ベトナム共和国の成立(1968〜1970)
◇ 1. 戦争終結と南インドシナ政権の崩壊(1968)
1968年初頭、インドシナ戦争は決定的な転換点を迎えた。
ヴィシー・フランスの補給線は完全に断たれ、
サイゴン政権は連日のゲリラ攻勢と民兵反乱により崩壊寸前となっていた。
同年5月、北部民族解放軍が中部沿岸部から南下し、
6月にはサイゴン(旧フランス総督府)が陥落。
ヴィシー・フランスは事実上インドシナ支配を喪失した。
戦後、南部各地では旧フランス系官僚、民族解放戦線の軍司令部、
そして英米蝦日の軍事顧問団が入り乱れて政治的空白が生じた。
これに対し、英米蝦日は混乱の長期化を恐れ、
「アジアにおける反帝国主義・独立の成功例」を演出すべく、
新政府の早期樹立を推進した。
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◇ 2. 臨時統一政府の成立(1969)
1969年2月、ハノイ・サイゴン両地域の主要指導者が英米蝦代表の仲介で会談。
ここで「民族自決」と「外勢の排除」を共通原則とする
**「統一臨時政府(Provisional National Government of Vietnam)」**が発足した。
首班には民族解放戦線の穏健派指導者 グエン・ヴァン・クアン が就任。
(史実で言えばファン・バン・ドンやグエン・カオ・キの中間的な人物像)
同年4月、臨時政府は英米蝦日と経済・治安協定を締結し、
• 旧ヴィシー勢力の帰順保証
• フランス人官僚・技術者の再雇用
• 連合国による南シナ海治安協力
を条件に、新体制の国際承認が行われた。
蝦夷国と日本は民生支援部隊を派遣し、
ホーチミン市・ハイフォン・ダナンの港湾・電力復旧事業を開始。
これが後の連合国投資圏の基盤となった。
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◇ 3. 国号決定と新憲法制定(1970)
1970年1月、臨時国会がホーチミン市で招集され、
国号を「ベトナム共和国(Cộng hòa Việt Nam)」とすることを全会一致で可決。
このとき「共和国」の名称は、
— 社会主義ではないが、旧植民地的封建体制からの脱却を示す言葉として選ばれた。
同年7月には第一次憲法が公布され、以下の体制が確立する。
▪ 国家体制
• 国家元首:大統領(任期6年、再選制限なし)
• 立法:一院制国会(議席の3分の2をベトナム建国党が占有)
• 行政:官僚主導、軍・警察・地方行政を統合した「国家開発委員会」が実権を握る。
• 政党:ベトナム建国党(旧労働党派閥を再編)。
党の綱領は「秩序・開発・独立」を三大原則とする。
▪ 軍制
• 軍名:ベトナム共和国軍(ARV)
• 指導顧問:蝦夷国・日本・米国合同軍事顧問団
• 海軍:南シナ海警備・連合艦隊との共同任務を担当。
• 空軍:主に英米製機材を使用。
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◇ 4. 連合国ブロックへの加盟
1970年末、英米蝦日はベトナムを海洋ブロック準加盟国として承認。
翌1971年、サンフランシスコ会議で正式に「連合国共同安全保障条約」に署名。
この結果、
ベトナムは事実上、
• 経済:日本・蝦夷国の投資圏
• 安保:米英の防衛圏
• 政治:親連合国的独裁政権
という三重構造に組み込まれた。
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◇ 5. 初期統治と国家建設(1971〜1975)
建国直後の共和国政府は、
• 北部山岳地帯の再統合、
• インフラ復旧、
• 経済再建、
の三課題に直面していた。
日本・蝦夷の技術協力により、ハイフォン港・ホーチミン港が再建。
米国の資金援助によってメコンデルタの電化・干拓事業が始まる。
また、蝦夷国の協力で水産庁・農林省型の行政機構が導入され、
漁業・稲作・林業が輸出産業として整備された。
1974年には国民一人当たりGDPが戦前(1950年代)比で3倍に達し、
「東南アジアの成功した復興国家」として国際的注目を集めることとなる。
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◇ 6. 成立の意味
ベトナム共和国の誕生は、
この世界における**「海洋ブロックによる脱植民地化モデル」**の完成を意味した。
すなわち、
• 社会主義を経由せず、
• 欧州帝国主義の影響を排し、
• 経済開発と秩序を軸に独立を達成した
新興国家としての成功例であった。
一方で、政党・軍・外資の三者が結合した開発独裁体制は、
長期的には政治停滞と汚職を招く温床ともなっていく。
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◇ 概要表
項目 内容
国名 ベトナム共和国(Republic of Vietnam)
成立 1970年1月(臨時政府発足1969年2月)
政体 一党優位の開発独裁制
指導政党 ベトナム建国党(旧労働党系)
外交 連合国(英米蝦日)ブロック加盟
経済 国家主導型市場経済、外資依存度高
安保 南シナ海共同防衛協定
首都 ホーチミン市(旧サイゴン)
体制理念 「秩序・開発・独立」
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この「ベトナム共和国」の成立は、
海洋ブロックがアジアにおける政治的優位を確立した象徴的事件であり、
同時に帝国ブロック(ドイツ・ヴィシー・イタリア)衰退の決定的転換点となりまし
た。




