大日本帝国憲法改正(1952年施行)
― 象徴天皇制と文民統制の確立 ―
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I. 背景:戦勝帝国の近代化要請(1945〜1949)
1. 戦後日本の国際的地位
• 日本は英・米・蝦夷とともに連合国の一員として第二次世界大戦を戦い抜き、
アジアにおける枢軸勢力(独・伊・ソ)を撃退。
• 戦勝国として領土も国体も保持し、欧州の英米に匹敵する極東の大国として地位を確立
した。
• しかし、国際社会(特に英米)からは「帝国体制の近代化」=
立憲的・民主的制度への移行が強く求められる。
2. 内部要因:軍政肥大と文民政府の限界
• 大戦末期、陸海軍の統合作戦指揮や戦費調達などで内閣と軍部の二重権力構造が顕在
化。
• これを戦訓として、「統帥権の独立」の見直しが急務とされた。
• 同時に、女性参政・地方自治・労働三権など、戦中の動員国家構造の緩和も社会的要請
となる。
3. 天皇の意向
• 昭和天皇(この世界でも同じ陛下)は、敗戦ではなく戦勝による安定期のうちに制度を
改めるべしとの大御心を示す。
• 1948年、「帝国の永続は時代に適ふ法制に拠る」との勅語を発し、
憲法改正の政治的正統性を付与した。
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II. 改正作業の進行(1949〜1952)
1. 憲法改正準備委員会(1949)
• 幣原喜重郎首相の提案で設置。議長は近衛文麿公爵、副議長は東久邇稔彦親王。
• 委員構成:法学者(宮沢俊義・南原繁)、軍代表(米内英策・杉山元)、政党代表(鳩
山一郎・河野一郎)など。
• 目標:
① 帝国憲法の精神を保持しつつ、近代的立憲体制に整合。
② 天皇統帥を形式化、統帥権を内閣に帰属。
③ 国民の基本的人権を成文化。
④ 国際平和を標榜するが、戦勝国としての防衛権は維持。
2. 政治過程
• 陸軍・海軍・右翼勢力は「国体護持」を掲げ反発。
• 一方、英米顧問団(特に法学者ロスコー・パウンドら)は、
天皇を「日本的象徴元首」と定義する条文化を提案。
• 宮中では昭和天皇自身が「国体は人の心にあり、法は時代に適ふべし」と裁断。
→ 改憲反対派は沈静化し、改正の大義が確立する。
3. 国会審議(1950〜1951)
• 衆議院・貴族院での審議は約1年。主な論点:
• 天皇の「統治権」→「象徴的地位」への転換。
• 貴族院の存続可否(結果的に「元老院」として縮小維持)。
• 婦人参政権の明記。
• 宗教・言論・集会の自由。
• 兵部省設立と文民統制の法的根拠。
• 1951年末、両院で可決(賛成73%、反対21%、棄権6%)。
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III. 新憲法の骨格(1952年4月1日施行)
1. 憲法名称
大日本帝国憲法(改正憲法)
―通称:**「昭和改正憲法」**または「新帝国憲法」
旧憲法を廃止せず、改正憲法として法的連続性を保つ点が特徴。
(=国体は不変だが、統治形態は近代化されたという建前)
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主要条文抜粋(概要)
節 内容 備考
第一章 天皇 天皇は日本国および日本国民統合の象徴。国政に関する権能を有せず。 旧
第4条「統治権総攬」を削除。
第二章 国会 両院制(衆議院・元老院)。内閣総理大臣は国会の指名による。 元老院は
任期制、勅選枠縮小。
第三章 内閣 内閣は国政を統括。首相は統帥権を含むすべての行政権を掌握。 「兵部
省」を管掌下に置く。
第四章 国民の権利及び義務 基本的人権、法の下の平等、信教・言論・学問の自由。 婦
人参政権、教育権も明記。
第五章 国防 国防は国家の義務にして国民の栄誉。 第九条に「国防の義務」規定。
第六章 地方自治 都道府県・市町村の地方議会を設置。知事は公選。 明治期以来の中央
集権を緩和。
第七章 改正 改正には両院の三分の二および国民投票の過半を要す。 史実よりやや厳
格。
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IV. 憲法改正の三本柱
1. 象徴天皇制の確立
• 天皇は「国家元首」ではなく「国民統合の象徴」。
• 国政行為は内閣の助言と承認を要する。
• 皇室典範も改正され、皇位継承・皇族活動を憲法の枠内に明記。
陛下は政治から離れることで、むしろ国民統合の中心としての地位を強化した。
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2. 文民統制と兵部省制度
• 陸軍省・海軍省を廃止し、兵部省を新設。
• 統帥権は内閣に属し、兵部大臣は必ず文民。
• 統合参謀本部が設置され、陸・海・空三軍を指揮。
• これにより、旧帝国陸海軍の軍閥的独立性は消滅。
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3. 人権・民主主義の導入
• 婦人参政権・労働三権・言論の自由・信教の自由を明文化。
• 社会主義勢力との対立を防ぐため、「福祉国家」的要素も導入。
• 私有財産は保障されるが、公共福祉の制約を明記。
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V. 改正後の政治的影響(1952〜1960)
分野 改正の影響
政治制度 内閣責任制が明確化し、政党政治が安定化。保守政党が与党化。
軍事制度 兵部省の設立により三軍統合。空軍誕生。核研究は兵部省直轄。
社会改革 婦人参政、教育改革、地方自治確立。都市中産階級が台頭。
外交 英米との同盟深化、蝦夷との連携強化。ドイツ・ソ連との対立構造が明確化。
皇室 象徴化により政治的負担減少。文化・慈善活動の中心へ。
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VI. 歴史的評価
評者 評価
英国『エコノミスト』誌(1953年) “Japan has achieved modernization without
revolution.”(革命なき近代化)
日本国内 「昭和改正は第二の明治維新」と称される。
後世の学説 「帝国の法的連続性を保ちながら、近代立憲主義を内在化した唯一の例」と
される。
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VII. まとめ
1952年の大日本帝国憲法改正は、敗戦によらず、戦勝国としての自発的制度改革であっ
た。
それは「国体の維持」と「立憲主義の導入」を同時に実現した稀有な政治的成功であり、
帝国の黄金期(1950~1980年代)の法的基礎を築いた。




