ドイツ「東方生存圏」運営概説(1950–1955)
1. 基本構想と法的根拠(1950年末〜1951年)
• 1950年9月〜10月、ベルリンは「東方安定化法」「東方再編令」等を相次いで公布し、
ウラル西方を恒久的領域として帝国行政に組み込む法的枠組みを整えた。これらは占領地
の法体系を母国法の下に編入することを目的とする根本法である。
• 法律の骨子は三つ:①占領地の行政的再編(総督府設置)、②住民の分類と資格(市
民権・居住権の基準化)、③資源・経済管理(軍需優先の経済配給)。
2. 行政構造(1950〜1952 年の設置)
• 占領地は五〜七の**大管区(Reichskommissariat / Ost-Gouvernement)**に分割。各管
区にドイツ側の総督を配置し、総督には軍・警察・経済・人口移動に関する広範な権限が
与えられた。
• 管区下には地方行政(Distrikt)とさらに基礎行政(Kreis/Gemeinde)が置かれ、現地
の役人にはドイツ官僚と「協力」するローカル職員が採用された。
• 総督府は「占領法」「配給令」「言語教育令」等を発することで、短期的な秩序回復と
長期的な同化政策を運用した。
3. 人口政策(分類・移住・労働)
• 人口分類:住民登録(戸籍台帳の作成)と民族分類が初期最優先事業となった。分類基
準は言語・出自・職業・政治経歴に基づくスコアリング方式で示され、分類結果は居住
権・労働義務・徴税区分に直結した。
• 移住政策:母国からの入植者(退役軍人、農業移民、行政職員)を優先的に移送する一
方、あるカテゴリーの住民には「移転」や「隔離」政策が実施された(文書上は「再配
置」「労働配置」と表記)。移住は段階的に行われ、公式には「経済再建のため」と説明
された。
• 労働動員:鉱山・農場・インフラ復旧に必要な労働力は占領行政の重要任務。現地住民
は「復興労働者」として制度化されたが、労働条件・賃金・組織は母国側が決定するた
め、労働搾取が常態化した。
• 結果として、短期的には労働力を確保できるものの、熟練技術者の大量流出や被占領民
の抵抗は生産性を低下させた。
4. 経済運営と資源管理
• 中央機関:1950年末に「東方資源庁(Reichsrohstoffamt-Ost)」が設立され、石油(バ
クー)、石炭、穀物(ウクライナ平原)などは軍需優先で配分された。収入
は帝国予算へ直接移され、占領地の再投資は限定的であった。
• インフラ復旧:鉄道・港湾・精製所は優先修復対象。だが破壊・サボタージュ・技術者
不足により復旧は部分的で、輸送能力の完全回復には年単位が必要とされた。
• 企業運営:母国の重工業・化学企業が占領地での独占的利権を得、コンツェルン主導で
鉱山・農場経営が行われた。民間投資の多くは占領当局の許認可制で管理された。
5. 社会統制・同化政策
• 教育と言語:学校カリキュラムはドイツ語教育と帝国史観を重視する方向に改編され
た。低学年には母語教育が限定的に残されたが、公教育は原則としてドイツ化を促す内容
に統一された。
• 宗教と文化:正教会等は形式的に容認されるが、その指導層は監視・交代が行われ、宗
教施設は文化政策の道具となった。地方文化・民俗は再編の対象とされ、伝統的行事は帝
国の統治目標に即して管理された。
• プロパガンダ:ラジオ・新聞・学校を通じて「秩序回復」「経済復興」「共同体再建」
の宣伝が流された。プロパガンダは入植の正当化と住民の服従獲得を狙った。
6. 治安と治安機構(制度面)
• 占領治安部隊:ドイツ軍・特別警察・占領警察が治安維持の中核。地域には親独の補助
部隊(旧白軍、反共勢力など)を編成し、治安業務を分担させた。
• 諜報・監視:住民登録、印刷物検閲、ラジオ受信制限、移動制限などにより情報統制が
行われた。秘密警察は反体制の摘発と管理を担った。
• 法的措置:占領令で非常裁判所を設置、治安違反に対して厳罰を適用することで統制を
強化した。これらは形式的には法的根拠を備えた行政手続きとされた。
7. 抵抗・保全・補給の現実(1951–1953)
• 抵抗運動は早期から多層化した。農村ベースの自衛組織、旧軍残党のゲリラ、都市の地
下ネットワークが並行して存在。これにより占領当局は治安維持に兵力を多量に固定化す
ることを余儀なくされた。
• 補給線と技術者の不足、資材の浪費、汚職が慢性的に発生し、占領経済は当初想定を下
回る生産性に甘んじた。占領維持は母国の財政負担を拡大し、1953年以降は内政的な反
発が顕在化する。
8. 人道的・社会的帰結
• 大規模移住・労働動員・戸籍分類は数百万規模の人口移動を引き起こし、難民と都市の
破壊は公衆衛生・食糧安全保障の危機を招いた。疫病・飢餓・家族分断が常態化し、被占
領民の生活は長期的に破壊された。
• 国際社会では人道支援と難民受け入れの議論が活発化したが、占領当局は制限的に受け
入れを管理し、援助の流入は困難を伴った。
9. 国際的反応と外交(1951–1954)
• 英米蝦日連合は占領の事実に対して非難と経済制裁を発し、国際会議での孤立化を進め
た。だが全面軍事介入は回避され、秘密支援(情報・物資)による抵抗援助が行われた。
• 石油や穀物市場の混乱は欧州経済に影響を及ぼし、第三国の外交圧力と介入の誘因と
なった。国際司法の舞台では占領政策の合法性が問われるが、当面の即時制裁能力は限定
的であった。
10. 5年目までの評価(1955 年時点の総括)
• 達成点:主要都市と一部の工業・資源地帯はドイツの管理下に入り、戦略資源の一部は
帝国流通に組み込まれた。入植地の形成と一部経済復旧は確認された。
• 挫折点:恒久的な同化は達成されず、労働力の確保、技術・管理能力の流出、財政負
担、そして何よりも抵抗運動の火種が継続した。占領に伴う人道的被害と国際的孤立は長
期的な弱点となった。
• 結論として、東方生存圏は政治的支配の確立に成功したが、社会統合と経済的持続性に
は重大な欠陥がある──という評価が1955年時点の標準的見解である。




