表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北の暁  作者: circlebridge
74/103

対テロ戦争(2001–2005)

正式名称:国家安全維持作戦(Operation Reichsschutz )

俗称:「ドイツの対テロ戦争」または「第二次トルキスタン戦争」

---

開戦の経緯(2001年9月〜2002年3月)

2001年9月11日

「ベルリン=ミュンヘン同時多発テロ」発生。死者2万人超。

国内のイスラーム系移民社会(主にトルキスタン、北アフリカ出身)に対する報復感情が

沸騰。

2001年9月15日

シュレーダー政権、非常事態宣言を発令。

• 全モスク閉鎖

• イスラーム教徒の登録制度(宗教識別法)導入

• 国防軍(Wehrmacht)に治安出動権限を付与

• 内務省直轄の“国家治安特別軍団(Sicherheitkorps)”設立

2001年10月

帝国国防参謀本部、報復作戦計画案を提出。

• 対象:トルキスタン地域(中央アジア・カスピ海東岸・アフガニスタン北部)

• 目的:「過激派拠点の殲滅」「資源ルートの確保」「帝国の威信回復」

→ 正式作戦名:Operation Falkensturm (鷹の嵐作戦)

---

第一次トルキスタン侵攻(2002–2003)

概要

2002年1月、ドイツ帝国軍・イタリア義勇軍・ハンガリー・ルーマニア部隊が

「カスピ海東岸」および「アフガニスタン北部」に侵攻。

航空・衛星偵察・ミサイル攻撃を併用した「21世紀型機械化戦争」とされた。

地域 主な戦闘 結果

バルハーン山地 サイフッラー派拠点壊滅 反乱指導者多数殺害

カンダハール平原 過激派拠点掃討 帝国軍の大規模空爆、民間人死者1万人超

アルマトイ 反独イスラーム指導層逮捕 ドイツ占領行政樹立

戦果と問題

• 短期的には“テロ根絶”を宣言。

• だが、民間被害が極めて大きく、周辺イスラーム諸国(ペルシア、トルコ、アラブ連

邦)が激しく反発。

• 捕虜収容施設(特にタシュケント南部「ラーゲル47」)での虐殺・拷問が後に発覚。

---

第二段階:北アフリカ・中東作戦(2003–2005)

目的

帝国情報省の分析により、「北アフリカと中東の反独地下組織が資金・人員を支援してい

る」と判断。

そのため、戦線は拡大され、**アラブ世界全体が事実上の“敵”**となる。

作戦名:Operation Kreuzschild(十字盾作戦)

主な戦場:

1. アルジェリア・チュニジア

• 旧ヴィシーフランス領。独支配下での独立運動が激化。

• 帝国陸軍が反乱を“テロ行為”と断定し鎮圧。

• ゲリラ掃討と称して数十万人規模の強制移送。

2. リビア沿岸

• 油田地帯の奪還作戦。連合国(英米)との小規模衝突も発生。

• 2004年、連合国の「非介入合意」により戦闘停止。

3. エジプト西部砂漠

• アラブ義勇軍(英米から非公認支援)と帝国軍が衝突。

• 実質的には冷戦下の代理戦争。

結果:

• 2005年までに北アフリカでの独軍死者12万人超。

• 経済的負担も帝国GDPの15%に達し、国内物価が3倍化。

• 「テロとの戦い」が「果てしなき泥沼」と化した。

---

国内の変化:監視国家の完成

• 2002年:**帝国保安局(Reichsschutzbehörde)**設立。

→ 事実上のゲシュタポ復活。通信傍受・市民監視を合法化。

• 2003年:“信仰登録法”改正でイスラーム信仰を完全禁止。

• 2004年:再教育収容所(KZ-N)設立。数十万人が拘禁。

• 2005年:国内での反戦運動(学生中心)に対し、治安部隊が発砲、数百人死亡。

このころから、帝国社会では「治安と自由のどちらを選ぶか」という根源的対立が発生。

特に青年層・学者・聖職者の間で“体制への無言の拒絶”が広がる。

---

戦争の終結(2005年末)

• トルキスタン方面での掃討作戦が完全に行き詰まり、

ドイツ国内でも物価暴騰・資源不足・徴兵反発が拡大。

• メルケル副宰相を中心に、**「安全保障から安定化へ」**の政策転換を主張。

• シュレーダーは戦果を誇示しつつも、2006年1月に「暫定停戦」を発表。

→ 事実上の撤退・戦争終結。

---

戦争の代償

項目 内容

帝国軍損害 戦死・行方不明計 約27万人

民間死者(全戦域) 推定180〜250万人

経済損失 約5兆帝国マルク(GDP比25%)

政治的影響 軍部の不満爆発 → 2006年クーデター未遂

社会的影響 国民監視・恐怖政治・イスラーム人口ほぼ消滅

---

歴史的評価

観点 評価

政治学 「帝国主義的国家が自らの過去に戦争を仕掛けた事例」。

軍事史 現代化された戦力を持ちながらも、ゲリラ・宗教戦争に適応できなかった。

社会史 監視と報復のスパイラルが帝国を内部から崩壊させた。

総括 “帝国の最期の戦争”であり、勝者なき戦争。

---

「帝国はテロを滅ぼそうとした。

だが、滅びたのは帝国そのものだった。」

— 《欧州戦後史叢書》第23巻「対テロ戦争と帝国の黄昏」(2043年)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ