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北の暁  作者: circlebridge
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北アフリカ独立戦争(1972〜1979) 別名:マグレブ解放戦争(Maghrebische Befreiungskrieg)

前史(1960〜1972)

• 第二次大陸戦争後、ヴィシーフランスはドイツの衛星国家として再建。

北アフリカ(モロッコ・アルジェリア・チュニジア)は「フランス大陸同盟領

(Territoires Alliés Continentaux)」として統治。

• 政治権力はヴィシー高等弁務官府が掌握、ドイツ軍顧問が常駐。

• 1960年代末、石油・リン鉱石の収益が大陸本国に集中し、現地経済は低迷。

都市と農村の貧富格差が拡大。

• 1970年代初頭、北アフリカ大学出身者を中心に「イスラーム民族主義」と「汎アラブ社

会主義」が結合し、

各地で反仏地下組織が形成される。

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開戦(1972)

• 1972年3月10日:オラン近郊で暴動発生。

現地警察隊が鎮圧に失敗し、駐留フランス軍との銃撃戦に発展。

• 数日後、「北アフリカ民族解放戦線(FLNA)」が武装蜂起を宣言。

スローガンは「大陸の鎖を断て(Brisez la Chaîne du Continent)」。

• FLNA指導者:アブデラティフ・ベン=マンスール(元仏軍士官)。

支援:エジプト・シリア・トルコなど中立諸国。

• ヴィシー政府は「帝国の反乱」として戒厳令を布告し、

**第3大陸軍団(約8万名)**を投入。

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戦線の拡大(1973〜1975)

年 主要事象

1973年 FLNAがサハラ経由で武器供給を確立。農村部で支配を拡大。フランス軍は都市部

防衛に専念。

1974年 モロッコで王党派が離反、反仏臨時政府樹立。同年夏、ドイツが「秩序維持支

援」の名目でヴィシーに援軍派遣(6万名)。

1975年 「ライン・リヒト作戦」発動:ドイツ機甲部隊がフランス本土および北アフリカ

の主要港を掌握。ヴィシー体制は事実上の軍政下へ。同時にパリで反独デモ勃発、数百人

死亡。

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パリ鎮圧と国際反応(1974〜1976)

• ドイツ軍のフランス再進駐(ライン・リヒト作戦)は、

表向き「秩序回復」を名目とするが、実質的にはヴィシー政権の再占領。

• 北アフリカ戦線では、ドイツの支援により一時的に都市部の秩序が回復。

しかし、FLNAは山岳地帯やサハラでゲリラ戦を展開し、消耗戦化。

• 英米蝦連合は「マルタ宣言(1975)」を発表し、

「民族自決を認め、ヨーロッパによる軍事介入を非難する」

と声明。

軍事介入はせず、外交的圧力・情報支援に留まる。

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戦争後期(1976〜1979)

• 1976年:アルジェ陥落。

フランス軍が市街地を奪還するが、郊外・南部は完全にFLNA支配下。

サハラ以南諸国から義勇兵が流入し、戦線は国境を越える。

• 1977年:ヴィシー政権崩壊。

パリで軍内部のクーデター発生、親独派と共和派が衝突。

ドイツ軍が全権掌握し、「フランス大陸総監府」を設立。

植民地統治はベルリン外務省直属に移行。

• 1978年:チュニス停戦会議。

ドイツ・英米蝦・FLNA代表が参加。

• 北アフリカ三国の「段階的自治化」を承認。

• ドイツ企業による資源利権(リン鉱石・油田)は20年間継続。

• フランス軍の撤退を5年計画で実施。

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終結と体制変化(1979)

• 1979年3月、最後のフランス部隊がアルジェから撤退。

• 同年7月、モロッコ王国・アルジェリア共和国・チュニジア共和国が正式独立。

形式上は「フランス語経済圏(Union Économique Africaine)」の一員として、

ドイツ・フランス経済圏に属するが、政治的には中立を標榜。

• 北アフリカ戦争は、ドイツが「秩序を保ちつつ植民地を放棄した」初のケースとなる。

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戦後の構造的影響

項目 内容

フランス 完全にドイツの直轄州化。国民連帯運動が唯一合法政党。

北アフリカ 名目独立。政権は親欧中立派。実質的には経済的従属関係継続。

ドイツ帝国 北アフリカ喪失で中東への資源依存度増大。南方ルート強化政策へ転換。

英米蝦連合 間接的に影響力拡大。北アフリカ諸国と外交・文化交流を開始。

国際構造 大陸ブロックの“外縁の緩み”として冷戦バランスに変化。

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戦争の総括

• 死者数:軍民合わせて約25万人(推定)。

• 経済損失:北アフリカ全体のGDPの35%が喪失。

• 政治的結果:

• ドイツは帝国秩序の維持に成功したが、経済的には損耗。

• ヴィシーフランス体制は消滅し、フランスは実質軍政化。

• 北アフリカは独立を勝ち取るも、冷戦の“中間地帯”に位置する。

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歴史的評価(この世界の史学での見方)

見解 内容

大陸史観 「帝国の秩序を維持した合理的行動」

連合史観 「ヨーロッパ植民地体制の崩壊の始まり」

北アフリカ史観 「独立は勝ち取ったが、真の自由は未だ遠い」

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この戦争は、

• ドイツの軍事的再介入(=プラハの春の西方版)

• ヴィシー体制の終焉

• 北アフリカの民族主義の台頭

の3つを結節点とする、冷戦期の大きな転換点になります。

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