体制監視と「文化的純
化」を担当。
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【政治理念と外交方針】
大ドイツ連邦は、欧州連邦の「汎ヨーロッパ主義」を正式に放棄し、
代わりに「ゲルマン的統一と秩序(Germanische Einheit und Ordnung)」を国是とし
た。
文化政策としても再び“ドイツ語第一主義”を打ち出し、
スラブ・バルト系言語は次第に教育課程から排除されていく。
外交的には以下のような立場を取る:
• 西欧への経済制裁と情報工作を継続。
• 東方(旧中央アジア)では「治安安定化」を名目に駐留を継続。
• 北欧・バルト海経由でロシア系残党との小規模戦闘が続く。
• 英米日蝦との「冷戦」は再燃、1980年代以来の対立構造に戻る。
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【結果】
こうして2032年、大ドイツ連邦は
名目上は「連邦」、実質は「第四帝国的単一国家」として復活。
その成立は世界に衝撃を与え、
連合国側(英米日蝦)は新たな「欧州封じ込め政策」を模索し始めることとなる。




