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北の暁  作者: circlebridge
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満州事変と満州国建国(1933〜1936)

背景:英米による極東再編構想

1920年代末、英米はソ連の極東軍拡と中国内乱を危機視。

朝鮮半島には英米共同駐留軍(約3万人)が常駐し、

釜山・仁川・京城に極東艦隊基地を設置。

日本は日露戦争後の敗北で大陸権益をほぼ喪失し、

遼東半島を除けば対岸への影響力は弱い。

満州北部は無政府状態、鉄道・鉱山・港湾の利権をめぐり、

中国軍閥、ソ連、地元自治組織(蝦夷資本系)などが入り乱れていた。

→ 英米にとって、ここを放置すればソ連の南下と国際通商路の崩壊を招く。

英米の決定:マッカーサーに白羽の矢

1932年、ロンドンで開かれた「極東安全保障会議」で、

米陸軍中将 ダグラス・マッカーサー が朝鮮駐留軍司令官に任命。

英国陸軍のハロルド・アレグザンダー少将が副司令官。

目的は「極東防衛と秩序回復」――つまり、

“必要に応じて満州へ介入する権限” を与えられた。

マッカーサーはこの任務を

“An experiment in civilized control over chaos.”

(混乱に対する文明的統治の実験)

と述べたとされる。

1933年:「奉天鉄道爆破事件」発生

1933年8月、満州鉄道(英米・蝦夷共同経営)の奉天〜哈爾浜間で大規模爆破。

死者多数。実行犯は不明だが、

英米情報部はソ連の諜報員による破壊活動と断定。

マッカーサーは即座に「防衛行動」を宣言。

英米連合軍(朝鮮駐留軍約2万)+蝦夷義勇団5千を動員。

国際連盟の緊急会合で「極東治安行動」が承認される(実質英米主導)。

日本は抗議するも、国際的には孤立。

ソ連は挑発と非難しつつも即応できず。

1933〜1934年:「極東治安行動」展開

マッカーサー指揮のもと、英米連合軍は満州へ越境進入。

主力:

米第15歩兵旅団(1万人)

英第6師団(8千)

蝦夷義勇旅団(5千)

軍政顧問団として蝦夷政府が通信・補給・翻訳を全面支援。

現地軍閥は潰走、中国中央政府は英米の「秩序回復」を承認。

英米軍は奉天・哈爾浜・長春を制圧、臨時統治委員会を設置。

1934年:ハルビン暫定政府樹立

マッカーサーは「軍政ではなく自治を」と主張し、

満州北部に「暫定自治政府(Provisional Government of Manchuria)」を設立。

蝦夷からは顧問として政治家・宗谷弘邦、実業家・大場貞治が参加。

経済復興計画を発表し、蝦夷資本による鉱山・鉄道再建が始まる。

→ マッカーサーの方針は明確だった:

“We shall teach Asia the discipline of freedom.”

(アジアに自由の規律を教える)

1935年:溥儀擁立の政治工作

英国外務省が「秩序の象徴」として溥儀を推挙。

マッカーサーも賛同。彼は軍事司令官でありながら、

「秩序と合法性」を強調し、軍事政権化を避けようとした。

溥儀は天津から英艦で移送され、蝦夷を経由してハルビン入り。

その際、蝦夷側は護衛と接待を担当。溥儀は札幌に一時滞在し、

「北方の民は誠実であり、清の正統に最も近い」と語ったと伝わる。

1936年:満州国建国宣言

1936年3月1日、ハルビンにて「満州国(State of Manchuria)」建国を宣言。

式典にはマッカーサー

、アレグザンダー、蝦夷総督代理・北條季春が出席。

溥儀は「執政(Chief Executive)」に就任。

マッカーサーは同年5月に「連合治安軍総司令官」から「顧問司令官」へ職を移し、

建国宣言でこう述べた:

“The sword has been sheathed, and from it shall spring a new order of peace.”

(剣は鞘に収められた。この地から新たな平和の秩序が芽生えるだろう。)

政治構造

項目|内容

元首|執政 溥儀(象徴的地位)

実務政府|英米蝦合同管理評議会(議長:マッカーサー)

首都|哈爾浜(Harbin)

軍|満州防衛軍(約3万、英米蝦混成指導)

通貨|満州ドル(英ポンド兌換)

法制|英米法+蝦夷行政法の折衷

外交|国際連盟監督下、英米蝦の保護国扱い

ソ連との緊張

ソ連は「英米の傀儡国家」として満州国を非難。

アムール川流域に10万の兵を展開し、国境衝突が頻発。

マッカーサーはこれを抑止し、

「北太平洋の安定は剣よりも秩序によって守られる」と発言。

→ この一連の流れが**スハリン事件(1938)**の伏線となる。

満州国の国際的評価

国|立場

英国|マッカーサーの成果を高く評価、「文明的介入の成功例」と称賛。

米国|経済・軍事的利益を確保。マッカーサーを国民的英雄として報じる。

蝦夷国|国際的地位をさらに高め、北太平洋貿易の中心に。

日本|形式的に承認するも、影響力をほぼ失う。

ソ連|激しく反発、以後「極東冷戦」状態へ突入。

歴史的意義

史実の「関東軍暴走による侵略」ではなく、

英米主導・マッカーサー指揮の秩序介入として成立した満州国。

彼の軍政哲学(秩序と自由の両立)は蝦夷行政に影響を与え、

北太平洋圏の政治思想にも広まる。

この時期以降、蝦夷・英米・満州が実質的な防衛同盟を形成し、

ソ連との対立軸が明確化。

「マッカーサーの満州事変」は、

アジアの国際秩序を百年単位で変える“英米流の介入”として記憶される。

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